第一章 不吉な影(2)
そしてあの日から半年以上の年月が過ぎた。非情にも、その間状況は刻々と変わってゆき、
「陛下! コルノ軍が我が王都ソリーリャの市壁を包囲しました! 兵達も応戦して全力で守っていますが、いつまでもつか……陛下! どうぞ援軍を!」
そう、あの蛮族の国、コルノとルータの関係は最悪なものとなっていたのだった。最初は、国境辺りのちょっとした小競り合いだった。それから、次第に二国間の緊張は高まってゆき、何が引き金だったか、とうとうコルノが進軍するという事態に陥ってしまったのだ。やがて二国は本格的な戦闘状態へと突入し、そして今、そのコルノ軍がルータの王都まで攻め上がってくるという状況になってしまっている。
しかも、ルータは劣勢。このままでは王都内にコルノ軍を入れてしまうのも時間の問題となっていた。
「アレジャンからの援軍はまだか!」
最後の頼みと、激しい口調でそう問う王。だが、使者は頭を垂れて、
「いえ、いまだその姿すら見えず……」
援軍も得られず、我が軍も心もとなく、王は思わず落胆する。そんな絶望の中、王がふと目を落とした所とは、
「ルフィノ……」
そう、鎧を身にまとい、武装したルフィノの姿であった。もしやの時の為に、ずっとこの広間に控えさせていたのであった。そして、今がきっとその時。ならばと王はルフィノに視線を送ると、それに気づいた彼、膝をついて深々と頭を下げ、
「出陣、ですね」
コクリと頷く王。そして、
「お前が最後の砦だ。よろしく頼んだぞ」
決意みなぎった深い声で、ルフィノにそう声を掛けてゆく。それに再び頭を下げ、王と同じ決意をありありと示し、立ち上がってゆくルフィノ。そうして、その場から身をひるがえそうとすると、
「お願い! 私も! お父様、私も出陣します!」
ティアだった。ティアが悲痛な声を上げて、自分もコルノ軍と戦いたいと、父、ルータ王に申し出たのであった。その声色には懇願にも似た響きがあって、王は思わず顔を顰める。
「駄目だ。お前は大事な一人娘だ。そんな危険な目に合わせる訳にはいかん」
「そんな……。私の技量は知っているでしょ! コルノ軍なんて、一振りで蹴散らしてみせるわ! だから、お願い!」
髪を振り乱し、彼一人でなんて行かせないと、ティアは父に迫ってゆく。それは、大いなる駄々。それを見てルフィノは思わず溜息をつくと、王の元にいるティアの傍へと歩んでゆき、背後からポンとその肩を叩く。
「ティア。言うことを聞くんだ。君はここにいなければならない。そうする義務があるんだよ、この国の民の為にも」
声の方へと振り返り、恨めし気にティアはルフィノを見つめる。そう、その目を涙で濡らして。そして激しく言い放つ。
「何故、どんな義務なの。あなただけを戦に向かわせるような、どんな義務があるというの!」
困ったようにため息をつくルフィノ。
「君の思いはありがたい。だけど、僕と君の立場は違う。僕は騎士だ。戦に向かう義務がある。だが、君は王の一人娘だ。いずれ国を背負う義務がある。それは、どこまでも生き残って、民の希望になることだ」
「民の、希望?」
「ああ」
どうやら、自分は剣で彼の役にはたてないようだった。ただじっと待っていることしか……。その現実に、涙があふれて止まらなくなるティア。思わずしゃくりあげながら、しばし説得するよう強く見つめてくるルフィノの視線を、ティアは辛い気持ちで受けとめる。だが、納得いかないものは納得いかないのだ。やがて限界を迎えると、もういい! といったよう、ティアはその場から翻り、泣きながら広間の外へと駆け出して行った。
それを見て、ため息が漏れる広間内。そして、駆けるティアの足音が聞こえなくなると、ルフィノは意を決したよう、
「では、参ります」
マントをたなびかせ、この部屋から出て行った。
★ ★ ★
自室へと戻ったティア、ベッドに身を投げ出し、大声で泣いてゆく。全く、数カ月前まではこんなこと、想像もつかないティアであり……。そう、今のこの状況、もしかしての可能性も少なくなかったからかもしれない。もしかして、この国は、敗れてしまうのでは、と……それ故の涙。そして……。その時、ルフィノはきっと無事ではいられないだろう。ルフィノだけではない、父や母、そして自分も。滅亡の危機にある王国を前に、ただ泣くことしかできない自分が歯がゆかった。今すぐにでも剣をふるい、少しでも憎き敵をぶちのめしてやりたかった。それなのに……。
「姫様、大丈夫でしょうか?」
すると、一人の侍女、侍女頭であるルシアが、泣き続けるティアに向かい、心配げにそう声を掛けてくる。だが今のティアに、その声は届いていなかった。何も聞こえないようベッドに横になり、そのまま泣きに泣きじゃくって、一人自分の世界へと浸っていた。すると、それにルシアはため息をつくと、
「姫様、支度、がございます。お起きになりますよう」
有無を言わせぬ、凛とした口調であった。またそれは、ティアにとって疑問に思うような内容であり、ようやくといったよう泣き伏すのをやめると、涙顔で「支度?」と言って身を起こしてゆく。
「はいそうです。いざという時は、姫様はこの城を脱出せねばなりません。どうなるか分かりませんが、もしもの時の為に、一応その準備を」
「脱出……勿論、お父様やお母様も一緒よね?」
だが、それに侍女は沈鬱な顔をして、
「陛下は、ルータ軍の最高司令官として、ここに最後まで残ることを決意しております。そして、王妃陛下もそれについてゆくと」
「じゃあ、私も残るわ。そうでしょ。当然でしょ」
困ったような表情をして、侍女は首を横に振る。
「いけません。先ほどルフィノ様もおっしゃったでしょう。姫様はこの国の希望なのです。もし、この国が戦に負けることがあった時、姫様は再興の希望となるのです。死なせる訳にはいかないのです」
「そんな……。私だけ生き残るなんて。ううん、その前にルフィノがコルノ軍を一掃してくれるわ。私が逃げる必要なんかないわ!」
藁にもすがるような思いでティアはそう言葉を紡いでゆく。そう、逃げることなんてするものか、絶対戦って勝ってみせる、と。だが、ティアのそんな望みも儚く、侍女は暗い表情をし、
「情勢は、予断を許しません。何せ、数が……。もしやに備えておくのです」
もはや、勝負は決したかのような物言いだった。それにティアは思う。そんなだから負けるのだ。気持ちでもう負けているから、駄目なのだ、と。そして、そんなの許さない、嫌だ、絶対嫌だとティアは首を横に振る。
「私の願いは何も聞いてくれないの。すべて飲み込んで納得しろと? 剣さえ、剣さえ私に与えてくれれば、あんな野蛮な奴ら、全滅させてやれるのに!」
悲痛な虚勢であった。到底叶わぬ願いであった。それを重々承知でルシアは優しくティアの肩に手をやると、
「姫様。姫様は私たちにとっても希望なのです。お願いです。お命を粗末になさいませんよう」
またしても、希望だった。そんな希望いらないと、ティアは思った。でなければ、自分の剣で道を切り開く、そんな希望になりたいと。その思いで、ひたすらベッドの上で、涙を流してゆくティア。溢れる涙は止まらず、表情には唯悔しさばかりが浮かんでくる。そして、暫しの時の後、やはり逃げるなんてできないと、堪えきれぬ思いで、否定するよう再びティアは首を横に振る。それに溜息をつくルシア。そして、もうそんなティアには構っていられないと、ルシアはティアから背を向けると、取り敢えず先へと事を進めてゆく。
「皆さん! 姫様の逃走の準備を。あなた方は荷物。あなた方は姫様が着る服を。さあ、早く!」
その言葉と共に、一気に侍女達がざわざわと室内へ散ってゆく。ティアの元にも数人の侍女達がやってきて……。そう、王族の姫らしく、華美なドレスを着ていたティア、それをはぎ取らんと数多の手が伸びてくるのであった。その集団での襲撃は、普通の男以上に剣のたつティアでも、かなりといっていい程の恐怖であり……。おののきの表情を顔に張り付けながら、何度も、必死で、止めて! の声を張り上てゆくティア。だが、侍女達の襲撃は容赦ない。そう、あっという間にその服は脱がされていってしまうのであって……。