第六章 揺れる心(4)
そして、当然ヴィートの怒りはおさまることなく、そのまま翌日になった。
だが、流石にヴィートも合意のないまますぐに開戦という訳にはいかず、大方の兵士達を天幕近くに隊列を組んで控えさせると、しばし相手の様子を観察していった。すると、
「アレジャンからの使者です! 今度は単なる兵士ではありません、皇帝の側近のノアン伯シャルル・フェルナン・ド・ブーリエンヌと言っています!」
一人のコルノ兵の叫ぶ声が、コルノ陣内に大きく響いてくる。
そしてその時、ヴィートは自分の天幕の中にいた。その中で重臣達と共に、これからの事について会議を行っていたのだ。これは男だけの世界、ならばとティアは自分の天幕に戻っていていない。そう、ヴィートと数人の重臣だけがそこにいたのだ。そして慌てた表情をして、そこにあの兵士が駆けこんでくる。
「アレジャンからの使者です! 今度は単なる兵士ではありません、皇帝の側近のノアン伯シャルル・フェルナン・ド・ブーリエンヌと言っています!」
「ノアン伯シャルル・フェルナン・ド・ブーリエンヌ?」
兵士の言葉に、疑問の声をあげるヴィート。どうやらすぐにはその者が誰か思い当らなかったらしい。そうして、しばしして「ああ」、とヴィートは理解の表情を浮かべると、
「あのノアン伯か。聡明と評判の側近の」
「はい!」
今日も朝から不機嫌だったヴィートだが、これは何かいいことの前触れかと、少し機嫌を持ち直す。そして、
「すぐにここに通せ。すぐにだ!」
それに跪いて一礼し、去ってゆく兵士。そう、命令に従い、天幕の向こう側へと。すると、
「あのノアン伯がやってくるとは、一体?」
「何の話があるのでしょうかね……」
「いいことだといいのですが……」
重臣達が、ここぞとばかりに口々にそう言ってくる。それは、次から次へと零れてくる言葉の数々。それをヴィートは聞きながら、自分自身も訳が分からないというように、難しい顔をして腕組みをしてゆく。すると、しばらくして、またあの兵士が戻ってきた。
「アレジャンの、ノアン伯です」
入れ、と手を振り、合図をしてゆくヴィート。すると、すぐに天幕の入り口が開けられ、そこから中腰になって、三十前後の、長身でたおやかな美しさを持った男性が天幕の中に入ってきた。
「お目通り叶って嬉しく思います。ノアン伯シャルル・フェルナン・ド・ブーリエンヌです」
物腰も上品に、お辞儀をしてゆくノアン伯。そして間髪を入れず、
「昨日は失礼仕りました。皇帝は幼い頃から皇帝だった故、へりくだるということを知らぬのですよ。皇帝は内心、コルノ王と上手くやってゆきたいと考えておられます。今日は昨日のお詫びと、これからについて話し合いたいと思いやって参りました。怒りの気持ちを抑えて、私の話を聞いてくれればと思っております」
どうやら、昨日の輩とはこの者、少し違うようだった。蛮族を蔑む態度も見せず、昨日の事を詫びたいとまで言っている。それはヴィートにとって驚くべきことであった。彼なら昨日の者達よりもっと建設的な話ができるのではと、期待のようなものも胸に湧いてきて、態度を軟化させようかともヴィートは思ってしまう。そして、単純にも、その言葉に上機嫌になったヴィート、思わず顔をほころばせてゆくと、
「そうか、聞いてみようか、お前の話を。だが、それより……客はもてなさないといけないな。丁度昼食時でもある。飯でも食いながら話そう。おい! 飯の準備を! ノアン伯の分もだ!」
「いえ、私は……」
困惑したように、それを辞退しようとするノアン伯。だが、ヴィートは、
「遠慮するな。食ってけ、食ってけ」
半ば無理やり食事をとらせようとする。
そう、なんといっても時間が時間なのであった。それだけに、こちらとしても、そうしてもらう方がありがたかったのである。勿論準備もたやすく、特に時も置かずともすぐに料理がこちらに運ばれてくる。次々並べられてゆく、それを目の前にしてヴィートは、
「じゃあ、食いながら、話そうか」
そう言って笑う。その言葉にノアン伯はかしこまったように頷くと、「では……」と言い、
「実は、相談事があって参りました」
「相談?」
パンを頬張りながら、疑問に思うよう首をかしげるヴィート。それに、ノアン伯はコクリと頷いて、
「はい。今、アレジャンは劣勢です。このまま戦を続ければ、恐らく負けるでしょう。ですが、例えそうなったとしても、皇帝陛下の地位は残してもらえぬでしょうか。何せ二千年も続いた皇室です。国民の心のよりどころでもあります。それがなくなったら、あなた様もきっと遣り辛いことになるでしょう。勿論、実権はあなた様が持つ。皇帝陛下は象徴。そういうことで、どうでしょうか」
申し出された彼の言葉に、ヴィートは思わず眉を顰める。皇帝が、国民にどれだけ影響を与えるのか、それが全く分からなかったからである。だが、無条件に皇帝を敬っているティアの姿があったから、ノアン伯の言うことも一理あるのかもしれないと、納得したように頷いてゆくと、
「分かった、少し検討してみよう。お前の望む結果になるかわかんねーが、臣下達と少し話してみる」
それに、ホッとしたように表情を緩めるノアン伯。
「ありがたく思います!」
そうして、それから二人は更に話を進めてゆくと、コルノがどう決断を下すか、その結果が出るまでお互い休戦しようという約束まで交わしていった。そう、ここまで来てようやく合意といった感じだ。ノアン伯もそれに満足したようで、上機嫌な表情を顔に浮かべると、「ではこれで」と言って席を立とうとする。だが、ヴィートは卓を見て思わずこう言う。
「なんだ、全然食べてないじゃないか。もっとゆっくりして、食ってけ」
すると、それにノアン伯はまたも困惑したような顔になり、
「いえ、私は小食なので……」
やんわりと申し出を辞退してくる。だがその言葉、ヴィートとしては、唯ひたすら勿体ない、であった。なので、少し納得のいかない表情をしていたが、まぁ仕方がないと思ったのか、了解を示して頷いてゆくと、
「そうか。だが、お前とはなかなか馬が合うような気がするぞ。いつか、酒でも酌み交わせる日か来ることを望む」
その言葉にノアン伯は、ニコリと笑って、
「そうですね」
そう言って、あくまで優雅に、しっとりとその場から去ってゆくのだった。
だがしかし、その人物、そのまま受け取ってしまっていいのだろうか。謙虚な姿、友好的な姿、本性なのか、上っ面なのか、それを見せることなく去っていってしまったのだから。だが、短時間で、人物のそんな深い所までは見通せないヴィート、今の時点、ただ単純に、ひたすらいい会談だったと、満足に浸ってゆくしかないのであった。
そうしてその夜、上機嫌なまま、ヴィートはティアと共に夕食を取る。そう、あの夜からヴィートの天幕でティアは食事をとるようになっていたのだ。食事をとりながら、今日あった事をヴィートはティアに話をしてゆく。
「まだ、これから臣下達に打診しなきゃなんないけど、いい話じゃないかと思ってる。お前はどう思う」
それに、ティアは微笑んで、
「そうね、いいんじゃないかしら。皇帝陛下の影響力は絶対だもの。国を治める為、そのご威光を少しお借りする、ということで」
コクリと頷くヴィート。だが、皇帝陛下は絶対、それがやはり分からなかった彼は、一つ息を吐いて、
「皇帝陛下は絶対か……」
そして、それから少し考えたような顔をすると、
「しかし、アレジャンの民は、小食だな」
「え?」
突然の切り出しに、戸惑うティア。
「いや、今日の会談の時、ノアン伯に昼食を出したんだけどな、全く手を付けなかったんだよ。いや、ちゃんとコルノのではなく、アレジャンの食事を出したのに、だ。もう、食ってきてたのかな?」
その言葉を聞いて、ティアは唖然としたような顔になる。そして気を取り直すと、脱力したように肩を落とし、
「アレジャンでは、食事は二回なのよ。昼間に食事をとる人はいないわ。しかも会談中に食事なんて、考えられない。きっと呆れていたわ」
それを聞いてヴィートは眉を顰める。そう、あの時を思い出しても、とてもそのようには見えなかったからだ。アレジャンの者でも彼は認めたい、そう思っていたヴィート、それにムスッとした表情になると、
「それはないだろ。そんな風に思ってるような態度じゃなかったぞ」
すると、反発の意を示すかのよう、ティアは口をキュッと横に引き結ぶと、ヴィートへと向かって身を乗り出してくる。そして、
「気を使ってくれただけです。食事に手を付けなかった、それこそがそう思っていたことの証明です」
はっきりそう言ってくる。その言葉に、更に不機嫌になって、眉間の皺を深めてゆくヴィート。そしてもう一度思いだす、親しげで、裏はないように見えたノアン伯の笑顔を。だが、それは本心ではなく、社交辞令だったというのだろうか。あの笑顔の中には嘲りの気持ちも含まれていたと……。となると、
ある意味、昨日の臣下達の方が分かりやすいともいえるな。
確かに、皇帝の側近ともなれば、一筋縄でいく人物である筈がないだろう。信じたくないが、確かにそうとも考えられるのだ。そして、それに浮かれ、単純にいい気分になっていた自分を思い出すと、今更のように、羞恥の気持ちが湧き上がってくる。その羞恥の気持ちを隠すよう、ヴィートは思わず椅子の上にふんぞり返ると、フン、と鼻を鳴らし、
「昼間に食事なんか取ってられるか、って心の中では思いながら、取り敢えず蛮族に取り入るべく、笑顔でいた、って訳か?」
「まぁ……そういう感じかしら。少し言い過ぎかもしれないけど」
しばし流れる沈黙。そして、その後、
「くそっ! ったく、どいつもこいつも。こっちはこっちなりに気を使ってるんだ。コルノの陣地に入ったら、コルノの伝統に従えってんだ!」
苦々しげに、ぼそりそう言い捨ててゆくヴィートだった。




