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第一章 不吉な影(1)

 紋白蝶が飛ぶ。明るい日の中をひらり、ひらりと。そう、甘い、花の蜜を求めて。

 覚束ないようにも見えるその飛翔に、一人の少女が微笑みながら、春を追いかける。うららかな初春の日和に、スキップしたい気持ちになりながら、十七、八歳ばかりのその少女は、紋白蝶の行方を追う。

 そんな彼女の行く先には庭園。数々の植物が植えられ、花が咲き乱れる所だ。蝶に導かれ、蝶と一緒になって、ひらひらと少女はその庭園へと向かって歩みを進めてゆく。それは、実に優雅で軽やかな足取りで、本気で気まぐれな蝶々を追っているかのようにも、見えた。だが、本当に少女は、この紋白蝶の後を追っているのだろうか? 本当に、そんな意味のないことを……。

 いや、違った。唯、方向が一緒なだけだった。純粋に少女は、この庭園に用があったのだった。そう、それはとある人との待ち合わせ。そのとある人とは、


「ルフィノ」


 庭園の中にある芝生に、横になって仮眠をとる二十歳前後の青年がいた。日が透ける程の金髪、整った鼻梁、シミひとつない白い肌、誰が見ても美しいとため息つきそうな青年であった。その青年に向かって、少女は言葉をかけ、コツリとその者の額を小突く。すると、ルフィノと呼ばれた青年は、まだ眠り足りないように伸びをしながら、


「ん……」


 と言葉を漏らし、目を開ける。そして、額を小突いた犯人を見上げると、


「ティア。遅いよ」


 ルフィノの言葉に、少女、ティアはえへへと笑い、小さく舌を出す。


「ごめんね、練習が長引いちゃって」


「練習? 何の」


 それに、「えーと……」と言いながら、ティアは困ったように目を空に泳がせる。栗色の巻き毛、健康的に焼けた肌、意志の強そうな大きな目。それは、そんな彼女の容貌が、更に愛らしく見える仕草だった。そう、他の男ならそれに思わずクラリときてしまうだろう程の。だが、ルフィノは騙されない。それにどこかピンと来たような顔をすると、


「まさか、また、あれ?」


 眉を顰めてそう言う。

 すると、その通り、とでも言いたげに、肩をすくめるティア。それを見て、やっぱり、とルフィノはため息をつくと、身を起こし、ティアの手を取った。それは、ごつごつとした豆のできた、とても美しいとは言い難い手。


「まったく、女の子の手じゃないよ。心配で見ていられない。でもまぁ、約束だから止めはしないけど」


 そう言って、ルフィノはティアのその手に口づけを落とす。それは、愛しいモノでも扱うような優しいキス。それに、ティアは頬を染めながら、ぷっと頬を膨らますと、


「そうよ。剣を握ること、それを止めないことが結婚の条件なんだから。これ以上の否定は許さないわよ」


 その言葉に、思わずといったよう、ニコリと笑うルフィノ。そして、


「分かってるよ」


 甘い、雰囲気だった。そう、お互い言い合いながらも、二人の間に流れるのはどこか甘い雰囲気だった。そしてその通り、二人は愛し愛される恋人同士だった。ティアはルータ国の王女、そしてルフィノはその臣下の、ランプラス卿の息子であった。本当なら、他国の王や王子の元にでも嫁げるティアだったが、ティアは政略結婚を拒み、幼馴染だったルフィノを相手に選んだのだった。王も彼のことは認めていて、結果、この時代では珍しく、お互い思いあう同士が一緒になることができたのだ。そう、二人の付き合いは、婚約、というところまでいっていたのだ。

 だが、お互い思いあっても、相いれない部分もある。その一つとして、まずティアが女ながら根っからの武人気質、である事だった。そう、いつか武でこの国に貢献する事がティアの夢であり、剣技も男顔負けのものを持っていたのだ。で、その末ついたあだ名が姫将軍。だが、ルフィノはそれを快く思っていなかった。愛する人を危険に晒したくなかったのだ。そんなティアは、結婚しても剣を握ることを所望しており、それが結婚の条件と譲らなかった。正直言って、ルフィノは止めて欲しかった。そう、これは、半ば仕方なくの納得なのであった。愛故、愛故と言い聞かせるが、彼の心配は尽きないのであり……。


「とにかく、怪我には気を付けてよ。妻が自分より先に逝くなんて、考えたくもない」


 不安がるルフィノ。そのルフィノをティアは困った顔で見つめていたが、まずは彼の不安を拭わねばと思ったのだろう、不意にニコリと微笑んで、勿論、といった感じで頷いてゆく。そしてルフィノの隣に座り、


「で、コルノの動向はどう?」


 それに、ルフィノは苦笑いを浮かべ、肩をすくめる。


「全く君は。僕は、女の子ってものは、砂糖菓子と内輪の噂話さえあれば生きていける生き物かと思って……」


 すると、その時、その先を言うのを止めるよう、ルフィノの口に、ティアの手が添えられていった。それに驚いて、ルフィノはティアを見ると、


「それ以上は駄目。どうせ、女の子のくせして、お前は……って続くんでしょ。差別よ、それは。女の子なら誰でも、楽しみだけを追ってるような人だと思わないで」


 その言葉に、申し訳ないようにルフィノは頭に手を当てる。それは、本当に心から悪いと思っているようで、


「ごめんごめん、そうだね。男か、女かじゃない。それぞれがどういう性格か、だね。男だって、菓子と噂話の好きな奴はいるし」


 そうそう、その通りと、今度は満足の笑みを浮かべるティア。そして、


「で、どうなの? コルノ軍は」


 忘れてないわよ、とでも言いたげにティアはそう言う。それに、思わずといったよう、ルフィノは溜息をつく。そう、話を逸らしても、やっぱり諦めなかったか、と。そして、持っている情報はいいものではないよ、とでもいうように困った顔をすると、その通り、


「あまり、芳しくないね。国境付近で、何度も挑発的な行動に出ている。本格的な戦に発展してもおかしくないくらいだ」


 それに、ティアも釣られるよう、暗く顔をうつむけて、


「そう……。あまり情勢は、よくないのね」


 コクリ頷くルフィノ。

 すると、ルフィノのその言葉に、ティアは思わずといったように激し、


「全く、蛮族といったら、汚い手を使って虎視眈々とわが領地を狙って。許せないわ! 国境付近の民たちが不憫。あんな民族、なくなってしまえばいいのよ!」


 憎々しげにそう吐き捨てる。だがルフィノは、ティアのその怒りに、唯困ったような淡い微笑みを浮かべるばかりで……。どこか冷静に、そしてどこか遠い眼差しで、


「そうだな。平和に暮らせるのが、何よりだな」


 そうよ、とでも言いたげに、うなずくティア。「なのに、コルノ軍ったら……」と、続けると、ティアは、傍らに座るルフィノに、その顔をぐっと近づけていって、


「で、もし戦となったら、ルフィノはいくの?」


「王の命令とあれば。けど、僕は近衛兵の司令官だから、多分最後まで城にいると思う。僕が戦う時は、おそらく、コルノ軍が王都に入ってきた時だ」


 そう、それは最低最悪の事態。それを思って、ティアは目に涙を浮かべると、


「その時は、私も行くわ。絶対、戦に参加する。約束して」


 首を横に振るルフィノ。


「そんな約束できないよ。君を危険の地に放り込むなんて。いや、その前にルータ軍が、コルノ軍を王都になんて入れっこないさ。絶対ない。彼らを信じよう」


 渋々といったようにティアは顔をうつむける。そして、「そうね……」と、言葉を漏らすと、柔らかく、まるで羽のごとく柔らかく、ルフィノの頬に口づけする。


「私を、守ってね、ルフィノ」


 それに、ルフィノはニコリと笑い、


「勿論だよ。約束する」


 そう言って、愛おしげにティアを見つめ、彼女の唇に自らの唇を重ねてゆくのだった。

 それは、遥か遠い昔の日。まだ日々は明るく、楽しく、舞う花弁のごとき美しかった思い出の日。少し陰りの見えた情勢も、まだまだ現実味を帯びたものではなく、この後訪れる大いなる悲劇だって、笑い飛ばせてしまいそうな程のうららかな春の日だった。

 そう、ただ一瞬の輝きとも知らず。


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