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銀色と黄金宮  作者: ろく
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第十話


 空には雲ひとつ無い。

 ここしばらくはずっと晴れ続きだ。もうこれで何日雨が降っていないのだろう。

 みづ穂は椅子に深く背を預け、というよりも沈めていた。今日はカウンター席の一番奥の席ではない。ひさしの下に二席だけ設けられた、外界の席に腰を落ち着けている。

 お昼時を迎えた蜜蜂の喫茶店は繁盛しており、長く居座りづらく、外の席に移動してきたのだ。

 手にした新聞をテーブルに投げ出し、みづ穂は目を閉じた。

 一面には昨夜の北区の事件が踊っていた。崩れたビルの上で空を仰ぐ二頭の妖獣の白黒写真。みづ穂の目には鮮やかな金と銀に映った。

 そして一面の隅には、宗方昭三の脱税事件。告発者は宗方の妻、とあった。

 その告発があった後、北区を荒らした錦の獣(と表現されていた。上手い表現だと思う)が宗方の家屋に現れ、研究棟を占拠。そして壊滅させた。研究員は皆一様に口をつぐんでおり、その時の詳細は知れない。恐怖のためか、とある。未だ獣の行方は知れない、と記事は締められていた。

 この襲撃による死者はゼロ。重傷者は数人いるが、皆命に別状は無いという。

 陽――黄金宮たちはどうなったのだろう。父が研究棟を離れた今、彼らは父の指令下から逃れられたのだろうか。

 みづ穂は冷えた紅茶を啜って、もう一度椅子に沈んだ。

 これで父はしばらく塀の中の住人だ。母はいったいどういう気持ちで父を告発したのだろう。

 そもそも脱税など、本当にあったのだろうか? 経営管理は主に母が行っていた。母の偽造かもしれない。

 今頃、母は針の筵に座らされているだろう。今まで以上に悪質な嫌がらせにあっているだろう。

 こうなると分かっていて、それでも母は父を告発すると決めたのだろうか。父を止めるために、別件で逮捕される事によって、一瞬でも父を研究から遠ざけようとしたのだろうか。離れ離れになることも覚悟の上か。

 母に、会いに行こう。

 母を支えに行こう。

 父を止める事はできなかったが、母を支える事は自分にだってできる。

 だが、もう少し休憩してからだ。今は、少し、疲れてしまった。

 今まで自分がしてきた事は何だったんだろうという思いがある。傷まみれになって、ヘトヘトになって、狩りに専念してきた。父の企みを止めるため。

 だが、その目的は(一時的にかもしれないが。それを強く望むが)消えてしまった。何だか、ぽっかりとした気分だ。

 ふと、瞼越しに感じていた陽光が和らいだ。目を開ければ、みづ穂の前に女性が立っていた。

「あ、昨日の……」

「ええ。あの時はありがとう」

 と、女性は笑って頭を下げた。

 昨日みづ穂が助けた女性だ。足の包帯が痛々しいが、それ以外には特に変わった様子は無い。

「ごめんなさいね、起こしてしまったかしら」

「いえ、そんな……。気にしないで下さい」

 慌てて手を振り、だらけた姿勢を正した。

「あの、怪我は平気ですか?」

「ええ、ありがとう。私は平気よ。……この子もね」

 女性は優しい手つきで下腹部を撫でた。幸せに蕩けそうな、柔らかな笑みを浮かべている。

「お子様が……?」

「ふふ。さっき分かったばかりなのだけれど。病院に行ってきたらね、あなた妊娠してますよって。こういうのも怪我の功名と言うのかしら?」

 くすくすと愛しげに笑う。女性はみづ穂の手を取って、もう一度頭を下げた。

「……だから、本当にありがとう。あなたのおかげで私は救われたわ。この子も。……ありがとう」

 人ごみの中から、手を振る男性がいる。彼女の夫だろう。にこりと笑い、彼女はもう一度礼を言って、夫のもとへ駆け寄って行った。

 彼女と合流すると、男性はこちらを見てぺこりと頭を下げた。慌ててみづ穂も頭を下げる。

 彼女はもう一度礼をすると、雑踏へと足を運んだ。

 みづ穂はずるりと椅子に沈んだ。彼女に握られた手が暖かい。

 無駄ではなかった。

 自分がやってきた事は無駄ではなかった。

 父を救う事はできなかったけれど、それでも。彼女と、彼女の腹に宿った小さな命を救う事はできたのだ。

 自分は誰かの救いになり得たのか。

(……なんて、おこがましいかもしれないけど……)

 それでもやはり、ぽっかりと空いた胸奥が満たされる。

 誰かに感謝される為にやってきたわけではない。むしろ自分の為にやってきた事だ。

 だが、感謝の言葉がこんなに嬉しいなんて。

 はあ、と熱い息を吐く。両の手の平で口を覆い、みづ穂は暖かさを噛みしめた。ゆっくりと目を閉じる。

「だらけた女だな」

「……は?」

 何だいきなり。

 みづ穂は目を開けた。気分をぶち壊してくれた失敬な闖入者は、自分と同じ年頃の少年だった。少年は腕を組んでみづ穂を見おろしている。

 艶やかな銀の髪に、灰色の瞳。顔立ち自体は整っているが、表情筋の細胞が死滅しているのかというくらいに無表情だ。

「え……と。……あんた誰?」

「もっとしゃっきりとしないか。だらしのない」

「……何なの。そんなのあんたには関係ないでしょっていうか誰よあんた」

「礼を伝えに来た。ミヤ……兄が世話になったそうだな」

「ちょっと……人の話聞いてる?」

「俺も世話をかけたらしいが記憶がないのでな。だがまあとりあえず礼は言っておこう。恩に着る」

「いや、だから誰なのよあんた」

「これを返しておく。自分で行けとは言ったのだがな」

 と、少年はみづ穂の膝にひらりと何かを落とした。

 花柄のハンカチだ。

「え……これって……」

「では息災でな」

 ひらりと手を振り、少年はみづ穂に背を向けた。

「あっ、ちょっと待ってぎゃあああ!」

 立ち上がった瞬間にテーブルを蹴ってしまい、カップが倒れる。白のテーブルに冷えた紅茶が模様を描いた。

 店が一段落ついたのであろう蜜蜂が、エプロンで手を拭きながらやってきた。

「あー良いよ良いよ。オジサンが片付けとくから」

手にしたハンカチで慌ててテーブルを拭こうとするみづ穂の手を掴んで苦笑する。

「あとついでに奢るから。行っておいで?」

「……っありがとう!」

「はいよ。気ぃつけてねー」r  ひらひらと手を振る蜜蜂を後ろに、みづ穂は先程の少年を人ごみの中に探した。

 この花柄のハンカチは、黄金宮にあげたものだ。そのハンカチを彼が持っていたという事は、答えは一つしかない。

 人ごみの中に揺れる、金と銀の頭を見つける。みづ穂は顔がほころぶのを感じた。

 会ったらまず、謝ろう。父が迷惑をかけてごめんなさい、と。


 それから、それから――。


 とにかく、会いたい。

 会って話がしたい。

 赤いレンガの上を、初夏のなめらかな日差しが流れている。その流れの先には彼らがいる。 

 みづ穂は彼らの背中目がけて走り出した。

 振り返った彼が驚きに目を瞠り、いつものように謝罪を口にするのは、僅か数瞬後の事である。




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