オーバーラップする物語
「……今何と言った?」
ビル最上階。
転送装置から光が漏れだす中、ヨシノブは自分の娘を睨みつけた。
「お断りする、と言ったんです」
今この部屋にはスワーブの街中から集めた電力が蓄えられている。脈打つ光が二人の顔を交互に照らしている。
「私は……あなたの作る幸せな生活なんて要らないんです。別に母さんにも生き返って欲しく無い」
「レオナ……お前なんて事を!」
「私は、母さんが死んだって幸せだったんですよ!」
父親の言葉に重ねてレオナが叫んだ。
「母さんが死んだのは悲しかったし、生きててくれた方が幸せですよ! でもね、あなたが母さんを生き返らせる為に他の人が不幸になるのは嫌なんです!」
「ふざけた……ふざけた偽善だ! 世界中の人間を幸せにすることなど出来ん!」
「分かってますよ! なら私が少し不幸になれば良い!」
レオナは喉を詰まらせる。
「私は、あなたが居てくれれば十分幸せだったんですよ!」
がっくりとヨシノブが膝をついた。
糸が切れた操り人形のように、その場に倒れ込む。
「どうして」
虚ろな目がレオナを射抜く。
「どうしてもっと早く言ってくれなかったんだ?」
そのあまりに恐ろしい視線に思わずレオナは目をそらす。
答えはもう分かっていた。誰がどうすれば良かったのか。
「私が……弱虫だったからです」
彼女も父親と共に膝をついた。
「私があの時もっと強ければ、あなたの優しさに甘えたりしなければ、一番良かったんです」
光のうねりが激しくなる。
装置の中でも一際大きい赤いランプが灯った。電源チャージ終了の合図だ。
「今更もう遅いさ。私は過去を変える」
よろよろと、亡者のような足取りで歩きだすヨシノブ。もうその目は何も見ていない。
「私が今すぐ、私がこの時代へと出発した五分後へ帰り、タイムマシンを破壊すれば良い。そうすればもう誰も歴史に介入することはできない。私の作った歴史にはなあ!」
「させません!」
レオナがすがりつくが、彼女の細い腕は意図も簡単に振り払われる。
それでも彼女がすがりつくと、ヨシノブはレオナを突き飛ばした。
「邪魔をするな! 私は私が……レオナが幸せならばそれで良い!」
そして転送ボックスの前に立つ。ヨシノブは懐からネックレスを取り出した。
それはレオナがお守りとして受け取ったのと同じ物。それは転送ボックスのドアの鍵穴にピッタリはまり、解錠した。
ヨシノブが中に入るとすぐに内側から施錠する音がした。そしてボックス全体が光り出す。
「遅かったか!」
息をぜえぜえと言わせながらウィルバーが部屋に入って来た。しかしすぐにボックスは雷に覆われ――転送が終わった。
ヨシノブに逃げられてしまった。これで過去の世界のタイムマシンは破壊される。
つまり、レオナがこの時代に来る事はできなくなる。歴史は完全に固定された。
「やっぱり……無理でしたね」
レオナの目から涙がこぼれた。すかさずウィルバーがレオナを抱き起こす。
「そもそも私がウィルバーに助けを求めるの自体が、おこがましかったんです。父はウィルバーの両親を……」
一瞬、一瞬だけウィルバーの目に怒りが宿った。
「ウィルバーがラットランナーを作った理由もきっと……」
彼とリリー、オーヴィル姉弟の両親は機海に身を投げた。しかし遺体を引き上げようにも今は廃棄された機械の山が邪魔で無理だ。
ウィルバーには手段が必要だったのだ。機海の底へと入って行く手段が。
「もう何もかも、終わりですよ」
「諦めるんじゃねえ! すぐにこっちもタイムマシンで追いかければ――」
「無理じゃよ」
しわがれた声が聞こえた。
二人が振り向くと、そこに居たのはポルカだった。いつもの通り、腰の後ろに手をやって無表情だ。
「ポルカ!」
ウィルバーは今までどこに居たのか問いただそうとしたが、レオナが遮った。
「そのネクタイ……もしかして?」
ポルカはいつも通り水玉の可愛らしいデザインのネクタイをしていた。
レオナには見覚えのある、特徴的な柄。
「……ジンナイ……さん?」
「お待ちしておりました、お嬢様」
ポルカが曲がった腰を更に曲げてお辞儀をする。
ウィルバーはあまりの事にポカンと口を開けていた。
――ポルカが、ジンナイ?
「事情を説明しましょうかの」
ポルカはひょいと飛びあがって機械の操作盤の上に座った。
「あの日、我々はヨシノブの後を追って同じ地点・時代に行こうとした。しかし、それは無理だったんじゃ。時間移動の後は時空が歪み、しばらくの間時間的に近い場所には行けぬのじゃよ」
まあ、あの後わしが独自に建てた仮説じゃがな、とポルカ――いやジンナイは付けくわえた。
「おそらくそのせいでわしとお嬢様は歪みに弾かれ、別な時代に飛ばされてしまった。お嬢様は今この時代に。わしは本来の目的地の四十年前に」
二人は黙ってジンナイの話を聞き続ける。
ジンナイはあくまでウィルバーの知っているポルカらしく、落ち着き払い感情を出さずに語る。まるで彼にとって四十年もの時を待ち続けることが何の苦でも無いかのように。
「じゃから、今ヨシノブを追う事はできん。不可能じゃ。ヨシノブがこの時代に現れ次第わしが奴を止めれば良かったんじゃがな、その時はわしは既に老いぼれで……何も出来なかった」
言いながら、初めて悔しそうな表情を見せるジンナイ。
「そんな……じゃあ、私たちのしてきた事はみんな無駄なんですか?」
レオナが再び泣き崩れる。ウィルバーは優しくその肩を抱いた。
部屋はまた絶望感で包まれた。
しかし――。
「しかし、のう。別の時代ならば可能なはずじゃ。別の時代でヨシノブを止められればのう」
ハッとするレオナ。操作盤に向かって日付と場所を入力し始める。
「ジンナイさん、もう一度転送できますか?」
「街がもう一度大停電を食らうが、些細な問題じゃな」
慌ただしく作業を始めるジンナイとレオナ。ウィルバーはそんな二人に置いてきぼりを食らって、ただポカンと口を開けたまま見ていた。
電力が部屋に溜まり始める。光が段々強く、うねりだした。
問題が起きたのはその時だ。
「あ……そうだ、鍵がかかってる」
転送ボックスのドアノブに手をかけたレオナが気付いた。内側から施錠されている。
「お嬢様、お守りとして渡したはずですが……」
「それが、奪われてしまって……」
「それならここに」
一瞬時間が止まった。
蚊帳の外だったウィルバーがペンダントを取り出して、レオナに渡す。
「なんでもっと早く言わんのじゃ!」
「仕方ないだろ。そんな大事な物だって知らなかったんだ」
誰かの命を扱うかのように、大事にレオナはペンダントを手の中に抱え込んだ。
「感動の別れじゃな。涙が出るわい」
ポルカが言うが無表情なので白々しく聞こえる。
レオナはにっこり笑って鍵穴に挿しこみ、中へと入った。
しかし、ドアを閉じようとしない。
「私が行かなきゃ駄目なんですよね」
「他に誰が居るんだよ?」
「うふふ。言ってみただけです」
少しさみしげにまた笑う。そして彼女はゆっくりとドアを閉じた。
ドアが閉められてもウィルバーはその場を離れられなかった。遮られて見えなくなっても、レオナの姿をその向こうに見ようとしてしまう。
でも、声が出ない。
何か言うべき事があるはずなのに、声が出ない。
「それじゃ、行ってきます」
ボックスが光に包まれる。
今しかない。ウィルバーは意を決して思いっきり叫んだ。
「レオナ! お前と――お前と出会えて良かった!」
「……!」
「俺らの親の事とか気持ちの整理が付かないけど、お前と出会えて良かった!」
「……ならさ」
ドア越しにレオナの透き通った声が聞こえる。
その声はもう機海で会った時のおどおどしたものとは違い、意思と希望に満ち溢れていて……。
「なら、また会おうよ!」
光が消えてなくなるまで、ウィルバーはじっとタイムマシンを眺めていた。
不思議と気分は穏やかだった。レオナと出会った瞬間からいつかこうなるような予感はあったのだ。すぐに離れ離れになるような予感は。
ただ一日、一緒に居ただけの少女。
しかしウィルバーの中でレオナは、確実にそれ以上の大きな存在になっていた。
それでも心は安らかだ。何故だろう?
また会える気がする。
――西暦2014年。日本。
着いたところは火葬場だった。
黒い服の人々の群れの中で白を身に纏ったレオナはよく目立った。行き交う人々が不謹慎な娘だと言う目で彼女を見る。
レオナはある人物を探していた。小さなその人を見つけるのには大分時間がかかったが、とうとう中庭で立っているのを見つけられた。
「おねえちゃん、だれ?」
小さな女の子はレオナを見ると首を傾げた。
レオナは何も言わず、そっとその子を抱きしめる。
しばらくそうしていた後、レオナは女の子の耳元で囁いた。
「レオナちゃん、落ち着いて聞いて欲しいの」
「なに?」
「レオナちゃんのママはね、天国へ行っちゃったの。分かる?」
「てんごく……しんじゃったの?」
「そう、死んじゃったの」
「うそだよ。ママすこしまえに、たいいんしたんだから」
「ううん、本当だよ。でも大丈夫」
「だいじょうぶじゃないよ。ママがいないのなんて、いやだよう」
「大丈夫。レオナちゃんには、パパが居てくれる」
「……パパはいなくならない?」
「うん、パパはずっとレオナちゃんと一緒に居てくれるよ」
「だからレオナちゃん、強くなって」
「パパと一緒に強くなってね」
黒い服を着た人々が帰って行く。一人、また一人。
通夜が終わってから何時間経っても彼は立ち上がる事が出来なかった。
涙は枯れる事無く溢れてくる。どうして、本当にどうして彼女は逝ってしまったのだろう?
「パパ……」
その声で顔を上げた。彼の幼い娘が少し離れた所に立っている。
「おなかすいたよ、パパ。はやくかえろう」
娘に言われてこんなに時間が経っている気付いた。
「そうだな、もう帰らなくちゃな」
いつまでも、もう居ない彼女にすがりついては居られない。自分はこの子の父親なのだ。
立ち上がり、娘の手を取って歩き出す。
「ねえパパ。きょうもカレーなの?」
「昨日はシチューだっただろ?」
「いれるルーが違うだけでしょ」
「ごめんな。パパ、カレーしか作れないんだ」
「ふーん、じゃあなんでママがおりょうりしないの?」
「……」
男は足を止めた。
「なんでママおりょうりしてくれなくなっちゃったの? もうびょうきはよくなって、げんきにもどったんでしょ?」
男には言えなかった。先週から妻が自宅に戻っていたのは、残された時間を娘と過ごすためで、病気が治ったからではないと言う事を。
妻が娘を心配させないため嘘をついたのだろう。なんと罪深い嘘なんだ。
「ママ、びょうきのまえみたいにおりょうりつくってくれたじゃない。どうしていなくなっちゃったの?」
男はたまらず、娘を力いっぱい抱きしめた。
「ごめんな。ごめんなレオナ。ママはもう居ないんだ」
泣きじゃくりながら男は言う。
「ママはな、死んじゃったんだよ」
「……ほんとはしってた」
「……そうか」
「でも! でも!」
少女は目から溢れて来る涙を止めようとして顔をくしゃくしゃにする。
そして、泣き顔のまま笑いながら、
「でも、パパがいるからレオナだいじょうぶ!」
――西暦2022年。日本。
「行ってきます!」
レオナは朝食も食べずに家を飛び出した。今の時間では遅刻ギリギリだ。
玄関ドアの向こうから父親の怒る声が聞こえる。無視して駆けだした。
今朝はとても気持ち良くて長く寝過ぎてしまった。どこか遠い時代で冒険をする夢。なんだかどこかで体験した事があるようなリアルさが今でも残っている。
「そうだ、宿題もやって無かった!」
走るペースを速める。彼女のスカートと髪が優雅に揺れた。
こうしてレオナは今日も日常へと駆けこんで行く。
きっと、これからもずっと。
――十九世紀。
「ねえウィル、変な機械なんか作ってないで遊ぼうよ」
「ウィル、ちょっと勉強見てくれない?」
こいつらと俺とは学校の友達。親が同じ工場に勤めてる事もあって、よくつるんでいる。
オヴとリリー、この姉弟が来るといつもこの工房はやかましい。
トンネルの途中の扉の中に見つけた古い工房。誰が使っていたのかは知らないが、何故か自由に使って良い気がしたので俺が機械いじりに使わせてもらってる。
しばらく無視して作業を続けていたが、我慢できずに俺は叫んだ!
「うるせえ! 俺はこれが完成するまでお前らと遊んだりお勉強する時間は無いんだよ!」
ゴーグルを外し、二人を睨みつける。
さすが兄弟、そっくりな顔をしてむくれやがった。静かになったので俺は作業に戻る。
「ねえウィル、今度は何を作ってるの?」
オヴが肩越しに俺の手元を見ながら聞いてきた。
秘密にしていたい気もしたが、何となく二人には言っておいた方が良い気がする。
「これはな、時間を移動できる機械なんだよ」
「また出来もしない物作ってるのね」
リリーがやれやれと首を振る。夢の無い女だ。
でも、オヴの方は興味津々らしい。
「でもさ、なんで時間を移動する機械なんて作りたいの?」
「それは……」
自分でもよく分からなかった。思いつくままに言葉にする。
「なんとなく……会いに行かなきゃいけない奴が居る気がするんだ」
fin.
長い駄文読んで頂き、ありがとうございました。