オーバーロードな現実
父がまるで別人のように変わってしまったのは、母が死んでからです。
私が六歳の時、今から八年前の事でした。
あ……でも、「今」は十九世紀なんですよね? だから八年前と言うか百年以上先と言うか……なんだかややこしいですね。
取りあえず八年前と言う事で。私が暮らしていた西暦2022年を基準にさせてもらいますね。
父、葵 義信は元々優秀な科学者でした。ヨシノブ・アオイと呼んだ方が皆さんには馴染みがあるかもしれません。
初めに入った日本の大学は物理学を学んで主席卒業。そのままアメリカへ留学して量子力学を学んで博士号を取ったそうです。
その影響かエリートの親にありがちな英才教育なのかは分かりませんが、私は小さい頃から英語を教えられてきました。小学校まではインターナショナルスクールに通い、バイリンガルと言っても差し支え無い程度になったとは思います。
私自身別段英語が好きなわけでも無く、ただ親の言うままに過ごしていただけです。それがこんな形で皆さんと出会い、役に立つとは不思議な物ですね。
……話が逸れましたね。本題に戻ります。
日本に戻った父はすぐに国立大学で研究室を与えられるほどの恵まれた待遇を受けたそうです。そこで研究員として働いていた母と出会い、結婚しました。数年後には私も生まれます。
異例の若さで教授に任命され、毎年のように新発見で科学界を賑わわせる父。公私共に充実していて、傍目から見ても幸せそうだったそうです。
はっきりとは覚えていませんが、その時の父は私から見ても笑顔が多く優しい父でした。父の人生の絶頂期に私は三歳。もう少し大きければ、幸せな我が家を目に焼き付けていられたのでしょうね。
当時父が研究していた内容について私はあまり知らされていません。周りの人から話を聞く限り、原子力発電の効率化と関係のあること事だったそうですが、それ以上は分かりません。多分詳細に教えてもらったとしても、私には理解できない研究でしょう。
その研究が行き詰まりました。
父は酷く焦ったそうです。本当に挫折と言う物を知らない人間だったのだと思います。
来る年も、また来る年も研究は進展しません。研究などと言う物は普通そういう物だと私は思っているのですが、父にはそれが我慢ならない事でした。
父は大学を辞めました。もちろんそんな有名教授を大学が手放すはずも無く、形上在籍し一切研究していない、幽霊教授状態と言うのが正確かもしれません。
父の功績のおかげで多くの特許や出版物の印税があったので、私たち家族はそれまで通りの生活を続ける事ができました。
その頃から父は一人で塞ぎ込む事が多くなりました。それでもまだ楽しそうに料理をしたり、一家で出かけたりした記憶があります。
けれども、畳みかけるように父を不幸が襲います。
母が発病しました。白血病です。この時代にもありますよね?
え? オーヴィル君は知らない? とっても怖くて直すのが大変な病気なの。
白血病の治療法として有名なのは骨髄移植ですが、母は少々珍しい血液型だったのでドナーが見つかりませんでした。……最後まで。
母が死んだ日、生まれて初めて私は父が泣くのを見ました。
何十分も何時間も何日も。いつか目から流れ出す涙が血になってしまうんじゃないかと思う程泣いていました。母の葬式の喪主を務めるのにも精一杯の様子で。
父が泣き止んでからはまた何も無い日々が始まりました。今まで通り、ただ、母が居ないだけです。父が笑わないだけです。
母の死から半年が経った時でした。突然父が会社を興しました。
実態は会社と言うより秘密裏な研究チームに近く、父は財産の全てをその研究に注ぎ始めます。
そう――タイムマシンの研究です。
タイムマシンと言ってもやはり皆さんにはピンと来ないですよね。まだこの時代ではウェルズの小説も出ていないわけですし。
タイムマシンと言うのはその名の通り時間を移動する為の機械です。
え? 時代の間を走る車?
うーん、乗り物としてのタイムマシンはよく漫画で出てきますけど、父が作ったのはどちらかと言えば大砲に近いですね。
時空間を越えられる大砲の中に人間を詰めてドカンと、特定の時代・場所に飛ばす。そんなイメージを持って頂ければ問題無いでしょう。
まあ、この説明はある人の受け売りで私もよく分かって無いんです。さっきから分からない事だらけですね、私。ごめんなさい。
原子力発電は本来父が研究したかった分野ではありませんでした。大学からの依頼で仕事と割り切ってやっていたようです。それ故に愛着が沸かなかった、と解釈すれば研究を投げ出した父も幾分ましに見えますかね。
父が何よりも興味があったのは時間移動でした。量子力学を留学してまで学んだのもその為だったようです。
大学に打診した事もあったのですが、「金にならない。馬鹿馬鹿しい」と一笑にふされたそうです。
全ての材料は以前から揃っていたのだと思います。時間移動への情熱。十分な資産。スポンサーを付けるだけの人脈。自由に研究できる時間。
母の死は用意された導火線に火を付けるには十分な大きさでした。
過去に戻って妻の死を止める。大真面目に父はそう言いながら研究していたそうです。
部下の研究員は父の人脈を持ってすれば容易に集める事ができました。そして研究すること八年間、ついにタイムマシンが完成してしまいました。そういう意味ではやはり父は天才だったのでしょう。
私は一切父のしている事を知りませんでした。完成して父が過去へ旅立ってしまった後、以前から知り合いだった父の部下の方から教えてもらいました。ジンナイさんと言う方です。
さっきの大砲の説明は私にジンナイさんがしてくれたものです。一度にいろんな事を聞かされて混乱している私に優しく何度も説明してくれました。
時間が無い。早くしないと歴史が変わって手遅れになる。最後にジンナイさんはそう私に言いました。理由は分かりませんが父は母の病気を治療するのではなく、この産業革命期に旅立って歴史を変えようとしている、と。
え? またオーヴィル君質問ですか?
ふむふむ……「過去に戻ってしまった瞬間から世界の歴史は変わってしまうんじゃないか」、確かに私もそう思います。例え父が旅立った後にタイムマシンで追いかけようとしても、父が歴史改竄を終えてしまっていれば、私は歴史が変わっている事にすら気付かないんじゃないか、と。
これもジンナイさんの受け売りですが、時間には相対的な物と絶対的な物があるんだそうです。
過去と未来が繋がり合う相対的な時間の軸とは別に、全ての時代に平等に流れる絶対的な時間があり、歴史が変わる時にはそれが関係してくるとか……すいません、私も全然分からないんです。
つまりは「誰かが過去に戻って歴史を変えてしまっても、その変化が後の時代に及ぶには間がある」って事だと思います。ややこしいですよね。
その僅かな隙の間に私とジンナイさんは父が残したタイムマシンを使い、十九世紀を目指しました。場所も時代も全て父が行った時と同じに合わせたのですが……今は父が現れてから数年経っているんですよね? 何故かジンナイさんも居ないし……。
私これからどうすれば良いんでしょう?
……もう、お察しだと思います。
この世界に「カラクリ」として父が広めた機械技術は全て未来の物です。
父が何故そんな事をしているのか、まったく見当もつきません。
でも止めたいんです。父が歴史を変えるという大罪を犯そうとしているのを。
でも……私はどうすれば良いんでしょう?
レオナの長い話が終わった。
話は終わったが、俺は一体どうすれば良いんだろう?
テーブルの向こうのリリーに目を向ける。途方に暮れたような、今にも笑い出しそうな、そんな表情をしていた。きっと鏡があれば同じような表情の自分の顔も見れるだろう。
時刻は四時過ぎ。今の季節なら夕暮れ前だろうか。
取りあえず隠れ家にレオナを連れてきて事情を聞いたは良いが、聞く前よりも頭の中はこんがらがっていた。
俺たちが今当たり前のように使っている機械は実は無理矢理進歩させられた物で……。
それをやった張本人は今目の前でうつむいている女の子の親父なわけで、女の子は親父を止めようとしているわけで……。
でも、もう手遅れっぽくて……。
何か言おうと口を開くが言う事が見つからず、仕方なく口を閉じる。沈黙が耳に突き刺さってまた口を開くが何も言えず、結局口を閉じる。
そんな事を何回続けただろう? 沈黙を破ったのはリリーだった。
「……信じないわよ」
そう言ってテーブルに両手をつき、立ち上がった。
「信じないわよ! タイムマシン? 歴史改竄? 馬っ鹿じゃないの!?」
レオナが一段とうつむく。
「ウィル、この子大嘘つきなんだよ。そうに決まってる。理由は知らないけど私たちをからかって遊んでるだけなのよ。早く追いだして」
いつものパターンだ。いつだってリリーの矛先は俺に向く。
リリーとレオナ、二組四つの視線が俺を突き刺す。
「……レオナは嘘を言ってないと思う」
「ウィル!」
リリーが呻いた。
「俺レオナを信じたい。突拍子もない話だってのは分かってるけどさ」
「どうしてよ!? どうしてレオナに肩入れするの? もし話が本当だとしたら私たちの家族は」
「黙れ」
それ以上言わせてはいけなかった。
俺がとっさに放った言葉はあまりに短く、冷たかった。自分でもこんな胸に突き刺さるような声を出せる事に驚くくらいに。
一瞬で無表情になるリリー。服に落とした氷がじんわりと溶けて水になり生地を濡らすように、そこから泣きだしそうな顔に変わっていく。
涙が溢れだす手前の瞬間の表情でリリーはしばらく俺を見ていた。永遠にも思える数秒間の後、リリーはダイニングを走って出て行った。通った後には雫が途切れ途切れに落ちている。
俺も立ちあがった。どこでも良いからここ以外の場所に居たい。
ドアを開けて階段を上る。
「ウィルバーさん……」
レオナの声も無視してしまった。リリーのあんな顔を見た後では優しい言葉も表情も、無理だ。
トンネルの外に出て港まで歩く。
スワーブの街を見上げるとまた考えてしまう。
俺たちの暮らす俺たちの街。俺たちが育ってきたこの街。これがたった一人の男が捻じ曲げた空間だなんて。
なんとなく根拠も無く、俺たちはまっさらな世界に産み落とされて、そこで思い思いの自由な人生を描くんだと信じていた。でもそれは嘘だ。
嘘……と考えてまたリリーの言葉を思い出してしまう。
レオナの言葉がリリーの言う通り全部嘘だったらどんなに良いだろうか。俺たちはこれからも今まで通り暮らして、世界のバックグラウンドなんて疑う必要も無くて。
こんな所で一人で男泣きする必要も無くて。
それでもレオナの言う事は本当だと思う。何も無い所から雷と共に彼女が現れる瞬間を見た以上、信じないわけにはいかない。
少しだけ自分自身を嫌いになりそうな考えをした。俺があの時レオナを見捨ててれば、機海へと落ちる彼女を黙って見ていれば、カラクリが誰の思惑の結果だろうとも関係無かったんだ。知らないままだったんだから。
背後で砂利を踏む音がした。レオナが俺と並んで立っている。
「……ごめんなさい。巻き込んでしまって」
「レオナは悪くないよ」
「ううん。話さなければ良かったんですよ。話さないでお礼だけ言って去れば良かったんです」
最後の方は声が小さくて聞くのがやっとだった。レオナの細い声は波の音で掻き消されそうになる。
「ごめんなさい。私も、私も背負いきれなくて……」
そうなのだ。彼女自身も知らなくて良かった人間なのだ。
ジンナイとか言う奴が彼女に話さず、一人でヨシノブを止める旅に出ていれば、少なくとも彼女は幸せだったはずだ。
俺は会った事もないジンナイに憎しみを抱いた。同時にヨシノブ・アオイにも。
「もし差し障りが無かったらで良いのですが」
波の音が強い。
「ウィルバーさんのご家族って……? ごめんなさい」
俺の顔を見てレオナは質問をやめた。
「ごめんなさい。さっきリリーさんが何か言いかけていたのでつい……」
ここまで来たら黙っていても意味がない。
「死んだよ。この国十年くらい前に戦争やってたんだよ」
船をロープで泊めて置く金具の上に乗り、レオナから目を背ける。
潮風が気持ちいいような、鬱陶しいような。
「この街海沿いだろ? 船で囲まれて、ドンパチ砲弾撃って来るんだぜ。飛行船も無い時代なのに防空壕が作られるくらいやばかったんだ」
わざとおどけるようにして手を広げて見せる。
「その時死んだよ。リリーとオヴたち姉弟の両親もな。今じゃポルカが親代わりさ」
そういや機海から帰って無いな、あのおっさん。
「そうでしたか……ごめんなさい」
それからしばしの間、お互い無言で海を見ていた。
なんとなく、俺から触れなくてはならない気がして、口にする。
「しかし、とんでもない話だよな……タイムマシンか」
レオナは海を見たままだ。
「正直、歴史とか未来とかスケール大き過ぎて分からないよ」
俺がレオナを助けたのは本当にちょっとした冒険心からだった。
バイクに乗って謎の女の子を助けて、ちょっとしたロマンス。そういうのに手を伸ばしただけのつもりだったんだ。あの時、レオナの体の軽さに安心した。ああ、俺が受け止めたのはこれくらいで済む物なんだ良かった、って。
でも違った。俺が背負い込んだ彼女は更に馬鹿デカイもんを背負い込んでいて……もう俺の手の届く範疇じゃない。
レオナがまたうつむく。
「ごめんなさい」
彼女は今日謝ってばかりだ。
「なんでレオナはすぐ謝るんだよ?」
金具から降り、彼女の両肩に手を置く。笑顔を無理矢理作って。
ふとその時、彼女がブラウスの内側に何か首から下げているのに気付いた。
「これ……」
思わず手を伸ばす。
「あ! これですか? これは出発前にジンナイさんがくれた御守りで――」
胸元から彼女が取り出したのは、細長いアクセサリーに鎖を通したネックレスだった。銀色に輝くそれはほとんど棒状と言っても差し支え無く、何か意味ありげに見えた。
まるで、何かの鍵のような――
ズシン……。
突然レオナの体が宙に浮かんだ。
浮かんだんじゃない……持ち上げられている!
「まったく、手間を取らせないで下さい、お嬢様」
機海で立ち塞がった黒い男、シンドウだった。
シンドウがグリズリーの背部にある操縦席から俺を見下ろしている。見下している。
体が動かなかった。少しでも動けば潰される、言葉が無くても目ではっきりと分かった。
「ウィルバー……」
グリズリーのエンジン音と波の音で掻き消されそうなレオナの声。
「レオナ……」
俺も呟くのだけで限界だった。全身から冷や汗が噴き出ている。
シンドウはそんな俺の様子を見て満足げにニヤリと笑うと、グリズリーを操って街の方へと消えて行った。腕にレオナを掴んだまま。
恐怖から解放されて、動けるようになったのは黒いシルエットがすっかり見えなくなってからだった。
ようやく事態を把握する。
――レオナが攫われた。