オーバーヒートな少女
無機質で巨大な部屋の中、少女は立っていました。
そこはとてもとても大きな部屋の中。大きな画面、大きなパイプ、大きなランプ。少女にはおよそ仕組みの分からない大きな機械が設置されています。
いや、むしろ部屋自体がその機械の為に用意されたと表現した方が良いのでしょうか?
機械を冷却するためのファンの風で、少女の肩ほどまで伸びた黒髪が揺れます。清楚なデザインのスカートが揺れます。襟元に付けた細いリボンが揺れます。
揺れています。いろんな物が、彼女の心も。
「本当に行かれるのですか?」
どこからともなく男の人が現れました。黒いスーツに可愛い模様のネクタイがどこか滑稽です。
サングラス越しに少女を見つめる目。彼女の意思の固さを確かめる目。
「……もちろんです。早くしないと手遅れになるんでしょう?」
色の薄い唇が動き、少女が答えます。
「……」
何も言えない様子の男。少女が彼に背中を向けたまま、数秒が経過しました。
ゆっくり、ゆっくりとお辞儀をする男。深々と、一生分の忠義を相手に示すかのように。
「では、お供いたします」
ウウウウウウウウン……
機械が低く唸ります。そして……。
そして……。
二人の少年がたどり着いた先は港のはずれ、レンガで作られた崩れかけのトンネルだった。
オーヴィルが慣れた手つきでバイクを操り停車させる。そのままトンネルの中に駆け込もうとしたが、ウィルバーが引き止めた。
「ちょっと待て。こいつを隠しておかないと」
二人はエンジンを止めた車体を入り口脇の物陰に押し込む。
型は古いが手入れは丁寧にされているようで、盗品となった白バイはスルスルと滑らかに砂利道を動いてそこに収まった。
「どうして隠したりするのさ?」
首を傾げるオーヴィル。頭のベレーが一緒になってずれた。
「リリーに見つかったら面倒だろ。そうならないように、明日中にはパーツごとにバラそう」
ウィルバーの答えに納得が行った様子でオーヴィルは大きく頷くと、念には念をと捨てられていたドラム缶を目隠しにしようと押し始めた。一人では動かなかったのでウィルバーも手伝う。
ガリガリ。ガリガリ。錆びた缶の底が砂利と擦れる。
顔を真っ赤にして押すオーヴィルを見て、なんだかウィルバーはおかしくなってきた。
いくらバイクの操縦に長けているとは言え子供は子供。腕力もまだまだ足りないようだ。もしかしたら急カーブ時のハンドルではかなり無理をしているかもしれない。やはりまだ自分が運転した方が良いだろうか?
しかし、実際のところ自分には運転よりも修理やメンテナンスの方が向いている。試すのが怖くてやったことは無いが、今自分とオーヴィルでレースをしたら確実に自分が負けるだろう。
無理させない程度に頑張ってもらうか。そう考えながら押しているうちに、ドラム缶は綺麗に白バイを隠してくれた。これなら家の入り口からはまず見えない。
「これで良し!」
ガッツポーズをして、トンネルの中へ駆け込んでいくオーヴィル。ちらりとバイクに目を遣った後、ウィルバーも後に続いた。
戦時中、港の職員用の緊急防空壕として作られたこのトンネルは、なだらかに地面の下へと向かっている。当然海側には掘り進められないから、トンネルを行くと方角的にはどんどんスワーブの街の中心へ向かっていく事になる。もっとも、そんな先まで行く必要の無いウィルバーには関係の無い事だが。
入り口から三十メートル程の壁に大きめの扉がある。錆びだらけだが堅牢な印象のその扉が彼らの家の入り口。そこまでの間のトンネルには布をかけられた何かの機械や、ジャンクパーツが無造作に置かれている。
それらの間を器用に通って扉の前に立つ二人。オーヴィルが背伸びをしてドアの真ん中のノッカーを何度も鳴らす。無反応。
「相変わらず下手だな。貸してみろ」
少しむくれてウィルバーにドアの前を譲るオーヴィル。
コン、ココ、ココ、ココ、ココ、ココ。
カチャリ。何かが外れる音がした。
「いつも言ってるだろ。『幸せなら手を叩こう』のリズムで叩くのがコツだ」
「なんでそんな面倒な仕掛けにしたのさ?」
「知るか。ポルカのおっさんに聞け」
無造作にドアを開けるとオーヴィルを通してからウィルバーは再び扉を閉じる。ギィと低い音を立てたドアの内側にはオルゴールを思わせる箱が取り付けられていて、閉まると同時にカチャリと鍵を自動でかけ直した。
「本当、無駄なカラクリ細工ばっかり上手いんだよな、あのおっさん」
「聞こえとるぞ」
声で振り返ると背後に背の低い老人が立っていた。
汚れた白衣に禿げた頭、額に分厚いレンズの眼鏡を乗せている。一見すると立ったまま居眠りしているようにさえ見える細い目がウィルバーを睨みつけていた。
「い、居たのか、ポルカ。機海から今日は帰らないって言ってなかったか?」
思わず後ずさりをし、言葉を詰まらせるウィルバー。
「ちょっとしたトラブルが起きての。目当ての品が取れなかったんじゃ」
「トラブル?」
「後で話す。それよりもう夕食の時間じゃ。早く降りないとリリーにどやされるぞ」
言い残してポルカ老人は入り口のすぐ脇にある急な階段をゆっくりと降りていった。分厚い靴底と階段がぶつかる音が等間隔で遠ざかっていく。
ポルカの言う「トラブル」も気になったが、それ以上に腹ペコだったのでウィルバーも大人しく階下へ降りる。もう少しだけ深く、街の地下にある彼らの秘密の住処へと。
彼らが暮らすこのトンネルの中の隠れ家は大きく分けて二階層に分かれている。
仕掛けの施された入り口のある上階は主に工房。壁や天井には水道管や電気ケーブルなどの街のライフラインが張り巡らされており、そこから電気を無断で拝借して作業をしている。拾ったりポルカが買ってきた材料を元に機械類の修理や調整をして、生活費に当てているのだ。
白衣を着た背の低い老人――ポルカ・ドット博士はこの街では有名なエンジニアであり、機械のトラブルが起きれば街中どこへでも駆けつける。ウィルバーはその弟子として現在勉強中。しかしポルカが得意とする細やかな機械仕掛けよりも、他の事に心酔気味だ。
一方、階下は居住区域。キッチン、ダイニング、ベッドルーム、風呂など必要最低限の設備が地下の穴に無理やり詰め込まれている。
このトンネルの横穴自体がどうやら戦時中、防空壕に逃げ込んだ重要人物を一般人の目から隠すために作られた物らしく、ポルカが改装する前からある程度住める状態にはなっていたそうだ。特に誰の許可も取っていないが、咎められた事はないからと暮らしている。
階段を降りてすぐのダイニングスペース。その入り口で不穏な空気を感じ取ったウィルバーは足を止めた。
部屋の中でオーヴィルが立ち尽くしている。冷や汗を流し、目に涙を溜めながら。
そしてその前には……。
「何度言ったら分かるのよ……」
一文字一文字、区切るようにしてリリーが言った。
――やべえ。もしかしてバレてるのか?
リリーの説教の餌食になろうとしている小さなオーヴィルに心の中で謝り、ドアの影に身を潜めるウィルバー。
「な、な、何もしてないよ姉ちゃん! 本当に本当に何もしてないよ」
ガタガタと震えながら自分と同じ明るい金髪の少女を見上げるオーヴィル。少女のブルーの瞳は怒りで燃え上がり、いたいけな少年を焼き殺しかねない程だ。
ドン! ダイニングテーブルの上にリリーが何かを置く。
「じゃあこれは何?」
しまった……どうして隠しておくのを忘れたんだ! オーヴィルは聞こえないように舌打ちをする。
リリーが置いたのは置時計のような機械。周波数を合わせる捻りとスピーカーは付いていて、どうやら無線機のようだ。
スピーカーから擦れた声が聞こえてくる。
「こちら追跡班。埠頭近くでホシを見失った。盗まれた車両も見つからない」
「了解。ホシは十代の少年二人組み。背の高いほうが赤毛で小さい方が金髪に帽子だ。服装からして孤児の可能性が高い。発見しだい確保せよ」
「了解。捜索を続ける」
通信が切られると同時に、耳が痛くなるくらいの静寂が地下室を包み込んだ。
誰も動かない。息すらしない。
ポタリ。オーヴィルの頬を伝って落ちた冷や汗が開始の合図だった。
「あんたたち警察の車盗んだわね!」
リリーが吼える。今度は逆の意味で耳が痛くなりそうだ。
オーヴィルはその迫力だけでもう限界。一気に泣き出して、ごめんなさいごめんなさいと繰り返す。
ふん、と顔をそむけるリリー。甘やかそうという気は一切感じられない。
「ウィルバー、出てきなさい」
矛先がウィルバーに向いた。
「……」
「今すぐ出てこないと、ここの場所を通報するわ」
「待ってくれ! そりゃ困るだろ!」
慌てて姿を現すウィルバー。既に彼も全身冷や汗まみれだ。
「あら、私も博士も一向に困らないけど」
横目でテーブルを見ると、何食わぬ顔で席に着いたポルカがスープを飲んでいた。一緒に置かれた例の機械は黙ったままだ。
――どうせこの警察無線傍受用機をリリーに教えたのもポルカのおっさんだな。
どうしてもジャンクでないガソリンエンジンが必要だったウィルバーとオーヴィルは、数日前からこの機械を使って警察の無線を盗み聞きしていた。ウィルバーの完全な手作りだが思いのほか性能は良く、地下であるこの部屋でも無線電波を受信できる程だ。
この装置で盗み聞きした情報を元にターゲットを白バイ部隊のバイクに定め、パトロールから帰ってくる時間を狙って計画を実行したのだ。
リリーが日焼けした腕ごと指をウィルバーに突きつける。
「警察が来て困るのは、あんたら泥棒二人だけよ!」
タンクトップからすらりと伸びた腕から放たれるビンタが、少女とは思えない威力を発揮することをウィルバーはよく知っている。
「待ってくれ、まずは話を聞いてくれよ。これは仕方のないことなんだ」
「はぁ!? 仕方がない? 盗みが? 人様の物を勝手に持ち出すことが?」
台詞に合わせてジリジリとリリーが迫ってくる。壁際に追い詰められた。もうすぐビンタの射程範囲に入ってしまう。
「リリー! お前の言う事は正しい! だが正しいことがいつも人を救うとは限らない!」
「牢屋でほざいてなさいよ、この人でなし!」
ヒュン!
放たれた腕を紙一重でかわした。
「なんでウィルはいつもいつも悪事にオヴを巻き込むわけ? 私の弟があんたみたいな人間になったら責任取ってくれるわけ?」
「お前はもう少し弟離れした方が良い! 過保護から抜け出したい年頃なんだよオヴは!」
な? とオーヴィルに視線を送るが、泣き続ける少年にウィルバーの声は届かない。
だが、代わりに意外な方向から援護射撃が入った。
「その辺にしてやれ、リリー」
ポルカだった。飲み終わったスープの皿にスプーンを置き、落ち着いた眼差しでリリーを見つめる。
――なんでポルカのおっさんが? いつもなら黙って見ているのに。
皿を持ち、流しへ運んで水を張るポルカ。
「盗んだバイクはわしの方から後で返しておこう。警察にはコネがあるからなんとか許してもらえるじゃろう」
「でも博士! こいつらは犯罪を」
食い下がるリリー。
「リリー。実はわしは今ウィルバーが居なくなると少々困ってしまうのじゃ。わしに免じて許してやってくれんかの?」
「……」
言い方は優しいがポルカの言葉の裏には曲げようの無い意思があり、流石のリリーも黙った。
ポルカがウィルバーとオーヴィルに手招きする。
「おいで。リリーの料理を食べながら聞いてくれ」
さっきまで言い争っていた相手の手料理を食べるのは少々ばつが悪かったが、素直に従った。途中、ようやくすすり泣きになったオーヴィルの肩をテーブルまで押してやる。
リリーがやや乱暴にスープ皿を二つ置くと同時に、ポルカは話し始めた。