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オーバーテクノロジーの世界

 空想科学祭2010参加小説になります。


 ようこそ、まだ誰も知らない十九世紀へ。

 その晩、警察官ジョナサン・レザークロスはツイていなかった。

「よおジョニー。パトロールから帰ったばかりで悪いが、お客さんだぞ」

 染み一つ無い真っ白な車体のバイクを停め、オフィスに戻るや否や窓際のデスクから声をかけられた。見ると直属の上司であるレストレード交通課長がパイプを片手に雑誌と睨めっこしていた。

「客? 誰です?」

 歩み寄ると、彼が大衆雑誌のクロスワードパズルを解いているのが分かった。書いては消し、また書いてを繰り返しているようで、荒い紙質のページは鉛筆の粉と消しカスで汚れている。

 ふぅー、とレストレードが煙を吐き出す。

「ほら、先週違法改造のバイクを夜中走らせてて、お前が捕まえた子供が居たろ? あの悪戯坊主がまたパクられたらしい」

 煙はゆったりと複雑な曲線を空中で描き、それをジョナサンのため息が吹き散らした。

「今度は何したんです?」

「知らん。四文字でアオイ・モーターズ社長の出身国、分かるか?」

 台詞の後半は汚れたパズルのページを鉛筆の尻で叩きながら言う。

 ジョナサンは呆れたように肩をすくめた。顎鬚の目立つ口が開く。

「ジパングでしょ。年ですか?」

「ううむ、ただのド忘れだよ、ド忘れ」

 納得した様子で答えを書き込むレストレード。右の手にパイプと鉛筆を持ち、左の手で雑誌を支える器用な動作がしわの寄った額と相まって、どこか年老いた猿を思わせる。


 正直なところ、ジョナサンは苛立っていた。

 今日は同僚の一人が欠勤したせいでパトロールの範囲は二倍、時間は三倍。しかもその途中でやたらとビークル同士の事故が多く、小競り合いを見つけては仲裁に入り違反切符を切ること延々八時間。出発前に近所のパン屋で買ったサンドイッチは食べる暇もなく、午後七時になろうとしている今も紙袋に収まったままだ。もう固く不味くなってしまっている事だろう。

 やっとの思いでオフィスに帰り着いたかと思えばこれである。

 モーターバイクを乗り回す不良少年? そんなの俺の知ったことじゃない。たまたま前取調べの担当だったからって、何でもかんでも俺に仕事を回すのはおかしいだろ。

 ジョナサンは左の拳をレストレードから見えないように握り締め、小刻みに震わせながら上司に反抗するタイミングを窺っていた。

 一方クロスワード好きの呑気な上司はと言えば、再びパズルでお困りだ。

「また四文字。アオイ・モーターズの社長のファーストネーム。これも何だったかな? ラジオじゃよく聞くんだが……」

「ヨシノブ・アオイでしょ。さっきからアオイ社に関する問題ばかりですね」

 数年前この街に現れた町工場も、今や世界経済を動かす大企業である。雑誌の問題くらいにはなっても不思議は無いのかもしれないが。

 レストレードは嗜めるように鼻を鳴らし、

「このページはアオイ社が出してる広告だからな」

 そう言ってジョナサンの鼻先に薄汚れた紙面を突き出す。半歩後ずさりし、視点を離して彼はそれを音読した。

「クイズに答えて豪華商品を手に入れよう! 抽選で百名様にアオイ社最新モデルのオートバイをプレゼント……」

「悪くないだろう? 当たったらここに配置してやるよ」

 人間から食べ物を盗む、ずる賢い老猿を思わせる目が光る。

「ジョニー、お前には一番に乗らせてやるよ」

「良いんですか!?」

「ああ、私はあんな今時の乗り物に興味は無いからな。自転車で交通管理をしていた頃が懐かしいよ」

 この街の警察ではアオイ社の早期からの協力があったことで、数年前からバイクによるパトロールが行われている。道路も整備され、市民の足も慣れ親しんだ地下鉄から自動車やバイクに移りつつあったが、レストレードのような古い技術にこだわる懐古主義者も少なくなかった。

 やった! これで塗装だけは立派なオンボロ白バイとおさらば出来るかも知れない――そう思って一瞬心を躍らせたジョナサンだが、すぐに表情を戻して両手を上司のデスクに叩き付けた。

 鋭い音が二人しか居ない交通課のオフィスに響く。

「……こういう趣味の物で仕事中に遊ぶのはやめて下さい。課長」

「おお怖い。最近の若者は怒りやすいって言うけど、そんな風潮に乗せられては駄目だよ。レザークロス平巡査」

 階級の差を持ち出されては、言われた通り平の巡査のジョナサンでは口ごたえしようが無かった。

 これ以上は無駄だと思い、挨拶もなしに出口へ向かうジョナサン。ドアに手をかけ力任せに閉じようとした時、背後から呑気な声と一緒に何かが飛んできた。

「おーい、これ明日の朝までに空欄全部埋めといてくれ」

 さっきの雑誌だった。ご丁寧に懸賞広告のページを開くように折り曲げられ、安っぽい鉛筆が挟まれている。

 ジョナサンは反射的にその両端を握りつぶし、そのまま縦に引き裂こうとしたが、

「上司命令だからな」

 脳からの指令に必死で抗おうとする両手を抑えて、雑誌のしわを伸ばして脇に挟んだ。

 ジョナサン・レザークロス。彼は今日ツイていないのだ。




 取調室で待っていたのは確かに見覚えのある顔だった。

「ああ、またこの前と同じ奴なんだ」

 開口一番がっかりそうな言葉を口にしたその少年は、ランプの明かり一つの室内でおとなしく座っていた。とは言っても窓のすぐ外の通りにガス灯があるおかげで、実際にはもっと明るい。

 いかにも工場労働者といった雰囲気を漂わせる少年は、大体十五歳くらいだろうか。目の色こそ淡いブルーで綺麗だが、伸びた赤毛は煤で汚れ服もお下がりなのかブカブカでサイズがあってない。

 もしかしたら孤児かもしれないな。みすぼらしいその容姿からジョナサンは考えた。技術は高度になれど、産業革命がもたらした行き過ぎた資本主義の中、こうした孤児は多い。そんな子供達を資本家がタダ同然で雇い彼らの懐を潤す。そんな悪循環が今ヨーロッパのあちこちで起きていた。

 グラつく机を挟んで少年の反対側、ジョナサンも席に着く。

「それはこっちの台詞だ。今度は何やった?」

 ことによっては刑事課の方に事案を回さなくてはならない。面倒だと思いながら、ちらりと横目で窓の外を見ると、ジョナサンのバイクが駐車場に泊められているのが見えた。

「調書を取るときは名前と職業からだろ」

 反抗的と言うよりは無関心な口調だった。態度のなっていない少年に少しムッとするジョナサン。

「詳しいな」

「この手のことは慣れてる」

 ジョナサンは子供が嫌いではない。むしろ自分では子供好きな方だとさえ思う。田舎に帰るたびに幼い従兄弟たちの世話を頼まれるが、それを苦に感じたことは無かった。

 しかし、子供というのは可愛い生き物ばかりではないらしい。

「ウィルバー・ボーダーズ。無職。学校へは行ってない。これで良い?」

「ボーダーズは普通のスペルか?」

「そう、普通に国境のボーダーとS。流石にあんたでもそれぐらいは書けるだろう?」

 何故自分は年下にいきなり見下されているのだろう? 理不尽に感じながらもジョンサンは調書を書き進めた。

「で、何やった?」

「何も。自分のマシンを路肩でいじってたら、いきなりパクられた」

「本当にそれだけか?」

「どうやら俺をパクった兄ちゃんは、俺のバイクのフロントパーツが気に入らなかったらしい。そりゃあ、機関砲仕込もうとしているところ見たら普通は止めるかもな」

 ジョナサンは思わず頭を抱えた。

「でも、すっげー小さい奴だって! 手作りだから威力も大した事ないし、後三分もあれば外から見えないように細工が終わったんだ!」

 必死になって言い訳を考えるウィルバー。冷たい視線を注ぐジョナサン。

「威力に関係なく、この街で銃の所持・製造は違法だ」

「でも、今まで言われたこと無かった」

「言われなかったらやって良い、なんてお前は小学生か!」

 バンッ!

 デスクを叩くのは今日で二度目だ。余りに不遜なウィルバーの態度は、とうとうジョナサンの堪忍袋の緒を引き裂いた。性格には彼の上司との連係プレーなのだが。

 どうせこの手の子供に怒鳴ることが効果的では無いのはよく分かっている。けれども、だからと言って放っておくのは彼の中の倫理観が許さなかった。例えすぐには意味が無くても、諦めずに間違いを正そうとする努力こそが大切である。そう考えていた。


「……学校なんて……小学校なんて」

 ウィルバーの様子がおかしい。

「小学校なんて行った事もねえよ! あんなのに行けるのは札束燃やして明かりにするような連中のガキだけだ! 俺達孤児がそんな所行けるわけねえだろ!」

 驚いたことにウィルバーは泣いていた。

 しまった……。途端に罪悪感が胸を駆け巡る。自分は触れてはならない事に触れてしまったようだ。

 やはりウィルバーは孤児だったのだ。当然学校に行ったことはないだろう。自分のように普通の家に生まれ、人並みの人生を歩む人間が彼の目には恨めしく映っていたのかもしれない。

 そんな恨めしさから彼はこんな態度になってしまったのだ。悪いのは子供じゃない、世の中の方じゃないか。

「すまない。言葉が過ぎたようだ」

 ジョナサンが立ち上がり。両手を握り締めながら涙を流すウィルバーの肩に手を置く。

「俺が悪かった。許してくれ。君が望むなら今からでも俺が推薦状を書いて君に奨学金を……」


 ジリリリリリリリリリリリリリリリリリ!


 夜の街に似合わない騒音が窓の外から聞こえてきた。

 ジョナサンが恐る恐る窓の外を見ると、彼の白バイが悲鳴を上げていた。盗難防止用の警報装置である。

「畜生! 黙れ、この! この!」

 その横には大人用のハンチングベレーを目深に被った少年が、必死の形相で警報装置をスパナで殴りつけていた。すぐに警報機は息絶える。

 ジョナサンが状況を飲み込むのに、数秒かかった。

「この、こそ泥めえええええええ!」

 言うが早いか、ジョナサンはドアを開け、廊下を走り、帰り支度をしているレストレードの横を抜け、オフィスから外に出た。

 バイク泥棒の少年はまだ間誤付まごついていて、バイクには跨っているものの走り出していない。

 考えるより先にジョナサンはそれに向け突進し、少年を捕らえようとした。

 ―-が、


 パリィィィィィンッ!


 バイクのすぐ横、さっきまでジョナサンが取調べをしていた部屋の窓が割れ、間を空けずそこからしなやかな動きで足が飛び出してきた。

 煤で汚れた靴を履いたその足は完璧なタイミングでジョナサンの顔にめり込み、ガス灯にその痩躯を叩きつける。

「悪いね、おまわりさん」

 ウィルバーだった。あの泣き顔はどこへ行ったのか、今は不敵で不遜な笑みを浮かべている。

 まだ立ち上がれないで居るジョナサンを尻目に、ハンチングベレーの少年の後ろに乗るウィルバー。

「んじゃ、そういう事なんで。縁があったらまた遊ぼうぜ」

 エンジンがかかり、歴史ある石畳いしだたみの通りを走り出すバイク。

 今や自分のものではなくなってしまったバイクに向かってジョナサンは吠えた。

「騙しやがったな!」

「言ったろ? この手のことは慣れてるんだ」

 やがて二人組のバイク泥棒は、ガス灯の明かりの向こうに消えていく。


 本当に彼は今日、ツイていないのだ。




 工業都市・スワーブ。

 ヨーロッパのとある海沿いにあるこの街はそう呼ばれていた。

 十年程前までは漁業が主な産業のただの港町。しかし今では多くの工場が立ち並び、拡張工事が進められている車道には自動車やバイクが走り回る。


 時は十九世紀初頭。産業革命真っ只中。

 おそらくあなたが知っている世界史の中ではこの頃、自動車はおろかオートバイなんて一般普及していないはずだろう。確かにそれは正しい。

 ここはあなたが今住んでいるのとは、少しだけ違う世界。

 まだ誰も見たことの無い十九世紀。


 数年前、このスワーブに現れた一つの会社からそれは始まった。

 アオイ・モーターズ。極東からやって来たという男をリーダーに立ち上げられたその工場は次から次へと革新的な技術を世に送り出した。

 アオイ・モーターズが作るエンジンは燃費、馬力、頑丈さ、コンパクト性など全てにおいて既存の技術を凌駕し、工業会に衝撃を与えた。

 エンジンだけではない。テレビ、冷蔵庫、電子レンジ。あなたの知っている十九世紀にはないはずの機械の開発に成功していた。

 人々は彼らがもたらした技術を、彼らの国の言葉を使って呼ぶ。――「カラクリ」と

 世界は大きく変わった。今やヨーロッパ全土が電気と蒸気機関、ガズランプと電球、古い技術とありえない技術が混在した世界。

 これがこの世界の産業革命。




「警察だってちょろいもんだよなあ! ちょっと泣きまねすれば、子供と思って油断する」

 二人の髪が風に揺れる。

 スワーブの街の夜風は心地よく、大仕事をやり遂げた少年達の心を鼓舞する。

「うん、窓の外から聞いてたけど、なかなか名演技だったと思うよ。ウィル」

 運転する金髪にハンチングを被った少年が相槌を打つ。

 ウィルバーは照れ隠しなのか直接は答えず、片手を少年の頬にやって引っ張る。

「その割りにオヴ、お前は警報機なんかに引っかかりやがって」

「ごめんごめん! まさか二つも付いてるとは思わなくてさ。ウィルが時間稼いでる間に一つは分解できたんだけど」

 オヴと呼ばれたハンチングの少年――オーヴィル・ミルフルールが言った。

 おそらくウィルバーよりは年下だろう。彼以上に服のサイズが合ってないせいもあるが、バイクを巧みに操るオーヴィルはかなり幼く見えた。

「でもウィル、あの警官に本名言っちゃって良かったの?」

 心配そうな顔をするオーヴィル。

「大丈夫。俺達はいずれ世界一のエンジニアになるんだぜ! カラクリがこの街にある限り、誰も俺達にかないはしない」

 少しだけ、遠い目をするウィルバー。

 やがて道は海沿いに変わり、遠目に港の船が見えてくる。

 二人の小さな泥棒はそのまま夜の街を走り抜けて行った。近々自分達がとんでもない事件に巻き込まれるとは知らずに。

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