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**俺、東大院生の実験対象にされてた。**同居している美人家庭教師のやばい秘密  作者: マサキ


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第6話:浴室からの呼び声、心臓が止まるかと思った件

第6話:浴室からの呼び声、心臓が止まるかと思った件


 その夜。

 咲楽さんが、先にお風呂に入った。


 僕はリビングで参考書を開いていた。

 明日の予習をしながら、お茶を飲んでいた。


 静かだった。


 ……平和だ。


 こういう時間も、悪くない。


 同居が始まって一ヶ月近く経つ。

 最初はどうなることかと思ったけど、なんか、普通に慣れてきた。


 咲楽さんが毎朝卵を焦がすのも。

 何かにつまずいて転ぶのも。

 研究ノートを必死に隠すのも。


 ……全部、なんか、慣れてしまった。


 慣れてしまったのに、ドキドキは全然慣れない。


 それが問題なんだよな。


 そう思った、その時だった。


 「翔くん」


 浴室から、声がした。


 ……え。


 「翔くーん」


 もう一回、呼ばれた。


 僕は参考書から顔を上げた。


 呼んだ? 今、呼んだよな?


 「……はい」


 「少しいいですか」


 「え、あ、何ですか」


 「シャンプーが、切れてしまって」


 シャンプーが。


 切れた。


 「……切れた?」


 「はい。もう一本、洗面台の下にありませんか」


 僕は立ち上がって、洗面台に向かった。


 扉の下を開けると、シャンプーのボトルが一本あった。


 「……ありました」


 「よかった。渡していただけますか」


 渡す。


 浴室のドア越しに。


 今、咲楽さんは、お風呂に入っている。


 つまり。


 「……っ」


 脳内に、余計な想像が浮かびかけた。


 全力で打ち消した。


 落ち着け俺。ただシャンプーを渡すだけだ。ドア越しに。それだけだ。


 深呼吸。


 もう一回、深呼吸。


 「翔くん? 聞こえてますか」


 「聞こえてます! 今行きます!」


 声が裏返った。


 浴室のドアの前に立った。


 白いドア。


 すりガラスの小窓に、湯気がついている。


 見るな。絶対に見るな。


 「……咲楽さん」


 「はい」


 「渡します」


 「ありがとうございます」


 ドアが、少しだけ開いた。


 隙間から、白い手だけが出てきた。


 手だけ。手だけ出てきた。


 落ち着け。


 シャンプーのボトルを、その手に渡した。


 指先が、少し触れた。


 触れた。


 「……ありがとうございます」


 「どうも」


 声、震えてないか?


 「助かりました。翔くんがいてくれてよかった」


 さらっと言った。


 完全に、無自覚な顔で言っているのが、声だけでわかった。


 ……そういうことをさらっと言うのをやめてほしい。


 「……どうも」


 同じ返事しか出てこなかった。


 ドアが、閉まった。


 僕はそこから一歩も動けなかった。


 ……心臓がうるさい。


 廊下に響いてないか、これ。


 リビングに戻って、ソファに沈み込んだ。


 参考書を開いたけど、一文字も頭に入ってこなかった。


 なんで。


 シャンプー渡しただけじゃないか。


 手が触れただけじゃないか。


 なのに、なんでこんなに。


 「……おかしいだろ俺」


 一人で呟いた。


 天井を仰いだ。


 落ち着け。落ち着け落ち着け落ち着け。


 深呼吸を、三回した。


 少し、落ち着いた。


 よし。


 参考書に向き直った。


 その瞬間。


 「翔くん」


 また、声がした。


 「っ……何ですか!!」


 「驚かせましたか、ごめんなさい」


 振り返ると、咲楽さんが浴室から出てきていた。


 髪をタオルで拭きながら、不思議そうな顔でこちらを見ている。


 パジャマ姿で。


 濡れた髪が、頬に少しかかっていて。


 ……また、やばい。


 どこ見ても駄目なのは、初日から変わってない。


 「顔が、赤いですよ」


 「暑いんです」


 「お風呂場の蒸気が来ましたか」


 「そうです、そういうことです」


 咲楽さんが、首を傾けた。


 「そうですか。……シャンプー、ありがとうございました」


 「いえ、全然」


 「次から、予備を確認しておきます」


 「それがいいと思います」


 次もあったら、心臓がもたない。


 「翔くん、今日の予習は終わりましたか」


 「……全然終わってないです」


 「何ページまでやりましたか」


 「一ページも」


 「それは問題ですね」


 「問題なんですけど、色々あって」


 「色々?」


 「何でもないです」


 咲楽さんが、またタオルで髪を拭きながら、テーブルの向かいに座った。


 「一緒にやりましょうか」


 「今から?」


 「駄目ですか」


 「……駄目じゃないですけど」


 髪が濡れたままの咲楽さんと、並んで勉強するのか。


 それはそれで、心臓に悪い。


 並んで座って、参考書を開いた。


 咲楽さんが、ページをめくりながら言った。


 「今日はここからここまでです」


 「はい」


 「まず自分で読んで、わからないところを聞いてください」


 「はい」


 「翔くん」


 「はい」


 「返事だけしてないで、読んでください」


 「読んでます」


 「目が泳いでいますよ」


 泳いでいます。


 咲楽さんの濡れた髪から、シャンプーの香りがして、それが。


 「……翔くん」


 「読んでます!!」


 咲楽さんが、少し呆れた顔をした。


 「……体調が悪いですか」


 「悪くないです」


 「顔が赤いままですよ」


 「蒸気の影響が長引いてます」


 「お風呂場から出てもう十五分経ちますよ」


 「長引いてるんです!!」


 咲楽さんが、眉を少し寄せた。


 「……もしかして、私の髪が濡れたままで、気になりますか」


 正解。


 「気になってないです」


 「そうですか」


 咲楽さんが、ドライヤーを取りに立ち上がった。


 「乾かしてきますね」


 「別にそこまでしなくて」


 「翔くんが勉強に集中できないなら、乾かした方が効率的です」


 効率的。


 また効率とかデータとか言う。


 「……お願いします」


 咲楽さんが、ドライヤーを持って戻ってきた。


 スイッチを入れると、ぶわっと温かい風が広がった。


 咲楽さんが、片手で髪を梳きながら、もう片手でドライヤーを当てている。


 ……見るな。見るなよ俺。


 「翔くん、参考書」


 「読んでます」


 「逆さまですよ」


 「っ……!」


 慌てて参考書を直した。


 気づかなかった。


 咲楽さんが、小さく笑った気がした。


 ドライヤーの音で、かき消されたけど。


 髪が乾いてから、ようやく勉強が少しだけ進んだ。


 「……少しはできましたね」


 「少しだけ」


 「最初よりはましです」


 「最初が酷すぎただけですけど」


 咲楽さんが、研究ノートを出した。


 またか。


 でも今日は、何を書いているか少しだけ気になった。


 「何書いてるんですか、今日は」


 「日記です」


 「小説じゃないんですか」


 「日記形式の小説です」


 「どっちですか」


 「両方です」


 意味がわからない。


 ため息をついて、お茶を飲んだ。


 「咲楽さん」


 「はい」


 「一個だけ、聞いていいですか」


 「内容によります」


 「そのノート、いつか見せてもらえますか」


 一秒、間があった。


 二秒、間があった。


 「……いつか、ですか」


 「うん、いつか」


 咲楽さんが、ノートをゆっくり閉じた。


 「……いつか、考えます」


 「考えるんですね」


 「駄目とは言っていません」


 「じゃあいつか見せてもらえる可能性はある?」


 「……可能性は、あります」


 それで十分だ。


 なぜかそう思った。


 「わかりました。いつか楽しみにしてます」


 咲楽さんが、また少し耳を赤くした。


 「……急かさないでくださいね」


 「急かしてないですよ」


 「翔くんは、たまに急かすような目をします」


 「そんな目してないですよ」


 「してます」


 してるのかな。


 まあ、いいか。


 「おやすみなさい、咲楽さん」


 「……おやすみなさい」


 咲楽さんが、部屋に戻っていった。


 ドアが閉まった。


 僕はソファに倒れ込んだ。


 ……今日、心臓が何回止まりかけたんだ。


 数えたら、たぶん三回は超えていた。


 シャンプーを渡した時。

 パジャマ姿を見た時。

 「翔くんがいてくれてよかった」と言われた時。


 ……全部、咲楽さんは無自覚なんだよな。


 それが、一番困る。


 天井を眺めながら、僕はため息をついた。


 やばい同居生活の、二十四日目が終わった。


第6話 完

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