第5話:小テスト、ご褒美が破壊力すぎる件
第5話:小テスト、ご褒美が破壊力すぎる件
その日の朝。
咲楽さんが、いつもより少しだけ機嫌がよかった。
朝ごはんを食べながら、何かをメモしている。
研究ノートじゃなくて、普通のメモ帳だった。
「今日は何か予定ありますか」
「学校から帰ったら、小テストをします」
「……小テスト」
「この三週間で教えたことの確認です」
「三週間分!?」
「範囲は事前に言いましたよね」
「言いましたけど」
「ちゃんと復習しましたか」
「……七割くらいは」
「残りの三割が出たらどうするんですか」
その三割が出ないことを祈るしかない。
「頑張ります」
「よろしい」
咲楽さんが、メモ帳に何かを書き足した。
……なんか楽しそうだな、今日。
嫌な予感がした。
学校から帰って、テーブルに着いた。
咲楽さんが、プリントを一枚置いた。
「数学と英語、各十問ずつです。制限時間は四十分」
「二十問!?」
「多いですか」
「多いですよ普通に」
「では始めてください」
多いですよ普通に、は完全に無視された。
まあ、やるしかない。
ペンを握って、一問目を見た。
……あ、これわかる。
二問目。
これも、わかる。
三問目。
……うーん。
少し詰まった。
でも、咲楽さんに教えてもらった公式を頭の中で辿ったら、なんとか出てきた。
あ、そういうことか。
ペンが、動いた。
四十分後。
「終わりました」
咲楽さんがプリントを受け取って、採点を始めた。
赤ペンが、さらさらと動いている。
僕はお茶を飲みながら、その横顔をぼんやり眺めた。
真剣な顔。
眼鏡の奥の目が、問題を追いかけている。
たまに小さく頷いて、また赤ペンを走らせる。
……綺麗な顔してるな、こういう時。
って、また余計なこと考えてる。
「……採点、終わりました」
咲楽さんがプリントをテーブルに置いた。
恐る恐る覗き込む。
数学、八問正解。
英語、七問正解。
「……合計十五問?」
「二十問中十五問、正答率75パーセントです」
「……高くないですか、それ」
「三週間前のあなたなら、五問取れれば上出来でした」
「じゃあ三倍になったってこと?」
「そういうことです」
咲楽さんが、静かに微笑んだ。
「よく頑張りました」
……なんか、その一言が。
妙に、嬉しい。
「では、約束通り」
咲楽さんが、そう言った。
「……約束?」
「言いませんでしたか。小テストで七割以上取れたら、ご褒美をあげると」
「言ってないですよそんなこと」
「言いました」
「いつ?」
「今」
今言ったのか。
「……ご褒美って何ですか」
「頑張ったご褒美です」
「だから何ですかって聞いてるんですけど」
咲楽さんが、少し考えるような顔をした。
それから、すっと立ち上がった。
僕の隣に来た。
近い、また近い。
「翔くん」
「は、はい」
「少し、失礼します」
何を。
咲楽さんの手が、そっと伸びた。
僕の頭に、触れた。
ゆっくりと、撫でた。
「……よくできました」
…………。
…………。
え。
頭が、真っ白になった。
さらさらとした指先が、髪の上を滑っている。
近い。
顔が、近い。
いい香りがする。
思考が、止まった。
「翔くん?」
「……っ」
「顔が、赤いですよ」
「赤くない、です」
「かなり赤いです」
「……暑いんです」
「エアコン、ついてますよ」
「暑いんです!!」
咲楽さんが、ふっと笑った。
手が、そっと離れた。
……離れた。
なんか、惜しい気がした。
そう思った自分に、すぐ驚いた。
「これが、ご褒美です」
「……ご褒美がそれなんですか」
「学習心理学的に、スキンシップには報酬効果があります」
「また、データですか」
「データです」
毎回データって言えば許されると思ってないか。
「……効果あったと思いますか」
思わず聞いてしまった。
咲楽さんが、少し首を傾けた。
「翔くんはどう思いましたか」
「……次も頑張ろうと思いました」
正直に言いすぎた。
咲楽さんが、目を丸くした。
それから、なぜか少し嬉しそうな顔をした。
「……そうですか」
「なんか楽しそうですよね、咲楽さん」
「そうですか?」
「目が笑ってます」
「……そんなことは」
「笑ってますよ絶対」
咲楽さんが、すっと立ち上がった。
「次の問題に移ります」
「話題変えましたよね今」
「気のせいです」
「気のせいじゃないですよ!」
咲楽さんが、参考書を開きながら、また笑った。
……ずるいな、本当に。
夜。
咲楽さんが研究ノートを開いた。
ペンが、いつもより速く動いている気がした。
「また書いてるんですか」
「几帳面なので」
「……そのセリフ、何回目ですか」
「数えていません」
絶対数えてる。
僕はお茶を飲みながら、ぼんやりと考えた。
さっきの、頭を撫でられた感触が、まだ残っている気がした。
……データとか言ってたけど。
本当にデータのためだけなのかな。
「咲楽さん」
「はい」
「さっきの、頭撫でたの」
「はい」
「本当にデータのためですか」
一秒、間があった。
咲楽さんのペンが、止まった。
「……データのためです」
「間がありましたよ」
「ありませんでした」
「ありましたよ絶対」
咲楽さんが、すっと視線をノートに落とした。
耳が、うっすら赤くなっていた。
……まあ、いいか。
追及するのをやめた。
でも、なんか。
悪くないな、このご褒美。
心の中だけで、こっそりそう思った。
咲楽さんのノートに、小さな文字で何かが書き足されたのを、僕は見ていなかった。
「報酬系スキンシップ→学習意欲の相関:有意差あり」
その下に、もう一行。
「ただし、被験者だけでなく、実験者側にも予期せぬ影響が出た模様。要観察」
咲楽さんが、その一行を書いてから、少し考えて。
そっと、ノートを閉じた。
第5話 完




