閑話 その頃王城では
今上陛下の正妃は二人目の王子を出産した後に体調を崩し、既に儚くなっている。陛下は新たな妃を娶ることもなく、また現在の側妃を正妃に挿げ替えることもしないと明確に宣言していた。陛下と正妃は政略ながら仲が良いと評判だったし、既に王子は三人もいる。王女が生まれなかったことは多少残念だが、血統を守る意味では十分な成果が出ているということで問題なく受け入れられていた。
そのような理由から少々微妙な立場にいる側妃は、近隣の大国より嫁いできた元王女であった。
彼女は儚げで美しい容姿をしていたが、王子をひとり生んでからは年に一度夜会に顔を出す以外は自分の宮に篭って出てこない為、謎が多い女性である。
周囲に侍る使用人などは全て母国から連れて来た異国人たちであり、結束も硬いのか内部の情報が漏れてくることもない。王子は教育の為に時折城内を移動する姿が目撃されているが、彼も大人しい性格の様で自分から誰かに話しかけることはないようだった。
そんな、謎多き女性である側妃の侍女が息を切らせて城内を駆ける。向かった先は国王の執務室だ。いくら側妃付きと言えど、一介の侍女が突然訪れてすぐさま王に会えるわけもない。
慌てる侍女に苦心しつつ侍従が聞き取った内容は、側妃が呪われて倒れたという話であった。
「お願いします……! た、助けてください! 姫様が、姫様が呪いで……!」
侍女を落ち着けてから、王の遣いが側妃の宮へ確認に向かう。すっかり異国風に改装されたその宮は、端的に言って異様であった。
じっとりと重い空気、どこか霞かかったように歪む景色。使用人たちは皆青白い顔をしており、動くのも辛そうだ。途中通りかかった上級使用人の部屋ではバタバタとひと際騒がしい音が響いており、誰かが「もう終わりだ」と叫ぶ声や狂ったように泣き叫ぶ声などが漏れ聞こえていた。
ようやくたどり着いた側妃の私室。本来なら男性である使者が入れる場所ではないが、緊急事態なので王からも入室の許可を得ている。
「殿下! 入ってもよろしいですか!」
扉の前での声掛けにも、室内からの返答はない。代わりに何かが暴れまわるような激しい物音が聞こえるだけだ。
もう一度声を掛けてからノブを引く。鍵は掛かっておらず、扉はするりと開かれた。
見渡す室内の奥、豪奢な天蓋のかかった寝台の上。薄絹の中でのたうち回るように暴れているのが、おそらく側妃なのだろう。普段ならば淑やかに響く声が、今は悪魔付きのように甲高く耳障りな叫び声をあげている。
「痛い、痛いっ、ああああっ、誰かたすけ、助けてっ、呪い師を早くっ、早く呼んで……!」
激しい動きにはらりと捲れた天蓋の内側。
儚げな美人と評判だった側妃の豊かな茶色い髪はぼさぼさに乱れ、その顔は黒く禍々しい痣で覆われていた。
掻き毟ったのだろう、頬や首までが爪の跡で赤く腫れ、血も滲んでいる。
「うぅ──ぁぁぁぁああああっ!」
血走った目を見開いたかと思うと大声で絶叫し、もだえ苦しみ始めた側妃は心臓の上あたりを強く握るような仕草をすると、全身をびくりびくりと跳ねさせた。
周囲に侍る使用人たちが慌てふためき、姫様姫様と必死で声を掛けている。けれどもその肌の上をおぞましく蠢く黒い痣に恐れをなしてか、直接触れられる者はいないようだった。
もはやそれら周囲の声も一切聞こえていないような様子で側妃は再び激しく痙攣した後、突然ぱたりと脱力したように寝台へ崩れ落ちた。
「姫様……!」
あっという間に起きた衝撃の出来事に茫然としていた王の遣いは正気を取り戻すと、寝台の周囲に崩れ落ちている者たちをかき分けて進み、連れて来た医者に側妃を診せた。
「これは……呪い返し……」
我が国は元々呪いという力に関して明るくなかった。しかし、第三王子のセラファン殿下が幼い頃に呪われて以降、その解呪の為に様々な有識者を招喚してきた歴史がある。殿下の呪い自体を解ける者はついぞ現れなかったものの、呪いの知識に関してはかなり豊富に蓄積されていた。
だからこそ、分かったのだ。
これは、呪われたのではなく──呪いを返されたのだ、と。
側妃はそのまま息を吹き返すことなく亡くなったが、後の協議によって病死と発表された。
また側妃の側近として仕えていた男も同時刻に、呪い返しにより亡くなっている。上級使用人の地位を与えられ常に側妃に侍っていた彼こそが、第三王子セラファン殿下に呪いをかけた実行犯であったのだ。