実家は好きではありませんが
「《himbanah》」
庭の端に置いた的代わりの岩に向けて、セラ様が魔法を放つ。差し出した指先から目にも留まらぬ速さで射出された氷の矢は、岩に届く前に細かな粒となってパリンと弾けた。
「うーん、やっぱり駄目だ」
「そうですね……速さも大きさも申し分なく思えるのですが。どこを改善したらいいのか……」
セラ様の魔法の制御の訓練を始めてからもうかなりの時間が経つ。最初は体内循環から行い、続いてコップに水を出したり庭の土を動かしたりと比較的危険のないものを教えていった。これらの訓練は魔力を持つ全ての者が親や教会等で教わる一般的なものであり、私も実家にいた際侍女長に指導された記憶がある。きっと母が頼んでくれていたのだろう。あの頃の私はただ、母が指導しに来てくれない事実を悲しんでいただけだった記憶があるが。侍女長はとても良くしてくれた。そんな彼女も義母が家に来たタイミングで解雇されてしまったのだけれど。今は地元に帰って孫たちと暮らしているらしく、それはそれで幸せな道だったのだと思いたいところだ。
ユリスの最初の制御訓練は私が指導した。体調の良いときにほんの少ししか実践出来なかったというのに、自頭が良い彼は私のつたない説明で全てを理解したようだった。あっという間に私よりもよほど巧みに魔法を使うようになり、多少は嫉妬もしたくらいだ。その身を蝕むほどに溢れ出る魔力が健康を害していたのだから、決して口にはしなかったが。
その後ユリスが本を買い集めるようになると、そこに書かれた知識を私にも分かるよう易しくかみ砕き話して教えてくれるので、そんな方法もあるのかと興味深く聞いたのものだった。ユリスと過ごす時間は私の孤独を癒してくれたし、そうやってユリスが与えてくれた知識は今でもこうして私の力になってくれている。
一通りの訓練を終えて制御を身に着けてからは、セラ様が成長して危なげなくなったこともあり次の実践的な魔法の練習に移っているところだ。彼はれっきとした王族であり、実際既に呪いという悪意ある攻撃を受けている。自分で自分を守れる力を身に着けるのは今後を考えても必要なことだと思ったのだ。
そこで問題になったのが、私には僅かの魔力しかないことである。幸運にも得意属性に偏りはなく、どんな魔法でもある程度までの基礎は教えられたものの、それ以上の強力な攻撃魔法をとなると話は別だ。ベースの魔力量が桁違いなのである。本来なら権威ある魔法師団員の教師がついて指導するはずの尊き方に対し、一介の侍女が指導するなどそもそもおこがましい話なのだから。
しかし、現状この離宮に他者を呼ぶことは出来ない。ましてやそれが力ある魔法師であれば、セラ様に呪いをかけた犯人でないとも言い切れないからだ。
「申し訳ありません、私では解決策をご提示するのが難しく……」
「いいよ、ミリアは僕に沢山のことを教えてくれてるじゃない。でも、もっと強くなってミリアのことも守れるようになりたいから、一緒に考えてくれたら嬉しいな」
「セラ様……。ええ、もちろんですわ。私がもう少し賢かったらよかったのに……」
私は貴族令嬢が通う淑女学校を出ているが、そこで学ぶのは令嬢としてのマナーやダンスが中心だ。茶会やパーティーの運営、もしくは将来侍女として勤める予定のある者はそのための技術など。高位貴族の総領娘などは王立学園に通って領地経営を本格的に学ぶし、城勤めの文官を目指す者も同様だ。
私は本来長子だから、家に残って婿を取るという選択肢もあったはずだ。けれど、ユリスが生まれてその道はなくなった。また、母が亡くなった後家に入った腹違いの妹と弟もいる。ユリスが亡くなった後私はすぐに仕事を決めて家を出てしまったけれど、今はその弟が嫡子となっているのだろう。
もし王立学園に通っていたら、魔法のこともそれ以外のことも、セラ様に教えられるだけの知識がついていたのかもしれない。私のせいでセラ様の未来が狭められるかと思うと、今更ながら悔しくてならなかった。
「やはり私、一度実家に帰って必要な教本を取って来ようと思いますわ」
ユリスがベッドで読んでいた沢山の本が残っているはずなのだ。とても頭の良かった彼は、王立学園の教本もどうにかして取り寄せて読んでいた。またそれ以外にも魔法に関する本を沢山持っていたし、なんなら自分で考えた事象や術式を纏めて冊子にしたりもしていた。
私とユリスに興味のない父がそれほどお金を出すだろうかと疑問に思って聞いたところ、なんとユリスはそれらの研究結果を然るべき場所に送ることで自ら本の購入資金を調達していたのだった。時には必要な参考資料として貴重な書物が送られてくることもあったし、外国の書物を翻訳するのもいい小遣い稼ぎになっていたらしい。
体調を崩しがちな彼に無理をして欲しくはなかったけれど、僕は本を読んでいた方が調子が出るんだと笑っていたユリスを思い出す。
あれらの本があれば、セラ様の魔法訓練の助けになるかもしれない。私ひとりでは難しくても、セラ様と一緒に読めば新たなアイディアが生まれるのではないか。きっとそのためならばユリスも応援してくれるだろうと思う。
家に帰る数日の間、セラ様をひとりにしてしまうのは不安だけれど。今ではある程度自分のことは自分で出来るし、簡単に食べられるものを用意して行けば大丈夫だろう。ずっと行き詰って足踏みするよりも、ここらで打開策を得たかった。
「でも、ミリアの実家は……」
「必要な物だけ取ってすぐに戻れば問題ないかと」
セラ様は私が実家の面々と折り合いが悪いことを知っている。仲の良かった弟が既に亡くなっていること、後妻としてやってきた義母とその子供たちとは没交渉であること。
私がユリスの死に疑問を持っていることと、心に染みついた疑念については話していないけれど。ここで勤め始めてから一度だって家に帰ったことはなく、手紙も面会も一切やり取りしていないあたりから察するものがあったのだろう。
心配して下さるのは素直にありがたい。でも、私が少し焦っているのには理由があった。
最近、セラ様の周囲がきな臭いのだ。
庭で魔法の訓練をしている際、どこかから嫌な感じの視線を感じたり。非常時用に備えている薬品類が突然追加されたと思ったら、毒性の高いものが混ざっていたり。セラ様にはなるべく気付かれないよう処理しているつもりだけれど、運ばれる食材もよく確認してから私が先に毒見するようにしている。そんなことをしなければならないほどに、胸の奥からざわざわと嫌な感じが湧いて出てくるのだ。
セラ様にかつてかけられた呪いは、セラ様自身が魔力の制御を身に着けることで抑え込んでいる。体表面に浮き出た禍々しい痣はそのままだけれど、突然の発作で暴れ出したりするようなことはもうなくなった。周囲にいる人達への影響がどうなったかは検証していないから分からないが、きっと昔よりずっと薄くなっているのではないかと思う。幼かったあの頃とは違うのだ。
もし、その呪いをかけた犯人にもこの状況が伝わっているとしたら……。別の方法を使ってでも、なんとかしてセラ様に攻撃を加えたいと思っているのではないだろうか。
だからそんなことが起きる前に、セラ様には自分を守る力を付けて貰いたいのだ。誰が敵で誰が味方なのか、私には分からないから。
「ミリアは必ずセラ様のもとに戻って来るとお約束します」
「……絶対に?」
「ええ、これまでミリアが嘘をついたことがありましたか?」
「…………ない、かも」
「ふふふ、そうでしょう。ですからね、セラ様。セラ様はミリアが帰った時、笑顔でお帰りなさいと迎えてくれたら嬉しいです」
「うん……わかったよ」
セラ様は少しだけ唇を尖らせて、それでもしっかりと私の目を見てこくんと頷いてくれた。
出来る限り万全の準備を整え、私は勤めて以来十年近く帰っていなかった実家へと向かったのだった。