人生は続くようですが
アースノー伯爵家は爵位を返上した。フィリップとオレリーが問題を起こしたこともあるし、何より当主が失踪したからだ。元々領主としての仕事もせずあちこち放浪していたとはいえ、子供たちが王家主催の夜会でやらかしたのに連絡がつかないなどお話にならない。
義母はあの日以降は抜け殻のようになり、ちょっとした季節の風邪をこじらせて寝付いていたところをオレリーに刺されてそのまま亡くなった。オレリーも過去の事件の被疑者として取り調べを受けている途中であったけれど、母を見舞いたいということで一時的に帰宅していた際の強行だという。
姉弟は揃って犯罪者用の鉱山送りとなった。
その数か月後、行方不明となっていた父の遺書が遠い海辺の領地で発見された。同時期に、父が支援していたらしい若い芸術家の卵であった女性の遺体が海から上がっているが、父の死と関係していたかどうかは分かっていない。
最後に滞在していたとみられる小さな家からは、一枚の絵が見付かった。他に引き取り手もいなかったため、私の元へと届けられたそれには繊細なタッチでひとりの少女の絵が描かれていた。
穏やかな海と、白い浜辺。そこに佇む少女は鮮やかな赤い髪を風になびかせ、こちらを向いて朗らかに笑っている。楽し気に細められたその瞳の色は澄んだ緑色をしており、差し伸べられた手はまるでこちらにおいでと誘うようだった。
私の記憶より随分若く、そして生命力溢れる明るい表情をしているけれど。それは、間違いなく私の母の姿だった。
無責任で、怠惰で、厄介ごとしか連れてこないようなろくでもない父親だった。でももしかしたらそんな父も、母のことは彼なりに愛していたのかもしれない。
家は無くなり、父と母が同じ墓に入ることはもうできない。それがあの父への罰になるのならば、甘んじて受けてもらおう。最後まで自分勝手に生きた父の行動によって、多くの人の人生が狂わされたのだから。
◇
その後も私はセラ様と共に魔法師団で働き続けている。公爵夫人となった後は流石に許されないのではと思っていたのに、他でもないセラ様が望んだのだから誰が反対できようか。世間からの意見も予想外に悪いものでないのは、セラ様が私への寵愛を隠そうとしないせいだろう。自分で寵愛などと言うのは未だに恥ずかしいのだけれど、そうとしか表現できないのだから半分くらいは既に諦めている。
「ミリア、もう行ってしまうの? もう少しくらいここにいてくれてもいいんじゃないかな?」
「──セラ様、書類を届けてくるだけですから。ほんの数分ですよ」
「うん、でも寂しいから。離れる分たくさん補給しておかないと」
セラ様の膝の上に乗せられたまま、腰のあたりをぎゅうっと抱きしめられる。周囲にいる魔法師団員たちからの視線が気になるけれど、彼らももう慣れているので何も言われないのがかえって恥ずかしい。
「今日はこのあとお義父さまがいらっしゃる約束ですから。それまでにある程度片付けないと。ね?」
「爺はなんでわざわざこっちまで来るんだろう? まあ休日に呼びつけられるよりマシかもしれないけどさ……」
むくれた顔をするセラ様の頬に素早くキスをする。誰にも見られていないと信じたいけれど、まあ見られていたとしてもいつものことだ。これをしないと離してもらえないのだから、もはや作業である。途端にご機嫌を直したセラ様を見て、「女神様の祝福はさすがだな」などと囁き合う声は決して聞こえない。絶対に聞こえないのだ。
「いらっしゃいませ、すぐにご案内しますね」
「おお可愛い我が娘や。相変わらず坊主に張り付かれて大変そうだの。鬱陶しくなった時はわしが助けてやるから、すぐに相談するのだよ」
「ふふっ、お義父さまが味方になって下さるなら心強いですね」
「……ミリアの味方は僕だけでいいのに」
今日はお義父さまがわざわざ魔法師団まで訪ねていらした。時々クルーズ伯爵家で食事をしたりしているけれど、今日の用向きはお楽しみだと言って教えて貰えなかったのだ。
応接室に入ったのは私とセラ様、そしてお義父さまの三人だけ。身内ということもあり、扉を閉めれば幾分砕けた雰囲気だ。
「──それで? とうとう出来たのか?」
「うむ。あとは坊主が魔力を込めれば良いじゃろ」
どうやらセラ様は内容を知っていたようである。私だけ仲間外れだったのかと少し寂しいような、セラ様とお義父さまが仲良くしているのが嬉しいような不思議な気持ちだ。
お義父さまが取り出したのは、エメラルドのような緑の石をあしらったブローチだった。派手すぎることはなく、普段使い出来そうなシンプルさが好ましい。
「……素敵ですね」
「おお、そうじゃろうそうじゃろう。娘の為に頑張って作ったのだからな、その美しい瞳の色に合うよう吟味して石を選んだ甲斐があったわい」
「爺、中身の方が大事だろうが」
「ほっほ、相変わらず器の小さい男だの。中身も問題ないぞ、といっても術式に関してはわしが手出しする必要もないほど既に完成されていたのだがな」
話が分からず首をかしげる私に、お義父さまが説明してくれた。
このブローチは、なんと私の身を守るための結界の魔道具なのだという。装着者に危険が迫ると透明の壁のようなものを展開して防御してくれるのだそうだ。
「実はこれを考えたのはな、ミリアの弟君なのだよ。以前我が家に彼の蔵書を寄進してくれたろう? その中に設計書のようなものが残っていてな。それが、自らの姉を守るための術式だったのだ」
「……ユリスが……」
「なかなか希少な材料も使うもんで、流石に自分では集められんかったのじゃろ。それでも緻密な計算に基づいて、文句のつけようもない美しい術式に仕上がっておったよ。わしはそれを見て必要なものを集め、くみ上げただけじゃ」
ユリスが賢く優秀なことは分かっていたつもりだし、好きな書物を自由に買い集められる程度の収入を得ていることも知っていた。けれどまさか、そんなことまで出来るようになっていたなんて。
僕の代わりに世界を見てきてと言って笑った、私の弟。長い時間を越えて今、彼の願いがここに叶おうとしている。
「必要な魔力はそのな坊主に込めて貰えばよい。あとは肌身離さず身に着けておくのだぞ」
「──はい、お義父さま。本当に……ありがとうざいます。セラ様も、どうぞよろしくお願いいたします」
「ミリアが安全に過ごせるのなら、お安い御用だよ」
セラ様が一度軽く握って魔力を込めたブローチは、一層深みを増して美しく輝いて見える。その暖かな緑色は、懐かしい弟の笑顔を思い起こさせた。
「ただいま、ミリア! 会いたかったよ……!」
「セラ様、お帰りなさい……! お怪我はございませんか?」
「ううん、ミリアに会えなくて胸が痛かったかな。キスしてくれたら治ると思う」
「……もう!」
今日は魔獣被害のあった地方へ討伐の任務に来ている。これまでは私の身の安全を守るため討伐任務の際は基本的に王都で留守番をしていたのだけれど、ユリスの魔道具のおかげで私にも随行の許可が出たのだ。といっても足手まといには違いないので、最寄りの町や近くに作った拠点で待機するような形になるのだけれど。
それでも真っ先にセラ様を始めとした師団員たちの状態を確認することが出来るのはありがたいことだと思う。皆の無事を祈りながら安全な王都で待つのも、案外辛いものなのだ。
セラ様の抱擁を受け、その頬にそっとキスをする。顔と顔を見合わせて互いの安全を確かめられるこの瞬間が幸せだ。
拠点で用意しておいた簡易的な浴場と、怪我をした者向けには救護所を案内する。それからたっぷり栄養を取って貰うために作った具材たっぷりのスープもそろそろ出来上がる頃合いだろう。
「セラ様、今日はセラ様のお好きな──……っ、危ない!!」
天幕の影から飛び出してきた刺客は、真っすぐにセラ様へ向けて短剣を振りかざした。慌てて駆け寄り飛びついた私をヒョイと抱き上げ、さっと指を振ったセラ様の視線の先では先ほどの刺客が氷漬けになって転がっている。
「……良かった……」
「もう、僕は小さい子供じゃないんだよ? ミリアはいい加減大人しく守られていてって、何度も言ってるのに」
「分かってはいるのですけれど、つい身体が勝手に……」
セラ様は相変わらず、様々な方面から命を狙われている。最近はセラ様の国民人気に焦った王太子殿下の派閥が暴走しているようだ。
「もう継承権だって放棄したし、そんな面倒な事頼まれたってやりたくないって言ってるのにね……」
「それほどまでにセラ様が認められているということなのでしょうけれど……」
はぁ、と二人揃って息を吐く。もうあの頃のようにあっさりとやられるほどセラ様は弱くないけれど、こう何度も続いてはため息くらい漏れても仕方がないだろう。
「兄上も人遣いが荒いからね、今のうちに膿を出してやろうって僕にこんなのばっかり押し付けてくるんだから」
「陛下は全てご存じなのですものね……」
そもそも陛下とセラ様は相変わらず良好な関係を築いているし、甥っ子である王太子殿下やその下のご兄弟たちとも対立など一切ないのだ。暴走しているのはあくまで関係のない貴族ばかりで、そういう家門ほど陛下に言わせるといらないのだそうだ。
「まあ、粗方片付いた後にはたっぷりご褒美でも貰おうか。例えば──そうだ、旧アースノーの領地なんてどうかな? ベイリューとは隣り合ってるし、大した手間にもならないよ」
「えっ……でも、それは、そんな」
アースノーの領地は今王領となっている。このままでいけばそのうちセラ様の甥っ子である王子殿下が継がれるか、適当な貴族に下賜されることもあるかもしれない。
「あそこにはミリアの母上と弟君が眠っているでしょう。ミリアが今幸せに暮らしている姿を見せて差し上げたらいいよ」
「セラ様……大好きです」
他の貴族の領地になれば、そう簡単に墓参りをすることも出来なくなってしまう。今でも心の中に母と弟はいるけれど、時々でも花を供えに行けたら嬉しいと思う。
それから、私の愛する旦那様を紹介したい、とも。
──お母様、ユリス、私には新しい家族が出来ました。とっても頼れる、素敵な旦那様なのよ。
だからどうか安心してね、いつかそちらで会える日には沢山の思い出話を持っていけるよう、ゆっくり、広い世界を見てくるから……。
その後セラ様の領地に編入された旧アースノーの地に、私たちは別荘を建てた。それはあの寂れた離宮にほんの少しだけ雰囲気が似ている、小さく可愛らしい家だ。
家族の墓前に花を供えた帰り道、セラ様と二人手を繋いでゆっくりと歩く。
「今日はスープを作りましょうか? もちろん鶏肉も入れて」
「いいね、僕はミリアのスープが一番好きなんだ」
緑の丘を優しい風が吹き抜けていく。
こんな日常の一瞬一瞬が、とても幸せだ。




