真実が明らかになったのですが
「……うっ」
視界の端、足元でくずおれていたフィリップが身じろぎをした。セラ様が魔法を使ったのだと思うけれど、一時的に意識を奪っただけだったらしい。それでも未だ焦点が定まらずにふらついているあたり、もう先ほどまでのようには動けなさそうだ。
「お、まえは……呪われ王子…………それは……わたしの……っ」
「──フィリップ! セラ様をそんな風に呼ぶのはやめて!」
「ミリア、僕は大丈夫だよ。それよりもミリアに怪我を負わせたことの方がよほど許しがたいけれどね。まあ、全ての罪を含めてしっかり法の下で償って貰うことになるけれど」
床に這いつくばったままの体勢でこちらににじり寄ろうとするフィリップに、セラ様が冷たい視線を向けた。がたがたと震え出した様子を見ると、実際冷気も出ているのかもしれない。
「……罪、なんて……」
「婦女暴行の現行犯。そして、お前にはユリス・アースノー氏の事件に関しても捕縛命令が出ている」
「──え?」
確かに、ユリスがうっかり池に落ちただなんて信じられなかった。頭が良くて何事にも慎重な弟だったのだから猶更に。
私は、ユリスに事実無根の誹謗中傷を浴びせて故意に傷付けようとしたオレリーを目撃している。あの日すれ違った彼女がもしやと考えたことは正直あった。けれど当時事故を調べに来た魔法師や調査官たちも、ユリスが病気で先が長くなかったと知ると詳しく調べることもなくあっさり事故として処理して去ってしまったのだ。当時はまだ家にお金もあったし、義母が心付けを弾んだのかもしれないけれど。
それが、まさか。
「貴方が……ユリスを、殺したというの……?」
フィリップの表情が不自然に固まる。その様子を見ただけで、分かってしまった。
「……ユリス……」
確かにユリスは重度の魔力過多症を患っており、大人になるまでは生きられないだろうという話だった。けれども勉強するのが好きで、本を読むのが好きで、自分の知らない知識を得ては楽しそうに話して聞かせてくれたユリスは自分の生命を力いっぱい楽しんでいたのだ。それを、誰か他人に取り上げられる理由なんてひとつもなかったはずだ。
まだたったの十歳だった。家の庭以外の場所に行くことも出来ず、たまにしか会えない母と、姉である私としか触れ合う機会もないままで。
家に居つかない父が連れてきた、血の繋がらない新たな母は私たちを無いものとして扱った。食事を取り上げたりは流石にされなかったけれども、明らかに品質を下げられた侘しさや口惜しさは未だに覚えている。腹違いの妹は家の財産を食いつぶす勢いで浪費を重ね、言葉の刃でユリスを傷付けた。そしてこのフィリップが、実際にあの日のユリスを害したのだ。
「いや、俺は……オレリーが、あいつが押したのを見ただけで」
「ああ、確かに背中を押したのはあの女だったようだな。けれどその後ろに隠れて、あの女ごと風で押したお前の姿もしっかり記録に残っていた」
「……記録? そんな、そんなものはどこにも」
「当時の調査員たちはどうやら手抜きをしたらしく証拠不十分で終了させていたようだが、先日改めて調べさせてもらったところしっかり出てきたぞ?」
そう言ったセラ様が取り出したのは、どこか懐かしい気配を放つ一冊の本であった。表紙に薬草の絵が描かれた立派な装丁のそれは、ユリスの部屋の本棚から消えていたものだろう。緑の葉の部分に綺麗な宝石が使われており、私たち姉弟の瞳の色のようだと言い合いながら並んで開いたことを覚えている。
「そんな本が何だというんだ……!」
「ユリス氏は幼いながらも優れた魔法師だよ。これほどの時間が過ぎてもなおしっかりと魔力が残り、当時の状況が映像として記録されていたのだからな」
「映像? そんな、あの時あいつがそんなことを……」
「魔法師を手にかけた己を恨むんだな」
「……それなら俺だって、俺だって魔法くらい使える……っ!」
「ハッ、気に入らない人間の背を押して怪我をさせるだけの魔法だろう? ユリス氏の繊細な魔法とは比ぶべくもない」
拳を強く握り、歯を食いしばったフィリップが悔しそうに俯いた。私はこれまで、この異母弟が魔法を使えることを知らなかった。家にいる頃から交流の機会などなかったし、正直言って興味も持てなかったから。今の彼が私に執着めいた眼差しを向けてくるのも、理由が分からないし気持ちが悪いとしか思えない。
ただ彼が本当にユリスを害したのだとしたら、その罪はきっちりと償って貰いたいと思う。
「セラ様、その証拠は私も見せていただくことは可能ですか……?」
「それは可能だけれど……でも、ユリス氏の最期の場面が記録されているんだよ」
セラ様が心配そうに私を見ている。確かにユリスが池に沈んでいくあの姿をもう一度見るのは、胸が張り裂けそうなほどに辛い。
でも、私は確かめなければいけないと思うのだ。終わりにするために、そして次に進むために。
「大丈夫です。──セラ様と一緒ならば」
「……分かったよ。じゃあ、一緒に見よう。これが君の弟が遺してくれた、真実の記録だ」
セラ様が本の表紙を撫でると、緑色の宝石部分がほんのりと光り輝いた。
私たちの眼前、空中にうっすらとした情景が浮かぶ。アースノー伯爵家の庭園、ユリスの体調が良い日によく二人で散歩をした場所だ。
『──姉貴はホント、可哀そうだよね。母さんったらあの男のことしか見えてないし、産んだ子供のことなんて眼中にないって感じでさ。幸い僕はあの男に似てるから、少しは可愛がってくれてるけどね。姉貴は母さんにそっくりだもん、そりゃ愛されないよ。ミリア姉さんはやっぱり母親に大事にされたから、あんなに弟のことを愛せるのかな? 凄いよね、毎日あんなに心を込めて面倒を見ててさ。……あいつが死んだら、その分の愛情が余るのかな……? 余った分はもしかして、姉貴に回してくれるかもしれないね。なんてったって姉貴だけが誰にも愛されてなくて、可哀そうだしさ』
当時十二歳だったフィリップの口から紡がれるのは、毒のある花のような言葉の数々だ。眉を下げ、可哀そうだねと憐れんで。実際のところはオレリーの心の柔らかい場所を握り潰し傷付けようとする、醜悪な罠だ。
『次は、私が愛される……?』
『だってそうだろう、あいつがいなくなれば、ミリア姉さんの家族は僕たちしかいなくなるんだから。きっと、愛してくれるんじゃないか』
『邪魔なのは、ユリス……』
ふらりと歩き出したオレリーが向かう先には、池のほとりで薬草を観察しているらしいユリスがいる。あと数歩で手が届くという距離まで近付いたところで、ユリスはゆっくりと立ち上がりオレリーの方を見た。彼の手は、本の表紙に緩く触れている。
『……何か用ですか?』
気付かれたことで多少動揺したのだろう、オレリーはおろおろと手を上げたり下げたりしている様子だ。だが再び彼女がその手を上げた瞬間に、オレリーの身体ごと強く押し出すような冷たく強い風が吹き抜けた。
ユリスの深緑の瞳が一瞬だけ背後を見遣る。きっとユリスは、オレリーのやろうとしたことも後ろにいるフィリップについても、全てを分かっていたのではないか。あれほど魔法の腕も立つ弟だ。やろうと思えば避けることも出来たのではと思える。
けれどユリスは何の抵抗をすることもなく、小さな薄い身体をふわりと傾かせてそのまま池へと落ちて行った。ユリスが元居た場所には、一冊の本だけが残されている。顔を青くしたオレリーは慌ててそれを拾い上げると、わき目も降らずに逃げ出していった。
空中に浮かび上がっていたあの日の光景がふわりと霧散し、静かに消える。
セラ様が私の頬をそっと撫でた。冷たいその感触に、自分が泣いていたのだと初めて気が付く。これは悲しみだろうか、それとも悔しさだろうか。でも一番近いのは、懐かしさなのかもしれない。姿絵の中のユリスはいつだって優しく微笑み、こちらを見つめているけれど。ユリスが亡くなって以降初めて目にした彼の動く姿は胸を締め付け、まだ少年らしい高めの声は当時の記憶を無数に思い起こさせた。
「先日アースノー伯爵家の屋敷内にてこの本は発見された。この記録術式は国の裁判においても十分証拠として認められているものだから、これをもってユリス氏殺害の実行犯をオレリー・アースノー、そして殺人教唆の罪でフィリップ・アースノーを捕縛することとする。今後の調べの結果によっては、実行犯もお前に代わる可能性はあるがな」
「くそ……あいつ、本は処分したと言っていたくせに……! どこまでも役に立たない女め……!」
「──たとえこの本が処分されていたとしても、お前はいずれ捕まっていただろうな。アースノー伯爵家を辞めて行った使用人の中には、同様の手口で怪我をさせられた者も少なくないのだから。使用人は人間ではないとでも思っていたのか? 元は自分も同じ平民だったというのに……ただ気に入らないからという理由で傷付けられた者が今どうやって暮らしているかなど、お前は想像したこともないのだろうな」
どうやら私が養子先であるクルーズ伯爵家へ初めての顔合わせに訪れた日、突然入った任務というのがこの事件の再調査であったらしい。
王弟であるセラ様の伴侶となる者の生家であるし、当時担当した魔法師や調査官たちが賄賂を受け取り正確な捜査をしなかった可能性もある。
今回のことをきっかけにして事件の真相が明らかになり、結果的には良かったのだろう。この男に傷付けられる人はもう出ないということなのだから。
床にへたり込むフィリップが私を見上げ、呟く。
「──姉さん……た、たすけ……」
「私の弟はユリスだけよ。貴方の姉はオレリーでしょう? ──彼女が貴方を助けるとは思えないけれどね」
そして今の私の家族は、クルーズ伯爵家の面々とセラ様だ。
がくりと項垂れたフィリップは、応援に来た騎士たちによって移送されていった。
少しだけ力の抜けた身体をセラ様がしっかりと支えてくれる。触れ合う体温が心強い。
「ミリア、ここに触れて、少しだけ魔力を流してみて」
差し出された本の表紙で緑の宝石がキラリと瞬く。先ほどセラ様がしていたようにそっとそこに手を置くと、光の粒子が空中に集まって文字をかたどった。
『姉上は自由に生きて、僕の分まで世界を見てきて』
それは間違いなく、ユリスから私へのメッセージであった。はっとして手を放せば、光の文字はふわりと姿を消す。
「……ユリスは、私の為に……っ」
「……彼は優れた魔法師だ。己の内の魔力が身体を蝕んでいる状況も、残された時間のことも全て分かっていたんだろう。大切な姉には誰より幸せになって欲しかったのだと、僕は思うよ」
私があの家を出て自由になる為に、ユリスは運命を受け入れたのだ。
可愛いユリス、大事な弟。
私は彼を思って、少しだけ泣いた。
◇
その後、改めて化粧を直してから私たちは会場へと戻った。色々なことがあったし、もう帰ってもいいのだとセラ様は言ってくれたけれど。
私たちの婚約を発表した今日という日をいい思い出にしたかったし、何よりやりたいことがあったのだ。
「──セラ様とこうして夜会で踊れる日がくるなんて、思ってもみませんでした」
「僕はずっとミリアと三回連続で踊りたいって思ってたよ」
夜会において一度のダンスは社交のうち。二度目は婚約者と、そして三回連続で踊れるのは夫婦だけという不文律がある。だから今の私たちはまだ、二回連続までしか踊ることはできないけれど。
「……嬉しいです」
セラ様と踏むステップはただただ楽しい。
いつの間にか周囲の貴族たちからの視線のことなどすっかり忘れ、私の視界はサラサラと流れる金の髪にブラックダイヤモンドのような黒い瞳でいっぱいだ。
「そういえば僕って昔から、嫌いなものを先に食べる癖があったでしょう」
「確かに、そうでしたね?」
プレートに添えた数粒の苺を楽しみに、苦い野菜も頑張って食べるセラ様の姿は健気でとても可愛らしかった。
「もう全部、嫌いなものは片付けたから。──後はデザートの時間だね」
突如寄越された妖艶さの滲む怪しげな雰囲気に、うっかりステップが乱れた。そんな私を軽々と抱き上げ、くるりくるりと回るセラ様は口端をにやりと上げる。
ふわ、と床に降ろされたと思ったら、そのまま腰を僅かに屈めたセラ様の唇とわたしのそれが重なって。
「──甘いね?」
私の頬は、きっと苺よりも赤く染まっていたような気がする。




