今日は夜会なのですが
ベイリュー公爵家のタウンハウスにて、熟練の技を持つ侍女たちが忙しなく働いている。
今日は王家主催の夜会だ。湯浴みからマッサージ、化粧に髪結い、着付け。私は成人と同時に家を出たので、貴族令嬢と言ってもこのような夜会に出た経験がない。侍女として勤める中で使用人側での参加経験は多少あるけれど、それはまた別の話だろう。
「ああ、ミリア様! とっても美しいですわ!」
「本当に……! この華やかな赤髪が素晴らしいですわ!」
「私たちが必死で磨いてきた手腕がようやく日の目を見られて、本当に感謝しています!」
「ようやくお嬢様のお世話ができて感激ですわ!」
ベイリュー公爵家は現在セラ様が当主であり、当然未婚の為女主人が不在だ。前当主夫人も早くに亡くなっているそうで、女性のお世話をする機会がほぼなかったらしい。それでもいつか訪れるであろうその人の為にと、彼女たちは己の技術を磨き続けてきたのだという。私もあの離宮にいた頃は必至で技術を磨き務めてきたけれど、どちらかというと家事とか掃除とか生活に関わる分野に重点が置かれていた。状況が違うから比べられるものでもないが、己の仕事に誇りを持つ彼女たちには尊敬の念を覚える。
そんな技を私に惜しみなく披露し、美しく整えてくれたのが今の姿というわけだ。
「皆さま、本当にありがとうございます」
「当然のことですわ! ミリア様はようやく現れたベイリュー公爵家の女主人となる方なのですから!」
クルーズ伯爵家でも手伝いを申し出てくれたのだけれど、セラ様がどうしてもと仰るので今回は公爵家でお世話になることになったのだ。訪れてみれば、あれよあれよという間にこの状況。どうやら女性のお世話をすることに飢えていたらしい。
僕もほとんど公爵邸に帰らないから、不満を溜めていたみたいだねとセラ様も苦笑を浮かべていた。
セラ様が用意して下さったドレスは、白地に金の刺繍が施されたものだ。基本的に白いドレスはデビュタントが着るものだけれど、実質今日は私のデビュタントのようなものだし問題はないという。ただ年齢が年齢なので、刺繍や飾りで子供っぽくならないよう上手く調整されている。あまりスカートを膨らませずに落ちるラインは上品かつ清楚な雰囲気で、どこかで見たような……と考えていれば。
「ああ、いいね。僕の女神様は今日も特別綺麗だ」
私と揃いの金の刺繍を施した正装を身に纏い、前髪を上げて形のいい額を露わにしたセラ様が部屋に入って来ていた。流れるような仕草で私の手を取り、その指先に軽く口付ける。いつにもましてキラキラと輝く美貌に、甘い微笑みは蕩けそうなほどだ。
周囲に控えていた侍女たちも若干驚いている。きっとセラ様のこんな様子は初めて見たのだろう。
「セラ様、素敵なドレスをありがとうございます」
「うん、君にドレスを贈るのは一生僕だけでありたいからね」
首筋に垂らした後れ毛をそっとすくいあげ、ちゅっと音を立てキスをする姿はまるで物語の中の王子様のよう。
そこまで考えて、はっと思い出す。そう、この衣装はもしかして──。
「女神様の……!」
「ふふっ、気付いた? よく出来ているでしょう」
あの絵本の中で王子様の横に並び立つ女神様は、こんな風に白く美しいドレスを身に纏っていた。嬉しさと気恥ずかしさに、頬が熱くなるのを感じた。
「あとは、これだね」
私の後ろに回ったセラ様が、そっと首元に手を回す。冷たい感触に下を見れば、そこには美しいブラックダイヤモンドのネックレスが下がっていた。
「綺麗……」
シンプルなチェーンのトップに輝く大粒のダイヤは、まるでセラ様の瞳のようだ。
喜びに零れた涙は、彼の長い指が掬い取っていった。
「ミリア、貴女を心から愛しています。どうか僕と結婚していただけますか?」
「……はい、喜んで」
私たちの結婚は陛下の後押しもあり、至極順調に手続きが進められている。嬉しさと同時に、なんだか自分のこととは思えずにいる部分もあった。
そっと顎を持ち上げられ、黒い瞳と目が合って。光を受けて輝くそれは、いつも私を優しく受け止めてくれる夜の色だ。
ゆっくりと瞼を閉じて、柔らかく触れ合う唇を感じる。
なんだか、誓いの儀式のようにも思えた。
やたらと楽しそうに化粧を直す侍女たちに見送られ、いよいよ会場の扉の前に立つ。ドキドキと鳴る心臓が痛むけれど、横に立つ彼を見れば手の震えは自然と収まっていった。
「セラファン・プレジ・オーヴレイ・ベイリュー公爵! ミリア・クルーズ伯爵令嬢のご入場!」
案内係の声に、既に会場入りしていた貴族たちが一斉にこちらへ視線を寄越す。
私はもう、俯かない。セラ様の横で胸を張り歩くのだ。この方を幸せにするためならば何でもすると決めた。共に生きるためならば私は、女神様にでもなろうと思う。
「クルーズ伯爵令嬢……?」
「あれは一体……」
「殿下が女性をお連れになるとは」
「噂の侍女でしょう」
私にとってはセラ様こそが神のようなものだ。だから、微笑む。私たち、お似合いでしょう? と。
皆がどこか訝しげにこちらを窺い、あれやこれやと聞こえよがしに物を言う。未だ独身でこれまで婚約者もなく、公爵家当主であり王位継承権も持つ美貌のセラ様の横に立つ者は、ただそれだけで衆目を集める存在だ。きっと伴侶の座を狙う令嬢は数多くいるのだろう、それは今でも変わっていないはずだ。現に、着飾った令嬢たちがじりじりと距離を詰めてきている。
「ごきげんよう、セラファン殿下。お忙しい殿下が初めから夜会に参加されるなんて珍しいですわね。お会いできて光栄ですわ」
「本当に! いつもは魔法師団のお役目が忙しいとかで、ちらりとしかお顔を拝見できないのですもの。寂しいですわ」
「ええ、ええ、私たちもっと殿下と親しくさせていただきたいと思ってましたのよ。これからはもっと社交の場にも出てこられるということでよろしいのかしら」
きっと私よりは年下だろう彼女たちは、結婚適齢期なのだと思う。確かに美しい容姿をしているし、贅を凝らした衣装はなかなかの資金力も感じる。十七年間の空白がある私にとって、彼女たちは見たこともない存在だ。どこの家門の令嬢かは分からないけれど、セラ様にしきりと話しかける一方でこちらを一切見ない態度からその思惑は丸わかりであった。
──大変、悪手だと思うけれど……。突如現れたセラ様に侍る女が気に入らないのは分かる。でも、だからといってこんな礼儀を欠いた行いをして評判を下げるのは彼女たちの方だ。事実、私をエスコートしているセラ様からは隠しようもない冷気が流れ出てきていた。
「──下がれ」
「……えっ?」
「聞こえなかったのか。下がれと言ったんだ」
背後から慌てて駆け付けるのはきっと、彼女たちの保護者だろう。
「いえっ、でも、私たちはご忠告申し上げたくて……!」
「……ほう、言ってみろ」
セラ様が発する魔力の圧に負け、顔を青ざめさせている令嬢はそれでも歯を食いしばり一歩前へ進み出た。
「やめなさい、ローズ!」
父親らしき男性が伸ばした手はしかし、彼女に届くことはなかった。
「殿下ほど素晴らしい方のパートナーとして、そちらの女性は相応しくありませんわ……! クルーズ伯爵令嬢と仰いましたか。けれどクルーズ伯爵家はご子息しかおられなかったはず。つまりはどこぞから養子になったばかりなのでございましょう。元は侍女だとか下働きだとかであったとも噂に聞きました。そのような下賤な者が高貴なお血筋を持つ殿下の伴侶になど、力不足にもほどがあります! そんな者よりも私の方がずっと──……!」
「はっ、くだらない。もういい、黙れ」
「──でもっ!」
「黙れ、と言っている」
すうっと細められた黒の瞳が令嬢を射る。その圧倒的ともいえる迫力に押され、令嬢はぐらりと後ろへよろめいた。その彼女の背中を、ようやく駆け付けた父親が支えた。
「殿下っ、た、大変申し訳ございません、娘が失礼を……!」
「ああ、ベセット侯爵であったか。侯爵が兄上の下でよく仕えてくれていることは知っている。が……どうやら娘の教育には失敗したようだな」
「は……仰る通りでございます……」
「なっ、お父様……! だって、だってお母様もお友達も殿下に相応しいのは私だと……!」
現在、結婚適齢期で婚約者のいない令嬢のうち最も爵位が高い家に生まれたのがこのローズ・ベセット侯爵令嬢だったのだろう。けれど本当に彼女が選ばれるとしたら、もうとっくの昔に婚約が結ばれていたはずだ。
父親はそれなりに娘を諫めてきたのかもしれないが、夢をあきらめきれなかったのか。このような場で問題を起こしてしまった時点でそんな夢も、幻となって消えてしまったのだけれど。
「……クルーズ伯爵令嬢は殿下が長年待ち続けた唯一の女性だ。お前の入る隙間など、最初からこれっぽっちもないのだよ」
「そんな……」
父親の言葉を聞いて膝から崩れ落ちた侯爵令嬢は、取り巻きの令嬢たちと共に会場の外へ連れ出されていく。侯爵も謝罪の意を告げると、肩を落としながら下がっていった。
一見平静を取り戻した会場内に、私を批判するような視線はもうなくなっていた。




