陛下に突然呼ばれたのですが
「陛下から呼び出し……ですか!?」
「うん、ごめんね。何度か頼まれていて、僕のところで断ってたんだけど……そろそろ強行突破してきそうなんだ」
「えっ、……え? と、お手数をおかけしていたようで……?」
そもそも国王陛下からの呼び出しを断ることなど許されるのだろうか。もしできる人がいるとしたら、やっぱりそれはセラ様だけだろうと思う。
「いきなりここに乗り込んで来られるよりは、あまり目立たないタイミングで僕たちから行くほうがマシだと思って……面倒だけど近いうち、付き合ってくれるかな?」
「ええ、それは、勿論」
私が石化する前、前王であるセラ様のお父上には離宮でお会いしたことがある。人目を忍んでのことだったし、王ではなく父として来たのだと仰った陛下は私の振る舞いも何も咎めたりはなさらなかったけれど。
今上陛下がどのような方なのか、私は全く存じ上げていない。セラ様より六歳年上の同母のお兄様で、当時は離宮で暮らしていたセラ様には毎年誕生日の贈り物を下さっていた。侍従か代理人が手配しているのかと思っていたのだが……。
「ああ、あれね、兄上が自分で選んでくれていたみたいだよ」
苦笑しつつもどこか照れくさそうにセラ様が言った。
セラ様とマルスラン陛下のお母様は早くに亡くなっている。彼女の生家は辺境伯であったため、親族とてそう簡単に領地を離れることは出来ない。そのため、当時は長子であってもマルスラン様の立場は盤石でなかったそうだ。周囲には様々な事を吹き込んでくる貴族たちが取り巻いており、同母の兄弟であるセラ様とマルスラン様を仲違いさせようと企んだ者も少なくなかったようだ。
『殿下の母君が亡くなられたのはセラファン殿下を生んだせいなのですよ』
『弟君は災禍を呼ぶ星の元に生まれたのやも』
『あまり仲良くなさらないほうが』
『前世の行いのせいで今世は呪いに侵されている』
『セラファン殿下の呪いは触れたものに感染る』
まだ十歳やそこらだったマルスラン様が、それらの声を退けて離宮のセラ様に会いに来るのは難しかっただろう。直接会ったのも呪いを受ける前のまだ幼い頃だけで、為人さえよく分からなかったのだ。
それでも、お為ごかしに弟の悪口を囁いていく貴族たちの言葉をそのまま信じることはしなかったのだという。己の父は一国の王であり、そう簡単に会える人ではない。実母は既に亡く、側妃とその息子である異母弟は自分達の宮にこもり切りで交流を持つ様子はない。血の繋がった実弟をここで切り捨てるのはいささか性急に過ぎると、マルスラン様は自分の判断で決められたのだそうだ。
「その頃から聡明でいらしたのですね……」
「うん、兄上は凄い人だよ」
周囲に目を付けられない程度に距離を保ちつつ、それでも毎年の誕生日には弟のことを想い心のこもったプレゼントを贈る。そうやって、陛下はセラ様と繋がる糸を切らずに保ち続けて下さったのだ。
「城に戻ってすぐ会いに来てくれたのも兄上だったしね。僕はほとんど記憶がなかったけど、兄上は幼い頃の僕のことを覚えていてくれたみたいで可愛がってくれたんだ。……本当に兄上がいなければ、今の僕はいないかもしれないな」
陛下のことをぽつぽつと話して聞かせてくれるセラ様の表情はいつもより幾分柔らかく見える。
初めての謁見で緊張していた私も、いつの間にか肩の力が抜けていた。セラ様がこれほど信頼している兄君なのだから、何も憂うことはないだろう。
◇
私たちが案内されたのは公的な謁見室ではなく、ごく普通の執務室であった。侍従の取次で室内に入ると、机上で書類を捲る陛下の姿があった。
セラ様とよく似た色の金髪はひとつに括ってさらりと肩に流されており、一瞬だけこちらを見やった瞳は空のように澄んだ青色だ。
「やあ、よく来たね。ちょっとだけ座って待っていてもらえるかな? きりのいいところまで片付けてしまうから」
想像よりずっとフランクな対応に面食らってしまった。あれこれ悩んだ挨拶の口上はどうやら考えすぎだったらしい。そういえば、セラ様の父君と対面した時も似たような対応をされたなと思い出す。王としてではなく父として来たのだからと優しく笑って下さって──。
傍らのセラ様を見上げると、小さく頷いてくれる。ソファに並んで腰かけると、すぐに陛下の侍従がお茶を出してくれた。普段、魔法師団内で飲んでいる茶葉よりずっと香り高くて、きっと高級な品だと察せられる。もちろん用意してくれた侍従の腕も良いのだろうけれど。軽く頭を下げると、目を細めて微笑み返してくれた。
「待たせてしまったね。さあ、それじゃあ少し話そうか」
お茶を半分頂いたあたりで陛下が向かいの席に腰掛けた。改めてそのお姿を拝見すると、父君に似たセラ様に対して陛下は母君に似たのであろうか。細身ですらりと背が高く、柔和な表情と朗らかな雰囲気がどこか親しみやすい印象を受けた。三十代も半ばだというのに、絵にかいたような美青年である。
「改めて、私はマルスラン・シャリテ・オーヴレイだ。君にはずっと礼を言いたいと思っていたんだよ。私の大事な弟を守り、そして命を救ってくれたことに心から感謝している。本当に、ありがとう」
「い、いえ! あ、私はミリア・アースノーでございます。陛下にそのようなお言葉を賜り、恐悦至極にございます……!」
散々イメージトレーニングをしてきたはずなのに、いざとなったらこんなよれよれの挨拶になってしまって──私の顔は赤くなったり青くなったり大変なことになっているかもしれない。
慌てる私の横で、セラ様が身体を小さく揺らしながらくすくすと笑った。
「ふふっ、ミリア、大丈夫だよ。兄上は怖い人じゃないから」
「セラ様っ、それはもちろんですけれど……!」
一国の王に、軽くとはいえ頭を下げて礼など言われたら慌てずにいられようか。
小さく震える手にセラ様の大きな手が重ねられ、優しくなだめる様に撫でられる。その温かさにほんの少しだけ気持ちが解れる気がした。
と、そんな様子を観察していたらしい陛下からほうっと小さなため息が漏れる。
「──君たちは本当に仲が良いんだねぇ」
「ええ、それはもう。兄上には見せたくないくらいに」
「はははっ、だから何度連れて来いと頼んでもつれない返事だったのかい? 心配しなくても、お前の女神を取り上げたりはしないというのに」
「何事も絶対はありませんからね」
軽快なやり取りを交わす兄弟の間で、私はただひたすらに凪いだ紅茶の水面を見つめやり過ごす。何か恥ずかしいことを言われている気がしたからだ。
ことり、と陛下がカップを置く。
重なったままのセラ様の手が、きゅっと私の手を握った。
「それで、今回わざわざ来てもらったのはね。お礼を言いたかったのもあるんだけれど、もうひとつ伝えておきたいことがあったんだ──君の生家……アースノー伯爵家について」
「……はい」
暖かな手のひらを心強く思う。
「アースノーは元々目立った産業はないけれど、交通の要所として人の出入りが多い領地だ。手堅く治めていれば定期的な収入もあるし、それほど難しい土地ではない。実際これまではそうやってきた──先代まではね」
祖父が亡くなり、父が跡を継いだものの。領主としての能力を持たなかった父は、私の母に執務を任せきりにした。十歳を過ぎた頃には簡単な手伝いをするようになっていたから、私も当時の実情はそれなりに知っている。母とて普通の令嬢として育ったのだから、専門的な領地運営の知識があったわけではない。それでも勤勉でしっかり者だったし、自分しかやれる者がいないのだと必死で学び、眠る時間も惜しんで働いていたのだ。
魔力過多症のユリスを生んだせいだなどと言われていたけれど、実際はこれら長年の過労が続いたことで母の命を削ったのではないかと思う。もちろん産後に十分な休息を取れなかったせいで病がちになった事実も否定は出来ないが。皆が寝静まった夜の執務室で、母が己の肖像画をぼんやり眺めている姿を覗き見たことがある。あれはおそらく父が描いたものだったのだろう。例え能力がなかったとしても、父が側で支えていてくれたら少しは何かが変わったのではないか。私としても悔やむ思いが未だにあるけれど──母はもう、亡くなってしまった。
その後の仕事を引き継いだのは当時の父の愛人──義母のオディールだ。勤勉な母でも苦労したものを、元男爵令嬢の義母がそう簡単にこなせるわけがない。最愛の父に頼まれたことだからと放り出したりはしなかったようだが、それでも領地は徐々に傾いていく。そこに来て、当の父は芸術家への支援だ投資だと勝手に家のお金を使い、妹のオレリーは貴族的なステータスにこだわり衣装や装飾品をやたら欲しがった。ユリスが亡くなり跡継ぎとなった弟のフィリップにはそれなりの教育が必要で、そちらにも当然お金がかかる。
ギリギリのところで起きたのが、天候不順による不作や虫害だ。屋敷の調度品や、それこそ父が買い集めた美術品などを売り払っても返しきれない借金。その頃にオレリーは一度、裕福な商人の元へ嫁いだらしい。おそらく何らかの金銭的なやり取りがあったのだろう。彼女の見た目は美しかったし、貴族の血筋であれば喜んで迎える家もあったと思う。
フィリップも成人し、そこからはまた徐々に盛り返していけるだろうと思われていたのだけれど──。
「おそらくフィリップ氏が伴侶を迎えてから当主を交代する計画だったのだろうね。けれど、行く先不安な領地に来てくれる令嬢がなかなか見つからなかった。そうやってタイミングをはかっているうちに、伯爵が大きな投資に失敗したようなんだ」
当主としての役目を一切果たしていなかった父だけれど、それでも権限だけは持っていた。新進気鋭の画家に賭けるのだと、オレリーの結婚で得た支度金にまで手を付けたらしい。当主でなくなれば今ほど自由でいられなくなるとでも思ったか。あの人が考えることは、今も昔も理解できた試しがない。
「そこにきて、オレリー嬢が不貞を行い離縁ときた。実家に返されたものの、慰謝料を返せるあてもない。オディール夫人は結構頑張っていたけれどね……。正直言って、もう限界だと思うよ」
「そんなことになっていたのですか……」
ユリスの本を取りに帰った時点で、既に調度品などはほとんどなくなっていた。使用人の姿もほとんど見えず、きっとあの頃には崩壊が始まっていたのかもしれない。
見て見ぬふりをした私もきっと、同罪なのだろう。先祖が、母が、必死で守ろうとしたものを捨てたのだから。
「一応聞くけど、君はアースノー伯爵家を継ぐ気はあるかい? 望むなら、なんとかすることは出来るけれど」
にこりと笑いながら陛下が言う。
「いいえ、ございませんわ」
私は迷うことなく、首を横に振った。
「うん、そうだろうね。じゃあ、今後セラファンとの未来を考えてくれるのならば、相応の家との縁組はこちらで整えるから。そのあたりは安心してくれていいよ! まあ、別に後ろ盾なんて無くてもセラファンなら何とか出来るんだろうけれど。ないよりはあった方が嫌な思いをする機会が減るからね」
未来と言われてどきりとしてしまった。この方は何をどこまでご存じなのだろうか。にこにこと楽しそうに笑う表情はとても好意的だけれど、それでもやはり国王陛下なのだ。そして私が共に未来を歩みたいと思う相手もまた、王族だ。
ごくりと唾を飲む。セラ様と生きるとは、こういうことなのだと。それでももう決めたことだし、後悔もない。
「ありがとうございます。セラファン殿下と共にある為に必要なことであれば、いかようにも致します」
「ミリア……」
繋がれた手が強く握られる。隣の彼を見上げれば、眉を下げ少し困ったように笑うその瞳がほんの少し潤んでいた。
「ふふっ、セラファンはいい相手を捕まえたみたいだねぇ。魔法師団に入ってからも良く働いてくれているし、これまでずっと苦労して来たんだもの。これからは沢山幸せになりなさい」
「……はい、兄上」
髪の色以外あまり似たところのない兄弟は、笑ったときの雰囲気がそっくりであった。
美味しいお茶の礼を言い席を立つ。自らも立ち上がり、セラ様の肩を優しく叩いた陛下は紛れもなく兄の顔をしている。
「これからはうちの奥さんとも仲良くしてやってね」
「……ええ、喜んで」
この方の奥さんというと、それはつまり王妃様ということになってしまうのだが……。もうそれはその機会が来てから考えることにする。
「あとね、これは念のために忠告しておくけれど。アースノーももう自分たちの行く末が明るくないと分かっているはずだ。最後のやけくそで君に縋ってこないとも限らないから、くれぐれも身の安全には注意しておいてね」
「そう……ですね。分かりました、お気遣いをありがとうございます」
「ミリアは私が守ります。兄上も万が一の時は公正な対処をお願いいたします」
何も起きないならそれが一番いい。黙っていても、アースノー伯爵家は間もなく没落するであろうから。
強い恨みはないし、ひどい目に遭って欲しいわけでもないけれど──興味がないというのが今の本音だ。母とユリスがいなくなった時点で、私はあの家の家族ではなくなったから。今後も関わり合わずに済むならば、それでいい。
ささやかなそんな願いも結局、叶わなかったのだけれど。




