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19/30

任務が開始されたのですが

 動き出した馬車の中、二人で果物を摘まむ。少し肩の力が抜けたように見えるセラ様を見て、私も小さく息を吐いた。

 残りの道中では特に問題も起きず、順調に街へ到着することが出来た。手配した宿で一晩休息を取り、翌日から早速任務開始となった。

 

 現場の川は想像していたよりも幅が広く、ぐねぐねと蛇行するように伸びている。アポイントメントを取っていた街長は既に到着していたようで、屈強な体躯を持つ作業員の男性たちと親し気に声を交わし合っていた。ここは侯爵家の領地になるが、街としての管理はこの壮年の男性──ラクレア男爵に任されている。事前に軽く調べたところによると、毎年良質な小麦を作っており堅実な運営を行っているようだった。本人もがっちりとした体形で日に焼けており、自分の足で歩き現場を見ているのだなと想像できる。

 挨拶を済ませたセラ様はいつも通りの無表情で本題に入った。


「今回は依頼に基づき、ネルソン大河の氾濫対策を行う。ついては、現場の詳しい状況を聞きたいのだが頼めるだろうか」

「おお、なんと、殿下自らご足労頂けるとは恐悦至極にございます」

「堅苦しいのはよい。なるべく早く作業にかかれるよう努めよう」

「仰せの通りに」


 ラクレア卿の案内で現場の様子を確認していく。事前に用意していた地図との相違点や、河川周辺の建造物の有無。やはり書類で見るだけでは分からない部分も多々あって、実際足を運んで良かったなと思う。


「この川はだいたい十五年に一度ほどの頻度で溢れるんですわ。流れ自体はさほど激しくないですから、人的被害はそうでもないんですけどもね。なんせこの辺りはみんな小麦を作って暮らしてるもんですから。それがやられちまうと、立て直しに随分時間が食われるもんでね」


 初めはセラ様の無表情に若干緊張した様子だった男爵も、それが常なのだと早々に慣れたようだ。普段から平民たちに混ざって仕事をしているのか口調も随分崩れてきているけれど、セラ様は全く気にする様子もない。怜悧な美貌のせいか、それとも「氷の王子」の異名のせいだろうか。畏怖の対象となっているセラ様だけれど、元来大らかで心の広い方なのだ。


「川の側は随分ギリギリまで建物があるのだな。危険ではないのか」

「元はこれほど川が蛇行してなかったんでさ。それが溢れるごとにどんどんくねっていくもんだから、元からあった小屋が近付いちまったような形ですな。もちろん大雨の時にゃ使わないよう言い聞かせてはありますけども、邪魔になるようなら潰す許可はこっちで取ってきますわい」


 障害物さえなければ、川幅を広げて真っすぐな流れに直す計画だったのだけれど。周辺の畑や建造物をなるべく残そうと考えると、難しい箇所がいくつか出てきてしまう。

 氾濫を防ぐための整備が主目的だから、ある程度の妥協は仕方がないのだろう。けれど、腕を組み僅かに逡巡したセラ様はなるべく今ある資源を壊したくないと考えているのだと思う。


「予定通り、障害物のない部分では川幅を広げよう。それから、ここと……ここでは幅を広げず、川底を掘り下げて水量を確保することとする」

「……っ、ご配慮いただき感謝申し上げます」


 危険を伴う自然災害を防止するのが一番重要なこととはいえ、当然今ある建物を進んで取り壊したいわけではない。可能な限りそこに暮らす人々への影響が小さく済むよう考えてセラ様が決めた方針に、ラクレア卿は随分と感銘を受けたようだった。


「ただし、河川の定期的な氾濫が畑の養分に影響を与えている可能性がある。今回の整備によって小麦の生育にどのような変化があるかは主家の研究者とも連携しつつ長期的に観察を行って貰いたい」

「は、かしこまりました。──それにしても、殿下はたいそう博識でらっしゃいますなぁ。今後のことまで考えて貰って、ありがてぇことです」


 深く頭を下げた後、セラ様を尊敬のまなざしで見上げる卿の瞳はなんだか少年のように輝いている。当初の緊張感もどこかへ消え去ったようで、今や信奉する神を崇めるような熱さえ感じるほどだ。皆がセラ様を正しく理解してくれるなら嬉しいことだなと胸が温かくなった。


「……私の専属秘書官が優秀なものでな。事前に色々と調査して資料をまとめてくれたおかげだ」

「ははぁ、なるほど。もしかして──こちらのご令嬢で?」

「ああ、そうだ」


 突然二人が私を振り向き注目を浴びたものだからたじろいでしまった。


「ご挨拶が遅れましたが……魔法師団長付き専属秘書官のミリアと申します」


 軽く膝を折れば、彼も挨拶を返してくれた。


「いやあ、こんな若くてお綺麗な女性を近くで見られるだけで役得だと思っとりましたけども。それが更に聡明でいらっしゃるとは、神様もなかなか贔屓(ひいき)が過ぎるようですなぁ」

「当然だ、ミリアは神にも愛されているからな。私とて愛の量で神に負けるつもりはないが」

「ちょ、セラ様──っ、なんてことを!」


 任務中の仕事相手に何を宣言してくれるのか。何故か神と張り合おうとしているのも理解できないけれど……。


「ははぁ! つまりはこの方が殿下の()()()でしたか! ()()()()は案外冷徹でもなんでもないじゃねぇかと思ってましたけども、なるほど女神様がご一緒なら納得だ。きっとここも整備が終われば、女神に祝福された素晴らしい土地になりましょう!」


 はっはっはとご機嫌で笑う男爵に、何故かセラ様まで機嫌よさそうに頷いている。

 恥ずかしさと居たたまれなさに頬が熱く火照ってしまい、その後の打ち合わせに身が入らなかったのは私のせいではないはずだ。


 ◇


「それではこれよりネルソン大河の整備工事を開始する! 魔法師は全員所定の位置へ!」


 最初の作業地点に拠点を構え、セラ様は全体が見渡せる場所から指揮を執っている。

 これから魔法師たちによって地形が作り変えられるため、私は危険のないよう指示された場所に下がって立っていた。

 今回任務に就いている魔法師たちは、見たところどうやら若手が多いらしい。魔獣討伐等と違って危険は少ないし、遠征の実績を積むにはいい経験になるからかもしれない。各所配置についた彼らは一様に緊張の面持ちで、真剣にセラ様の指示を待っている。

 

「水魔法師は用意! ──開始!」

「《bahu jalam(大いなる水)》」


 呪文の詠唱と共に、大河の水が減っていく。地形を変えている間に問題が起きないよう、一時的に流れを制限しているのだ。大河の水を操作するなど並大抵の魔力では難しく、数名の魔法師が息を合わせて行わなければ余計な氾濫もおこしかねない。集中が必要な難しい作業だった。勿論、氷魔法が得意なセラ様は同系統である水魔法も使えるから、何か問題が起きればすぐさまフォローできるよう注意しているだろう。


「土魔法師用意! ──開始!」

「《bahumrutt(大いなる)ika()》」


 詠唱が響き、ネルソン大河の斜面がずずずと広がっていく。削られた土が新たな堤防に作り替えられ、簡単に崩壊しないよう固めているのだ。

 規制の外から見学していた街の人々から「おおっ」とどよめきが起こった。これほど大規模な魔法は普通の生活で目にするものではない。セラ様の魔法を見慣れている私であっても、この光景には胸が震えるような思いがした。


「放水用意──開始!」

「《jalpra()vahah()》」


 せき止められていた水が少しずつ流されていく。下流に影響を及ぼさないよう、繊細な調整が必要な難しい作業だ。若い魔法師たちの額には汗が浮かび、伸ばした手がふるふると震えている者もいる。セラ様は彼らを満遍なく観察しながら、時折呪文を呟いて何らかの補助を行っているようだった。


「魔法止め!」


 川幅が広げられ、これまでゆるく曲がっていた部分も真っすぐにならされた大河はゆったりと水を運んでいる。新たに作られた堤防ののり面に降りたセラ様は強度等を確認すると、小さくひとつ頷いた。


「第一地点の作業は完了とする!」

「おおお……!」


 ほっとした顔をする魔法師たちを他所に、住民たちは笑顔で拍手喝采を送っていた。周期的にそろそろ街を襲うかもしれなかった洪水を防げたことが嬉しいのだろう。単純に国のエリートである魔法師たちによる技を見られて喜んでいる者もいるかもしれないけれど。かつての私がそうであったように、地方に住む人は案外娯楽に飢えているのだ。王都のように華やかな催しがあるわけでもなし、顔ぶれの変わらぬ毎日の繰り返しは刺激の少ないものだから。


 その後も下流へ向けて移動を繰り返しつつ各地点で同様に作業を行い、整備を進めていく。雨の日は水量が増え危険なので作業を中止し、緩んだ地盤がある程度落ち着くまで様子を見る必要もある。天気と相談しつつの作業は想定より若干遅れるペースとなっていた。


「休息日を一日減らしてペースを上げたほうがよろしいですか?」

「いや、魔法師たちの疲労も気になるところだ。予定通りに進めよう」


 毎日の終わりにはセラ様と打ち合わせをし、行程を確認する。仕事モードのセラ様はいつもに増して精悍な顔つきをしており、つい見惚れてしまいそうになる自分を抑える必要があった。

 とはいえ打ち合わせが終われば途端にへにゃりと柔らかな笑みを浮かべ、疲労回復だなんだと言いながら抱き着いて来るセラ様も可愛くてドキドキしてしまうのだけれど。

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