私も一緒に背負いたいのですが
「次はこちらの書類の確認をお願いいたします。急ぎの決済が必要なようですので」
「うん、分かった。こっちの資料も先に整理しておいてくれたんでしょう? すごく見やすくて助かったよ。ありがとう、ミリア」
「お役に立てたなら嬉しいです」
「やっぱりミリアに来てもらって良かったな」
「そう言っていただけるようこれからも誠心誠意務めますね」
いざ勤務が始まると、セラ様がどれほど忙しく働いておられるのか身をもって実感することとなった。これまでは他の団員たちでは手に負えない討伐任務だとか、国王陛下から直接依頼された仕事に出向いたりだとか、大きな仕事に時折出向くような勤務形態が多かったらしい。そうして合間の空いた時間を使い、私を見舞ってくれていたのだという。
しかしこれからは魔法師団長として、この執務室で事務仕事もこなしていく必要がある。現状国内においても突出した魔法の才能を持つセラ様でなければこなせないような、難しい依頼が減るわけではない。つまりは単純に仕事量が倍増することになるのだ。
私が手伝うことで少しでもその負担が減るならば力になりたい。それに、やはりこうしてやるべきことを考え、こなし、結果を出す過程はやりがいがあって毎日がとても楽しいのだ。
セラ様との今後についてや二人の関係のことなどは特に話し合う機会もなく、何も変わっていない現状だけれど。仕事を始めてからは妙に鬱々と考えすぎて悩む時間も減ったように思う。
ただ真面目に書類仕事をこなす凛々しい横顔も、部下たちに指示を出す的確な差配も、勇ましい姿で訓練を行う姿も、セラ様はいつだって見惚れてしまうほど素敵だという事実だけが日々降り積もっていく。
「うーん、これは僕が行かなきゃいけなさそうだね……放っておくと今季の長雨で川が氾濫してしまうかもしれないな。整備の手間を考えると少し長く掛かるかもしれない……その間ミリアと離れるのは辛すぎる……。ああ、どうせなら海が見える景色の良い地方なら良かったのに。食事が美味しいとか、温泉があるところとかさ。ミリアと一緒に行けたら絶対楽しいのに」
「ふふっ、そんな素敵な行き先があれば是非個人的な旅行で行ってみたいですね」
その手があったか、とでも言いたげな明るい表情でぱっとこちらを見たセラ様はひとつ頷くと、再び手元へ目を落とした。書類をめくる手付きは先ほどよりも心持ち軽やかになっている。何か迂闊なことを言ってしまったような気がするけれど、今は気付かなかったことにしよう。
今回は討伐ではなく河川整備に関する任務だそうだから、非戦闘員である私が随行してもお邪魔になることはなさそうだ。
「では、今回はご一緒してもよろしいですか? 私にお手伝いできることがあればですが……」
「いいの?! いや、でも遠征は危険が……」
「危険な魔獣が出る地域でもありませんし、移動も馬車を使えますから特に問題はないかと思いますが」
「うーん……確かに、ここに置いて行くよりも目の届くところにいてくれた方が安心できるかもしれないけど……」
しばし真剣に悩んだセラ様は結局、私の随行を許可してくれた。
早速現地でのスケジュールを立て、必要な資材の発注や会うべき人との予定を調整する。宿を手配し、そこからの移動手段も確保しなければならない。
確かに準備は忙しいが、まだ慣れぬ職場でひとり待つよりは私もセラ様と一緒にいられた方が心強いというのが本心だ。そんなことを言ったら、十七年もの間私を待ち続けてくれたセラ様には怒られてしまうかもしれないけれど。
◇
「腰は辛くない? 僕ひとりの時はたいてい馬で移動するから、馬車はあまりこだわってなかったんだ……こんなことならもっと良い素材で作って貰えば良かったよ」
「いえ、クッションも十分ですし揺れもかなり少ないのですね。私が知っている頃と比べれば断然乗り心地が良くて驚きました」
今は任務先へと向かう馬車の中だ。私をスマートにエスコートして下さったセラ様は、対面側に腰を掛けている。用意された馬車は相応に立派で、セラ様の長い脚も悠々と伸ばせる仕様だ。
私が実家から城へ向かった時や、荷物を取りに帰った際に乗った馬車はもっと野暮ったく武骨だった記憶がある。とはいえ当時はそれが普通だったし、逆に今の時代の馬車が私にとっては洗練されているように見えるのだけれど。
揺れを軽減する術式や静音の機能も付いているようで、腰への負担だって全然ない。だというのに、事あるごとに私を心配して気遣って下さるセラ様はなかなか過保護だと思う。
現場での動きや必要な打ち合わせを行ったり、確認が必要な資料を読んだりしながら時間を過ごす。持参したベリーのコーディアルを水魔法で割り差し出せば、セラ様は嬉しそうに笑って受け取ってくれた。
「あ、これ僕の好きなやつ……!」
「良かった、好みはお変わりなかったみたいですね」
幼いセラ様が指先を赤く染めながら摘まんだベリーを頬張り、酸っぱさに目を細めた日があった。そのまま食べるには難しかったそれも、砂糖に漬けてコーディアルにすれば爽やかで美味しく飲めたのだ。
私から見ると急に大人の姿になってしまったけれど、やっぱり彼は私の良く知るセラ様で。そのことがなんだか嬉しいし、妙に安心もしてしまった。全てが消えてなくなってしまったわけではないのだと分かったから。
時折休憩を挟みつつ、行程は順調に進んでいた──その時までは。
「──っ、きゃあ!」
「危ない……!」
馬車が急停車し、座っていた私は前方へ投げ出される形で体勢を崩してしまった。対面に掛けていたセラ様が咄嗟に私を引き寄せ、その胸に抱き留め支えてくれる。
窓を開いて静音の術式を止めると、すぐ近くに騎乗した魔法師団員が近付いて来ていた。
「──何があった」
「は、前方に立ち往生している一般の馬車がございます!」
「……う回路はないのか」
「ここからですとかなりの遠回りになってしまうかと」
私を胸に抱いたまま、外の団員とやり取りを交わすセラ様の顔は厳しい。冷たい声音に相手の彼もなんだか緊張しているようだ。
「あの、セラ様、立ち往生している馬車を助けたりはなさらないのですか……?」
余計な事とは思いつつ、つい口を挟んでしまった。簡単に抜かせないのならば、その前方の馬車を避けさせるしかないと思ったからだ。
「うん、どうしようもなければそうするけれどね。立ち往生していると見せかけて、周囲に仲間を潜ませて襲う盗賊なんかもいるんだよ」
「ああ……そうなのですね」
私を見降ろしたセラ様は少し困った顔をして薄く笑った。
もし馬車でなければ、きっと道の脇を駆けて追い越せたのだろうけれど。私が付いてきたせいで面倒をおかけしているのだとしたら、申し訳なく思う。
「──罠の可能性については」
「今のところは……五分五分かと」
私たちは今回、河川整備の任務で遠征に出ている。共に来たのは土魔法や水魔法の手腕が優れた魔法師団員中心で、魔獣討伐任務の際とは違って近接戦が得意な騎士は僅かしか連れて来ていない。一流の魔法師とはいえ、皆が戦う能力を持っているわけではなかった。
難しい顔で数秒考えたセラ様はもう一度私の顔を見て、腕の力を僅かに強めた。ドクドクと力強く鳴る心臓の鼓動が私の耳にまで響いて来る。
「……私が行こう」
「え、殿下がですか!? しかし……危険なのでは」
「私ならば自分の身は自分で十分に守ることが出来る。それが最短で、最適な方法だろう? こんなところで万が一、お前たちに怪我でもさせたら面倒だ。それとも私が行くより確実な方法を、お前たちは持ち合わせているのか?」
奥歯をぎりっと噛みしめた団員はもの言いたげな顔をしたけれど、それ以上は何も言わなかった。セラ様がお強いのは紛れもない事実なのだろうし、確かにそれが最短で結果を出す方法なのかもしれない。
でも……。
馬車から降りようと私を抱える腕を緩めたセラ様の腰に、ぎゅっと抱き着いた。
行かないで、だなんて言えないけれど。
「……どうか、お気をつけて」
「……ありがとう、ミリアは絶対にここから出ないでね」
私の額に軽く口付けを落としたセラ様は、もう振り返ることなく出て行ってしまった。その後ろ姿を名残惜しく見つめつつも、持ち場に戻ろうとする伝令の団員に慌てて窓から声を掛けた。
「あの……!」
「は、なんでしょうか」
「あの方は、貴方達の身を案じているだけなのです。……どうか、分かって差し上げて下さい」
彼は決して団員たちの戦力不足を詰ったりはしない。ただ自分の命によって誰かが傷付くのが嫌なのだ。己の責任を分かっているからこそ──自分が大きな力を持っていると理解しているからこその重みだ。
『強い力は、使い方を間違えると悲劇をも生むものだ。己の矜持と育ててくれたミリアの慈愛、王族としての責任と神の導きに背くようなことは決してしてはいけないよ──』
かつて離宮の隠し通路から現れ、セラ様を眩しそうに見つめた陛下の言葉である。あれは国の王としての意見でもあり、そして父として発したものでもあったと思う。身内から身勝手な恨みで呪いを受け、幼い頃から苦労を強いられてきた末の息子。図らずも身に着けた強い力に振り回されぬようにと、励ましのような祈りのような言葉だったのではないか。
けれどその直後にあの事件が起きてしまった。セラ様の眼前で騎士たちは倒れ、そして私は石にされたのだ。まだ幼かったセラ様が、自分のせいだと思ってしまうのも仕方のないことだろう。
そんなことは決してないというのに。
側妃様から掛けられた呪いそのものは解けたというけれど……いまだセラ様の心の奥に残る後悔や恐怖の記憶だって、呪いの残滓といえるのかもしれない。
時間にして一時間も経っていないだろうか。出て行った時と同様に粛々と戻って来たセラ様は、落ち着かぬ様子でそわそわと待っていた私に気付くと柔らかい笑顔を向けてくれた。
「お待たせ、終わったよ。こっちは問題なかった?」
「ええ、全く。セラ様は……?」
どうやら先行の馬車はただ轍にはまっていただけのようで、魔法を使って脱出を手伝ってきたそうだ。商人だったらしい彼らからは多大なる感謝の言葉と、積み荷の果物をいくつか貰ったと言ってセラ様はどこか嬉しそうだ。
結果として何もなかったから良いけれど、私はセラ様にももっと自分自身を大切にして欲しいと思う。立場上ということももちろんだけれど、そうでなくても私が嫌なのだ。
手の届く全てのものを背負って歩こうとすれば、いずれその重さに潰れてしまう日がくるだろう。戦う力など持たない私だけれど、その重荷を少しでも分担して運べるのならばいくらでもこの背を差し出す覚悟は決めているのだから。