表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/30

絶対に諦めませんが

 食材を傷みにくくするためだろう、保管庫は火を使うキッチンよりも涼しく気温が管理されている。片手でパタパタと頬を仰ぎつつ、使いたかったハーブ類を探す。基本的なスープの材料は用意されていたけれど、普段私が作っていたスープには肉の臭み消しと香りづけの為に数種類のハーブを混ぜていたのだ。


『炊き出しのスープも同じように作ったつもりなんだけど、ミリアのスープとはなんだかちょっと違ったんだよね』


 離宮で時折お手伝いをしてくれていたセラ様も、細かい材料までは流石に覚えていなかったのだろう。今日のスープを飲んで、あの離宮で過ごした日々のことを楽しく思い出してくれたらいいなと思う。


「これと……ああ、こっちも入れてたわね」


 整理された食材の棚から必要な物を選んでいると、背後からキィっと小さな音が聞こえた。一体何かと振り向くと、保管庫の扉がゆっくりと閉じられるところであった。

 ガチャンと鍵を閉める音が室内に響く。扉を後ろ手に、若い女性が立っていた。それは先ほどまで、共に調理を手伝っていたうちのひとりである。

 わいわいと皆が楽しく思い出話を語る中、彼女だけは終始無言だったので少し気になっていた。数度話を振ってみたものの、作業に集中していたのか全て返事はもらえなかったけれど。


「貴女も何かお探しでしたか?」


 尋ねながらも、何か違うと感じていた。胸の奥からざわざわと何かが沸き立つように、不安感が押し寄せてくる。

 

「……のよ」

「──え?」

「……しくないのよ」


 目を伏せたままの彼女は、肩を強張らせ小さく震えている。

 呟かれた小さな声が上手く聞き取れず、彼女に近寄ろうにも何故だか足が強張って最初の一歩が出せなかった。むしろ普通ではないその様子に、後ずさった背中が食品棚にこつんと当たった。


「アンタなんか、セラファン様には相応(ふさわ)しくないのよ……!」


 キッと顔を上げた女性が私を強く睨み付けてくる。大声を上げて私を罵り始めた彼女の目は血走り、先ほどまで背中に隠れていた手には調理用の包丁が握られていた。


「別にたいした美人でもないし、若くもない! どこから出てきたのか知らないけど、アンタみたいなぽっと出の女がセラファン様の隣に立つなんて許せない……! これまでずっと、セラファン様の横に立って手伝いをして役に立ってきたのは私の方なのに!」


 唇を噛み、大きな瞳からぽろぽろと涙を零す彼女は平民らしい質素な服装ながらも確かに美しかった。

 年齢は私と同じか少し上くらいに見えるけれど、その言葉から察するに長年この活動の手伝いをしていたのだろう。身近で見つめ続けた王子様に憧れ以上の気持ちを抱くのも、当然のことかもしれない。


「何が女神よ! ただの普通の人間じゃないっ! それなら私だっていいでしょう? 何年も寝てたっていうなら一生そのまま起きてこないで欲しかった!!」


 手に持った包丁をぎゅっと握り直し、胸の前に構えた彼女が一歩また一歩と近付いて来る。

 私はもう下がることが出来ないし、逃げるにしても扉は彼女の背後にある。冷気を保つために厚く作られているだろうこの部屋の壁は、狂気を孕むこの叫び声さえ外に漏らさないのだろうか。

 あの日、セラ様を守るためならどんな目に遭おうとも恐怖は感じなかった。襲撃者の前に立つことも、攻撃の盾になることも、当然の行動であって躊躇は少しもなかったのに。

 

 セラ様のいないところで命を失うのは、こんなにも恐ろしい。

 今私が死んでしまったら、セラ様はきっと悲しむだろう。もしかすると、この場所に私を連れてきたことをまた悔やんで自分を責めるかもしれない。

 もう私はセラ様にそんな思いをして欲しくないのだ。


「消えて、消えてよっ、セラファン様の前から消えて! 私の、私の王子様を返して……っ!!」


 目の前で振り上げられた包丁の鋭い刃先に身体が震え、恐怖に目を閉じそうになるけれど。

 死にたくない、諦めたくない、セラ様を悲しませたくない──。


「《laghu agni(小さな火)》」


 しっかりと狙いを定め、包丁を握る彼女の手元に火種を送る。調理に使うための攻撃力などほとんどない魔法だけれど、火であることに違いはない。当たれば熱いし気は逸れる。


「熱っ──!」


 ひゅん、と風を切って振り下ろされた包丁は私の髪の毛を数本切り落としていった。

 ぱらぱらと舞い落ちる赤毛を追って一度視線を落とした彼女は血の滲む唇を舐め、もう一度その手を持ち上げた。同じ方法が何度効くだろうか。風で動きを逸らすことは出来るだろうか。水で足元を滑らせることなら可能だろうか。

 必死で考える私に、女性が唾を飛ばしながら叫ぶ。


「──もう、死んでよ……っ!」


 バキン、がたんと激しい音が鳴り響き、次の瞬間に私の視界は黒く染められていた。

 ぎゅうっと締め上げられる身体が痛くて、苦しい。


 でも、この気配は確かに知っている。

 何度も抱きしめたから分かる、誰よりも近くで共に時間を過ごしてきた人だから。


「セラ様……」

「ミリア、ミリア──! 大丈夫? ごめん、ごめんね。僕が守るから。今度こそ絶対に傷付けさせたりしない──!」


 私を強く抱きしめる身体が小さく震えている。なんとか腕を抜き出し、私もセラ様の背をそっと撫でた。

 強張っていた身体の力がふっと抜ける。膝が崩れて倒れかけた私を、セラ様はしっかりと受け止め支えてくれた。


 外での作業を終えてキッチンに戻って来たセラ様は、私がいないとすぐに気付いて探しに来てくれたようだ。何故か鍵のかかった保管庫の中から聞こえてきたのは、「死んでよ」という狂気を孕んだ叫び声。

 咄嗟に鍵を凍らせて壊し、部屋の中に飛び込んで来て私を守ってくれたのだ。

 床に倒れこんでいる女性を見れば、その手は包丁ごと氷に包まれて固められている。意識もないので気絶しているのだろうか。


「セラ様、彼女は……」

「……死んではいないから」


 私はこれでも一応貴族家の生まれだ。彼女が平民なのだとしたら、軽い罰では済まないだろう。それでもきちんと法に基づき償って欲しいと思う。どんな理由があろうとも、他人に殺意を持って凶器を向けた事実は変わらないのだから。


 セラ様の護衛に彼女を託し、然るべき対処を頼む。彼らにも謝られたけれどそんな必要はないと思う。そもそも彼らの仕事は王族(セラ様)を守ることであって、おまけの私を守る義務などないのだから。

 そう伝えたのに、今後は私にも護衛がつくこととなった。


「といっても、僕がいない時だけだけどね。これからはもう少しの間も離れないようにするし」

「ご冗談を……」

「冗談だと思う?」


 ふふふと笑ったセラ様の目は少しも笑っていなかった。


「今日はもうここまでにして、帰ろうか」

「いえ、最後までお手伝いさせて下さい」

「でも、ミリア」

「大丈夫です。セラ様が横にいて下されば、それだけで」


 私の腰をしっかりと抱いたまま、心配そうな表情で見下ろしてくるセラ様の目をしっかりと見返す。

 もし今日ここで帰ってしまったら、きっともう二度とここへは来られないだろう。それどころか、セラ様のお屋敷からも出してもらえなくなるかもしれない。それは、嫌だった。


「セラ様が大好きだったスープをまた作って差し上げたいのです」

「……無理は、しないで」

「ええ、お約束します」


 セラ様が横で見守る中、ハーブを刻んで肉団子を作る。離宮ではあえて大きめに成形していたけれど、炊き出しでは皆に行き渡るよう小さめにした。


「こんなに手間をかけてくれてたんだね」

「少しでも美味しいものを出して差し上げたかったので」

「ありがとう、ミリア」


 私に出来ることなどこの程度しかないのだから。



「わあ! 美味しいっ!」

「今日はなんだかいつもより美味しい気がするな」

「女神様のスープだ!」

「こっちにもくれよ」


 炊き出しに並ぶ人々の表情は明るい。

 食事を求めて貧民街から流れて来た者もいるけれど、この場所はまだまだこれから発展する余地がある。道路の整備や建物の建築、人が増えれば畑も作られるし必要な物は数多くある。仕事はたくさんあるから、そのうち皆が困らない生活を送れるようになるだろう。

 このスープが皆の心と身体を温め、力になれば良いと思う。


「この味だ……」

「お口に合いましたか?」


 残ったスープをセラ様も器に盛り、丁寧に掬って口へと運ぶ。

 嬉しそうに目を細め、ふわりと笑ったセラ様は私に向かってこくりと頷いた。


「ずっと、ずっと食べたかった。もしかしたら思い出の中で美化されているんじゃないかとも思ってたんだ。……だけど、違った。ミリアのスープはやっぱり世界で一番美味しいよ」

 

 私には少しだけしょっぱく感じたのは、気のせいだと思う。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ