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絵本になっていたのですが

「それじゃあ行ってくるね! なるべく早く帰るから!」

「はい、行ってらっしゃいませ」

「もう、そんな堅苦しくしなくていいんだよ? ミリアはゆっくり休んでいてね」


 仕事に向かうセラ様を玄関で見送る。私より頭ひとつ分背の高いセラ様が魔法師団の制服を着ている姿はなんとも凛々しく、毎朝ついつい見惚れてしまう。

 ふいに腰を屈めたセラ様は私の額にちゅっと口付けを落とすと、にっこり笑って手を振り、茫然とする私をそのままに出かけて行ってしまった。


「……っ」


 顔が熱くなっているのを感じる。

 あの日、私が目覚めてからずっとセラ様はこんな調子だ。なんというか、とても甘やかされていると思う。

 正直セラ様のことは第二の弟のように感じていたし、自分の命を賭けてでも守りたいと思えるほど大切な存在だった。健気に慕ってくれる姿も、私が作る食事を美味しそうに食べてくれる様子も、一生懸命に魔力の制御を練習する真剣な顔も、どれも愛おしく思っていた。

 それらは全部、家族に対して抱くような愛情だ。幼いながらも懸命に運命と戦うセラ様を応援したかった。実の家族との縁が薄かった私にとって、そんなセラ様は希望であり、(よすが)だったのだ。守っているようで、私も等しく守られている。きっとセラ様の側付きになっていなければ、母とユリスの死を乗り越えられなかっただろうから。


 けれど石化の呪いをかけられて、私はある日突然十七年分も時間をスキップしてしまった。

 十一歳の可愛い少年だったセラ様は、二十八歳の立派な大人の男性になっていて。そんな彼が事あるごとに私を大事だと、大切なのだと言葉でも態度でも甘やかしてきたとしたら──意識せずにはいられないと思う。

 元からスキンシップは多い子供だったけれど、それは私しか甘えられる大人が側にいなかったからだろう。でも今は違う。誰でも近付くことが出来るし、触れることだって出来る。なのに、大人になったセラ様が触れるのはやっぱり私だけなのだ。


『ミリア、人が来るから気を付けて』

『混んでいるね。はぐれるといけないから』

『疲れていない? もう少し寄りかかって』


 街行く人々はそんなセラ様を見ると、揃って驚愕した表情になった。


『あの氷の王子が笑っている……』

『氷の王子が他人に触れるなんて』

『ずっと初恋の相手を追いかけていたあの方がようやく』

 

 セラ様は今や有名人だ。定期的に聖殿に顔を出し、炊き出しをしていたからだという。その他にも、どうやら魔法師としての仕事であちこち便利に駆り出されては困りごとを解決したりもしていたようだ。

 しかしセラ様は常に無表情でにこりともしないものだから、最初の頃は怖がられたりもしたのだとか。有能だけれど、不愛想。それがセラ様の公評だった。


 そんな声が変化するきっかけとなったのが、私たちをモデルにした例の絵本である。確かめるのが怖くてずっと閉じたまま置いてあったのだが、いい加減確認すべく表紙に手をかけた。一体どんなことが描かれているのか……。

 

 あるところに、聡明で美しいひとりの王子様がいた。その王子を(うらや)(ねた)んだ悪い魔女に、王子は呪いをかけられてしまう。醜い姿に変わり果て、近付く他者を傷付けてしまう酷い呪いだ。孤独になった王子に唯一寄り添ったのは、赤毛に緑の瞳の女神様。魔女の呪いが効かなかった女神は甲斐甲斐しく王子の世話を焼き、呪いを解く手伝いをする。二人は着実に力をつけ、とうとう悪い魔女と対面して戦った。王子が油断し、絶体絶命のピンチに陥ったその瞬間。女神が身を挺して王子を守り、その愛の力で王子の呪いは解けたのだ。傷付いた女神を見て王子は怒り、悪い魔女を断罪した。しかし女神は力を使い果たし、永い眠りについてしまった。愛する女神が目覚めるその時を、王子は心を凍らせて待っている。いつか彼女が目覚めたならその時に、王子の心も解けるだろう──。


「な、なんだこれは……!」


 当然のように王子の姿は金髪黒目でセラ様にそっくりだ。良く描かれていて素晴らしい。

 一方問題なのは()()()である。


「女神って……そんなの……!」


 ご丁寧にも赤毛に緑の目の女神様は私の姿そのままである。女神なら女神らしく、もう少しくらい華やかな姿で表現した方がいいのではないかと文句を言いたくなるくらいに私そっくりなのだ。

 

 困る。恥ずかしい。照れくさい。──でも、嬉しい。


 開いたままの絵本は、眠る女神様に口付けを落とす王子様の姿で終わっていた。

 もう耐えられそうになくて、熱く火照る顔を両手で覆う。

 

 離宮の外周警護の頃から良く気遣ってくれた騎士の奥様が、絵を趣味にしていたらしい。私たちのことを是非描いてみたいと頼まれ、セラ様が許可を出して出来たのがこの本である。ちなみに売り上げの一部は聖殿での炊き出しに利用されているそうだ。

 一応フィクションだという触れ込みで出版されているものの、セラ様は私について聞かれれば答えられる範囲のことは教えていたと言っていた。要するに、呪い返しで亡くなったという側妃様や幽閉されているイグナース殿下に関すること以外は全て、ということだ。


 まるでこの本が、壮大な恋文のように思えて。

 今でもセラ様を弟のように慈しむ気持ちがなくなったわけではないけれど、溺れるような愛を注がれていれば流石に分かる。私はもうきっと、逃げられないのだ、と。


 ここに連れてきてもらってから、私はほとんど外に出ていない。元々離宮で暮らしていた頃から、家にこもって過ごす生活には慣れているけれど。診察をして貰ったお医者様には大きな問題はないと太鼓判をいただき、今は少しずつ体の動きを滑らかに戻すための訓練をしているところだ。家事もやらせて貰いたいけれど、ここにはすでに専門の使用人がいる。後から来て手出しをするわけにもいかず、なんだか時間を持て余してしまう。

 そうやって私がそわそわしだすと、頃合いを見てセラ様が街へ連れ出してくれるのだ。二人で手を繋いだり、時には腕を組んで歩く。


『元気になるのが一番の仕事だよ』

『僕の側にいてくれるだけで本当に嬉しい』


 一時的な滞在のつもりだったのに、いつの間にか私はすっかりセラ様の家の住人となっていた。

 確かに、大人の男性になったセラ様に惹かれていることは認めよう。それと同時に、今の私は一体何なのだろうかとも思うのだ。

 貴族令嬢としての価値は無に等しい。元より生家との縁は薄いけれど、石化して目覚めた後はなおさらだ。家に挨拶へも行っていないし、逆に向こうから何らかの連絡がくることもない。社交もしていないし、セラ様以外の近しい知り合いもいないから、今の情勢がどのようになっているのかも分からない。

 仕事もなく、役目もない。セラ様が私を大切に思ってくれているのは分かるけれど、もしかするとそれは自分を庇って石化したという罪悪感も多分に含まれているのかもしれない。

 縛り付けたいわけではないのだ。ただ、セラ様には幸せになって欲しい。私に差し上げられるものがあるならば、たとえそれが命であってもためらうことはないけれど。私ではない他の誰かの方がセラ様に幸せを与えられるというのなら、その時は潔く引く覚悟をしておくべきだろう。


 有り余る時間の暇つぶしに刺していた刺繍の糸を切り、丁寧に皴を伸ばす。ベイリュー公爵家の家紋を入れたハンカチはセラ様への贈り物だ。石化前に働いていた際の給金はそのまま残っていたけれど、今の私には稼ぎがない。当面贈れるものなど、この程度しかないのだった。

 


「ただいま、ミリア!!」

「セラ様、おかえりなさいませ。お仕事お疲れさまでした」


 仕事から戻ったセラ様を玄関で迎えると、嬉しそうな顔をしたセラ様にぎゅっと抱きしめられた。


「あぁーミリアだ。会いたかったよ……」

「け、今朝振りですね……?」

「うん。もう、ミリアから離れるのは一時間だって辛いんだ。またこうして元気で笑っているミリアに会えて嬉しい」


 懐っこい犬のようにすりすりと顔を擦り付けてくるセラ様をなんとか引き剥がし、浴室へと押し込んだ。

 ほかほかになって清潔な室内着に着替えたセラ様と共に夕食をとる。私がかつて作っていた簡単な料理とは違い、プロの料理人が作る豪華なディナーだ。


「とっても美味しいですね」

「僕はミリアが作ってくれた肉団子のスープの方が美味しいと思うけど」

「そんなわけないでしょう? このポタージュすごく滑らかで手が込んでいますし、旨味が濃くて素晴らしいです」

「ミリアが喜んでくれたなら、良かったよ」


 私がセラ様と食卓を共にすることに関して、他の使用人たちはどう思っているのかが気にかかる。立場をわきまえぬ行いに顰蹙(ひんしゅく)を買っていないといいのだけれど……。

 でもセラ様はそんなことはお構いなしといった様子で、私に今日の出来事を尋ねたりと終始楽しそうだ。


「あ、これミリア好きだったよね。僕の分もあげるよ、あーんして」

「えっ、いえ、そんな──!」


 慌てて断ろうとする私の口に、小さなぶどうが一粒押し込まれた。皮ごと食べられるそれは口内でぷちりと弾け、甘い果汁が溢れ出す。

 ぶどうを摘まんでいた長い指が私の唇を撫で、その濡れた指をセラ様はぺろりと舐めた。


「ん、甘いね」


 猫のように目を細めて笑う、その様子に私の頬はかっと熱くなった。


「昔はいつもミリアが食べさせてくれてたよね。これからはお返しに僕が食べさせてあげたいな」

「そんな、それはセラ様がまだカトラリーを上手に持てなかった頃の話で──!」

「ふふっ、ミリアが食べさせてくれるのも大歓迎だからね」


 果物よりもずっと甘いそんな態度に、私はどんな顔をすればいいのか分からなくなってしまうのだった。

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