第34話 その美少女、ライバルと対峙する
俺──ミナモ=セレスティアは、今、人生で一番理解に苦しむ状況にいた。
薄暗い照明が照らす奇妙な飲み屋で、俺はバニーガールの恰好をしてウェイトレスとして働いているのだ。
ピカピカに磨かれた床に映る自分の姿は、レオタードに身を包みウサギの耳と尻尾をつけた美少女。
しかも、この店の奇妙なところは、客もまたバニーガールの恰好をしていることだった。
「なんで俺がこんな格好で……」
思わずこぼれた独り言は、煌びやかな店内の喧騒にかき消される。
この数奇な運命に弄ばれる人生にも、そろそろ慣れてきたはずだったが、こればかりは慣れる気がしない。
そんな俺の担当となった客の元へ向かうと、思わず目を見開いた。
「あ! ロザリー!」
まさか、こんな場所で再会するとは。
コンテストで俺にさんざんな言動を浴びせかけた、あの高飛車な女──ロザリーが、目の前のソファに腰かけていた。
しかも、ロザリーもまた俺と同じ、艶やかな黒いバニーガール姿だ。
すらりと伸びた手足、整った顔立ちにバニーガール姿はよく似合っており、思わず見惚れてしまいそうになるが、それ以上に驚きが勝る。
「あんたは! セレスティア!」
お互いに口をあんぐりと開けたまま、数秒間、硬直した空気が流れる。
ロザリーがあんなにお高く留まっているから、まさかこんな風変わりな飲み屋に来るイメージはまったくなかった。
「お前、こういう店来るんだなぁ……」
素直な感想が口をついて出た。
すると、ロザリーの顔がみるみる赤くなる。
「なっ! 初めてよ! 初めて来たの!」
必死の形相で否定するロザリーの元へ、店のオーナーであるローズが軽快な足取りで近づいてきた。
「いやー、ロザリーさん! いつもありがとうございます! ほんっと開店当初から長く来ていただいて!」
ローズは屈託のない笑顔でそう言い放つ。俺は耳を疑った。
「……開店当初?」
俺の疑問の声に、ローズは得意げに頷く。
「そうなんだよ! ロザリーさんはなぁ、うちの一番のお得意様さ! ちゃんと接客してくれよ! じゃ!」
ローズはそう言うと、他の客の所へ接客に行ってしまった。
「お得意様」「開店当初から」……頭の中でその言葉が反芻される。
ロザリーの方を見てみると、ロザリーは顔を伏せて肩を震わせていた。
その耳まで真っ赤に染まっているのが見て取れる。
「……なぁ、ロザリー」
俺が声をかけると、ロザリーはビクリと肩を震わせ、顔を上げた。
その表情は、怒りとも羞恥ともつかない複雑な色をしていた。
「何よ!」
「あのさ……何飲む?」
俺は手に持っていたメニューをロザリーに差し出した。
ロザリーはポカンと口を開けて、俺とメニューを交互に見つめている。
「あなた、ほんとは何か言いたい事があるんじゃないの!?」
なぜか強い口調で問いただされた。
「え? いや別に無いけど……」
「ちゃんと言いなさいよ! さぁ!」
「え~……? ん~と……お飲み物は何になさいますか?」
「そうじゃなくて!」
違うのか。
一体何を言ってほしいんだ、こいつは。
俺はただ接客しようとしているだけなのだが。
ローズに接客の仕方をちゃんと教えてもらってないから、全部我流なんだよな。
「何言ってほしいんだ? こっちは接客しないといけないんだけど」
「私がこの”ウサってバニー!”の常連客だってこと、笑いたいんでしょう!」
”ウサってバニー!”。
……ここ、そういう名前の店だったのか。初めて知った。
「いや、別に笑いたい事なんて無いけどな。こっちなんて、そこで働いてる身だし」
「ん!? た、たしかに……」
俺の言葉に、ロザリーは納得したような、しないような顔で頷いた。
その表情は少しだけ落ち着きを取り戻している。
「じゃあほら、飲み物、どれにする?」
再度メニューを差し出すと、ロザリーは迷うように視線を泳がせた後、一つを指差した。
「えっと、じゃあコレ……」
「はい! 承知しましたぁ!」
俺は語尾を上げて返事をした。
そして、レナがいるカウンターへ向かう。
「なあレナ。今来た客でさ、誰が来たと思う?」
レナは蛍光色の液体を混ぜながら、こちらを振り向いた。
「へ? 誰? 誰が来たの? 有名人?」
「いや有名人て……あいつだよ、ロザリー。覚えてるか? コンテストに居た、あのロザリーだよ」
レナはしばらく腕を組み、うーんと考えていた。
そして、何かに閃いたのか、目が大きく開いた。
「ああ! あの! はい、飲み物できたよ」
「お、おう」
レナが思ったより淡泊な反応だった。
まあレナは自分が好きな人物――“セレスティア様”以外はそんなもんか。
俺はロザリーから注文された飲み物をトレイに載せ、ロザリーの元へと運んだ。
「お待たせしましたぁ~!」
「……ふん!」
ロザリーはまだ不機嫌そうだ。
俺はロザリーの前に飲み物を置くと、そのままソファの隣に「よいしょっと」と声を出しながら座った。
「あ、あんた! 何で横に座るのよ!」
ロザリーが驚いたように声を荒らげる。
「え? だって、お話ししに来たんじゃないの?」
「そうだけど! 他の人はいないの!?」
「うん、今日は他のウェイトレスいないんだよ」
「くぅ……! じゃあ、あんたでいいわよ!」
俺でいいのか。
正直、「居なくていいわよ! あっち行って!」とか言われて楽できるかと一瞬期待したが、どうやら俺はロザリーとお話しすることになったらしい。
「あんた、ここで働いてるの? 今まで見たことなかったけど」
ロザリーは俺のバニーガール姿をジロジロと眺めながら尋ねる。
「いや、今日初めてだよ」
「ふぅん……」
ロザリーは一度、ふむ、と頷くと、再び俺の恰好を上から下まで値踏みするように見つめた。
「まぁ、ひとまずは合格点よ」
「合格? そりゃよかった」
「そりゃよかったって……あなたねぇ! もうちょっと、ウサちゃんの自覚を持ちなさいよ!」
”ウサちゃんの自覚”? 何だそれは。
「ウサちゃん?」
「あなたにはピョンピョンハートが無いの!? そんなんでウサちゃんが務まると思ってるの!?」
”ピョンピョンハート”。
知らない単語だ。
俺が知らないだけで、みんな知ってる常識なのか?
「そのピョンピョンハートって、何?」
「知らないでウサちゃんやってたわけ!? こうやるのよ! 見てなさい!」
そう言うと、ロザリーは立ち上がり、実際に両手で耳を立てるようにして、左右に小刻みに揺らしている。
その姿はまさにウサギそのものだ。
「ぴょこぴょこ耳が揺れるたび、きらめくハート、夢見るの!」
ロザリーは踊りながら、歌をうたいだした。
その声は、コンテストで聞いた歌声に負けず劣らず、伸びやかで力強い。
「おぉ」
「みんなの笑顔、もっと見たいな、私だけの魔法かけちゃう!」
「お~凄い! 可愛いなぁ!」
俺が素直に感嘆の声を上げると、ロザリーは途端に歌と踊りをやめ、顔を真っ赤にしてこちらを睨んだ。
「って、何やらすのよ!」
いや、自分で勝手にやってただけじゃん……
俺は思わず、心の中で突っ込んだ。