たった一人のリスナー
コロナ禍でバイトの人員が削減されることになった。
なるべく慣れた場所にいたい。新たにバイト先を見つける自信もない俺に、バイト仲間の中山が言った。
「月島は残れよ。俺は辞める。接客、向いてねーなあって思ってたし。ちょうど辞めたいって思ってたから」
それは嘘だ。話術があり、人当たりが良く見た目も良い中山は、接客に長けている。カフェの女性客やスタッフに人気があり、本人も楽しそうに働いている。
中山が辞めたらきっと売上にも響く。だから中山こそ残ってくれ、俺が辞めると引き止めたが、中山は少ない椅子を譲って去って行った。
田舎から上京し、奨学金を借りて切り詰めた大学生活を送っている俺に、情けをかけてくれたのだろう。
中山は自宅住まいの私大生で、身なりや雰囲気からも常に余裕が感じられた。
中山に感謝しつつ嫉妬を覚え、憧れた。憧れと嫉妬、憎しみは紙一重なのだと思い知った。
中山がいなくなったバイト先は一段と活気を失い、不満が渦巻いた。
こんなことなら中山じゃなくてコイツが辞めれば良かったのにと陰口を叩かれている気がして――、いや気のせいじゃない、絶対にそうだ。
だから俺は言ったんだ、中山に。俺じゃなくてお前が残れって。なのに変な気を遣って強引に辞めていったのはアイツだ。
俺のせいじゃない。
いいヤツだがムカつく中山がバイトを辞めて、数ヶ月が経った。
カフェの雰囲気も少しずつ回復しつつある。
そんな折、中山から俺個人に連絡が入った。
最近どうしてる?元気してる?
良かったら飯でもどう?もうコロナとか関係ないよね。
コロナの波を何度も経験し、国や人々は自粛よりも経済を回すことを優先し始めた頃だった。
ようやく中山の影響から抜け出し、何とかかろうじての日々を過ごしていた俺は、また中山に会ってあの余裕さを目の当たりにすることを恐れた。
だが結局断れずに会ってしまったのは、やはり中山がどうしているのかが気になったからだ。バイトの食いぶちを譲ってもらった義理もあった。
結論から言うと、中山は何も変わっていなかった。
髪型が変わっていたが、頻繁に美容室に行く中山のいつものことだ。
身に着けているものがオシャレで高価なのも以前からで、明るく話が上手いのも同様だ。
変わってないなと言うと、中山は笑った。
「月島は? バイトの皆は元気してる?」
「お陰様で。けど中山が辞めたせいで来なくなったお客さんいるし、綾野さんや北里さん、元気ないよ。やっぱ中山の抜けた穴は大きいわ」
「そんなことないって。その代わり月島がいるんだし。俺より真面目だし、全然いいって」
「俺なんか、中山の代わりになれないよ。中山みたいにかっこ良くないしさ」
卑屈に笑うしかない自分に嫌気が差す。
俺は何のためにここにいる? コイツを持ち上げるためか?
「んなことないよ。月島もさ、もっとこう……髪とか? 格好とかさ、変えたらいいんじゃん? 素材はいいんだからさ。絶対マジかっこいいって」
中山の人の良さと無神経さに本気で腹が立った。
髪型や服装をお前みたいにしろって? そんなものにポンポンと万札を払えるかよ。こっちはな、親のすねかじりのお前と違って、家賃や電気代の引き落としに身を削られる思いで生きてんだぞ。
世の中はとことん不平等だ。
「いやー……金がなぁ」
苦笑した。
「中山んちみたいに、親が裕福だったらいーよな」
「いやいや、俺んち全然裕福じゃねーし。俺さー、実はさ、ラジオ配信で稼いでんの。月島だけに言うけど」
「ラジオ配信?」
耳慣れない言葉にきょとんとした。
「え、それって、○○チューバーじゃなくて? UとかVとか」
「それは動画配信だろ。じゃなくて、音声だけを配信するアプリがあるんだよ。誰でも気軽にできるラジオ配信。それも動画配信者と同じで、人気が出て固定リスナーが多くついて、投げ銭してもらえたら結構稼げるわけ」
「へ、へえ……すごいな。結構って、どのくらい?」
「月によってマチマチだけど、大体2〜30万」
「2、30万!? マジか、すごいな……」
元々住む世界の違う人間だと思っていたが、さらにぐんと隔たりを感じた。異次元すぎて言葉を失う。
身近なバイト先で人気者だったこの男は、俺の知らない世界でもうんと人気者なのだ。
さすが中山と納得できるが、とことん不平等なこの世の中を祝福はできない。
「そんなに沢山ファンがいるんだな、さすが中山だよな。かっこいいもんな」
「いやいや、かっこいいとか関係ないし。だって喋りだけだぜ。顔出ししてねーし。そこが動画配信と違って、マジお手軽。顔出さなくていいし、動画の編集に手間暇かけなくていいし、背景の映り込みとか何も気にしなくていいし。思い立ったときにアプリ立ち上げて喋るだけ。別に大したこと喋ってないし。月島も一回やってみたら?」
俺が? お前みたいに?
無理に決まってるだろ。気安く言いやがって、本当にムカつく。
中山と別れてボロアパートに戻り、今日の外食費分どこかで節約しなくてはと頭を悩ませた。誘ったからと言って中山は奢ろうとしてくれたが、プライドが頭をもたげて断った。
ああ金だ。金さえあれば、これほど卑屈な気持ちにならなくて済むのに。
中山より上にとは言わない。同等に、とも言わない。せめて中山に同情されない程度の位置に立ちたい。ただそれだけなんだ。
夜更けになってもなかなか寝つけず、せんべい布団に寝転がったままスマホをいじった。
ラジオ配信……そんなものがあることを中山の話を聞いて初めて知った。どちみち俺には別世界の話だと思ったが、やはり気になった。
中山から聞いたラジオ配信アプリを開き、中山の配信者アカウントを探し当てた。
ちょうどラジオ配信中だった。実家の飼い猫の話をしている中山に、何十人ものリスナーが耳を傾けていて、コメントと共にギフトと呼ばれる投げ銭が飛び交う。
そのコメントを読み上げて返事をしたり、さらに話を広げる中山は、リアルと変わらず軽快で明るく、優しい。声質の耳心地の良さも相まって、リスナーの心を掴みまくりだ。
面白くない。全く面白くない。こんなくだらない話でよく盛り上がれるな。中山の顔も知らないくせにアホみたいにキャーキャー持てはやして、イケボだイケボだ、うるせえクソどもだ。
イケボ詐欺ですっげえ不細工かも知んねえだろうが。けど全く面白くないことに、実物の中山はリスナーの想像を裏切らないイケメンだ。
面白くねえ。どいつもこいつも最悪だ。死ねばいいのに。
「クソつまんねーな。ほんと死ねばいいのに」
本心を打ち込んで文字にして、送信ボタンを押す手前で思い留まった。
一夜明けて、中山に誹謗中傷コメントを送らずに済んで良かったと心底思った。友達に嫉妬して、とんでもなく醜いことをしてしまうところだった。
中山は何も悪くないのに。
人を妬んでばかりいても仕方ない。自らが変わらなければ。
心を入れ替える思いで、俺は新たな挑戦に臨んだ。
中山に勧められたとおり、俺もラジオ配信をしてみようと。
中山にバレるのは恥ずかしいから、中山が使っているアプリとは違うものを探した。
リサーチしたところ、有名なアプリほど既に人気配信者が固定ファンを抱えているため、新参者はやりにくいそうだ。
新しくまだ無名のアプリなら、利用者も新人ばかりで、伸びしろがあるらしい。
なるべくマイナーな、俺でも目立てそうな舞台を見つけるために、スマホで色々検索していると、公告が流れてきた。
検索ワードに関連したものが勝手に流れてくるやつだ。
普段なら軽く無視するが、必要性を感じて目にとまった。
ラジオ配信アプリの宣伝だった。新しく出来たばかりで、登録キャンペーン中だと銘打っている。
これだ、と直感した。
『ラジオdeツウジール』という些かダサいネーミングセンスのアプリだが、使い勝手は良さそうだ。
早速利用登録し、ラジオ配信者として活動し始めた俺だったが――……
最初こそ、初心者という目新しさで聴いてくれるリスナーがチラホラいたが、日を追うごとに数が減っていった。
コメントも残さず無言で去って行く。当然、投げ銭などしてもらえたことはない。
何が「稼げる」だよ。やっぱり俺には無理じゃねえか。馬鹿にしやがって。
大体このアプリがマイナーすぎて、母数の利用者が少なすぎる。このクソアプリが。
もうやめてやる。そう思ったものの、気になったのは1人のリスナーの存在だ。
「とぅるう」という名前のリスナーが、毎回俺のラジオ配信を聴いてくれている。
最初はたまたまの偶然だと思ったが、『とぅるう』以外のリスナーが居なくなり、気付いた。『とぅるう』はわざわざ好き好んで、俺の配信を聴きに来ている、唯一のリピーターなのだと。
俺にも固定ファンがついたのだ。たった1人の、無言のリスナーだが。
0よりマシだ。たった1人でも、俺の喋りを聴きたいと思って耳を傾けてくれる人がいることに、俺は救われた気持ちになった。
少しの空き時間や寝る前に『ラジオdeツウジール』を立ち上げては、その日あった出来事を少し盛って、面白おかしく話した。
聴いてくれるのは『とぅるう』だけで、俺が配信を始めるとすぐに聴きに来る。
しかしコメントを残すことはない。
こんなに毎日熱心に聴いてくれるなら、何か思うことはあるだろうに。『とぅるう』の感想が聞いてみたい。何を思ってこれを聴いているのか。いったい彼女はどんな人なのか。
『とぅるう』は女性だと確信した。アイコンの画像が、ぼんやりともやがかかった若い女性のシルエットであるし、トゥルーは多分『真実』の意で、いかにも女性らしいネーミングだ。
清楚で控え目な、きっとはにかみ屋さんだ。恥ずかしくてコメントも出来ないのだろう。
ある日俺は思い切って、とぅるうへ呼びかけてみた。良かったら是非コメントを下さいと。
他にリスナーのいない、彼女しか聴いていない配信なのだ。もっと早くにこうすれば良かったと気づいた。
俺のどこが好きなのか、照れながら教えてくれるのだろうか。毎日欠かさず、どの時間帯にも必ず聴いてくれる、こちらが引くくらい熱心な俺の唯一のファン『とぅるう』は、きっと可愛い女の子だ。
胸をドキドキさせながら、彼女の言葉を待った。
「クソつまんねーな。ほんと死ねばいいのに」
公式企画を盛り上げたくてホラーを書いてみましたが、ホラーにならなかった上にラジオ要素うっっす(笑)
誠に申し訳ございません。