誰もいない教室で、可愛い幼馴染が僕の好きな人を暴こうとしてくるが、とにかく早く家に帰ってゲームがしたい
うだるように暑い。教室には誰もいない。あまり効いていないクーラーと、窓の向こうの蝉の声だけが聞こえる。
いつもは他人の席に陣取って無駄話している女子たちも、こうも暑いと教室にはいられないらしい。どこぞのファストフード店にでも向かったのだろう。
僕だって帰りたかった。早く帰って、今頃届いているであろうゲームがやりたかったのだ。
しかし、運が悪かった。最後の授業が終わったところで「プロジェクターを片付ける係」に任命されてしまったのだ。
「目が合った高橋くん、お願いします」ってなんだよ。目が合った方が損って、おかしいだろ。
なんてことを教師に言えるわけもなく、淡々と役目を終えた僕は教室に戻った。とうに荷造りを終えてある鞄を肩にかけ、無人の教室を後にする。
蝉がかしましい。廊下は窓が開けてあった。
そういえば「あの通販だと、いつもの宅配のお兄さんじゃなくて、よくわからない業者がくるから嫌なんだよね」なんて、今朝母さんがぼやいてたっけ。頼む。ちゃんと受け取っておいてくれ。
「ちょっとお兄さん。占いどう?」
「結構です」
隣の隣の教室のドアから、ひょこっと顔がでてきた。まるで待ち構えていたかのようなタイミングだ。いやしかし、これが幼なじみの勧なのかもしれないと思い直す。
僕は失礼にならないように、けれどきっぱりと断った。都心の繁華街でこういう光景を見たことがあったような。
「大丈夫。当たると評判です」
なにが大丈夫なのか。なにが当たるのか。彼女は僕の腕を掴むと、半強制的に教室に引きずりんだ。
◇
中に入ってみると、やはり僕たち以外には誰もいなかった。奥の窓側の一番後ろが、彼女の席だ。今日は机に「群馬の母」という張り紙までしてある。
……これは大ごとだ。時間がかかりそうだぞ。
「じゃあ、まず手を出してください!」
「ん」
「逆じゃい!!」
「いて」
「あ、ごめん!!!」
彼女の前の席に座らされる。体は彼女のほうを向いて、ちょうど黒板に背を向ける格好だ。
言われるがままついてきてしまったが、これでは面白くない。わざと手の甲を差し出すと、彼女は慌てて僕の手を掴んで反対側に捻った。
痛い。そっちは捻ってはいけないほうだろ。この子はもしかして、人体の構造をまるで理解してないのではないか。
半分冗談で痛みを口にすると、彼女は途端におろおろする。大体さっきから感嘆符が増え続けている。明るい子だけど、それにしたって今日はいつもと違う気がする。
彼女は僕の手相を見ながら、ふむふむ唸っている。なにやら手相を指でなぞりながら、生命線が長いだのスター線があるだの言ってくる。良いことばかりで、まあ悪い気はしない。
大体こんなふうに彼女の手に触れることなんて、今まであっただろうか。もちろん幼い時は、手を繋いで公園を転げまわっていたけれど。気付けばそんなこともなくなっていた。
彼女の手が、熱い。やっぱり今日は猛暑らしい。
「それであなた、好きな人がいますね」
そんなことをぼんやり考えている間に、手相のターンが終わってしまったのだろうか。それとも手に好きな人線でも見つけたのだろうか。
訝しく思って彼女を見ると、そこにはつむじがあった。さっきまで彼女のぱっちりとした丸い目が見えていたはずなのに。今は頑なに僕の手を見ているばかりで、こっちを見ない。どうもおかしい。
「うん。いるけど」
「え」
やっと僕の顔を見た。驚いたような、聞きたくない言葉を聞いてしまったかのような、何とも言えない表情をしている。
顔を上げた拍子に、彼女の黒髪が揺れた。そういえば最近髪を切ったんだっけ。長かった髪が、今は肩につくくらいの長さに切り揃えられている。
「髪切ったらね、3年の先輩に可愛いって言われちゃった」なんて僕を試すような目で見てきたことを思い出す。
試す?僕は何を試されているんだ?
「そ、その人とは、お付き合いしていますね」
「してない」
「ふぅ」
「群馬の母、早速外れてるね」
「いいんです!」
自分が占い師だということを、すっかり忘れてしまったのだろうか。彼女は僕の返答を聞くと、片手を胸に当てて、あからさまに安堵する。
僕もやはり反対の手で、机に頬杖をついた。下から見上げるように揶揄すると、彼女は頬を赤らめて強がる。なんだこれ、面白いな。
それから彼女は、僕の好きな人の特徴を“占い”で当てようとしてきた。僕は極めて正直に答えた。
大体「明るい人ですね」「優しい人ですね」「前向きな人ですね」ってなんだ。海外の推理ドラマを全シーズン見たなんて自慢してたのに、彼女には全くその才能がないらしい。
「ねぇ、僕早く家に帰ってゲームしたいんだけど」
「っ、はい。じゃあ最後ね。えっと……好きな人のことは、苗字じゃなくて名前で呼んでいますか」
「うん」
ガーン!
漫画だったらそんな効果音がぴったりだ。質問に対する答えが、求めたものと違っていたのだろう。彼女はあからさまに傷付いた顔をした。心なしか目が潤んでいる。
でも、僕には泣き顔を見られたくないらしい。彼女は僕の手をそっと離して、俯いた。短くなった髪は、傷心の彼女の顔をなんとか隠している。
「あ、あなたの恋は、きっと、うまくいくでしょう……」
声が震えていた。彼女は涙を堪えながらも、占い師としての役割を全うしようとしていた。
最後の台詞を言い終えると、もうクーラーの音と窓の向こうの蝉の声しか聞こえない。僕は椅子から立ち上がった。
「あかね。帰ろ」
「え、名前」
あれ、名前で呼ぶのはいつぶりだっけ。小さい時はお互い名前で呼んでいたのに、大きくなるにつれて気恥ずかしさが勝って、苗字で呼ぶようになっていた。
僕の言葉に、彼女は思わず顔を上げた。その拍子に彼女の頬に涙が零れる。なんだか美味しそうだな。いやいやそんなことはどうだっていい。
今度は僕が彼女の手を握って教室を出る。彼女は慌てて鞄を掴んでついてきた。
廊下に出ようとドアに手を引っかけてから、思い直して振り返る。突然の動きについていけなかった彼女が、勢いよく僕の胸に顔をぶつけた。いてて、と小さく呟き僕を見上げる彼女の頬は、さくらんぼみたいだ。
僕はキスしたい衝動にかられて、そっと顔を近付けた。
「!」
それを察知したのか、彼女はさくらんぼの頬をもっと赤く染めて目を瞑った。あまりに可愛くて、じっくり観察したくなる。
「?」
彼女が、片目を薄く開けてこちらの様子を伺っている。照れくさくて少し笑ってから、口づけをした。
熱い。僕たちは恥ずかしくなって一緒に笑った。
手を繋いで廊下にでると、やっぱり暑い。
さあ、早く家に帰ってゲームをやろう。確か2人プレイもできたよな。