第9話 からかうのは禁止です
「色好いお返事、お待ちしてますわね」
おっとりと微笑んだ夫人は、子供達を連れて帰って行った。デニスとリナーダは何だか青い顔をしていた気がするが、何を話したか確認するよりも、マリアヴェルには気になることがあった。
ソファに座るアルフレッドの隣に腰を下ろし、真剣な眼差しで端正な兄の顔を見上げる。
「お兄様。デニスはどんな女性が好みか、聞いたことがあったりする?」
「ええと?」
「今まではわかりやすかったのだけど、今回は難題なの。やっぱりリナーダに確認するべきかしら?」
デニスとの婚約を解消するのなら、彼好みの令嬢を紹介して惚れさせるのが手っ取り早い。情報収集は早い内から始めなくては。
アルフレッドは頭痛を堪えるかのように額に手を当てた。聡明な兄にとっても難問なのかしら、と思っていると。
「……言いたいことは色々とあるけど。マリィの疑問に答えるなら、好みの女の子はわかりきってると思うな」
「大人しくて聞き分けのいい――淑女の鑑みたいな女性かしら?」
「いや……どちらかといえば淑女の振る舞いは完璧だけど普段はお転婆で――伝わらないと思うから率直に言うと、彼は昔からマリィに好意を持っているよ?」
たっぷり五秒は固まってから。
「わたし!?」
「そんなに驚くことかい?」
「え? だって、デニスったら、昔からわたしの悪口ばかり言っていたわ!」
あんな態度でマリアヴェルに好意を持っているだなんて、有り得ないと思う。力いっぱい否定すると、アルフレッドがはっきりと苦笑した。
「マリィは小さい頃からお人形みたいに可愛らしかったから、一目惚れするのは自然なことだよ。昔から憎まれ口ばかりきいていたから、成長してからも態度を改めるのは難しかったんだろうね」
「見た目はお人形みたいでも中身は悪女よ?」
「面識があれば君が噂ほど問題児じゃないのはわかると思うよ? よっぽど見る目がないなら話は変わるけど」
デニスに好かれているだなんて、やっぱり信じられなかった。お兄様の欲目じゃないかしら、と首を捻ってしまう。そんなマリアヴェルを見つめて、アルフレッドが可笑しそうに笑む。
「マリィは賢いけど、好意が自分に向いたら駆け引きはさっぱりだよね」
そこまで言うのなら、兄の見解は正しいのかもしれない。しかし、そうであるならマリアヴェルにとって困った話になる。デニスがマリアヴェルに好意を抱いているというなら、婚約解消は難題だ。
将来の不安にマリアヴェルが顔色を悪くすると、アルフレッドが頭を撫でてきた。
「そんなに青褪めなくても、縁談なら断るから心配は要らないよ」
「断るの?」
「うん」
アッシュフォード家にとっては良縁なのに、アルフレッドにその気はないみたいだ。マリアヴェルの頭に疑問符が浮かぶが、縁談を断るとなると今度は別の問題が浮上してしまう。
「えぇと……でもね、お兄様。縁談を断ると厄介な話になるかもしれなくて」
「君が指輪泥棒だって話かい?」
「聞いたの? あのね、違うの。それには訳があって――」
必死に誤解を解こうとすると、綺麗な顔に不服の色が浮かんだ。
「酷いな、マリィ。僕があんな話を鵜呑みにすると思っていたのかい?」
「あ、違うわ! そうじゃないの。思ってないけど、エイミーが大変なことになってしまうの!」
「エイミー嬢? そういえば、どうしてマリィが指輪を持っていたんだい?」
怪訝な面持ちのアルフレッドに一部始終を話すと、
「あぁ、そういうことか。想像していたよりも悪辣だな……」
「お兄様?」
悪辣、という表現にマリアヴェルは戸惑うが、アルフレッドはしばらく口を閉ざしていた。険しい顔で何かを考え込んでいた彼は、やがて思案の色を消して柔らかく微笑んだ。
「……わかった。その件も含めて夫人と話をしてくるよ。君とエイミー嬢がこれ以上困らされるような事態には発展しないから、心配しなくても大丈夫だよ」
下ろしっぱなしのマリアヴェルの髪を梳く手つきも囁かれる声音も優しくて、心が落ち着いていく。アルフレッドが大丈夫だと言えば本当にその通りなのだと、マリアヴェルは幼い頃から知っていた。
なので、こくんと頷く。
「それにしても、様子がおかしいとは思っていたけれど……こんなことになっていたとはね。最初から相談してくれればよかったのに」
「それは……だって、今は婚約者がいないでしょう? お兄様にとってもデニスとの縁談はちょうどいいのかしらと思って」
「ちょうどいい、か……。どのみち、デニス・オートレッドは僕のお眼鏡には適わないけどね。叔父上が持ち込んでくる縁談候補に彼が入っていたとしても、断ったよ」
「……わたしがデニスを苦手だから?」
「いや?」
頭を振るアルフレッド。マリアヴェルは困惑するしかない。性格はともかく、親しくしている侯爵家の嫡男との縁談はアッシュフォード家にとっては悪くない話のはず。少なくとも、軽薄なロバートよりはよっぽど好条件だ。
「以前から気になっていたのだけれど、お兄様が縁談を受ける基準は何かあるのかしら?」
「あるけど、マリィには秘密」
意味深に微笑むアルフレッドの答えに、頬を膨らませる。
「どうして教えてくれないの?」
「僕が縁談をどうするかでそわそわしてるマリィが可愛いからかなー」
冗談めかしたようにそう言って、アルフレッドが悪戯っぽく微笑んだ。容姿に対する賛辞なんて言われ慣れている。慣れてはいるけれど、大好きな人に面と向かって言われたら、頰が熱くなるのは条件反射だった。
「もう! からかわないで、お兄様!」
真っ赤になるマリアヴェルを、アルフレッドは楽しそうに眺めているのだった。