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第6話 婚約指輪の行方

「マリアヴェル? いる?」


 エイミーがマリアヴェルの泊まっている客室を訪ねてきたのは、朝食を終えてすぐのことだった。


「どうしたの?」


 部屋に招き入れると、エイミーの顔はひどく硬かった。


「エイミー?」

「マリアヴェルに、相談があるの」

「相談?」


 首を傾げると、エイミーが後ろ手に隠していたものを見せてきた。手のひらに乗っているのは、ビロードの小さなケース。


 嫌な予感がした。


 ケースを手に取って蓋を開けてみると、収まっていたのは金の指輪だった。日常生活に障りが出ないようデザインされた控えめな装飾のリングは、昨日見たリナーダのもので間違いない。


「エイミー、これ」

「…………」

「エイミーが……ええと、婚約指輪を持ち出したの?」


 盗むという表現ははばかられて、言葉を選ぶ。長い沈黙の末に、エイミーは小さく首を縦に振った。


「どうしてそんなことを?」

「…………」


 途方に暮れた顔でうつむくエイミーは、頑なに口を閉ざしている。何も言ってくれない彼女に、マリアヴェルは困り果ててしまった。


 リナーダの部屋から指輪を勝手に持ち出した。友人間で起きたこととはいえ、これは窃盗に当たる犯罪行為。常日頃からエイミーにキツいリナーダのことだ。指輪を持ち出したのがエイミーだと知れば、穏便に済ませることはしないかもしれない。警察軍ヤードに通報するとまで言っていたし。


「あたし……」

「ええ、どうしたの?」


 何かを言いかけ、またすぐに口籠ったエイミーの瞳に、じわじわと涙が盛り上がった。彼女はそのまましゃくり上げ、本格的に泣き出してしまう。


「あたし、どうすればいいか、わからないの……っ!」


 泣きじゃくるエイミーが嗚咽混じりにこぼした言葉に、ハッとする。


 指輪を見せに来たということは、エイミーに本気で盗む意図はなかったに違いない。普段の意地悪な物言いに対するちょっとした意趣返しでしたことにリナーダが大騒ぎして、途方に暮れているのだろう。


 リナーダの傲慢な態度を思えば、エイミーを責めるのは酷な気がした。エイミーへの接し方を窘めなかったマリアヴェルにだって非はあるのだ。


 ドレスの袖で懸命に涙を拭うエイミーをじっと見つめていたマリアヴェルは、結論を出した。


「この指輪、わたしがリナーダに返してくるわ」

「え……?」


 涙で濡れた瞳があどけなく瞬く。


「今頃リナーダは部屋中をひっくり返しているでしょうし、こっそり紛れさせれば大丈夫だと思うの」


 指輪だけならともかく、ケースごとでは落ちていたなんて言い訳は通用しない。部屋の中にあって見落としていた、とするのが一番自然に思えた。


「マリアヴェル、あの」

「大丈夫、心配しないで」


 不安そうなエイミーに、にっこりと微笑みかける。上手くやるわ、と言い切る前に。


「マリアヴェル!」


 ノックもなしに扉が開いて、二人はびくりと身体を震わせた。入ってきたのは、間の悪いことにリナーダだった。


「それ………、私の指輪!」


 目敏く気づいたリナーダが、マリアヴェルの手からケースを引ったくった。


「やっぱりマリアヴェルが犯人じゃない!」


 反論しようとしたマリアヴェルの視界の端に、縮こまっているエイミーの姿が映る。すっかり青褪めているその顔を見れば、本当のことを話すのは気が引けた。


「それとも……まさか、エイミーなの!?」


 口籠っていると、矛先がエイミーに向いた。


「エイミーは関係ないわ!」


 咄嗟に、マリアヴェルは声を上げた。こうなってしまった以上は、これが最善に思えた。


「リナーダの言う通りよ。わたしが持ち出したの。あなたってば、この間からわたしに意地悪なことばかり言うんだもの。うんざりしていたの。だから……ちょっと、困らせたくなって……ごめんなさい」


 お茶会での嫌味の数々や指輪の紛失で真っ先にマリアヴェルを疑ったことを思えば、リナーダに嫌われているのは間違いない。心象が更に悪くなったところで、何かが変わるわけでもない。どうか、これ以上リナーダが大事おおごとにしませんように、と祈る。


 すると、


「そう。認めるのね。それならいいわ。こうして指輪は返ってきたんだもの」


 願いが通じたのか、あっさり許されてしまった。拍子抜けするも、


「でも。ただで許すのも癪よねぇ。これって立派な犯罪ですもの」

「…………」


 祈りは届いてくれなかった。意地悪く笑んでいたリナーダが、名案を思いついたとばかりにぽん、と手のひらを叩いた。


「そうだわ。ねぇ、マリアヴェル。私の弟と婚約する気はない?」

「は……?」

「未来の可愛い義妹いもうとのした悪戯なら、私も許せるというものよ」

「待ってちょうだい! 冗談でしょう?」

「私は至って真剣よ」


 昔からマリアヴェルがデニスに苦手意識を持っていることは、リナーダも承知しているだろう。だからこれは、マリアヴェルへの嫌がらせ。


 しかし、


「わたしとの婚約なんて、デニスが嫌がるに決まってるわ! 昔から彼がわたしを嫌っているのは、リナーダもよく知っているでしょう?」


 いくらマリアヴェルを嫌っていても、弟の不幸に繋がるのだ。この提案は、あまりにも無茶苦茶だった。マリアヴェルの訴えにリナーダは意外そうに目を瞠ったが、すぐに微笑した。


「愛のある結婚なんてそうあるものじゃないわ。デニスだってそのくらい承知しているでしょうし、アッシュフォード侯爵家なら釣り合いが取れて父母も大喜びだわ。デニスったら、女性の扱いが下手くそでしょ? このままじゃ家柄目当てのつまらない女と結婚することになるんじゃないかと心配していたの」

「デニスとの結婚なんて考えられないわ」


 アルフレッドと結婚するためにこの四年間、マリアヴェルは奔走してきたのだ。デニスとの婚約なんて冗談ではない。


「呑まないなら、私の指輪を盗んだ犯人はマリアヴェルだってお母様に告げ口するわよ? 当然侯爵にも伝わるでしょうし、あなたを庇ったお母様の面目も丸潰れだわ」


 警察沙汰になり、捜査の過程でエイミーがリナーダの部屋に出入りしていた、なんて証言が出てきたら――ラトクリフ家はどうなってしまうのだろう。貴族のマリアヴェルなら悪戯で処理されるかもしれないが、平民のエイミーではそうもいかない。


「……婚約の話は、わたしの一存では決められないわ。お兄様の意向次第だもの」

「それなら、侯爵に許可をもらいましょう。侯爵は我が家に好意的だもの。きっと喜ぶわ」


 勝ち誇ったようにそう言って、リナーダが部屋を出て行った。


 両親亡き後、親身になってくれたオートレッド夫人にアルフレッドは恩義を感じている。マリアヴェルの婚約者を探している彼にとって、デニスとの縁談は渡りに船だ。


 明るい未来は望めそうになくて、重いため息がこぼれ落ちてしまう。


「あの、マリアヴェル……」

「とりあえず、許してはもらえたみたい」


 肩を竦めると、エイミーがくしゃりと顔を歪めた。両手で顔を覆い、本格的に泣き出してしまう。


「泣かないで、エイミー。大したことじゃないわ」

「……っ、違う、の。そうじゃなくて、……、ごめんね、マリアヴェル。ごめんなさい……っ」


 何が違うのだろう。マリアヴェルが首を捻っても、エイミーは泣き続けるだけで答えてくれない。戸惑いながら、マリアヴェルはしゃくり上げるエイミーを宥め続けた。

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