第5話 騒動の始まり
「これなら、お留守番していた方がずっと気楽だったわ」
お茶会がお開きとなり、リナーダから解放されたマリアヴェルは侯爵邸の庭を一人で散策していた。
こんな日々があと四日も続くだなんて、と嘆息する。
「花を愛でるなんて女らしい趣味が、お前にもあったんだな」
背後からかかった声に、マリアヴェルは肩を揺らした。振り返ると、赤毛の少年の姿があった。
猛禽類のように鋭い金の瞳はリナーダとお揃いで、わんぱくそうな顔つきをしている。デニス・オートレッド。マリアヴェルと同い年の、リナーダの弟だ。
「また婚約者に捨てられたんだって? 学習しないよな。どうせいつもみたいに生意気なこと言って怒らせたんだろ?」
相手をしても不愉快になるのは子供の頃の経験から学んでいたので、マリアヴェルは無視して歩みを進めた。
「無視するなよな! そうやって可愛げのない態度だから振られるんだ。改めないといつまで経っても婚約者と上手くいかないぞ」
足音と声が追いかけてくるので、仕方なく立ち止まる。
「十七年の間、一度も婚約したことのないデニスに言われたくないわ。他人のことを言えないでしょ?」
振り返りざまに皮肉を返すと、
「一緒にするな。俺はお前と違って捨てられ続けてきたわけじゃない。俺に相応しい婚約者がまだ見つかってないだけだ」
侯爵家の嫡男なのにどうして婚約者がいないのかと不思議に思ってはいたが、理由はリナーダと同じだったらしい。似たもの姉弟だ。
「高望みするなら、いい加減に立派な紳士らしい振る舞いを身につけた方がいいと思うわ。その年で女の子に意地悪ばかり言っていたら、素敵な令嬢との縁談なんて望めないわよ?」
「そっちこそ、そうやって減らず口ばっかり叩くから愛想を尽かされるんだ。淑女ならもっと紳士を立てる話し方をしろよな」
「紳士なんてどこにもいないじゃない。デニスに愛想の安売りなんてしたら、わたしの価値が下がるわ」
渾身の皮肉に、デニスの顔が怒りで真っ赤に染まった。ぷるぷると全身を震わせる彼から返ってきたのは、
「可愛げのないやつ!」
芸のない憎まれ口だった。そう思うなら最初から話しかけてこなければいいのに。昔から意地悪ばかり言うのにやたらと絡んでくる彼が、マリアヴェルには理解できない。
「可愛げがなくて結構だわ。あなたから好かれていなくても、わたしは困らないもの」
ぷいっ、とそっぽを向けば憤りが頂点に達したのか、デニスが踵を返して駆け去って行った。マリアヴェルはため息をこぼす。
同年代の男の子って、どうしてこうなのだろう。交流のある同じ年頃の異性はデニスだけではないが、大体がこんな感じだ。気品と優しさに溢れた義兄を見習って欲しいと、心の底から思う。
――お兄様があれくらいの年の時は、もっとずっと大人びていたわ。
◆◆◆◇◆◇◆◆◆
デニスを避け、リナーダの自慢話にさえ目を瞑れば、侯爵邸での時間は決して悪いものではなかった。
明日の夜には大好きな兄の顔が見れる。お土産には何を買ってきてくれるかしら、と。浮き浮きしながら朝食の席につくと、リナーダの姿だけがなかった。
リナーダが一番最後なんて珍しいと思いながらテーブルが整っていく様を眺めていると、応接間の扉が荒々しく押し開けられた。
入ってきたのはリナーダだ。しかし、彼女の様子は明らかにおかしかった。忙しなく視線を動かして、付き従う侍女はおろおろしている。テーブルに着く一堂をぐるりと見回したリナーダは、マリアヴェルと目が合うと声を上げた。
「マリアヴェル、あなたね!?」
「えっ?」
鬼のような形相で名指しされたマリアヴェルは、何事かと身構える。ドレスの裾を持ち上げ、小走りに近づいてきたリナーダは凄まじい剣幕だった。
「私の婚約を妬んで、指輪を盗んだんでしょう!?」
「指輪? 一体なんの話?」
訳がわからなくて、目を白黒させる。
「朝起きたら、婚約指輪が失くなっていたのよ! 誰かが盗んだんだわ! こんなことするの、あなた以外いないじゃない。私の婚約を妬んでるんでしょうっ!」
どうやら、リナーダは婚約指輪を紛失してしまったみたいだ。当然のことながら、心当たりなんてない。
「リナーダの婚約指輪なんて、知らないわ」
「しらばっくれないで! あなたが盗んだに決まってるわ!」
悪女の噂は受け入れているけれど、盗人扱いされるのは心外だった。
怒りに燃えた瞳を真っ直ぐに見据えて、きっぱりと言う。
「そんなに疑うなら、わたしの泊まっている部屋を探してはどう? どんなに探したって、指輪なんて出てこないわ」
「嘘を言わないで! 犯人は絶対にあなたよ!」
「おやめなさい、リナーダ。お客様に失礼よ」
夫人の滅多にない厳しい声に、リナーダは怯む様子をみせた。
「マリアヴェルに謝りなさい? 証拠もないのにお客様を疑うだなんて、貴族の誇りに欠けた恥ずべき行為ですよ?」
「……っ、指輪を探してきます! 見つからなかったら警察軍に通報するんだから!」
リナーダが出ていくと、夫人は悩ましげに吐息をこぼした。
「ごめんなさいね、マリアヴェル。気にしなくていいのよ。きっとどこかに置き忘れているんだわ」
「わたしは気にしてませんわ」
愛する人から贈られた婚約指輪を失くしてしまったら、マリアヴェルだって取り乱すに違いない。犯人扱いされていい気はしないけれど、そこまで腹を立てることでもないと思った。
ふと、視線を感じた。スプーンに伸ばしかけた手を止めて顔を上げると、デニスと目が合った。彼は慌てたように視線を外し、パンをちぎり出す。
一連の仕草に、マリアヴェルは首を捻った。デニスの性格なら嫌味の一つでも言いそうなものだが。夫人の手前、自制心が働いたのだろうか。怪訝に思いながら、マリアヴェルはスプーンに手を伸ばすのだった。