第18話 兄妹喧嘩
アルフレッドの見解を自身の中にしっかりと落とし込んで。考えを巡らせたマリアヴェルは、見据えてくる紫苑の瞳を真っ直ぐに見上げた。
「……アンネ様の結婚を進めるだけなら、フローリア様は最初からお父上を頼れば済む話だわ。フローリア様が契約結婚という手段に乗り出したのは、アンネ様とのわだかまりを解きたかったから。フローリア様にとって大切なのは、アンネ様が自分の意志で婚約を承諾することのはず」
カインを好きだという言葉を取り消せば、どうしてアンネローゼを避けるのかという話に戻ってしまう。だからフローリアは自身の嘘を撤回するのではなく、婚約することでカインへの未練はないのだと示そうとした。フローリアはアンネローゼにとって結婚が幸せなものとなるよう願っているのだ。
ほんの数日前までフローリアの考えていることがまったくわからなかったのに。今は彼女の心境が手に取るようにわかる気がした。
「お兄様の語る結末は、誰にとってもよくないわ」
フローリア、アンネローゼ、カイン。当事者の誰一人として幸せになれない気がする。
「仮にそうだとして。フローリア嬢にこっぴどく叱られたマリィが関わって、事態は好転するのかい?」
「それは……会って、お話ししてみないとわからないわ。だからお兄様に仲裁役をお願いしたいの。お兄様とお話しすればフローリア様の気持ちも上向くかもしれないし……」
とにかく、フローリアと会わないことには何も始まらないのだ。
アルフレッドの言葉なら、フローリアの心を解きほぐせるのではないだろうか。
「僕に頼らず、マリィが自力で会いに行けばいいと思うけど」
「会ってもらえないんだもの」
それができないからアルフレッドを頼っているのだ。だというのに、義兄は不思議そうに首を傾げる。
「本当にそうかな?」
「え?」
「会ってもらえないんじゃなくて、マリィが本気で会おうとしていないだけのように見えるけどな」
マリアヴェルは眉をひそめた。
「取り次いでもらえないのに、どうやって……」
「フローリア嬢が一番恐れていることは、なんだと思う?」
本心を伝えるよりも嘘を吐いてまでアンネローゼを遠ざけることを選んだフローリア。憎まれ役を演じてまで、彼女はアンネローゼを突き放し続けている。
フローリアの行動の根幹にあるのは――。
「お兄様ッ!」
アルフレッドの言わんとしていることがピンと来て、堪らず語気を強めた。
フローリアが一番恐れていることは、自身の気持ちがアンネローゼ本人に伝わることに違いない。ならば、その可能性を仄めかせば、知れ渡るのを恐れたフローリアは会ってくれるかもしれない。
「できないかい?」
「ただでさえわたしは、フローリア様を傷つけてしまったのよ!? その上……」
「手段を選ばないのはフローリア嬢も同じだ。責められる謂れはないと思うけどね」
似たような会話をフローリアとも交わした。時には非情な手段を講じるアルフレッドを射止めるためなら、卑劣な手を打っても許容範囲内だ、と。フローリアはそう微笑んでいた。そしてあの時も、マリアヴェルは首を横に振った。
「筋が通っていればなんだってしていいわけじゃないわ!」
「できないのなら、時間が解決するのに賭けてみるのも一つの手なんじゃないかな」
「そんなの、無責任よ」
「僕は最初から一貫して言っているよ。フローリア嬢の件は放っておくって。彼女がどんな状態でも僕の答えは変わらない。関わると決めたのはマリィだろう? 上手くいかずに躓いたからって僕を頼るのは、それこそ無責任だと思うな」
ぐうの音も出ない正論だった。
当事者のように見えてもこの件でアルフレッドは渦中の人物とは言い難く、マリアヴェルの尻拭いをして欲しい、なんて泣きつくのは間違いだ。
間違っているのはマリアヴェルだ。でもこうも思うのだ。アルフレッドはフローリアに好意的な態度だった。妬けてしまうくらいには、彼女を気にかけていたように見える。それなのに、肝心なところで突き放すだなんてあんまりだ。
「どうして今になってそんな冷たい言い方をするの? お兄様、フローリア様に好意的だったじゃない」
可愛い妹と歳の差がない令嬢だから、親切に振る舞うのは紳士として当然だと言っていたのに。
「マリィは僕がフローリア嬢に甘いと拗ねていたのに、今度は彼女に優しくしろって言うんだ」
「あの時とは、状況が違うわ」
「状況が違うから、余計にマリィが求めていることは間違っているよ」
「わたしが悪いのはわかってるわ! でも……っ」
「そういう意味じゃないよ」
そこで、初めてアルフレッドが表情を崩した。何を言っても動じなかった彼が、悠然とした笑みを引っ込める。困ったような、弱ったような表情で何事かを言いかけ――結局は、口を噤んだ。
柔らかな金髪に指をうずめ、ため息混じりに囁く。
「……マリィは何も悪くないよ。ただ、この一点に限っては、考えが足りていない」
「お兄様の言いたいことが、わからないわ」
マリアヴェルは、何か大事なことを見落としているのだろうか。
「僕が言いたいのは一つだけだよ。フローリア嬢と関わる気は一切ない。だからマリィの頼みも聞けないね」
話はこれで終わりだと言わんばかりに、アルフレッドが椅子に座る。机に置かれた書類を手に取った彼は、マリアヴェルへの興味を失くしたかのよう。
せめて、ちょっとくらい検討してくれてもいいのに。アルフレッドはどこまでも容赦がなかった。
フローリアが口にしたように、アルフレッドは時には非情な決断を下す。だが、傷心の女の子を放って知らんぷりするような、根っこから冷たい人ではないはずなのに。
「お兄様の冷血漢……っ!」
見向きもしない彼にモヤモヤする気持ちをぶつけて、マリアヴェルは書斎を飛び出した。