第11話 明かされる一つの事情
「初めまして、カイン・アルバレス様。アッシュフォード侯爵家のマリアヴェルと申します」
着飾った人々の談笑でざわめく広間でさっそくカインを見つけたマリアヴェルは、屈託のない笑みと共にそう声を掛けた。
会場の隅で所在なさげにしている茶髪の青年は、アンネに聞いていた風貌通り。長身痩躯で、意志の強そうな瞳が爛々と輝く、真面目そうな青年だった。
こういった場で、深窓の令嬢が異性に声を掛けるのはご法度。非常識ともいえる振る舞いだが、カインは少なくとも、負の感情を顔に出したりはしなかった。
「本日は、婚約者であらせられるイスマイール伯爵令嬢はご一緒ではないのですか?」
アンネローゼはわざと遅れてやってくる手筈になっている。知っていながらも、会話の取っ掛かりとしてあえて尋ねた。
「所用で少し遅れるらしい。いずれ、来るとは思うが……」
自信なさげなカインの声に、マリアヴェルは目を瞠る。視線に気づいたカインが憂鬱そうな表情を消し、よそよそしい笑みを浮かべた。
「君は、アッシュフォード侯爵の妹君だ。侯爵と噂になっているフローラは俺の友人なんだが、君の兄君とは上手くやっているのだろうか?」
突然振られた話題に、マリアヴェルは一瞬、固まってしまった。どう答えるのが今後のためなのだろう。考えを巡らせたのは刹那の時間。すぐに微笑む。
「はい。妹のわたしが妬いてしまうくらい、良好な関係を築いていらっしゃいますわ」
「……そうか。それなら、安心だな」
頬を緩めるカインの反応に、マリアヴェルは眉をひそめた。想い人が結婚するかもしれないというのに、さっぱりし過ぎではないだろうか。
「カイン様は、フローリア様の婚約を祝福していらっしゃるのですか?」
「当たり前だろう。友人の良縁を喜ばないわけがない」
晴れ晴れとした顔に、嘘は混ざっていなさそう。偽りのない本音に聞こえて、困惑を隠せない。
「……ご自身の婚約事情はあまり上手くいっていらっしゃらないのに、随分と余裕がありますのね」
このままでは埒が明かない気がして一歩踏み込むと、カインの眼差しが冷ややかなものになった。
「不躾だな」
「わたしの噂はご存知なのでしょう? 今更外面を取り繕っても手遅れですから。破談を四度も経験した先達として、助言を与えましょうか?」
「必要ない。フローラが幸せになってくれれば、アンネも腹を括るだろうからな」
「……兄との結婚が、フローリア様の幸せに繋がると?」
もしかして、カインはフローリアの気持ちを知らないのだろうか。二人が恋人同士というのは周囲の勘違いで、お互いの想いを伝え合っていないのでは。
そんなマリアヴェルの想像を裏切るように、
「アッシュフォード侯爵は出来た人なんだろう? お似合いじゃないか。フローラには世話になったんだ。アンネへの贈り物やプロポーズの言葉、しょっちゅう相談に乗ってもらったよ。アンネとの婚約が成立したのは、フローラのおかげでもある。だから、彼女には幸せになって欲しい」
照れたような笑い顔を見れば、カインの心の中に誰が住んでいるかなんて、明らかだ。
状況を理解したマリアヴェルは、アルフレッドの忠告の意味を理解する。これは、ダメだ。
「カイン様――」
失礼しますね、とマリアヴェルがこの場を離れる前に。
「カイン!」
怒気を孕んだアンネローゼの声が、割って入った。不機嫌そうな顔で近づいてきたアンネローゼは、
「二人きりで、随分と楽しそうだね。婚約者が居るのに年頃の――」
「アンネローゼ様。こちらへ」
マリアヴェルは、打ち合わせ通りの台詞を口にしようとしたアンネローゼの手を引き、その場から無理やり連れ出した。
ひと気のないバルコニーへ出ると、アンネローゼが手を振り解く。
「どういうことなの、マリア。段取りと違う」
「どういうこと、はわたしの台詞よ」
ちょっと怒ったようなアンネローゼの顔を、マリアヴェルは怯むことなく見据える。
「カイン様がフローリア様を愛していらっしゃるというのは、本当?」
アンネローゼが息を呑む。
「…………」
答えは返ってこない。何も言わないアンネローゼに焦れながらも、辛抱強く告げる。
「先日、アンネ様が気さくに声を掛けてくれたこと、とても嬉しかったわ。アンネ様に失望したくないの。お願いだから、本当のことを教えてちょうだい」
「…………」
困ったように眉根を寄せて。ひたすら押し黙って俯くアンネローゼの態度は、答えを口にしているようなものだった。
「フローリア様がカイン様を愛していらっしゃるというのも、嘘なの?」
「違うッ、違うよ! それは本当に、本当の話」
弾かれたように顔を上げたアンネローゼが、強く頭を振る。
「嘘を吐いてごめんなさい。でも、フローラがカインを想っているのは事実なの。そうじゃなかったら、婚約解消なんて考えたりしないよ! カインは出来た婚約者だもの。フローラの想い人じゃなかったら、快く受け入れてる」
アンネローゼの明かした事実に、マリアヴェルは目を伏せる。カインは婚約者であるアンネローゼを愛している。それが事実なら、二人の婚約を破談にするなんてとんでもない話だ。カインが婚約解消に首を縦に振らないのも当然のこと。
「……アンネ様のお話は、聞かなかったことにするわ」
大きな瞳が、傷ついたように見開かれる。そんな顔をされても、マリアヴェルにできることは何もないのだ。
「お願い、そんなことを言わないで。私にはマリアの力が必要なの。フローラがこのままアッシュフォード侯爵と結婚するのは、マリアだって望まないでしょう?」
「それは……」
アンネローゼとカインの婚約が破談に傾けば、フローリアもアルフレッドとの契約結婚を諦めるだろう。そんな算段はしていた。だからといって、カインの想い人を知った上で協力なんて、できるはずもない。
「アンネ、何か揉めているのか?」
心配顔でやってきたカインに、アンネローゼの意識が向く。その隙に、マリアヴェルはアンネローゼから距離を取った。
「少し、整理させてちょうだい。今夜はこれで失礼するわ」
追い縋ってくるアンネローゼを無視して、マリアヴェルは広間を飛び出した。




