第10話 アルフレッドへのおねだり
お茶会から帰宅したマリアヴェルは、すぐにアルフレッドの書斎を訪ねた。
「――というわけでお兄様、カイン・アルバレス様が出席する夜会にわたしも参加したいの。招待状の手配をお願いしてもいい? お兄様なら伝手があると思うのだけど……」
両手を祈るように組み合わせ、可愛らしくおねだりする。羽ペンを動かす手を止めて顔を上げたアルフレッドは、めいっぱいの困惑を浮かべていた。
「……というわけ、で経緯を端折られても返答に困るな」
アルフレッドの心からの困り顔はとても貴重なので、しっかりと堪能してから首を傾げる。
「カイン・アルバレス様はご存じ?」
「アルバレス子爵家の次男坊だろう? 直接の面識はないけれど……最近、イスマイール伯爵令嬢との婚約が上手くいっていないって話は、よく耳にするね」
流石は貴族の内情に精通したアルフレッド。
「あのね、その伯爵家の令嬢アンネ様とフローリア様は、大の親友なんですって」
二人の関係性と、アンネローゼから頼まれたことを順を追って説明する。こんな形で他人の婚約事情に首を突っ込むだなんて、叱られるかしらと、マリアヴェルはアルフレッドの顔色を窺った。
傾いた夕日に照らされた柔和な面差しに、呆れや憤りの色はない。口を挟むことなくじっと耳を傾けてくれていたアルフレッドが、首を捻る。
「それで? 破談の策謀に定評のあるマリィは、どんな名案を思いついたんだい?」
そう尋ねてくるということは、一先ず好きにしていいということだ。アッシュフォードの名誉を損なう恐れがあれば義兄は苦言を呈するはずなので、ホッとする。
方法はすでにアンネローゼと相談して決めてあった。だが、それを口にする前に。気になることがあったので、マリアヴェルはおずおずと尋ねた。
「あの、お兄様? フローリア様がお兄様との結婚にこだわっている動機については、無反応でおしまい?」
想い人を忘れるため、フローリアはアルフレッドを利用しようとしているのだ。思うところは何もないのだろうか。
「フローリア嬢が契約結婚にこだわっている時点で、何かしらの下心があるんだろうなとは思っていたから」
「え、でも……フローリア様の、縁談を断るのが億劫だから手っ取り早くお兄様と結婚してしまいたいって主張は、筋が通っていたと思うわ」
「それなら、契約結婚である必要はないよ。政略結婚なんて公爵家の令嬢であるフローリア嬢からすれば、当たり前。結婚して縛られたくないなんてわがままが通る立場じゃないことくらい、彼女は弁えているはず。それらしく響く理由を並べてきた時点で何か隠したいことがあるんだろうなって、僕はあの日、フローリア嬢と話して感じていたよ。探られたくなさそうな反応もしていたしね」
アンネローゼは、フローリアを真面目な令嬢だと評した。マリアヴェルから見た彼女はとても厄介な令嬢だ。たった一度しか顔を合わせていないマリアヴェルと、アンネローゼの評価。正しいのは、きっと後者。そして真面目な公爵令嬢なら、アルフレッドの言う通り結婚して縛られたくない、なんて発想は抱かないだろう。家のための結婚を受け入れ、夫に尽くすのは大貴族の令嬢なら当たり前のことだ。
ふと、気づく。
アルフレッドがフローリアの意図を最初から見抜いていたのなら。フローリアの強引なやり方を放置した先に、彼は何を見たのだろう。マリアヴェルがアンネローゼと関わりを持つことも、見通していたのだろうか。だから、反対しない?
それとも、フローリアの交友関係までは把握しておらず、本当に害がないから放っておいただけ?
ぐるぐると考えを巡らせていたマリアヴェルは、途中で思考を放棄した。アルフレッドがどこまで想定しているかなんて、考えたところでわかるはずもないからだ。知るべき時が訪れたら、アルフレッドはきちんと話してくれる。そして、彼のすることに間違いはない。
マリアヴェルはいつだって、悲しいほどに頭が回るこの兄を信頼しているのだから。
黙り込むマリアヴェルを、アルフレッドが見上げていた。大好きな紫苑の瞳に、にっこりと微笑みかける。
「お兄様が怒っていないなら、フローリア様がわたしのお兄様を都合よく利用しようとしたことには、目を瞑るわ。それでね、破談の方法なのだけど、わたしがカイン様を口説こうと思うの」
「それで?」
わざと語弊がある言い方をしても、アルフレッドは眉一つ動かさなかった。思わず、頬を膨らませてしまう。
「もう、お兄様? 可愛い妹が他所の男性に言い寄ると言っているのよ? 少しくらい動揺して欲しいものだわ」
ちょっとくらい面白くなさそうな顔をしてくれたって、罰は当たらないのに。
「過去に四人も婚約者がいたんだから、今更じゃないかい?」
呆れたように言われて、ますますむくれてしまう。
「マリィがカイン殿に近づいて、その後は?」
「……わたしと世間話をするカイン様を目撃したアンネ様が、彼に食ってかかるの。大勢の人の前で修羅場を演じれば、二人の不和は広まるわ。些細なすれ違いが話題になれば、フローリア様の耳にも届くかしらと思って」
それに、婚約者から疑われる毎日が続けば、心は摩耗する。真面目な人であるなら尚更辛いだろう。アンネローゼが婚約解消したいと訴え続ければ、カインの気持ちにも変化が生じるかもしれない。ちょっとした誤解をきっかけにすれ違った結果、破談となった。これなら、身分が上のアンネローゼ側に非があるのだから、子爵家の立場だって守れる。
「なるほど、ね」
マリアヴェルは背筋を伸ばした。アルフレッドに反対されてしまえば、それまでだ。義兄の反対を押し切ってアンネローゼに力を貸すなんて危ない橋は、渡れない。
アルフレッドは、淡く微笑んだ。
「わかった、いいよ。招待状の手配は引き受けよう。代わりに一つ、僕と約束してくれるかい?」
「なあに?」
「計画を実行する前に、カイン殿の人柄に探りを入れてくれ」
「お兄様は、カイン様のことが知りたいの?」
アルフレッドが知りたいとなると、嫌な予感しかしない。アンネローゼは真面目な好青年と評していたが、裏ではよくない噂でもあるのだろうか。
マリアヴェルが表情を曇らせると、アルフレッドは苦笑した。
「違うよ。僕が知りたいわけじゃない。ただ……知っておいたほうがいいんじゃないかなって」
「アンネ様からは、真面目な方だと伺っているわ」
「アンネローゼ嬢の言葉だけじゃなくて、君の目から見てどんな人物かも、しっかり見ておいで。約束できるかい?」
真意は謎だが、真剣なアルフレッドの眼差しに反抗できるはずもない。マリアヴェルはこくりと頷いた。
「でも、曖昧過ぎて実行に移していい基準がわからないわ」
一体どうすれば、アルフレッドの言いつけを守ったことになるのだろう。
「そこは、マリィの判断に任せるよ」
目の前にあるのは見惚れるくらい綺麗な微笑みだけれど、発言はなかなかに無責任なものだった。




