第8話 アンネローゼとの出逢い
アンネローゼと接触するために参加したウィンザー伯爵邸のお茶会は、午後の陽射しがたっぷりと降り注ぐ、南向きの応接間で開かれた。着飾った令嬢たちが談笑を交わす華やいだ場は、マリアヴェルにとって居心地の悪いものだった。
「アッシュフォード侯爵とシュタットノイン公爵令嬢は、いつからお付き合いを?」
「お二人の馴れ初めを、侯爵令嬢はご存じかしら?」
すっかり時の人となったアルフレッドについての詮索は、ひっきりなし。キラキラとした瞳で尋ねてくる令嬢たちに悪気がないことは、もちろんわかっている。それでも、普段はマリアヴェルに見向きもしないどころか敵意を剥き出しなのに現金だわ、と思う。
噂の悪女らしく、嫌味で突っぱねてしまえたら楽なのに。
矢継ぎ早に飛んでくる質問を適当に流しながら、マリアヴェルは心の中でため息を吐く。
同じテーブルに、アンネローゼもいる。好奇心丸出しの令嬢たちとは異なり、アンネローゼが輪に加わってくることはなかった。
フローリアに関する情報収集が目的なのだから、アンネローゼを不愉快にさせるのは得策ではない。この場の空気を悪くするのは避けなくては。
――この方たちを何とかしないと、アンネローゼ様に話しかけることすら叶わないけれど。
愛想笑いでやり過ごしつつ、この状況をどうすべきか悩んでいると。
「アッシュフォード侯爵令嬢、紅茶のおかわりはいかが?」
声をかけられて、マリアヴェルは驚いた。そう言ってティーポットを掲げてみせたのが、アンネローゼだったからだ。
癖のない栗色の髪をツインテールにしたアンネローゼは、可愛らしい女の子だった。くりっとした薄緑の瞳は人懐っこそうで、無邪気な印象を受ける。
マリアヴェルがカップを差し出すと、アンネローゼは慣れた手つきで紅茶を注いでくれた。せっかくだからこれをきっかけにお近づきになれないかしら、と算段を立てていると。
どうぞ、と手渡されたカップを受け取ったマリアヴェルは、小さな悲鳴を上げた。アンネローゼの手元が狂ったのか、カップが傾いて紅茶がこぼれたのだ。幸い、マリアヴェルにかかることはなかったが、テーブルのクロスには琥珀色の水溜まりができてしまった。
「火傷したら大変! すぐに冷やさないと!」
令嬢たちのざわめきをかき消すほどの声で、アンネローゼが悲鳴を上げる。彼女に手を引っ張られたマリアヴェルは、半ば強引に応接間から連れ出された。
アンネローゼはそのまま、ひと気の薄い廊下をずんずんと進んでいく。
「あの、アンネローゼ様!」
紅茶はかかっていないので大丈夫です、と主張する前に。
「なーんて、ね」
マリアヴェルから手を離し、振り返ったアンネローゼが悪戯っぽく瞳を細めた。窓から差し込む陽光を浴びて輝く笑顔は、お日様みたいに眩しい。
「居心地が悪そうだったから。余計なお世話だったかな?」
愛らしい顔にちょっと困ったような色を浮かべて、アンネローゼが小首を傾げた。マリアヴェルは、ようやく彼女の意図に気づく。困っているこちらに気づいて、連れ出してくれたのだ。
お礼を口にしようとすると、アンネローゼがあっ、と口元に手を当てた。
「ごめんなさい。つい、いつもの癖で。侯爵令嬢にこんな言葉遣い、失礼でした。非礼をお許しください」
「爵位はわたしの生家が上だけど、アンネローゼ様はわたしよりお年が一つ上でしょう? それで対等とするのはどうかしら?」
公の場以外での堅苦しい言葉遣いは、マリアヴェルもあんまり好きじゃない。アンネローゼは嬉しそうに頰を紅潮させた。
「ありがとう。お近づきの印に、アンネって呼んでくれたら嬉しいな。みんなそう呼ぶし、アンネローゼ、なんて舌を噛みそうになるでしょ?」
「それなら、わたしもマリアで構わないわ。連れ出してくださって、ありがとう。あまりにも居心地が悪過ぎて、逃げ出したいと思っていたところだったの」
マリアヴェルが微笑むと、ペリドットの大きな瞳が不思議そうに瞬いた。それからアンネローゼは、クスクスと笑い出す。
「どうして笑うの?」
「あ、ごめんね。やっぱり噂ってアテにならないなって。直接話してみないと、どんな子かなんてわからないものだよね」
可笑しそうに笑みを堪えるアンネローゼは、印象通りの人懐っこい令嬢みたいだ。
「私の親友もね、よく誤解されるの。大抵はくだらない嫉妬なんだけどね。その子は公爵令嬢って立派な肩書きに負けないくらい、容姿も性格も文句なしだから。生真面目過ぎて愛想笑いが上手くなくて、いっつも真面目な顔で人の話を聞くものだから、つけ込まれちゃうんだよね。冷たく見えてお高くとまってる、なーんて……。あの子が冷たかったから、そんな風に言う人たちは何者なんだろうね?」
廊下の柱に背を預けたアンネローゼは、どこか遠くを見るような眼差しで、呟くように言う。
親友。公爵令嬢。それが誰のことを指しているのか。すぐにわかった。性格も文句なしという文言には、首を捻りたくなるが。
「それって、シュタットノイン公爵令嬢のことかしら?」
アンネローゼの瞳が、真っ直ぐにマリアヴェルを見てくる。輝くような快活さは、いつの間にか物憂げな表情にすり替わっていた。
「あなたを連れ出しておいて、こんなことを尋ねるのは最低だってわかってる。だけど、許して欲しいの。私の――大切な親友のお話だから。フローラは、本当にアッシュフォード侯爵とお付き合いしてるのかな?」
応接間でたくさん注がれた、野次馬めいた瞳とは違う。真剣な眼差しからは、心配と不安が読み取れた。だからマリアヴェルは、真摯に答える。
「噂は事実無根よ。でも……フローリア様は、兄との婚約を望んでいるみたい」
薄緑の瞳が大きく瞠られた。かと思うと、アンネローゼは勢いよくその場にしゃがみ込んでしまう。
「もう〜〜! フローラのおばかさん! 私の言い分を聞きもしないで、どうして一人で決めちゃうのよっ!!」
屋敷中に響き渡りそうなほどの、アンネローゼの叫び。
「本当に、真面目なんだから……」
磨かれた床を睨むように見つめてぼやくアンネローゼに、マリアヴェルはただただ困惑する。
「あの、アンネ様? ええと、話がよく、見えないのだけれど」
立ち上がったアンネローゼが、マリアヴェルの両手をぎゅっと握った。据わった眼差しがちょっと怖くて、マリアヴェルは腰が引けてしまう。
「あなたを連れ出したのは、もう一つ下心があってのことなの。そう言ったら、失望する?」
「下心?」
頷いたアンネローゼは、憤りを孕んだ瞳を隠すように目を伏せて、
「気を悪くさせてしまったらごめんなさい。穏便に婚約解消するコツを、ご教授願いたいの。私……どうしても婚約者とお別れしたいんだ」
そう囁いた。