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悪女なわたしですが、浮気も婚約破棄も望むところです  作者: 雪菜
第一章

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第28話 手を離してくれたら

「おかえりなさい、お兄様っ」


 アルフレッドが玄関ホールに入ると、階段を駆け下りてきたマリアヴェルがそのままの勢いで飛びついてきた。柔らかな身体を抱き留めながら、アルフレッドは内心で苦笑する。


 結婚するならお兄様がいい、と主張する可愛い義妹いもうと。正直なところ、この子がアルフレッドを異性として意識しているとは思えない。昔から自宅では甘えっ子だったが成長してからも変わらずべったりで。アルフレッドを異性として意識しているなら、多少は距離感を改めるはず。


「ただいま、マリィ」


 微笑みかけつつ指通りのいい亜麻色の髪を梳くと、マリアヴェルは心地よさそうに瞳を細めた。だが、大きな双眸はすぐにぱちりと瞬く。そのまま彼女は小鳥のように首を傾げた。


「お兄様、疲れている?」

「……殿下は人使いが荒いから。次から次に厄介事を押し付けられて少し、ね」

「まぁ。わたしのお兄様をやつれさせるだなんて大罪だわ。その分、殿下はたっぷりねぎらってくれたのでしょうね?」

「うーん。殿下が僕を労うことはない、かな」


 ユリウスにとって、命じたことをアルフレッドがこなしてみせるのは当たり前。だからご苦労だった、と形だけの声かけをしてお終いだ。王太子だけではない。国王も宰相も、内務省に勤める同僚たちも。彼らにとってアルフレッドが何かを成し遂げることは息を吸うのと同じくらい容易いことのように映っているらしく、気遣われたことも労られたことも記憶になかった。


 だからどうした、という話だけど。


「…………」

「マリィ?」


 紺碧の瞳がじっと見上げてくるので、戸惑う。疲れている自覚はあるが、そんなに憔悴が顔に出ているだろうか。


「お兄様、こっち」


 いきなりそんなことを言って、マリアヴェルがアルフレッドの手を引いた。


 彼女がぐいぐいと引っ張ってきたのはアルフレッドの私室だ。そのまま部屋主の了承なく扉を開けてしまう。見られて困るものなんてないので、別に構わないけれど。


 仕事の完璧な侯爵家の使用人は、とっくに部屋に明かりを灯してくれている。ランプの柔らかな明かりに照らされた広い部屋で、マリアヴェルが足を止めたのは長椅子の前だった。


「はい、お兄様。座って」


 そう促された時には、アルフレッドはマリアヴェルの意図を察していた。大人しく従ったアルフレッドを満足そうな顔で見下ろしたマリアヴェルが、


「お疲れ様でした、お兄様」


 そう言って、幼い子供をあやすかのように頭を撫でてきた。たっぷりの労わりと、親愛を込めて。


 ――たまらないな、と思う。


 マリアヴェルは幼い頃からアルフレッドの負の感情に敏感だ。確信があって慰めているわけではなく、何となく、なのだろう。何となく、漠然とアルフレッドの孤独と苦悩を感じ取っている。


 侯爵家の跡取りとして望まれている通りに。周囲が思い描いている完璧な人間として振る舞うことに、アルフレッドが疲れている時。


 偶に。本当にごく偶に、嫌気が差して何もかも投げ出したくなった時に。


 舌足らずな喋り方でお兄様はいい子よ、なんて言って頭を撫でてくるのがマリアヴェルだった。

 

 賢いこの子が、アルフレッドの思惑に気づかなかったはずはないのに。いつだってマリアヴェルが向けてくるのは、真っ直ぐな親愛だ。


 いつか、この子を無自覚に傷つけてしまう前に離れて行って欲しい。それがアルフレッドの嘘偽りない本音だ。


 だって、アルフレッド自身にもわからないのだ。例えば、今こうしてされるがままでいることも。マリアヴェルならこちらの疲弊を感じ取ってくれるから。その優しさと聡さを利用して、擦り減った心を癒やしてもらえるように振る舞った。そうじゃない保証が、自分の中にすらないのだ。


 計算か、天然か。今となってはもう境界線が曖昧で。だが、必要な時には他人を意のままに手のひらの上で転がせるアルフレッドが、普段からそれをしていないと、どうして言えるのだろうか。事実、ユリウスはアルフレッドの一挙一動が常に計算したものだと感じているというのに。


 本当は、わかっている。


 マリアヴェルの幸せを願うなら、彼女がアルフレッドとの日常に疑問を抱く前に、きっぱりと拒絶してしまえばいい。アルフレッドが曖昧な態度で約束したから、マリアヴェルは幼い頃からの親愛を捨てられないでいるのだ。


 ――でも。


 よしよし、と撫でてくるマリアヴェルの手のひらを掴んで、やんわりと押し戻す。


「お兄様?」


 きょとん、と瞬く瞳を見上げて、


「ありがとう。でもそろそろ着替えたい、かな。もうすぐ夕食の時間だろう? この堅苦しい格好のままはちょっと……」


 フロックコートもフリルのシャツも。王宮に相応しい装いは、私生活では窮屈なだけだ。


 襟を緩めながら悪戯っぽく言えば、真っ赤になったマリアヴェルは慌てて部屋を出て行く。


 独りになったアルフレッドは、俯いた。


 幼い頃から寄り添ってくれるたった一つの温もり。世界で一番大切な女の子を拒絶するなんて、無理に決まっている。それが最善だと冷静な部分で理解はしていても。どうしたって、アルフレッドからは手を離せない。マリアヴェルから離れてもらうことでしか、この関係性に終止符を打てないのだ。


 ずっとアルフレッドだけのマリアヴェルだったから、彼女が誰かのものになるなんて面白いはずがない。それでも、いつか苦しめるとわかっていてすがり続けるわけにはいかなかった。


 マリアヴェルが心から愛する人なら、アルフレッドはきっと許せるから。


 肝心なところで突き放せない自分からマリアヴェルを奪ってくれる誰かが現れるのを、もう何年も前から願っている。

ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。第一章はこれで完結となります。第二章も基本的にはシリアス路線になるかと思うのですが、引き続きお付き合い頂けましたら幸いです。


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