第27話 アルフレッドの苦悩
受け取った墓所の鍵をユリウスへと渡し、オズボーン侯爵家の管轄であった領地を今後どうしていくか、宰相と相談している間に日はすっかり暮れて。話し合いが一段落して王宮を退出する頃には日が完全に沈み、夜の帳が下りていた。
「情がない、か……」
侯爵邸への帰り道。馬車の中で、アルフレッドはスコットから叩きつけられた言葉を反芻していた。
目的のためなら手段を選ばない冷徹さが他人の目にどう映るかなんて、よくわかっている。
嫌悪も軽蔑も、良好な人間関係を築く上では邪魔なもの。好感を持たれて得はあっても、逆は損しかない。普段のアルフレッドであれば悪感情を抱かれるような振る舞いは絶対にしない。
だというのに、冷徹な手段を講じたのは――。
お兄様、と。一途に慕ってくる義妹の無邪気な信頼に、アルフレッドは無意識の内にため息をこぼす。
こつん、と。窓に額を押し付けて。
――その綺麗な面に騙されている奴らが、不憫でならないな。
スコットはそう吐き捨てたけれど。たぶん、一人を除けばアルフレッドの微笑みに騙されて傷つく人間なんて存在しない。本当の意味で親しい人間なんて、アルフレッドにはいないのだから。
アルフレッドは物心ついた頃から何だってできたが、他人の心の機微を読むことにかけては天才だった。相手の考えていることが手に取るようにわかり、いつだって先回りしてきた。周りが望むように振る舞うのは当時のアルフレッドにとって自然なことだった。嫌われるよりも好かれていたいのは当然の心理で、いい子だと頭を撫でてもらえるのは嬉しいことだったから。
そんなアルフレッドは大人たちにとって手のかからない侯爵家の優れた御曹司だったが、同年代の子供たちからは印象が異なった。接する距離が近ければ近いほどアルフレッドの察しの良さ、そつのなさに居心地の悪さを覚えてしまうらしい。
ユリウスがいい例だ。八歳の時に引き合わされた王太子は、当初からアルフレッドに強烈な劣等感を抱いていた。教師や国王夫妻からアルフレッドが称賛されると、その隣でできない自分を恥じるような、申し訳なさそうな顔をしていた。
もちろんアルフレッドはユリウスの胸中にすぐ気づいたから、でしゃばらないよう、彼の矜持を傷つけることがないよう細心の注意を払った。
鈍い人間相手ならば、それで上手くいったのだろう。
だが、ユリウスは本人の繊細な気質ゆえか鋭いところがあった。アルフレッドの気遣いに気づいた彼は心を見透かされていると感じたらしく、苦手意識を強めて関係はぎくしゃくするばかりだった。
王太子の刺々しい態度に不満をこぼすわけにもいかなかったから、窮屈でしんどくて、王宮に足を運ぶのが億劫で仕方なかった。嫌われている相手の側仕えほど厄介な役目もないと、アルフレッドは八歳で学ぶことになった。
成長してわざと隙を見せる術も身につけたが、アルフレッドがどれだけ注意深く立ち回り、気を遣っても敏い人間は支配されていると感じてしまうらしい。心を読まれている、手のひらの上で踊らされている、と。アルフレッドにそんなつもりがなくても、だ。アルフレッド自身、自分の言動のどこまでが無意識でどこからが計算なのかわからないから、他人がそう感じてしまうのは無理もない。
近ければ近いほど支配されている気分になり、息苦しさを感じさせてしまう。そうとわかっていても、アルフレッドにはどうしようもなかった。聡さを殺して鈍いふりをしても上手くいかず、最終的に他人と一定の距離を保つようになった。社交辞令くらいの関係なら窮屈さを感じさせてしまうこともない。そんなだから、アルフレッドに親しい友人なんていなかった。
周囲には身分を超えた友人に映っているであろうユリウスだって、成長したことで打算が機能するようになっただけ。
友人としては居心地の悪いアルフレッドの才能は、部下としては非常に重宝できると気づいたのだ。他人を意のままに動かして、望む結果にこぎつける。そんなアルフレッドの才覚が。
今回の件だって、スコットは彼が自覚している以上に、最初から最後までアルフレッドの手のひらの上で踊っている。
スコットは夢にも思っていなかっただろうが、彼が提示してくる条件をアルフレッドは最初から想定していた。
スコットの妹が傷物にされた上に堕胎薬を飲まされた件は、事前の調査で知っていた。相手の男までは調べが付かなかったが、ある程度会話を誘導してやればスコットが妹を苦しめた相手に報復を望むだろうと見越し、ミーシャの話題を出して復讐心をそれとなく焚き付けた。スコットはアルフレッドへの反発心から無理難題を吹っかけたと思っていただろうが、実際にはアルフレッドが達成しやすい条件に誘導しただけ。
ミーシャを捨てた男がマリアヴェルの婚約者候補だったのは想定外だった。それも、望む展開に進める上で都合がいいから利用することに決めた。マリアヴェルを利用することに抵抗感がなかったわけじゃない。だが、躊躇以上にちょうどいいと思ったのだ。
聡いマリアヴェルは、アルフレッドの本質に気づく時が必ず来る。もしかしたら義兄の言動は何から何まで計算で、すべての振る舞いが演技なのでは――。そんな風に疑う日が訪れたら、マリアヴェルはどうしていいかわからなくなってしまうだろう。
いつかは離れていくのだから、マリアヴェルを苦しめてしまう前に彼女を手離すのが最善だ。
聡明なマリアヴェルのことだから、今回の件でアルフレッドが彼女を利用したと勘づくはず。その冷徹さに失望し、他の男に目を向けるきっかけになってくれれば――。
それがたぶん、お互いにとって一番いい。