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第15話 噂は噂

『マリアヴェル様のような同年代のご令嬢や小さい子供でしたら大丈夫なのですけれど、男性や年上の女性、あとは人の多い場面だとひどくて……まともに話せなくなってしまうのです』

 

 小柄な体躯を更に縮こまらせながら、消沈した様子でエレナーデは便箋にそう綴った。


『以前はこうではなかったのです。殿下とも普通にお話しできていましたし、社交場でも問題なく振る舞えておりました。ですが、妃教育で……』


 文章は、そこで止まってしまった。項垂れたエレナーデに代わって口を開いたのは侍女だ。


「お嬢様の教育係を務めたオールディン公爵夫人が、あんまりなお方だったのです! ご自分の孫娘を殿下と婚約させたいが為に、お嬢様に陰湿なことばかりなさって! 毎日毎日お嬢様を叱責し、詰っては鞭で打つだなんてあんまりですわ! 王妃様が臥せっておられ、後宮では殿下の目が届かないのをいいことに……っ!」


 憤慨する侍女の言葉は、ぞっとするものだった。


 王族以外の男性が立ち入れない後宮のどろどろ具合は物語でもよく描かれる題材の一つ。女性の陰湿さは身を持って知っているだけに、こんなに繊細そうなエレナーデが悪意に晒されれば精神が参ってしまうのは容易く想像できた。


「公爵夫人の所業を殿下に相談されたりは……」


 エレナーデは力なく首を横に振った。


『わたくしも、半ば意地になっていたのです。王妃となるのに夫人や宮女と上手くやれていないだなんて、情けなくて……。最初の頃は夫人が厳しいのはわたくしが至らないからだと考えていて……。未来の王妃に相応しい教養と振る舞いを身につければ認めてもらえると、そう思っていたのです』


 孫娘との縁談を目論む夫人からすれば、エレナーデに音を上げさせることが目的なのだから逆効果でしかない。


『頑張れば頑張るほど、認めてもらえないことが苦しくなってしまって……。どうすれば後宮で上手くやれるのかわからず……段々、人の目が気になり始めて……。ある時、王宮での会食で声が出せなくなってしまったのです。そこでわたくしの異変に殿下が気づき、アル様が後宮の出来事を調べ上げ、夫人が罰せられることになりました。オールディン公爵家の威光から表沙汰になることはなかったのですが……。それから殿下はわたくしを気遣ってしばらく屋敷で療養するといい、と時間をくださいました。あれから半年も経つのに、わたくしは……』


 ふと気になったことがあって、マリアヴェルは首を傾げた。


「王女殿下の誕生祭では、問題なく振る舞っていらっしゃったように見えましたわ」

『あれは、殿下とアル様が事前に打ち合わせてわたくしの公務を最大限に削ってくださっているからなのです。殿下の隣でただ微笑むだけで、話しかけられたら殿下がさりげなく割って入ってくださって……今のわたくしは殿下に負担をかけるだけの、お人形のようなものです……』


 黒曜石の瞳は物憂げながら、自身に対する憤りが強く滲んでいるようにも見えた。


『王妃教育の件で、殿下はわたくしに負い目を感じていらっしゃるのです。殿下は情に厚い方ですから。殿下が幼少の頃から婚約されていたセイレーン侯爵令嬢の浮気が発覚した際も、自分が至らないからだと仰って許そうとなさったくらい、身内に甘い方なのです。わたくしは殿下の優しさを無下にしたセイレーン侯爵令嬢がどうしても許せず……お父様にお願いして、侯爵家との縁談が破談になるよう働きかけていただいたのです。どういう訳か、その後殿下の婚約者にはわたくしが選ばれました。それなのに、今度はわたくしが殿下の名誉を傷つけてしまうだなんて……っ』


 ユリウスのことをこれだけ慮っているエレナーデが、彼の恥になるような軽率な行動に走るようには思えない。


「それでは、世間での嫉妬姫の噂は……? 殿下はエレナーデ様本人が事実を認めたと仰っていましたけれど……」


 エレナーデは困り顔で万年筆を滑らせる。


『ハウストン子爵令嬢が池に落ちたのは、ぬかるみで足を滑らせてしまった事故です。ヒースベル伯爵令嬢の件も、わたくしが紅茶をお渡しする際、彼女が動いた拍子に手元が狂ってカップが傾いてしまって……。噂はどれも事実とは異なるものですが、わたくしも頭が真っ白になってしまって誤解を正せず……。ただ、後になって考えたのです。社交場で声が出せなくなる妃だなんて殿下の不名誉に繋がりますのに、負い目から婚約解消を躊躇っていらっしゃるご様子……。わたくしがひどい女になれば殿下も名分ができ、婚約を白紙にされるのではないかと思って』

「でもそれでは、エレナーデ様が殿下に軽蔑されてしまうのでは……?」


 ユリウスのために泥を被った結果、軽蔑されてしまうのはあんまりにも悲しい。指摘に、エレナーデは緩やかに首を横に振った。


『噂が事実ではないと、殿下はご存知だと思うのです。諍いになったのはすべてセイレーン侯爵令嬢のご友人ですから。肯定したわたくしの意図を、殿下も見抜いていらっしゃるはずです。だからこそ、マリアヴェル様に縁談を持ちかけたのだと――』

「あ……ごめんなさい、エレナーデ様。わたしと殿下の縁談は嘘なのです」


 白状すると、エレナーデが目を瞬かせた。


「申し訳ありません。エレナーデ様の本心をお聞きしたくて、嘘をついてしまいました」


 大きな瞳が瞠られ、嘘、と唇が動いたように見えた。レース越しに差し込む陽光を浴びて輝く瞳に浮かぶのは、驚愕だけではない。


 マリアヴェルはにっこりと微笑んだ。


「わたしとの縁談が嘘で、安心しましたか?」


 愛らしい顔を真っ赤に染めて、エレナーデが上目遣いに、


『……意地悪です、マリアヴェル様』


 一つ年下の令嬢は、そう抗議してきた。可愛らしい仕草を微笑ましく思いつつ、マリアヴェルは思案した。


 ユリウスは嫉妬姫との縁を切りたい、と言っていた。でもそんな令嬢はどこにもいない。それなら、マリアヴェルが受けた命令は無効だろう。


 そもそもユリウスがエレナーデとの婚約解消を望むなら、マリアヴェルを介する必要などない。それなら、ユリウスの望みは別にあるはず。


 アルフレッドは、マリアヴェルにこの件が委ねられたのは適任だからだろうと推察していた。


 それなら難しいことは考えずに、思うままに行動してみよう。


「ご病気の件をひとまず置いておいた場合でも、エレナーデ様は殿下との婚約は気乗りしませんか?」


 マリアヴェルの問いかけに、エレナーデは長い髪を揺らしてふるふると首を横に振った。


「では、今後のことはきちんと殿下に相談すべきかと。将来夫婦になる仲なのに、一人で悩むだなんてもったいないです。公爵邸に戻られてから、殿下とゆっくりお話しする機会はなかったのでしょうか?」

『公務の合間を縫って一度だけお見舞いに来てくださったのですが……殿下のお顔を見るだけでわたくし、緊張から話せなくなってしまって。申し訳なさから泣き出してしまったものですから、殿下はわたくしを怯えさせると思ったようで……それ以来、公務でしか……』

「それは、また……」


 話を聞いていると、二人は話し合いが足りていないだけに思えるのだけれど。


 話し合おうにもエレナーデが取り乱し、ユリウスは婚約者に泣かれてしまうので及び腰になっているみたいだ。


 うーん、と。顎に人差し指をあて、しばらく考えていたマリアヴェルは、あっと思い付いた。

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