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第14話 嫉妬姫ですか?

 貴族街に並ぶ屋敷の中でも一際立派な白亜の建物――それが、クロムウェル公爵邸だ。


「ようこそ我が家へおいで下さいました。お会いするのは王女殿下の誕生祭以来でしょうか。改めてわたくし、エレナーデ・クロムウェルと申します」


 馬車から降りたマリアヴェルを出迎えてくれたのは使用人ではなく、エレナーデ本人だった。


 レースのリボンが編み込まれた黒髪は癖がなく、腰まで届く長さ。黒曜石のような大きな瞳はタレ目がちで、おっとりとした印象を受ける。背はマリアヴェルよりもわずかに低く、色白で繊細そうなエレナーデは男性の庇護欲だけではなく、同性ですら思わず抱きしめたくなるような愛らしさだった。


 未来の王妃に相応しい完璧なお辞儀をし、エレナーデは淑やかに微笑んだ。


「アル様には王宮で何かとご配慮をいただいておりましたので、妹君であるマリアヴェル様とこうしてゆっくりご挨拶できる機会ができて嬉しいですわ」

「アル、様?」


 義兄を親しげに愛称で呼ぶものだから、無条件に眉を跳ねさせてしまう。


「はい?」


 エレナーデが戸惑ったように目を瞬かせた。愛らしい顔が困惑で曇る様を見て、マリアヴェルは我に返る。愛称で呼んでいるだけでめくじらを立てるだなんて、あんまりにも狭量だ。


 立派な淑女らしからぬ振る舞いだわ、と自身を戒め、誤魔化すように微笑み、挨拶を返す。


 お部屋まで案内しますね、とエレナーデが促した。艶やかな黒髪が揺れる光景を眺めながら、マリアヴェルは困惑を隠せなかった。


 ゆっくりと階段を上がる動作は美しく見せるために計算し尽くされていて、お手本にしたいほどの優雅さだ。気品に溢れた立ち振る舞いは、イマイチ噂と結びつかなかった。


 案内された応接間サロンは、大きな窓から陽が差し込む温かな空間だった。


 椅子に座ったマリアヴェルは、テーブルに並んだティーカップやお茶菓子以外のものに気づいた。今朝侯爵邸で見た記事を切り取ったものが置いてあったのだ。


「あ……」


 マリアヴェルの見ているものに気づいたエレナーデが、紅茶を注ぐ手を止めた。大きな瞳を翳らせた彼女は、再びポットを傾けてお茶の用意を終えると、意を決したように口を開いた。小さな顔は緊張からか、はっきりと紅潮している。


「本日マリアヴェル様をお招きしたのは、下心があってのことなのです。殿下との縁談のお話が事実なのか、それをお聞きしたくて……」

「殿下から縁談のお話をされたのは、事実ですわ」


 ――本題ではなかったけれど。


 そう内心で続けると、エレナーデの瞳が潤んだ。


 ――まさかの泣き落とし!?


 今にも泣き出しそうな表情に焦っていると、エレナーデが侍女を呼びつけた。一度部屋を出て行った侍女はすぐに戻ってきた。侍女がエレナーデに手渡したのは、少女趣味な日記帳らしきもの。


 受け取ったエレナーデは、厚みのあるそれをマリアヴェルへと差し出してくる。


「殿下がわたくしとの婚約を解消してマリアヴェル様を選ぶというのであれば、こちらをお渡ししたくて」

「えぇと、これは? 日記帳……でしょうか?」


 何が何やらで、マリアヴェルは困惑する。頷いたエレナーデは、じっとこちらを見ていた。熱い眼差しはたぶん、中身を読んでくれという訴えだ。


 表紙を開くと、ページには繊細な文字がびっしりと書き込まれていた。


『⚪︎月×日。今日の殿下とのアフタヌーンティーはシュトーレン伯爵領の茶葉。苦味が強いから殿下のお口には合わなかったみたい』


 書かれていたのは、すべてユリウスに関することだった。観劇やワイン、紅茶などの嗜好が事細かに記されている。


 ――これは、新手のマウントなのかしら?


 自分の方がユリウスをよくわかっているんだぞ、という。


 エレナーデの真意が呑み込めずに戸惑いながらページを手繰ると、右端の丸い染みに気づいた。水滴が滴ったような跡。記載された日付は二年も前なのに、触ってみるとほんのりとよれたその染みは、さほど古くはなさそうだった。


 ――読み返していて、飲み物をこぼしたのかしら? でも、紅茶やコーヒーの染みというわけではなさそうだわ。


「あの、マリアヴェル様?」


 考えに没頭していたマリアヴェルは、おずおずと声をかけられてハッとする。顔を上げるとエレナーデは不安そうに言った。


「どうでしょうか? 婚約してからの四年間、殿下の好みのものを書き留めてきたのですが、お役に立ちそうですか?」


 マリアヴェルはぱちりと目を瞬かせた。


「エレナーデ様は、殿下とわたしの婚約を祝福してくださるのですか?」

「もちろんです」


 なんだか、聞いていた話と違う。


 エレナーデはユリウスに恋焦がれるあまり、邪魔者には嫌がらせをする困った令嬢ではなかったのか。


 目の前の彼女は、マリアヴェルとユリウスの縁談を快く受け入れてくれるという。これが本音なら、マリアヴェルは簡単にユリウスの命令を果たせる上に、公爵家から不興を買うこともない。


 マリアヴェルは日記帳に目を落とした。生き生きとした文字には、エレナーデのどんな想いが込められているのだろう。


 もしマリアヴェルが婚約者の嗜好を小まめに書き留めるとするなら、それは社交の場で役に立つというのもあるけれど、一番は相手に喜んで欲しいからで――。


 にっこりと微笑んでありがとうございます、と答えれば、この件はこれでお終い。エレナーデが婚約解消に同意した証拠としてこの日記帳をユリウスに渡せば、晴れて任務達成だ。


 ――でも。


 よれたページをそっと撫でたマリアヴェルは、にっこりと微笑んだ。


「エレナーデ様のお心遣いには感銘しました。嘘をつくのはあまりにも心苦しいので、本当のことをお話しますわ。わたし、意中の殿方が他にいるのです。でも、殿下からの縁談を断るなんてことはできないでしょう? なので、結婚したら浮気するつもりでいるのです」

「はい?」

「殿下はわたしの好みからかけ離れていますもの。結婚相手として地位は素晴らしくても中身が物足りないわ。王妃教育だって面倒です。真面目に取り組む意欲は持てません。ダメダメな王妃でも恥をかくのは殿下ですし、わたしは――」

「そんなの駄目です! それではわたくしが身を引く意味が――っ」


 椅子を蹴倒す勢いで立ち上がったエレナーデは、ひゅっと息を呑み、喉を抑えた。


「エレナーデ様?」


 苦しそうに眉を寄せ、喉を抑える仕草にマリアヴェルが戸惑っているあいだに、駆け寄った侍女が慌ててエレナーデの身体を支えた。慎重に彼女を座らせた後、侍女は泣きそうな顔でマリアヴェルを見た。


「申し訳ありません、マリアヴェル様。お嬢様は持病を抱えておりまして……気持ちが昂られると、声を出せなくなることがあるのです」


 沈痛な面持ちの侍女が嘘を言っているようには見えない。項垂れたエレナーデは、泣きそうな顔でテーブルを注視していた。


 予想もしていなかった告白に頭の中が真っ白になったのは一瞬のこと。マリアヴェルはすぐに閃いた。


「声を出すのが難しいのでしたら、筆談はどうでしょうか? 字を書くのも厳しいでしょうか?」


 エレナーデと侍女を交互に見比べる。エレナーデは驚いたように大きな瞳を瞠った後、侍女に向けてこくこく、と頷いた。侍女はすぐに分厚い便箋と万年筆を持ってきてくれる。


 エレナーデは小刻みに震える右手に困ったように顔をしかめつつ、便箋に筆を走らせ、


『お手間をおかけして、申し訳ありません』


 字は震えていたけれど、読めないほどではない。マリアヴェルは構いませんわ、と微笑み。


「先程のエレナーデ様のお言葉ですが、身を引く意味――というのは?」


 ハッと目を瞠ったエレナーデが真っ赤になった。耳まで赤くして押し黙る彼女に、マリアヴェルは日記帳を開いてみせる。


「このページ、濡れています。飲み物でもこぼされたのかしらと思ったのですが……よくよく考えてみたら、涙の跡というのもあり得るかと。嫌いな人のことをこれだけ熱心に書き綴れるとは思えないので、涙の理由は婚約解消への哀しみ。エレナーデ様は殿下を愛していらっしゃるのでは? それなのに、どうして婚約解消に前向きなのでしょうか?」


 白魚のような手は、しばらく動かなかった。マリアヴェルは辛抱強くエレナーデの反応を待つ。やがて、


『わたくしが、殿下の婚約者に相応しくないからです……』


 消沈した顔で綴られた文字に、マリアヴェルは首を傾げた。


「嫉妬姫の噂のことでしょうか?」

『あれは……違います。そうではなく、わたくしが今こうしてマリアヴェル様にお気遣いいただいている要因――わたくし、対人恐怖症なのです……』


 どんよりとした雨曇を背負ったかのような暗さで、エレナーデはそう綴った。

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