贋茶碗9
再掲載です
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「助さん、では、よろしくお願いします」
さあドーゾとばかりに差し出されたのは茶碗である。といっても信濃屋がつかまされたあのクズ茶碗ではない。まったくの別物。色味も大きさも何もかもが違う上に、楽焼きですらなかった。しかも、名のある窯のものではないにしてもそこそこの出来だ。
「にしても、こいつぁ叩っ斬るには惜しいな」
そう言った助三の腰には大刀が携えられている。
役者風情に帯刀が許されているはずもないが、ここは江戸郊外にある惣右衛門の家の庭先。誰も見る者はない。
この家は元は大黒屋巳之衛門の寮だったものである。寮といっても学生寮や社員寮などとは違う、現代でいうと別荘や別宅のことだ。それ故に中々に広々とした一軒家だったが、今は深山一座のメンバー(大人数)が住むにあたって増築に増築を重ねたことでかなり入り組んだ造りとなってしまっている。
一座の者たちが芝居の稽古と称して鉄の入った木刀や時には真剣(刃のついた本物の刀剣)を素振りしていたとしても、そう易々と部外者に見られることはないのである。
「この茶碗…私なぞは良い出来だと思うのですが……作った本人が気に入らずに割ろうとしたところを巳之衛門どのが譲っていただいたそうですよ―――猫の皿にするからと言って(笑)」
ブハッ
助三は吹き出した後、
「落語かよ」
ククッと肩を揺らした。
『猫の皿』(もしくは『猫の茶碗』)という話は現代では古典落語として有名だが、この当時は流行りモノとして人気だった。ちなみに、『“絵高麗の梅鉢”(←スゲータカイ)で猫に餌をやってると時々猫が3両で売れます』というのがオチの滑稽話である。(イミフメイデスヨネ ゼヒラクゴヲキイテクダサイ)
「そういうわけですので、心置きなく」
雪之丞がいそいそと助三の目の前にある腰ほどの高さの台の上にその茶碗を置いた。
「おまえらはホントに俺を働かせすぎだぞ。おまえで十分、用が済む話だろうに」
ブツクサ言う助三に雪之丞は、
「なんのなんの。私では助さんの足元にも及びませぬよ」
にっこりと笑う。
「ハァ―――しゃーねえ―――ユキ、離れてろ」
そう言うと、助三は腰に差した大刀をずらりと抜いた。
一般的に大刀というのは打刀のことで刀身は大体が60cmくらい。細身のそのシルエットから軽そうに見えてしまうが、よく考えてみて欲しい。長さ60cmの鉄の塊である。しかも、刀匠が鍛えに鍛えたそれは、ただの鉄よりも中身が詰まりまくっている。
それを―――
ヒュッ
空気を切り裂く音の後にやけに響く甲高い音。
ほんの一瞬、おそらく2秒にも満たないほどの間。
助三の目の前にあった茶碗がきれいに等分となり左右に分かれて転がっていた。
「お見事」
雪之丞の感嘆の声に、チンと刀を鞘に収める音が重なる。
コトリと茶碗が左右に離れる。驚いたことに二つに分かれたそれはほぼ均等であった。
見事な技を見せた当人はこともなげに笑い、
「久方ぶりに大きい刀を差したんで、腰がふらつくわ」
軽口を叩いた。
しかし、その軽口も茶碗の切り口―――まるで女人の肌のようになめらかな―――を無心でスルスルと撫でていた雪之丞には届いていないようだった。
「ホゥ…」
感に堪えぬように吐息を漏らす。
(男のナリだってェのに無駄に色っぽいところがコイツの悪い癖だな)
などと助三が考えていることなど当然気付く筈もない雪之丞。
「え、何? 何です?」
と気もそぞろに問い返した。助三がそれに『久しぶりゆえ腰がふらつくと言うたのだ』ともう一度同じ言葉を返せば雪之丞がそれまでの陶然とした表情を一瞬で消し半目になった。『何言ってんだコイツ』とでも言いたげな胡乱なものを見る目つきである。
確かに大刀(打刀)の重さは約1kg程もある。それも鉄アレイのようにコンパクトな形ならまだしも、その細長い形状の鉄の塊を腰に差して歩いているだけで筋トレ状態である。元服したてのまだ体躯も出来上がっていないような少年が大小(打刀と脇差を両方)差して腰をふらつかせているのはよく見かける光景だ。
だが、それを助三が言いだしては呆れかえるよりほかないであろう。
「さて。これでこちらの方は準備万端。後は―――助さんの潜入が上手く行きましたところで一気に―――」
雪之丞は助三の台詞の一切を華麗にスルーして、茶碗を桐箱にしまいながら言った。
「だから、おまえらは俺を働かせすぎだと言うに…」
雪之丞の言葉に眉を下げた助三のボヤきが被さった。
「信頼しておりますので(意訳:怠けてませんよね)」
にっこりと笑う雪之丞に助三はあきらめたように半笑いで返し、
「……………仕上げをゴロージロー(御覧じろ)だぜ? ケッ」