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第一話「贋茶碗」  作者: 和泉和佐
5/16

贋茶碗5

再掲載です。今一つ使い方がわかっていません。

ご迷惑をお掛けします(>_<)



*元号の漢字は意図的です





 ――――― 5 ―――――


「で? ユキよ、その信濃屋の依頼というのはどんなものであった?」

 そう言ったのは深山一座の立役者、雪之丞と人気を二分する助三郎こと助三(すけざ)であった。

 部屋には雪之丞と助三と、所用から戻った座頭の惣右衛門(そうえもん)がそろっていた。

「…茶碗、です」

 雪之丞はわずかにためらった後、そう答えた。

 夜も更け、すでに女装は解いている。無論、化粧も落とした。髷ばかりは仕方もないので総髪を無造作に束ねる形だ。こうした姿からは先ほどまでの美女ぶりは想像もつかない。線の細さはそのままながら、立役者の助三と張るほどのイケメンぶりである。

 また、言葉つきもその服装に合わせるように堅い。

「茶碗?…まさかに我らが探し求める―――黒唐津の―――あの茶碗ではあるまいの」

 惣右衛門が探るような声音で言い出すのへ雪之丞は静かに首を横へふった。

 一瞬詰めていた息を『は、』と吐き出し助三は、

「そうそう上手くはいかぬか」

 がっかりとした様子でつぶやく。助三が息を抜いたことでその場の緊張感が大きく薄れる。雪之丞よりも背も高く胸板も厚く、立ち回りの演技で娘たちの心を大いに騒がせているだけの十分な迫力を持つ男だ。

「して、信濃屋の経緯(いきさつ)というのは? どのような?」

 座頭の惣右衛門は雪之丞と助三の沈黙をことさらに無視するような、冷徹な口調で話を進めた。

 舞台に立つことは少ないが、芝居での役どころは常に代官や殿さまといったところ。こうしていても妙に威厳にあふれている。

「失礼つかまつりました。こちらに、信濃屋の申したことを、書きとめてございます」

 雪之丞の使う言葉は、女形の使う言葉でもなければ、町人のそれでもない。

 まるで―――

「かぁーっ、堅い! どうにもこうにも、おまえは堅すぎていかぬよ」

 助三が沈黙の埋め合わせというようにわざとらしく嘆いてみせる。

「…助三郎どのは砕けすぎでござろう。まさかにこれが、浅川藩剣術指南役・本多清直さまのご子息と、誰が信じましょうや」

 雪之丞が思わずといった様子でぽろりと言葉を零した。

(浅川藩というのは江戸の町ではほとんど知る者もないが、二年前にお取潰しになった小藩である)

 雪之丞はからかわれるのを好まない。からかわれるとすぐにムキになってしまう。その反応が面白いと尚更からかわれることになっていることに本人だけが気付かないのである。今も惣右衛門の前だということも忘れて、ムキになって言い返していた。

 しかし―――

「片桐っ!」

 惣右衛門の叱責の声にビャッと肩が上がる。

「家の中とて、油断いたすな。大望成就のその時まで、二度とお家の名を口にするでないっ!」

「はっ」

 〈片桐〉そう呼ばれた雪之丞はただ黙って顔を伏せた。

 陽だまりの猫のように温厚な…と評される惣右衛門だが、怒らせるとそれはもうおっかないのである。眼光は鋭く、普段は丸めがちな背はスッと伸び、その体が2倍にも3倍にも膨れ上がって見える。そしてなにより―――

「………」

「………」

 長いのだ―――説教が。

 雪之丞と助三が丹田(たんでん)に力を込めて覚悟を決めた…


 そこへ、


「おとっつぁん、雪さんばかりをおっしゃれますの?」

 からりと開いた障子の向こうから現れたのは惣右衛門の娘のおことであった。

「おことちゃんっ」

 おことが顔を見せた途端に怒られていた筈の雪之丞の表情が喜色を帯びる。

「おとっつぁんだって今、雪さんのことを『片桐』と呼んでいたではないの」

 『いいの?』なんて可愛く小首を傾げられた惣右衛門は、

「うっ」

 言葉に詰まってグホンと咳払いでごまかした。『本多』がNG(ダメ)なら『片桐』も同じであろう。

 その場にあった緊張をはらんだ空気をたった一言で霧散させた少女はクスクスと笑いながら、厳しくはあっても自分にとっては甘々な父親に呆れたような目を向け、三人の前に茶を差し出した。難しい話を始めた父親たちにこれを運んできたのだった。

 三人の前に茶を置くと彼女はさっさと部屋を出ていった。余計なクチは挟まぬこと、とよくよく父親に言い含められているのである。少々寂しくはあっても、彼女を裏商売に巻き込まないようにする彼らの気遣いなのだと知っているおことであった。

「ま、まあ、よいだろう。で、雪之丞や、信濃屋の依頼を聞かせてご覧?」

 打って変った穏和な座頭の口調である―――いささか取ってつけたようではあったが。

 それに対して殊勝な顔つきの雪之丞が語りだしたのは、次のような話であった。




(くだん)の茶碗は(いぬい)さまよりお預かりしたものでございました」

 女形姿の雪之丞を前にして、信濃屋徳兵衛はぽつりと言った。

 言葉つきは役者に向けたようなものではない。身分の上下がはっきりとしていたこの時代、役者と言えば『河原乞食』と呼ばれて裏長屋の庶民ですら彼らを一段劣った者と見なすのが普通であった。

 もっとも、それも元緑(げんろく)(*漢字が違うのは意図的です)以前のことで、文化芸術の花開いた元緑(げんろく)に入ると役者といっても一概に下に見られるばかりではなくなった。また、役者の方でも変化が起こり、春をひさぐ(金銭を受け取り性交を行うこと)ような者ばかりではなくなったというのも大きい。

 だが、そうはいっても信濃屋ほどの大店の主人が役者相手にこれほど改まった言葉つきで話すのもやはり珍しいことと言えよう。

 信濃屋徳兵衛は京橋に店を持つ古物商で、その筋ではそれと知られた目利きでもある。

 商売人としての信頼も厚く、ご大身相手にも中々に抜け目のない商いをするという。その信濃屋が役者風情を前にしてまるで迷子センターに連れてこられた子供のように悄然とした様子を見せるのは、控えめに言っても奇異なことだった。

 今の信濃屋が誰かに頼りたい誰かに縋りたいという心持ちだった、というだけではない。年若いにもかかわらず雪之丞にはそんな態度で相対するのも不自然ではない何かがあるのだ。

 一方の雪之丞もこれまたなんの違和感もなく信濃屋のそんな様子をごく自然に受け入れて、先を促す。

「乾さまとおっしゃいますと?」

「はい。御家人でいらっしゃいまして、私どもとはご先代さまからのご縁がございました。ご先代さまは骨董などに通じておられましたが、跡目をお継ぎになった勘十郎(かんじゅうろう)さまは特段そういったこともございませんでしたものを、近頃より何やかやと店の方にお立ち寄りでございました」

「近頃、ですか?」

「昨年…ぐらいからでございましょうか」

「失礼ながら…乾家はもしやお手元(てもと)不如意(ふにょい)で?」

 手元不如意、要は手持ちの金が無いのかということである。とはいえ、信濃屋は質屋ではない。主に茶道具などを扱う古物商、古道具屋(現代でいうところの古美術商)だ。

 当節は庶民の間でも質屋の商売は定着しつつあるようだが、まだその職域は曖昧で芸術品ともいえる茶碗などを預けて金品を借りようという時には目利きの出来る者がその役割を担う事がある。

 しかし、信濃屋は雪之丞の言葉に首を振り、

「乾さまはご先代さまが締まりの良い方でしたし、御家人の内でも家格が高くご裕福なご様子。そうではございませんので」

「では、ご先代ご同様に骨董などをご覧に?」

「いえ…その、勘十郎さまはトンと目利きなどもお出来になられませんで…」

 言いよどむ信濃屋に雪之丞は思い出したように、

「ああ、わかりました。お嬢さま―――たしか上総屋さんのお嬢さまと幼馴染みのお嬢さまがいらっしゃると伺っております。おいとさんと言われましたか―――()()、でございましょう?」

 意味ありげに間をあけた雪之丞の言い様に、信濃屋は話の通じたことを知りホッと頷いた。

「お恥ずかしながら、おいとも年頃になり小町娘だなどと(はや)されて、昨年は姿絵などを描かれまして」

「ええ、上総屋さんに伺ったことがございます。たいそう可愛らしいお嬢さまとか。それですね? 絵姿が評判になって―――奉公に寄越せ、とでも?」

「はい…いえ、最初は奉公にと望まれましたが、ただの奉公で済むわけもありません。はっきりとお断り申し上げました」

「あきらめましたか?」

 意味ありげな雪之丞の目線に、信濃屋は首を横に振ったにもかかわらず、

「あきらめたとおっしゃいました」

 と振られた首の向きとはまるで逆のことを言った。あきらめたと言ったからとてあきらめたことにはならぬのだ。

「そして、今度は茶碗を」

「はい。急に物入りになったと。茶碗をお持ちになりました」

「お預かりになった?」

「お断りも出来ませんでしたので。ご先代さまのご縁もございますし、奉公を断ったという負い目もございます」

「左様でございますね」

「………」

 雪之丞が言葉を切ると、その場には沈黙が落ちた。雪之丞はただ黙って、信濃屋が口を開くのを待った。

「………」

「……昨日、土蔵に用があって……」

「ええ」

 やわらかな声音で雪之丞が相槌を打つ。決して急かしはしない。

「……茶碗が……」

 そこまでを口にして力尽きたように絶句した信濃屋に、雪之丞は静かに声をかけた。

「今ここへお持ちですか?」

 無言のまま手にしていた包みを解き桐の箱を取り出す信濃屋。ずいと雪之丞の前に差し出した。

 それを、やはり無言のまま眺める雪之丞。手に取ろうとはしない。

「…楽茶碗(らくちゃわん)ですね…加賀、金沢のもの…でしょうか。しかしながら、これでは…」

 信濃屋が目を瞠った。雪之丞の目利きに感心したようだ。

「手にとっても?」

 雪之丞の言葉に信濃屋は力なく笑った。

「ええ。今更ですから」

 茶碗は、手に取らずとも分かるほどはっきりと、桐箱の中でひび割れていた。

「ふむ…」

 雪之丞が手に取ると、茶碗は呆気なくその存在を二手に分けた。すなわち雪之丞の右手と左手に。

「乾というその御家人、人品の方はともかく剣の腕は相当とお見受けします」

 雪之丞の言葉に信濃屋は顔を上げた。

「乾さまをご存じなので?」

「いえ。ただの…当て推量でございますよ」

 そう言いつつも茶碗の切り口を子細げに眺める雪之丞。

 茶碗はあらかじめ斬り割ったところに米粒で貼り付けていたものらしい。土蔵に納めてそうそうにひび割れたのではなかろうか。

 自分が見た時には確かに茶碗は割れていなかったと、信濃屋ははっきりと言った。

 仮にもプロの目を一瞬だけとはいえ騙したのだ。

 ついと雪之丞は茶碗の切り口を撫でた。ひどくなめらかであった。もちろん、糊となった米粒が乾いてこびりついてはいるが、それ以外の凹凸はあまり多くない。


(―――いい腕だ―――)

 雪之丞は独語した。





「で、こいつがそれかい?」

 ひび割れた茶碗を慎重な手つきで持ち上げ、助三が言った。目を眇めたり、高く持ち上げ下から覗き込んだり、傾けた目線で横側を眺めたり、とっくりと検分している。

「楽焼きか―――だが、こいつぁ……」

 助三は口の中だけで呟くと、目線を雪之丞に戻す。

「で? こいつをいくらで預かったって?」

 雪之丞は助三の問いに指を一本立てる事で答えとしようとして―――助三の促す視線にようやく口を開いて言った。

「切り餅一つ」

 と。

 その答えに助三ばかりか珍しくも座頭の惣右衛門までが目をむいた。『切り餅』と言えば、一分銀百枚を重ねて紙に包んだもので、小判なら二十五両相当に換算される。

「はぁッ?!」

 助三から思わずといった声が上がる。

「マジかよ! こんなもんに二十五両だと?!―――もちろん、割れてなかったとしてもだぜ」

 助三の言葉を肯定するように頷いた雪之丞はさらに重ねる。

「ですが、乾勘十郎はこれを『将軍家拝領の』と称してくれぐれも扱いには気を付けろと言ったらしいです」

 その話に助三はますます呆れたような顔を見せ、

「馬鹿なのか、阿呆なのか、そいつ! これが拝領品だとぉ? だいたい信濃屋も信濃屋だろうが、こんなもんにようも切り餅一つ出せたな。俺なら小粒一つだって出したかねーわ」

 と頭を振った。そんな助三に対して雪之丞は、

「乾勘十郎は―――」

 と言葉を継いだ。

「根っからの放蕩者らしく、『呑む打つ買う(酒と博打と女)』は言わでもがな。町へ出れば悪仲間どもとつるんで町奴(まちやっこ)(現代でいうところの半グレ的なもの。対して旗本奴というのも存在する)と揉め事を起こし、かわいい娘を見つけては狼藉(ろうぜき)を働くこともしばしばで……」

 助三は雪之丞に皆まで言わせず引き取った。

「なるほど? 信濃屋は切り餅一つで一人娘の傍から乾勘十郎を追っ払えるなら安いもんだと踏んだわけか…」

 一端言葉を切った助三。すぐに口を開く。

「ところが、だ」

「左様。ところが、です」

 助三と雪之丞が視線を合わせた。

「蓋を開けてみれば…」

「文字通り、蓋を開けたら、だな」

 ククッと笑って助三が茶碗の入った桐箱の蓋を指に掛けてくるくると回す。

 土蔵の中で割れた茶碗を見つけた時の信濃屋徳兵衛の心情を思えば、笑うどころの騒ぎではなかったであろう。

 咎めるような雪之丞の目つきに、助三は『スンマヘーン』と呟いて桐箱の蓋を置いた。

「とにかくだ、こいつが表沙汰になりゃ、せっかく追っ払おうとしたろくでなしに骨までがっぷりしゃぶられっちまうんだろうなぁー、信濃屋は…かぇーそーによォ」

 拝領品と言われて二十五両も出したことがかえって仇となる。目利きと評判の信濃屋がそれだけ出したという事実がクズ茶碗にハクを付けてしまった。助三の言うとおり、ただクズ茶碗が割れただけでは済むまい。金銭で片を付けられるのなら行幸(ぎょうこう)と言わねばならないだろう。

 本当に将軍家の拝領品を預かり割ったとあれば、手討ちに致すと迫れらようと文句は言えぬ。本当に拝領品であったのならば、だが。

「……ですが、モノがこれならば、見る者が見れば……」

 言いさした雪之丞の声に被せるように助三が、

「フン、んなもなぁー、自分が預けた品はこれではないと言われちまえばしめぇよ。クズ茶碗を代わりに返して拝領の茶碗を隠匿する気かぁーってな」

 鼻で笑う。

 そもそもこれがクズ茶碗であるのはわざとだ。これがそれなりに名のある茶碗であれば、信濃屋とて手にとって目利きをしようという気になったかもしれぬ。だが、二十五両のカタにと乾勘十郎が差し出してきたのは一目見てわかるほどのクズ茶碗。誰だって手に取ろうという気なぞ起きないだろう。

 商売人であるはずの信濃屋でさえ、(ろく)に見もせずに手文庫から切り餅を取り出した。この時の信濃屋はその金が返ってくるなど一瞬も思わなかったのだから。

 雪之丞が『なるほど…』と頷きながらも少し悔しそうなのは、正義感の強いその人柄故だ。

 この割れた茶碗を前に信濃屋が出来ることはそれほど多くはない。

 一番は代わりの茶碗を用意すること。それも、拝領品などと(うそぶ)いているくらいだ、クズ茶碗の代わりに何十両もするような高価な品を用意する必要があるだろう。

 現にそういった詐欺商法が最近の江戸では横行していると耳にしている。

 代わりの茶碗を用意することなど、古道具を扱い、自ら目利きもするという信濃屋には難しいことでもないと思われる。

 なのに、信濃屋は深山一座(ここ)に来た。ここ、贋物屋に。助けを求めて。


 ―――おいとだ。


 信濃屋徳兵衛が目の中に入れても痛くないというほどに可愛がっている一人娘。信濃屋の妻女はすでに病没していて、母のない子が哀れだと甘やかした愛娘。年頃になった今でも変わらずおきゃんで、小町娘などと(はや)されて浮ついている可愛い少女。

 信濃屋徳兵衛の命よりも大事な一人娘―――

 乾勘十郎はまず間違いなく茶碗の詫びとして彼女の身を要求してくるに違いない。

(かた)りまがいのヤリクチももちろん、無垢な若い娘を毒牙にかけようなぞ言語道断じゃな」

 年頃の娘を持つ同じ親としてなにやら思うところのあった惣右衛門が、かすかな怒気を含ませた声音で低く呟いた。

「では?」

 雪之丞が問うと惣右衛門が静かに頷いた。





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