贋茶碗4
再掲載です。今一つ使い方がわかっていません。
ご迷惑をお掛けします(>_<)
*元号の漢字は意図的です
――――― 4 ―――――
その翌日、雪之丞は舞台がハネたばかりで、まだ化粧も落とさぬ格好で楽屋の鏡の前に座っていた。
「雪之丞さん、お客さんがいらっしゃったんですが、如何いたしやしょう」
一座の道具方を務める文治という若い男が、遠慮がちに声をかけてきた。若いと言っても、最年少の雪之丞よりは年かさである。
「どちらさま?…ご贔屓筋の?」
「いえ、そうじゃありません。信濃屋の旦那で徳兵衛さんというお人で」
「信濃屋の旦那が?」
「へい。それがその…大黒屋さんの添え書きがあるんです」
「信濃屋さんが巳之衛門どのの添え書きを? それはそれは…では、座頭にお知らせしてください」
雪之丞の言葉に文治は困ったように頭を掻いて、
「そいつがその、座頭がいねえんです。そんでどうしようかと思いやして…助三さんにも声をかけたんですが…」
立役者の助三は雪之丞よりも年上で、一座の中でも発言権が強い。座頭がいないのであれば助三に声がかかるのが順当である。
ところが、
「逃げなすったんですね、女の方じゃないからと言って…。まったく、助さんときたら。いいです、私がお会いしますのでお通ししてください」
雪之丞は信濃屋を座頭の惣右衛門の部屋へ通すように文治に言いつけてから、化粧を落としかけたが思いなおし、手早く身じまいを整えるとそのまま信濃屋徳兵衛の待つ部屋へと向かった。
ついと扉代わりの筵をあげる(芝居小屋は仮設の建物のため普通の部屋がないのである)と、そこには信濃屋徳兵衛が暗い顔つきでじっと座っていた。雪之丞のやってきた気配に顔を上げたが、絶望と混乱、そして困惑の表情がそこには入り混じっていた。先夜よりもさらに顔色が失せ、先夜よりもさらに鬱々としていた。
「よういらっしゃいました。生憎と惣右衛門は他行(外出)中にて。私でよろしければお話を聞かせていただきますが」
「あの、その、そうですな。惣右衛門さんはおいでにならないと聞きましたが、その…」
信濃屋が女形姿の雪之丞をうかがいながら言いよどむのを見て、彼はにっこりと微笑んだ。
「この姿がお目ざわりかとは思ったのですが、なにぶんつい先刻ハネたところで。このようなナリでご無礼いたします。なれど、巳之衛門どのからの添え状をお持ちと聞きましては、一刻を争うご用件かと存じました」
いくら雪之丞でも宴席でもないのに化粧をしたまま女形姿のまま、というわけではない。月代(一般的な成人男性の髪型の前頂部から頭頂部にかけて剃ってある部分)はどうしようもないので総髪を一つに束ねて過ごしている。
だが、この時は舞台化粧も落とさずに女形姿のままであった。女装姿とも違う、本当に舞台衣装のまま駆けつけたという格好だ。ちょっと大蛇になって鐘の上でとぐろを巻いてきたもので、袖は擦り切れ口の端には黒く墨がこすられている(そういう役だった。口の墨は血糊)。
乱れた帯は直してきたもののさすがに人前に出る格好ではなかったが、こうした対応は相手に『自分のために出来る限りのことをしてくれた』という満足感・安堵感を抱かせるためのパフォーマンスでもあるため仕方がない。
雪之丞の『一刻を争う用件』という言葉を聞き、信濃屋は長すぎる沈黙の後でようやくに口を開いた。
「そのな、雪之丞さん。私はその、上総屋さんに教えられて、上総屋さんが…」
だが、そこまでを言って再び黙る。せっかく決心してきたというのに、それを飲み込んでしまうかのようにぐびりと喉を鳴らした。
雪之丞は目的語の存在しなかったその信濃屋の言葉に、
「ええ」
さも納得したと言わんばかりの態度で返した。
「上総屋の旦那に巳之衛門どののことをお聞きなすって、そして巳之衛門どのの添え書きを持ってこちらへいらしたのでしょう?」
「あ…ああ。だがね、雪之丞さんや。私が大黒屋さんに書いてもらった添え状は…巷で評判の…とあることを生業とする、とある人たちへの…」
信濃屋は再び言葉を切った。しゃべりすぎたと思って用心したのであろう。
雪之丞は再びニッコリと笑った。化粧も落とさぬまま、舞台のままのその美女振りで、
ニッコリ―――と。
つい、と頭を下げる。そして再び面を上げて、キリリと一言。
「女形といえばおなごの贋物。ですが、本物よりも本物らしく。それがこの雪之丞の意地と誇りでござんす。『贋物屋』に御用とあらば、この私が受けたまわりましょう」




