贋茶碗3
再掲載です。今一つ使い方がわかっていません。
ご迷惑をお掛けします(>_<)
*元号の漢字は意図的です
――――― 3 ―――――
その日の夜。料理茶屋〈菊秀〉の一室に、雪之丞は呼ばれていた。
料理茶屋というのは、普通の茶屋(茶店)とは違い料理や酒を供する昨今、江戸の街にも増えつつある新しい形態の飲食店である。また、菊秀では同じように世に広まりつつあった芸者という女たちを宴席に侍らすことが出きることでも評判であった。芸者というのは現代では置き屋(アイドルタレントが所属する芸能事務所的なもの)に所属するものであるが、この当時の芸者は酒を酌する女中が舞や唄を披露するようになったというのが起源であることから、飲食店に直接雇われる形となっている。
「遅くなりましてあいすみません、雪之丞にございます」
そう声をかけて彼が座敷へ入ると、彼をこの席へ招いた贔屓筋の旦那である上総屋と、綺麗どころの芸者が数人、そして雪之丞には見覚えのない大店の主人と思しき男が彼を待ちうけていた。
「これは皆さまおそろいで。遅参の不徳をお詫び申し上げます」
と雪之丞が再び手をついた時、全員がぽかんと口を開けていた。それもその筈で、雪之丞は舞台がハネて既に数刻が経つというのに、変わらない女姿で現れたからである。
もちろん、舞台ではないから化粧も薄く着るものも地味(役者にしては)にしてあるのだが、その艶やかさは居並ぶ芸者衆に勝るとも劣らぬ。
「これはこれは…。いや、噂には聞いていたが…」
雪之丞の知らぬ男が思わずといった様子で呟いた言葉に上総屋が、
「驚かれましたかな、信濃屋さん。雪之丞の徹底ぶりはなるほど有名なれど、これほどとは思わなかったのじゃありませんか?」
とまるで自分のことのようにドヤ顔で言った。
「雪之丞、こちらが信濃屋の旦那で徳兵衛さんだよ」
雪之丞はついと優雅に裾をさばいて、信濃屋の方へ身体を向けると、
「お初にお目もじ致します。雪之丞にございます。かような見苦しき有様(女装)にてご無礼申し上げますが、なにぶん雪之丞は未熟者にございまして、常よりこうしておなごの姿で立ち居振舞いを身につけておりまする。どうかご容赦下さいませ」
雪之丞の芸歴は浅いと聞く。にもかかわらず、当代一とまでもてはやされているのは、ひとえに彼の稽古熱心、研究熱心の賜物であった。女姿の時にはいついかなる時であろうと、〈男〉を気取らせぬというのが、雪之丞の役者としての意気地なのだ。
「堅苦しい挨拶は抜きだよ、今日は無礼講といこう」
「ありがとう存じます、上総屋の旦那」
「今日の綺麗どころはおまえに喜んでもらおうと思って呼んだんだが…ねえ…。おまえが綺麗どころに喜んでくれるものやらどうやら分からなくなってしまいそうだよ」
「何をおっしゃいますやら。もちろん、お心遣い嬉しゅうございますとも」
と、そこへ綺麗どころの一人が口をはさんできた。
「いけませんわ、上総屋の旦那。雪之丞さんには好いたお人がいるんですもの。私らなんぞがいくら愛想まいたってダメなんでござんすよォ」
男の雪之丞よりもよほど伝法な口利きでそう言ったのは、粋がウリの辰巳芸者であった。
「や! 桃太郎姐さんっ、何を!?」
ボッと火の点いたように雪之丞が赤くなった。この育ち良さげな純情な性質が彼の女形としての役作りにかなりプラスとなっているし、こうした玄人衆に可愛がられる要因でもある。
「アレッ、図星! 赤くなったわ」
芸者たちが色めき立って叫んだ。雪之丞がますます赤くなる。
「おやおや、何処の誰だい。その羨ましい(?)お人というのは」
「およしんなって下さい、上総屋さんまで」
「あら、旦那。ご存知ありませんの? そりゃ〜もちろん、深山一座の立役者、助三さんに決まってるじゃありませんか」
「お…ほォ!? …え?えーと…それは…?」
上総屋が戸惑ったように声を出し、
「は?」
雪之丞がキョトンと顔を上げた。
「美男美女! 本当にお似合いなんだもの。妬ましいより羨ましい!」
きっぱりと言いきったのは小鈴という芸者で芝居好きで、助三を大の贔屓にしていた(ただし腐女子)。
「姐さん方、勝手におかしな話を作らないで下さいましな」
雪之丞が呆れた声で呟いた。噂の相手が助三であったので、平常心を取り戻したようだ。
「そうとは知らなかったねえ、雪之丞」
「ご勘弁下さい。旦那までがそんな話を真に受けては困りますよ」
その仕草がさらに誤解を招いていることに本人は気づいているのかいないのか。
「私も、他の大勢の方々と同じく、助三よりも姐さんがたの方が好きですよ」
と雪之丞は悪戯っぽく笑った。
「まっ、嬉しいことを」
桃太郎と小鈴の両人が同時に、にこやかに微笑んだ。
そこへ上総屋が、
「さあさ、二人ともそこまでにしておこう。今夜の雪之丞は私の大切な客人として招いたのだ。あまりいじめないでおくれ」
とその場を収める仕草をした。この言葉に桃太郎と小鈴が、
「ま、あ…左様でござんすの?」
顔を見合わせる。また、鬱々と黙って盃を口に運んでいた信濃屋もこの時ばかりは訝しげに顔を上げた。
大店の主人が役者を宴席に連れてくるのはよくあることだが、それは客人としてもてなすためではない。
「アレ、上総屋の旦那、そんな戯れ言ばかりおっしゃってはいけませんよ。今夜は上総屋さんのお嬢さん、おかよさんのお輿入れ(結婚)がお決まりになったと聞いて、お喜び申し上げたくて参りましたのに」
雪之丞はやんわりと、しかしかすかに咎めるような目つきで上総屋の言葉を引き取った。
「まあ、それはそれは、おめでとうございます」
女たちが一斉に頭を垂れる。世慣れた芸者というのは客のどんな事情にも首を突っ込んだりはしない。たとえ大店の主人が役者風情を下にも置かぬように歓待するなどの不可思議に直面しようともだ。
女たちに続き信濃屋も盃を離し、祝いの言葉を述べた。
「やあ、みんなありがとうよ。私も嬉しいよ。本当に…本当に嬉しい、本当だよ、みんなのおかげだね。ありがとう、今日は存分に飲んでおくれ」
上総屋は上機嫌であった。家庭内で起こっていたごたごたが綺麗さっぱり片付いた、その喜びを隠そうとはせず、大いに浮かれた。
上総屋は珍しく酒を過ごし、同じだけ雪之丞に酒を勧めた。
その中で一人、信濃屋だけが鬱々と一向に楽しまず、話しかけられる度に曖昧な作り笑いを浮かべていた。時々、上総屋の方を羨ましげな恨めしげな目つきで見やり、太いため息をつく。
雪之丞はそのことを訝しく思いながらも、上機嫌の上総屋に勧められた酒を断りきれずに思いのほか過ごしてしまい、それきり信濃屋へ注意を向けることを失念してしまった。
そのため、翌日に彼が深山一座を訪れてきた時、やはりという思いと、もう少しよく観察しておくのだったという後悔を感じることになるのだった。