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第一話「贋茶碗」  作者: 和泉和佐
2/16

贋茶碗2

再掲載です。今一つ使い方がわかっていません。

ご迷惑をお掛けします(>_<)



*元号の漢字は意図的です





 ――――― 2 ―――――


 江戸ではこの頃、神社の境内などで芝居小屋がかけられることが多かった。

 出雲阿国によって慶張(けいちょう)八年に京都で始められたという歌舞伎芝居は、江戸にも移されて寛営(かんえい)元年に四座が幕府の認可を得た。

 幕府に認められたこの四座(後に三座に減った)は大芝居と呼ばれたが、この四座の他にも神社の境内などにも芝居小屋が掛けられ、宮地芝居などと呼ばれた。しかし、大芝居の四座と違い、興行期間が短く常設ではなかったため『百日芝居よ小芝居よ』と、大芝居よりも格の低いものとして扱われていた。

 もっともその分、木戸銭が比較的リーズナブルで、庶民の人気は逆に高かったという。


 芝神明宮にかけられた芝居小屋もその一つであった。

 そこでしばしば興行を行っている深山一座、中でも女形(おやま)雪之丞(ゆきのじょう)は江戸町民の間で男女の別なく、老若の別なく、貧富の別なく大いなる支持を得ている。

 深山一座ではその雪之丞と同じく売れっ子の立役者・助三(すけざ)との色恋モノが人気なのだが、何と言っても一番のウリはその擬闘シーンのキレの良さだった。立役者の助三は言うに及ばず、どんな端役であってもその迫力が並ではない。

 さらには、女形である雪之丞までが見事な大立ち回りを演じてみせる。そんなこともあり、雪之丞は男女関わりなく人気の女形なのであった。




「それで…」

 雪之丞が芝居小屋の楽屋に座して苦笑混じりに言葉を発した。

 鏡の前に座る彼に、芝居小屋にはとんと馴染まぬ強面(こわもて)の男がなにやら詰め寄る様子なのだが、雪之丞の方は怯えるどころかかえって愉快と言わんばかりの様子。

「寅造親分、今日は一体何のご詮議(せんぎ)でござんしょう?」

 と言って困ったように小首を傾げる。

 後ろ向きの―――鏡の中のその影は―――紛れもない〈美女〉であった。

 髪を結い上げ紅をさし、艶やかな着物と同じほど艶やかな微笑みを鏡の向こう、岡っ引きの寅造に投げかける。

 寅造はドキマギと赤くなり、

「な、なな…何もかにも、あるけえ! 用ってのはなぁ、せん、先だって上総屋に現れたってぇニセの娘婿の一件よォ!」

 慌てて怒鳴った。

 その岡っ引きに対して、鏡の中の美女は合点が行ったとばかりに微笑み、

「…あの一件でございましたか。ですが、それならば上総屋さんは訴えをお取り下げなすったとか?」

 気のない様子で軽く襟元を直しながら言った。

「雪之丞! おめえ、やっぱり?!」

 寅造は十手を振り上げ、雪之丞の方へと詰め寄った。

「?」

 雪之丞はきょとんとした顔で鏡越しの寅造を見る。

「上総屋が訴えを取り下げたなァ今朝のことだぜ? おめえが何故それを知っていやがるんだ」

「ま、ククッ」

 寅造の言葉に雪之丞は声を上げて笑い出した。

「やいやい、やいっ! とぼけようってのけェ!?」

 顔を真赤にした寅造は、雪之丞の肩をつかもうと手を伸ばす。

 この寅造は、先だって御上から十手を与るようになったばかりにもかかわらず、早速にあちらこちらで親分風を吹かせていると評判の男だ。雪之丞に向かっても(かさ)に掛かった物言いで小憎らしい。

 まるで芝居の中に出てくる道化役的な、いかにもな岡っ引きそのものなのだが、本人にその自覚はない。

 雪之丞はククッと笑みをこぼして、寅造の手をさらりとかわす。

 大いに吹かせている親分風とて御上の御用を賜ることが嬉しくて嬉しくて浮かれた結果と思えば、微笑ましいと思えなくも…ない。多分。

 雪之丞は一座で一番の若輩者であるおのれより五つは上の寅造にいたいけな子供を見るように笑んだ。

 その笑顔に寅造が何を思ったかうっかりと顔を赤らめる。寅造にとって三つも四つもましてや五つも年下の男など、どやしつけるか殴りつけるかの存在でしかない、というのに雪之丞にだけは調子が狂う。

 もちろん、その外見の所為もある。大体において数えで十七にもなるというのに、これほどまでに綺麗な〈男〉を寅造は知らない。そもそもヤローがこんなに可愛らしくてもいいんだろうか、と寅造は思っている。

 ただ、なんというか、外見のこととは別に雪之丞に対して脅したりスカしたり…そんな真似が出来るような気がしないのである。

 物腰は柔らかいのに隙がない、あるいは迫力があるとでも言うのか…寅造はその性格上、絶対に認めようとはしないだろうが、彼はこの綺麗な顔の年下の少年の放つ気配(オーラ)にいつでも圧倒されていた。

 雪之丞だけではなく、そもそも深山一座自体が江戸で初めてコヤを掛けた時より以前はまったくの謎に包まれた集団であった。雪之丞も元からの役者ではないと一度もらしたことがあるが、その生まれもその育ちも、おそらく寅造などには想像もつくまい。

外面如菩薩(げめんにょぼさつ)内心如夜叉(ないしんにょやしゃ)』という言葉(見た目は優しげだが実は…というもの)があるが、雪之丞という少年はそんな怖さのある人物であった。

 とはいえ、そんな怪しげな素性やまるで手練(てだ)れの剣客(けんかく)のような気配も、実は真っ直ぐで真四角で堅物な性格も、そのすべてを彼自身の容姿が裏切る。ただ黙って笑んでいれば、彼を男と見破る者はあるまい。

 まったくもってこの雪之丞という少年は、寅造の興味を良くも悪くも引いてやまないのである。

 ウグッと両手で顔を覆い天を仰いだ寅造に、雪之丞はコロコロと鈴の音を転がすような声音で笑ってみせた。

 と、

「雪さん、そろそろ出番よ」

 そのタイミングで掛けられた声は、楽屋の入り口にかかった(むしろ)一枚を隔てた向こうから。この深山一座の座頭を務める惣右衛門の一人娘、おことの声である。

「おことちゃん♡ はいッ、今行きます」

 雪之丞は立ちあがり、

「親分、上総屋さんは深山一座(うち)のご贔屓筋。先刻、お会いしてお聞きしたんでござんすよ」

 と寅造に向けて軽く会釈をし、楽屋を出ていった。

 名残惜しげな寅造が、それを呼びとめる隙さえもなく……




 その日の演目は一座得意の仇討ちモノであった。

 悪家老に陥れられた藩主の娘が自ら剣をとり敵を討つという筋立てである。もちろん一番の見せ場は、芝居の後半にある雪之丞の大立ち回り―――袂からのぞく白い二の腕も、蹴立てる裾も、舞うように振るわれる剣捌きも―――すべてが観客を魅了する。

 平土間の座席は大入り満員で、雪之丞の登場に割れんばかりの拍手が起こる。




「いよォ! 雪之丞っ、当代一の名女形!」

 一際大きく呼ばわったのは、スッポンの寅造その人であった。






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