贋茶碗16
再掲載です
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「ヤイヤイヤイヤイ、雪之丞! やいっ!」
うんざりするような暑い夏が過ぎ、良い風が吹き通り、芝居見物にはもってこいの季節がやってきた。真冬となればまた雪之丞たちの仮設の芝居小屋では興行も難しくなるので、今から三ヶ月ばかりの興行のために3日掛かりで建てられた仮設の舞台。
楽屋口の筵をはぐような勢いでめくりあげ開口一番にがなり立てる男がいた。スッポンの寅造である。
そんな寅造を出迎えたのは、今回の興行【仇討ち道中〜伊賀上野】の登場人物である渡会和馬の姉で武芸自慢の“お園“な雪之丞。そして、お園の夫で仇討ちの助太刀をする“又兵衛”な助三。
そして―――
今回の興行から新たに深山一座の後援者となった信濃屋であった。
ちなみに【仇討ち道中〜伊賀上野】は実際に起こった事件をもとに座頭の惣右衛門が書き起こした深山一座のオリジナル脚本である。(汗)
それはともかく、これまで無粋一辺倒で芸事などにはとんと縁のなかった信濃屋と、宮地芝居の中でもそれなりの固定客を有し決まった場所・決まった時期に小屋をかける深山一座との取り合わせは実に怪しかった。
「………」
スッポンの寅造でなくとも胡乱げな表情になろうというものだ。
「おや、寅造親分ではないですか」
雪之丞が軽く頭を下げる。寅造の疑いの眼差しにも相変わらず一向に怯まぬ。
「信濃屋の旦那まで一緒たぁ、こいつぁ都合がいいや。ちょいと話を聞かしてもらいてえんだがね。もちろん、あの御家人・乾家の騒動についてだぜ。おまえさんがあの乾勘十郎と揉めてたってぇのはもうすでに調べがついてるんだぜ?」
寅造はスチャッと懐から十手を取り出しながら言った。十手をパシパシと手のひらに打ち付けるところまでがワンセットで、まさにテンプレである。
「そんでもって、雪之丞! おめえだ!」
ビシィーっと十手を突きつけられた雪之丞はキョトンと小首を傾げた。
「おめえの行く先々でニセ婿だぁのニセ手紙だぁのとそんなきな臭い話が多すぎるぜ? えーっ! おい!? どうなんだ、あ゛〜ん!」
どこからどう見ても芝居でいうところの悪徳の十手持ちなのだが、本人ばかりはそう思っていないようである。
「ま、寅造親分たらおっかないこと。ニセ婿だのニセ茶碗だの、一体何のことかこの雪之丞にはとんとわかりかねます。それに、信濃屋さんほどの大店になれば大なり小なり商売ごとに揉め事はつきものじゃござんせんか。それがたまたまうちをご贔屓にしてくださることになった時期と重なっただけのこと。それだけでお疑いをかけられてはこの江戸で、雪之丞はおちおち呼吸も吸えませぬ」
コロコロと雪之丞が鈴の音を転がすように笑う。誰もがぽうっと見惚れるよう麗しさである、が、言ってる中身は『面ァ洗って出直しな』という話なわけで……表情との温度差で、グッピーだって一溜まりもない。
しかし、寅造はといえばウッと両手で顔を抑え天を仰ぎ、
「…尊い…」
と呟いた。どうやら言葉の中身は脳内に届いてないようである。確かに雪之丞のこてりと傾げた首はむしゃぶりつきたくなるほどに白く妖艶ではあったが―――それが幸いであったかどうかは―――
とそこへ、
「雪さん、そろそろ出番よ」
タイミングよく声がかけられた。楽屋の入り口にかかった筵一枚を隔てた向こうから掛けられた声は座頭の惣右衛門の一人娘、おことのものである。
「おことちゃん♡ はいッ、今行きます」
雪之丞が答え、助三とともに立ちあがる。先程までの妖しいまでの美しさは霧散し、年相応の初々しさが声から表情からこぼれ落ちている。
「親分、信濃屋さん。もう間もなく幕が上がります。このお話はここまでとしていただきましょう」
二人に向けて軽く会釈をし、雪之丞と助三は楽屋を出ていった。
名残惜しげな寅造が、それを呼びとめる隙さえもなく……
寅造と信濃屋は主のいなくなった楽屋を後にした。
急いで客席に回らなければ席がなくなってしまうとばかりに慌てる寅造。もっとも席がなくなったとしても十手を見せつけて席を譲らせる気ではあるのだが、それでも急ぎ足になるのはファン心理というものである。
だから、寅造は気づかなかったのだ。
出ていく間際、最後に信濃屋が一人振り返り、雪之丞と助三が去った方向に深々と頭を下げていたことに。
幕が上がる。
「いよォ! 雪之丞っ、当代一の名女形!」
一際大きく呼ばわったのは、仲間内では無粋者と笑われた信濃屋徳兵衛その人であった。
第一話「贋茶碗」
了
『贋物屋~雪之丞 推参!~』の第一話完結です。
次は第二話『贋恋文』となります。
再掲載ではなくなりますので、更新はかなりゆっくりになると思いますが、ご容赦ください。