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第一話「贋茶碗」  作者: 和泉和佐
15/16

贋茶碗15

再掲載です





 ――――― 15 ―――――


 さて、数日前と同じ乾家の座敷である。

 顔を付き合わせているのも同じ、この家の主人である乾勘十郎と横井庄造の二人だ。

目の前にあるのは桐箱に入った茶碗。

「で、俺に払う金の工面はついたのか?」

 横井が口を開いた。いつもの詐欺行為の仕掛けとは違い、この目の前の茶碗は乾の上役に賄賂として差し出され横井にはなんの得にもならぬのだ。その代わり乾がソレなりの金を用意するということになっている。

「―――もちろんですとも、横井さん。あと数日待っていただければ必ず。そういえば横井さんはその金で上方に行かれるのでしたね」

「ああ、まあな。俺にはどうも江戸の酒は合わぬ。それに比べて上方はいいぞ。食い物も旨いし、なにより(をんな)がいい」

 なにかを思い出しているのか、(よだれ)の垂れそうな顔をしている。

「お前も行かぬか」

 挙げ句そう言い出したのには乾も眉を潜めた。

「バカをおっしゃっちゃ困る。いったいなんのためにこの茶碗を手に入れたのかをお忘れか」

 あきれたように言った乾に、横井もまたふんと鼻を鳴らした。

「おまえも物好きな奴よ。宮仕えの何が楽しいのか。大金はたいて堅苦しい暮らしを手に入れようなど馬鹿馬鹿しい話だ。へいこら他人に頭を下げねばならぬなど俺ならばまっぴらだがな」

 横井は言った。彼は生まれた時からの浪人暮らしで好き勝手してきた―――いや、そもそも生まれが侍であったのかどうかでさえ怪しいものだと乾は思っている。そんな横井と、無役とはいえ御家人の家に生まれた乾が相容れよう筈もない。

「ところが、この私はその堅苦しいお役目が欲しくてたまらないのですよ。よろしいか、横井どの、私は父が亡くなり跡目を継いだのですぞ」

その亡くなった父というのが横井と手を組んで茶碗詐欺を行っていたのだから、いまさらの話である。

 いったん話を切った乾は横井の顔を見た。が、横井は何の興味もないような顔で『だからどうした』と言わんばかりに先を促してきた。

「跡目を継いだ、つまりは私がこの乾家の当主となったわけです」

「フンッ。乾家、乾家とそう大威張りするほどの家でもなかろうがな」

 乾は揶揄するような横井を無視すると続けた。

「当主というのはね、嫁を娶り子をなし家を繋げていくもの。これからこの俺が盛り立てて―――」

「ほぉー、嫁か…」

 乾の言葉をさえぎった横井は、

「あれか? 信濃屋の―――なんと言ったか、あの娘…」

 と続けたが、さして興味があるわけではなかった。ただ乾の態度が鼻についたのでさえぎってだけなのだ。そんな横井に今度は乾がふんと鼻を鳴らした。

「乾家にふさわしい嫁ですよ。あんな町人の娘など()()味見をすればそれで十分。信濃屋は見知った間柄であったから手順を踏んでやろうと思っていたまでのこと。此度の仕掛けは別の使い道が出来たことだし―――なに、あんな浮かれた小娘などちょいと暗がりにでも引きずり込んでやれば一刻(いっとき)とかからない」


 最悪である。


 なにが最悪かといえば人として最悪である。男という生き物から知性と理性と良識、正義、同情心といったありとあらゆる善なるものを取り去った結果がこちらでござい…とでも言いたくなるようである。

 乾は顔に下卑(げび)た薄ら笑いを浮かべている。だが、それでもなお横井の興味はこれっぽっちも煽られたりはしなかった。ごく当たり前の話をしているように(実際、横井にとっては当たり前の話しかしていなかった)さらりと流して、話題を変えた。

「まあ、そんな話はよいわ。その桐箱をこっちへ寄越しな。どうせ組頭どのへやっちまうんだったら、その茶碗で酒でも呑んでみようさな」

 乾の目の前に置かれた桐箱をむんずと掴んで引き寄せる。無造作に中の茶碗を引っ張り出して、しげしげと回し見る。その手付きはとても丁寧とは言いがたく、乾は苦い顔になった。

 と、そこへ、

「旦那さま。お客さまがいらっしゃいやした」

 声がかかる。庭からの声は乾家に雇われている下男である。

 乾の家には女中も下男も長続きしないことで有名なのだが、今は女中はともかくとして、女中も下男も中間もそろっている。先代の頃には金をケチるあまりに中間に下男の仕事まで押し付けては逃げられ、あまつさえ《乾さまのとこにいたら飢え死にする》と噂されるぐらい食費も経費も出し惜しんでいたのだ。

 だが、今後お役に就くことも考えて新しく中間も増やした。

 女中は元から居たが、童顔でやたらと愛想のいい中間と、何処にでもいそうなありふれた顔のそれこそ芝居小屋の入り口で木戸銭を受け取っていても気づかぬような地味な中年男の下男を数日前に雇い入れたばかりである。

 ところが、本来であれば客の対応は女中の仕事だというのに、やってきたのは年寄りの下男である。何故か今朝から女中の姿が見えないのだ。まあ、この家に女中が居つかないのは常のことでもあるし、乾も横井もあまり気にしていなかった。

「客?」

 それよりもといった様子で横井がつぶやく。乾もまた、

「―――まだ戻らぬのか―――ああ、いい。とにかく客をこっちに通せ」

 ぶっきらぼうに下男に命じたのみであった。今は女中の不在に言及している場合ではない。


「客とな?」

「信濃屋の家で顔を会わせたでしょう。あの時に来ていた目利きをするという…」

「ああ、茶人だかなんだか知らんが…」

 茶人の里村宗助。畠山玄蕃が連れていたことからすぐに伝手(つて)がつくかと思いきや江戸一番の大店の女隠居を経由しさらにはこれまた大店の米問屋・大黒屋の隠居を経由して、ようやく呼び出せたというわけである。

 さて、そこまでの苦労をして里村宗助をなぜ呼びつけたのかといえば―――

「横井さんが言ったのではないですか。今後も茶碗で一稼ぎも二稼ぎもしたいのであれば、目利きの出来る者が必要だ、と」

 ということらしい。

「ほぉ」

 興味もなさそうな横井の相槌だったが、それでも乾はご満悦だ。自画自賛して一人悦に入っている。

「私にはわかりましたよ、あれは役に立つ男だ。見ましたか、あの男が畠山さまを見るあのズルそうな―――この茶碗もね、そこまでの価値があるのかどうか―――わかりゃしないってもんさ」

 一人で話し続けている乾を無視して横井はドボドボと酒を件の茶碗に注ぎ入れいている。彼の心はもうすでに上方に飛んでいるのだ。そのための金さえ手に入るのならば後はどうでもいい、横井に払う金を乾がどのように工面するのかなど毛ほどの興味もなかった。

 と、その時―――不意に横井が叫んだ。




「な、、な、、なんだ!? こいつはッ!」




 叫んだその手に握られているのは例のあの茶碗。

 酒を注いで、さあ飲もうと口元に持ち上げた瞬間であった。

「ッッ!!」

 どうしたことかその綺麗錆の茶碗からボタボタと酒がこぼれている。よくよく見れば茶碗の真ん中に一筋のヒビ。ヒビというには真っ直ぐすぎるその切れ目から酒がどんどん染み出している。

「なっななな……横井さん!」

 咎めだてるように大きく張られた乾の声にハッと横井が我に返る。

「待て!」

 こちらも大声を張り上げ手のひらを乾の顔の前に突き出した後、仔細げにその手の中の茶碗を見やる。

「これを見ろ」

 横井が差し出したのは茶碗、その割れ口、いや人為的な()()()だった。一直線の切れ目は小さな凹凸もなく実にきれいなものであった。

 乾が最初に信濃屋に持っていった茶碗と同じ細工が施されていたのだから、この二人にわからぬ筈はない。


『ね、だから言ったでしょう? ()()()()()()ってね』

 そんな雪之丞の声が聞こえてきそうであった。


「―――おのれっ! 信濃屋めッ! この俺を(たばか)りおったか!!」

 ようやく状況を理解した乾が爆発するように暴言を喚き散らし始めた。

 真っ赤に血走った目で乱暴に自分の刀を手にするとすぐにでも出て行かんと腰を浮かすものの、

「ッ!」

 一瞬後にはガチャンと大刀を刀掛けに叩きつけた。

「クソっ!」

 思い出したのだ。信濃屋でこの茶碗を受け取った時にたしかにこの茶碗だとおのれが…いや、おのれだけではない、あの場にいた全員がヒビ一つないことを確認して持ち帰ってきたのだということを―――自分も信濃屋も、横井も、組頭の畠山も―――

 これで自分が信濃屋に乗込めばどうなるのか…自分で割ったものを信濃屋になすりつけんと難癖をつけていると思われる…少なくとも信濃屋はそう畠山に訴えるであろう。そうなれば何もかもがおジャンである。そう気づく程度には冷静であった乾だが、怒りは一層のこと湧いてくる。もう一度口汚く罵った。

 一方、怒り狂う乾を無視していた横井は割れた茶碗に鼻を近づけ、クンと臭ってみた。わずかに獣臭がする。おそらくは(にかわ)であろう。ニカワというのは獣類の骨や皮や腱などを煮込んだものでこの時代の代表的な接着剤である。それを水で薄めて茶碗をくっつけていたらしい。

 本来なら強力な接着効果を発揮するニカワであるが、これは割れた茶碗の修復にはまったくもって向かない代物である。食器であるところの茶碗にとってニオイという点においてもけっしてよろしくはないのだが、致命的な欠点はその原材料にあった。獣類の骨・皮・腱からの抽出物であるということでもうすでにお察しだろうが、ニカワという接着剤はゼラチンやコラーゲンと同様の性質を持つ。イカロスの翼(ギリシャ神話)の例えを出すまでもなくゼラチンを水でふやかし温めた果汁に混ぜ込んでみた経験のある人、あるいは逆に居酒屋でコラーゲンボールを鍋にぶち込んでみたことのある人はわかってもらえると思うが、ゼラチンもコラーゲンも熱に弱いのである。ここ数日、うだるような暑さが続いていたことから限界がきたのであろう。さらにはだいぶ薄めて使っていたようで、横井が酒を入れた途端にとろけてしまったようだ。

 もっとも、横井と乾が細工した茶碗は米粒でくっつけただけだったので比べればここまで気づかぬほどには丈夫であったと言える。

 ワナワナと震える乾。そこへ―――

「旦那さま、お客人をお連れしましたでごぜえます」

 タイミングよくというべきか、間が悪くというべきか、乾が呼びつけておいた茶人・里村宗助が現れた。

 ”バッ”と音のしそうな勢いで乾がその血走った目で里村を睨みつける。

「貴様! ようも…ようも…」

 あの時あの場で茶碗の瑕疵(きず)を見逃したのは全員に同等の責があるのだろうが、なんといっても目利きと称していたこの男に誘導されたところが大きい。憎さも憎しというところである。

 一方の里村いやもうここまでくればいいだろう、今をときめく二枚目役者で、贋物屋の主要構成員である助三は、

「はて? 如何なさいましたかな。急なお呼びとあって取るものもとりあえず馳せ参じたのですが、はて?」

 殊更にわざとらしくとぼけて見せた。煽り運転もかくやの煽り具合。

 乾は頭から湯気を噴き上げ、今にも抜刀せんばかりだ。畠山に(はばか)って信濃屋を斬り捨てることは出来ぬが、茶人風情であれば斬り捨てることに躊躇はないだろう。

 もちろん、この時代だとてひと一人斬ればどのような身分の者であろうとも一通りの詮議は受ける。身分の高い侍が町人を斬り捨てたとて事情は変わらない。無礼打ちなどというのは都市伝説である。身分の高い侍とて無法を働けば詮議される、そのために《目付方》という役職が存在するのだ。

 大目付は大名を、目付は旗本や御家人を詮議する。その名目は武家の無法を取り締まるためではあるが、実態は幕府をひっくり返しかねない力をもった大名の力を削ぐため、謀反を起こしそうな旗本を取り潰すために鵜の目鷹の目で常に目を光らせている。乾家のような吹けば飛ぶような御家人など目をつけられただけで簡単にその家筋ごと無くなってしまう。


 ただし、何にでも例外はある。

 戦国の頃より発生し未だに跋扈(ばっこ)する旗本奴と呼ばれる傾奇者(かぶきもの)(半グレ?)どもの存在である。昨今は町奴と称する輩と揉め事を起こすなどやりたい放題である。目付方の方でも手に負えないとしてほぼ放置されているのが実情だ。

 そして、乾勘十郎という男はそのテンプレのような人間だった。横井やその仲間の浪人たちに手ほどきされた悪事を大身旗本の息子たちに教え込み、彼らを隠れ蓑に好き放題していたのである。もっともそれも家名を継ぐまでの話で家名を継いだ今は下手な真似は出来ないと、旗本のドラ息子どもとはすでに手を切っている。

 とはいえ乾が茶人風情を切り捨てるといえばたんなる脅しとも限らないのだ。だが、

「まあ、待て」

 それを押しとどめたのが横井。

「なあ、そこのおまえ。茶人とか申したか。目利きというのは信用が第一であろう? これ、この茶碗を見てみろ。貴様はこんな割れた茶碗に気づかずに目利きしたとあってはその信用も地に落ちるのではないか?」

「……何がおっしゃりたいのでございましょうか」

 横井の言葉に暫しの沈黙の後でこぼれた里村いや助三の声音はかすかに震えているようだった。その視線もどこか移ろい気味で顔はうつむき加減。横井は畳み掛けるように言葉を続ける。

「―――バラされたくなけりゃ俺たちの仲間になれという話よ。悪いようにはせぬぞ。お前にとてウマい汁は存分に吸わせてやろうさ。おい、どうだ?」

「………」

 その震えを恐怖のためと判断した横井と話の見えてきた乾が顔を見合わせ、ニヤリと笑む。だが、その笑みも次に発せられた助三の言葉でビシリと固まった。

「ブハッ!」

「……………はっ?」

「ハーハハハ!」

 たまらずに噴き出した助三はそのままゲラゲラと笑い出す。ひとしきり笑った後で、

「はー、笑った、笑った。―――にしても……懲りねえヤローどもだなぁ。イカれた頭で絞り出し知恵がソレか」

 発した言葉がそんな言葉で……。普段から傍若無人な感のある助三であるが今は意識してそう振る舞っているようである。ようはこの二人を煽っているわけだ。そして、その言葉は乾と横井の二人にピタリピタリとハマっていく。特に横井の方は浪人仲間にも悪知恵が特に働く参謀的な扱いをされていただけに、みるみるうちにこめかみに青筋が浮いた。

「おい、聞いていたか、ユキよ! こいつら、この俺さまを茶碗詐欺の仲間にしてくれるんだとよっ!」

 助三が声をかけた向こうにはニッコリと笑みを浮かべる着流し姿の青年。いつ、何処から現れたのか、まるではじめからそこに居たかのように静かに佇んでいた。月代(さかやき)を剃らない総髪を後ろで束ねた浪人髷だが、凛とした美貌と相まって何処ぞの若殿のお忍び姿のようである。その一方で、

「助さん、まさか仲間になんてならないでくださいよ?」

 薄い唇から発せられた言葉は気安い。

 助三にユキ、と呼ばれた彼はもちろん、当代きっての名女形(おやま)・深山一座の雪之丞その人であった。

 テレビや写真がある時代ではない。あるといえば錦絵ぐらいのものだが、〈大首絵〉に見られる通り相当なデフォルメが入っているのがこの時代の絵画技法の特徴である。ようするにこの時代、たとえ有名人であろうとも直接会ったことがない限りはそれと気づくものはいないのである。ましてや雪之丞は普段から女装して出歩いていることが知られているため、着流し姿の彼を本人と見破れる者は直接会った者にさえもそうそう気づかれることはなかった。

 だが、その美しさばかりはさすがに隠せなかった。白皙の美青年が嫌そうに眉をひそめて乾と横井を眺めやる。いわゆる蛇蝎が如く、という奴である。

「お、お、お、おまえ……誰だ! 何処から入ってきた?!」

 まさかに乾も信濃屋の家であった美しすぎる女中と結びつけて考えることは出来なかったようで、激しい誰何(すいか)の声を上げる。

 数日前からこの家に雇われている中間と下男は深山一座、いや贋物屋の仲間で、元からいた女中を口実をつけて追い払った後に雪之丞をそっと家の中に招き入れていたのである。雪之丞は彼らの手引で家の中に入り込んでからずっと物陰に潜んで乾と横井の動静を窺っていた。

 そしてずっと……彼らの話を聞いていたのである……彼らが信濃屋の娘を暗がりに引きずり込む算段を立てていたその時も、その場にいたのである。よくもまあ怒りで飛び出さなかったものだと、語ったのはすべてが終わった後のことであった。

「だから申し上げましたでしょ。こういうのは根源(もと)(命)から絶たなきゃだめだと」

 夏場の、日差しに温められた肥え桶の底に溜まった、汚物を見るような眼差しを二人に向ける雪之丞に助三はため息を一つこぼす。

「だから―――どうしておまえはそんな優しげなツラしといてそうも血の気が多いんだ」

 「そんなことはありませんよ」

 と言いながら雪之丞は、『ギャップ萌えェ』と悶えるにはいささか苛烈すぎる眼光をチラリ。

 実は雪之丞には郷里に姉と妹の女兄弟がいて、しかも妹の方は信濃屋の娘と同じ年齢なのである。

「オー、こわこわ。まさに外面如仏内心如夜叉」

 雪之丞は助三の声に、紅もひいていない唇の両端をふわりと持ち上げ、

「この見目をおほめいただき恐悦至極―――」

 おどけたようにニコリと笑んだ。だけ、だ。

 だけだというのに艶やかな女形姿の幻が浮かんでくるような―――

 今日の雪之丞は総髪を無造作に束ねた浪人風で、着物も目立たぬようにネズミ色の袴―――にもかかわらず。

 そこに彼の芸の神髄を見たような心持ちである。

 もっとも、

「うわっ! こっわ! こっわ」

 助三に揶揄され、

「ちょっとッ! 失礼ですよ」

 そう文句をつけた表情だけは幼げではあったが。

 と、

「貴様ら! なんのつもりだ?!」 

 突然現れた不審者(雪之丞)と里村(助三)のやり取りで、目の前の割れた茶碗も何もかも二人がハナから示し合わせてのことだと気づいた乾が大声を発した。

「これは貴様らの仕業か?!」

 乾の言葉に雪之丞はさも今気がついたと言わんばかり、

「おや? 確かそれは()()()()割れていたのではなかったのでしょうか、ねえ?」

 と肩をすくめ―――実にわざとらしい。

 それでいて最初(の茶碗)からすでに割れていたのいうのは真実であることは間違いがなく、その言い分はさらに小憎たらしい響きを持つ。

「ぬけぬけとッ!」

「ではでは、これより畠山さまにお尋ねしに参りましょう。最初から割れていたのか、はたまた、今の今割れたものなのか」

 助三がつらりと言い出せば、乾の顔が赤黒く染まった。最初から信濃屋をハメるために割れた茶碗を乾が用意したのか、あるいは畠山に献上するはずの茶碗を乾の粗相で(信濃屋から返却後に所持していたのは乾であるから)割ってしまったのかということになれば、何をどうしたところでどっちにしろダメなやつである。

「うぬっ!!」

 呻くような声に、ケラケラと助三が笑う。

「貴様ァ〜! 図に乗るなよ!」

 とうとう乾がずらりと抜刀。

 それを合図に雪之丞が助三に向けて一振りの打刀を投げ渡す。それまで丸腰だった助三がなんなく受け止め、じゃきりと鯉口を鳴らした。もちろん雪之丞も同じく鯉口を切る。

「貴様ら、なんのつもりだ?」

 どうやら茶碗詐欺のしっぽを掴まれていると知った横井が助三と雪之丞に問いかけた。いつの間にやら横井もまた抜刀している。その手に持つのは〈合口(あいくち)(こしら)え〉という鍔のないタイプのもので、機動性に優れている刀だ。

「…なんのつもりか、ですか? そりゃあもちろん、あなた方のような婦女子に害なすうじ虫を退治しにきたもm…」


「ディヤァァァァ-っ!!」


 口上も終わらぬうちに先に仕掛けたのは乾であった。理由などはどうでもいい、横井のような浪人者と違って御家人である乾にとって茶碗詐欺のことを知る人間の口はすべからく封じるべきものであったからだ。

 乾の刀が雪之丞と助三の間に割り入るように振り下ろされる。その一刀を雪之丞も助三なんなく避け、右と左に分かれた。乾は分かれた二人のより体格の小さい方、つまりは雪之丞と対峙するように立った。助三の前には横井が立ちふさがっている。

「セイャッ」

「タァッ」

 雪之丞と助三もそれぞれに仕掛けていく。雪之丞は慎重に手数を増やしての攻防だが、助三はその性格からなのか大胆に上段に構えている。

 ジリッと乾が下がる。

 この四人の中で最も剣の腕が立つのは助三であったし、それに続くのは雪之丞であった。すぐにでも決着がつくと思われた戦いは、だが、乾と横井による連携で思わぬ苦戦となった。

 バサッ

 飛んできた座布団を左腕で打払ったところで雪之丞はそれをひしと感じた。

「…くっ…」

 雪之丞が左腕を柄から離した瞬間、切っ先が喉元に迫る。それを避けて一歩下がれば、乾が一歩迫る。あと数歩下がれば背が襖に当たる。改めて両手で柄を握り直し、気合一閃刀を振りおろそうとすれば、茶碗の中身(酒だった)を掛けられた。

 とにかく乾の剣は卑怯極まりない。比べて助三と雪之丞の太刀筋は良いにつけ悪いにつけ”お綺麗”で、その実力差ほどには優勢に立てずにいた。


「セイッ!」

 横井が振り下ろした刀を助三が受け、ガキリと弾いた。

 ふ、と薄く笑う助三に横井の眉間に皺が寄る。


「トゥッ!」

 掛け声とともに雪之丞の切っ先が乾を捕らえた。

「ッ!」

 捕らえた、と思った瞬間、乾の膝が鳩尾を狙ってつきこまれるから堪らない。雪之丞はパッと後ろへ飛んで距離を取る。距離を取ったら取ったで今度は割れた茶碗の片方が飛んでくる。それを刀で払って防いだ。

 ピッ

 と雪之丞の白い頬に一筋の赤い線が浮かぶ。払って切った茶碗の欠片が当たったのである。

「………」

「チッ」

 誰から漏れたものやら、舌を打つ音が四人の間に響く。

 じりりと膠着状態が続いていた。


 その時だった。


「ぎぃえぇぇー!」

 魂消(たまぎ)るような乾の悲鳴が上がった。

 背中から血飛沫を噴き上げながら乾はのたうち回った。キズは背中、正面の雪之丞ではない。ちらりと横目で探れば、助三もあっけにとられたように口を半開きにしている。

 残るは乾の仲間である横井なのだが、

 ガバリ―――

 その横井は血塗れの刀を引くとそのまま畳に伏した。

「は?」

 女形としてはありえないようないささか低い声が出た雪之丞だが、それに頓着する余裕はない。

 意味がわからない。

「これこの通り、詫びるので許せ」

 横井の言葉に、

「は?」

 と今度は助三がぽかんと返す。

「おまえさんらはいま評判の贋物屋であろう?」

「―――なぜ、それを?」

 たっぷりの沈黙の後で静かに問う雪之丞に、

「蛇の道はヘビさ。噂は回ってくる」

 何ということもなく返す横井。傍らにはもがき苦しむ乾がいる。

 横井は体を起こし、スラリと刀を鞘に収めた。頭を下げたのはポーズ、今の今まで命のやり取りをしていた助三と雪之丞の激しい剣気をしぼませるためのものであり、これ以上は争わぬ姿勢を示すためのものに過ぎない。

「まあ、そんなに尖るな。言うなれば“ご同業”ではないか」

 横井に言われて思わず雪之丞の眉間に皺が寄る。そんな雪之丞に気づかず横井は続ける。

「おまえさんらの“起こり”(依頼人)は誰だ? ああ、いや、わかりきってるな。信濃屋であろう? 俺は信濃屋なんぞに一切の関わりはないのだ。というか、そもそも信濃屋に俺が細工した茶碗を持っていったのはこいつが勝手にしたことで…」

 そう言って自分が斬りつけ数分後には確実に(むくろ)となるであろう男の体を蹴りつける。あまつさえ『うるせえな』との一言も付け加える。酷薄(こくはく)なという言葉さえ浮かばないごく普通の態度で、それがなおさらに薄気味悪い。つい先程まで酒を酌み交わしていた乾を背中から一刀両断したのは横井自身であるというのに。

 赤子の頃からの悪人などというものはいない―――その当たり前のことが信じられなくなりそうな男であった。

 そんな男に“お仲間”扱いを受けた雪之丞はますます柳眉を逆立てる。

「……貴様……」

「おおっと。よしねえな」

 慌てたように雪之丞を手で制す横井。華奢な優男に見える彼にさえ自分がかなわぬとわかっているのだ。

「俺は元より上方へ行くつもりであったのだ。こいつが路銀を用立てるというので乗っかっただけよ。な? このまま上方へ向かう故、ここは一つ見逃してはくれぬか。裏に生きるモノ同士ではないか。棲み分けは大事であろう?」

 横井はそう言って嘆願するように頭を、姿勢を、体を、下げた。

 低くなったその態勢から―――


 ピョウッ!!


 っと放たれた一閃に、思わずのけぞる二人。一瞬の早業で抜き放った横井の居合い切りをとっさに避けつつ、これまた驚くほどの早業で態勢を立て直した助三が鯉口をすでに切っている。雪之丞が僅かに遅れてそれに倣う。

 だが、臨戦態勢となった二人を尻目に横井は身を翻して、一目散に背を見せ逃げていった。

「…は?」

 呆気にとられたのは雪之丞。

 すでに見えなくなった姿に、

「―――いやはや―――なんとも…」

 助三はおのれの刀をカチリと納めながら苦笑を漏らす。彼我の力量を見極め不利と悟ればすぐさまおのれの立場さえ変えてくる、さすがに江戸の裏社会に長年棲みついていたモノは違うなと頭を振る。

 雪之丞は助三ほどにはすぐに切り替えることが出来ずにいた。その江戸の汚物ともいえるモノに『贋物屋(おまえ)もこちら側であろう』と言われたことも地味に効いているようだ。

「……アンナノトイッショニサレタクナイシ……」

 ブチブチと呟いている。と、不意に雪之丞が畳の上に乾勘十郎(ソレ)に目を留めて言った。

「それにしても何故、仲間割れなど?」

 と。

 この時には乾勘十郎であったソレはもうすでに()()()なっていた。

「おそらくはコレよ」

 助三が指し示したのは、割れた茶碗の欠片であった。幾度となく投げつけられた欠片はいくつもあったが、中でも一番大きなもので茶碗という役割を担う最も重要なそのカーブをかろうじて残した部分である。その湾曲した欠片の底には酒がわずかに溜まっていた。

 酒の入ったまま投げられた茶碗は雪之丞の刀を握る手元をも濡らしたため、滑る手元を気にして雪之丞はそれを何度か自分の袴でぬぐっている。

 茶碗の欠片を示していた助三は次にトン、と雪之丞の刀の(つか)に軽く叩く。

 雪之丞は刀の拵えにはわりと凝る方でその柄には銀のハバキがはかされていた。その銀ハバキが黒く変色していたのである。

「これは…」

 一瞬で銀を変色させるというのはただ事ではない。将軍家のお毒見役がなんのために銀製の箸を持ち歩いているのかを考えればすぐに答えに行き着くであろう。そういうことである。

 逃げていった横井もそこに気がついたからこその暴挙であった。家を継ぎお役に就く道の開けた乾勘十郎にとって昔なじみの悪仲間など邪魔以外の何ものでもない。始末されかけた横井が逆襲に出た、ということであろう。なんとも殺伐とした人間関係である。

「やっぱり―――解せませぬ」

 なるほどと頷いたものの雪之丞は思わずといった様子でポツリと呟いた。

「うん?」

「コイツラと一緒にされるのは心外です」

 『オマエもこっち側』発言をまだ気にしていたらしい雪之丞の言葉に、

()()()を選んだときに腹を括ったのではなかったのか」

 助三はからかうように言った。もちろん、助三とて一緒にされて不愉快なのは同じであったが。

「括りましたとも。…でもっ、ヤなんですよっ」

 いつもは大人びた顔の雪之丞が珍しく年相応の幼い駄々をこねる。レアなその姿に助三が笑ってポンポンと頭を叩いた。

 と、そこへ、

「雪さん、助さん、そろそろ……」

 顔を出したのは身を潜めていた下男と中間(ともに深山一座の者)である。雪之丞と助三が顔を見合わせ一つ頷く。

 助三は着物の合わせに手をやり―――合わせと一緒に背筋をピッと伸ばした。

「では! 参ろうぞ!」

 朗々と発せられた声に雪之丞がクスリと笑う。まるで道行きにいざなうような逞しくも頼もしい声。それに応えるように雪之丞も、

「ぁぃ」

 ついと片足を引き、

 サラリと着流しの裾をさばき、

 くるりと踵を返した。

 そうして、連れ立ってその場を離れる四人の姿。舞台の袖、その向こう、何もない闇の世界へ消えていった。




 黒衣(くろご)の手に持つ拍子木が《()》の音だけを真っ暗な夜の闇へと響かせて。




     いよぉぉぉぉっ


     チョ―――ン!





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