贋茶碗14
再掲載です
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「雪之丞さん、これはいけません。これは無理です」
信濃屋が思わずそうこぼしたのは乾勘十郎たちがやってくる三日ほど前のことであった。
我らこそが贋物屋であると名乗った雪之丞が用意したという贋茶碗。それを目の前に置かれて信濃屋は渋面を作った。
目の前の茶碗は品としては悪くない。悪くないどころか中々の出来である。だが、あのクズ茶碗とはまるで似てはいないではないか。第一、あれは楽焼の茶碗であったのにこちらは遠州七窯の綺麗錆の茶碗なのである。
趣も何もかもまるで違うのである。楽焼の茶碗の良さ、綺麗錆の茶碗の良さ、どちらも良いがそれらはまったくの別物なのだ。なにより見た目がまったく違う。
焦る信濃屋に対してにっこりと雪之丞は微笑んだ。
雪之丞は言う。
何もそっくりな贋物を用意する必要などないのだと。
ただ乾が黙って自分の預けた茶碗はこれである、と言いさえすればいいのである。そして、そう言わせるだけの細工は既に整っている。
「こちらの茶碗の方が格段に値が張ります。それだけで相手は黙って受けとりますよ。信濃屋さんはただ黙って…そうですね、なるべく胸をお張りになって堂々としていらしてください。それに―――」
雪之丞は言葉を切ると子供のように悪戯げな顔でフフと小さく笑い、
「それにね―――あちらとこちら―――とてもよく似ているんですよ」
小さく呟きもう一度笑った。
「こちらが……乾さまよりお預かりしました茶碗にございます」
腐っても信濃屋徳兵衛、声が震えなかったのはさすがであった。
もっともそれも茶碗を運んできた美しすぎる女中がその場にとどまり、信濃屋を励ますようにそっと寄り添っていたお陰でもあった。
信濃屋はヤモメ(独身)で女中とそういう仲になっていたとしても誰に憚るものでもないが、そういうことではなかった。
実はこの女中、雪之丞の変装である。普段と同じだろうが、と言ってはいけない。現に普段の雪之丞であれば例え女装姿ではあってもモテまくり(男にも女にも)であるにも関わらず、今は女中としてそこにあってなんの違和感も持たれていない。せいぜい女中にしてはきれいすぎるな、ぐらいのものである。
贋物屋―――とはいうが、雪之丞たちが扱うのは似せモノばかりではない。女のニセモノ、男のニセモノ、ニセの文、ニセの身分、ありとあらゆるモノを扱い依頼人の窮地を救っていくのが贋物屋なのである。
だから、雪之丞は、
(信濃屋さん、ガンバれ、その調子ですよ)
心の中だけで信濃屋へエールを送りつつ、本物よりも本物らしい女中としておとなしく控えている。
そこへ、
「これは、なんとも見事な!」
と、感に堪えたように(少々大袈裟に)言葉を漏らしたのはなにげにこの場のイニシアティブを取っている茶人の里村宗助。そして、なんとこちらは深山一座の立役者であり贋物屋の主戦力の助三の変装であった。
このために贋物屋の仲介者でもある大黒屋の隠居の巳之衛門を介して江戸の財界に茶人としての顔をウッておいた助三である。乾の小普請組の組頭が骨董に興味のある人物であったのはまことに幸いであった。しかも、最近は遠州七釜の綺麗錆びにハマっているという。
「ほほう、左様に素晴らしいものか」
組頭・畠山玄蕃が桐箱の中を覗き込みながら言った。すっかり目利きとしての里村(助三)を信用している様子である。
里村が桐箱の中の茶碗を手に取ると、信濃屋は『あ』と声を漏らし、思わず女中の方を振り返った。
女中(の雪之丞)が余裕げに微笑んで、他の者に気づかれぬように小さく頷く。
ただし顔には出さぬが雪之丞の内心では、
(こっち見ちゃダメですって、信濃屋さん! もうっ! 前見て、前っ)
と騒がしい。
その間にも里村(の助三)がしきりと茶碗を誉めそやし、皆の意識を自分に惹きつける。茶碗を両手に挟み慎重な手つきでそれを目の高さより上に掲げて日に透かしたり、そっと膝元に下ろして自分の薄い色の袴に当てて眺めたりしている。
彼のいかにも慎重な手つきは茶碗の評価をいや増しに増した。
「ど…どれ、拙者も」
たまらずに骨董に趣味があるという小普請組組頭の畠山が里村の手から茶碗を奪おうとする。
ジリッと雪之丞と信濃屋、そして助三がそれぞれ緊張感を走らせる。
「………」
「…そっと、そっとでございますよ、畠山さま。お気をつけくだされ。そう、そこのところお持ちになって」
里村はやけに慎重である。信濃屋はいささか妙に思った。この茶碗を雪之丞が持ってきた時、そんな心持ちになれず手にとって眺めたりなどはしていなかったが、そこまでの―――上方からやってきたという茶人が(信濃屋はこれが助三の変装であることに気がついてない)ここまで大仰に誉めそやすほどの―――茶碗であっただろうか…というのが素直な感想だ。
もちろん最初に乾が持ち込んできたクズ茶碗などとは格段に違う。≪楽焼≫か≪綺麗錆≫かの違い以前に、こちらであれば信濃屋も二十五両を出すのにやぶさかではないのである。
が、しかし、逆を返せばいって二十五両の茶碗だ。それにしては里村の扱いが慎重にすぎるような気がするのである。もっとも一人歩きした噂によると二百両もの逸品になっているようだが。
信濃屋は言葉を発しようとしたが、女中姿の雪之丞がそれを目線だけで止める。もちろんバッチリ細工済みの茶碗であってそれが露見しないように里村の助三が上手いこと立ち回っているのである。
それよりも―――
「旦那さま…」
雪之丞が信濃屋を促す。
「こちらもお持ちしておりますが、いかがいたしましょう?」
雪之丞が指し示して見せたのは件の茶碗とは別に彼(もとい彼女?)が運んできたものだ。
ちなみに茶碗や皿などそこそこ重量のありそうなものばかりが数点、それらを一度に全部運んでやってきた雪之丞に対して室内の全員(助三と信濃屋以外)が、美人なのにずいぶん力持ちの女中だと驚いていたのは余談である。
それはともかくとして、
「これは見事な」
思わず、といった様子で声をあげる畠山。
いずれも遠州七窯のものである。事前に情報を得ていた雪之丞が信濃屋に用意させていたものだ。
そこは信濃屋も古道具屋が本分である。見事な品ばかりを集めて見せた。
畠山がそちらに気を移した隙に件の茶碗はすかさず里村の手に戻す。桐箱に納め直す手つきもことさらに丁寧でよほどの名品であることを示しているようであった。
その間にも畠山と信濃屋は話を弾ませ、めちゃくちゃ意気投合していた。最近流行りの遠州七窯の情報は貴重で、話題の豊富な信濃屋に畠山は大いに喜んでいた。
実のところを言うと、これも雪之丞の指示のひとつであった。
乾の連れてくる小普請組組頭をもてなし取り入ること―――それが贋物屋からの指示であった。おかげで信濃屋は畠山というよい顧客を獲得することができ、かえって役得だったのだが。
その間に茶人・里村はさっさと茶碗を桐箱にしまいこみ、残りの二人(乾と横井)に茶碗の素晴らしさをことさら大仰に申し立て、茶碗の持ち主たる乾を誉めそやした。
さて、そんなこんなで茶碗は無事(?)に乾の懐に納められた。
実は乾はこの場で畠山に茶碗を渡してしまおうという気でいたのだが、何やら話の流れでいったんは自分で持ち帰ることにしたのである。具体的には茶人の里村が家宝の茶碗を手放す前に眺めていたいでしょうやら、亡きお父上にもご報告なさりたいことでしょうやら、そういった里村の口添えからの流れでいつのまにやら乾は懐に茶碗をしまっていたのである。
この後にはいつでも上司(畠山玄蕃)への貢ぎ物として差し出そうとなにしようとも乾の勝手となったわけであるから、なにも急ぐ必要はない。焦らすのも一つの手ではある。
ただし、乾にとってその上役と信濃屋がすっかりツーカーの仲になったのが誤算であるといえば誤算であった。
逆に信濃屋にとってはこれで今後何が起ころうとも乾に何やかやと言われた時には泣きつく先を手に入れたことになる。―――つまりは信濃屋の娘・おいとの貞操も安泰ということになる。
無事に茶碗を全員で確認し―――乾本人が自分が預けた茶碗はこの茶碗に間違いなしと宣言し―――そうしてようやくに乾は茶碗を懐に納めた。
くどいようだがもうこれで信濃屋を辞せば、今後何が起ころうとも、信濃屋には一切の関わりもない。
たとえこの茶碗が―――
数日の後に―――
ピシリと音を立て真っ二つにひび割れてしまおうとも―――