贋茶碗13
再掲載です
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部屋にの中にいた男が、
「……組頭の使いとやらは帰ったのか?」
戻ってきた乾勘十郎に向けてそう声をかけた。
乾家の主である乾を差し置き堂々と酒を飲んでいる男は、とりあえず聞きはしたもののまるで興味のない様子で、俯いて手酌で杯に酒を満たしている。
この男、名を横井庄造といい一応の身分的には侍である。もっとも侍といっても色々あって、横井庄造は生まれてこの方どこの禄も食んだことがない、つまりは浪人だ。それも、長屋で傘を張っているようなおとなしいモノではなくおよそ悪事という悪事には手を染めたというのが自慢らしい。イヤアカンヤロソレ
最近では御家人と組んで茶碗などの焼き物を元に小金を持った商人から金を巻き上げる仕事(?)に就いていた。イヤアカンヤロソレ……ダイジナコトナノデ2k(ry
もっともそのウマい仕事も相方の御家人が病死するという災難に見舞われ(彼らの餌食になろうとしていた商人にとっては僥倖)、現在は中断している。まあ、それでも飯を食って酒を飲んで妓と遊ぶくらいならいくらでもしようがあるのが、こうした裏社会にある浪人たちの常識であった。
今も、急死した詐欺仲間の家で昼酒を楽しんでいる。御家人の家は主人が急死して跡目は息子が継いだが、この息子というのが親に輪をかけたワルだった。……子供の頃から悪の道に引っ張り込んだのはこの横井であったが。
つまり―――今、横井が興味なさげに声をかけた相手は御家人であり巷で噂の茶碗詐欺の片棒を担いでいた男を父に持つ、乾勘十郎その人であった。
「面白いことになったぞ」
乾はじろりと横井の様子を横目に呟いた。
だが、横井はそんなことなど気にもせぬ。ほんの子供の頃から小さなことから大きなことまで様々な悪事を仕込んできた相手だ。睨まれたとてなんの痛痒も感じぬ。
(はて。そろそろこの生活にも飽きたな)
そんなことをぼんやりと思い、ペロリと酒を舐める。まとまった金さえ入れば上方辺りへでも行って面白おかしく暮らすのだがな、と目の前の相手をバカにしたような嘲笑をもらし、
「ふん」
と生返事。
興味もないというのがあからさまにわかる横井に、いつものことと乾は敢えて黙殺した。
「面白いこと、か―――儲け話か?」
「儲かる…かも、しれぬ」
その返答に、横井は初めて乾の顔を見た。
何も言わず顎をしゃくることで話の続きを促してくる横井に、乾は己が信濃屋に持ち込んだ茶碗が回り回って噂となり小普請組組頭の耳にまで入ることになった話をかいつまんでしてやった。
「―――この俺さまが細工をしてやった茶碗がそんなおもしれえことになってるとはな」
ハッ、と嘲るように笑う横井。
小普請組支配の組頭からの使いは、乾が信濃屋に預けた茶碗を見せてほしい(賄賂にして寄越せという意志の婉曲表現)と言ってきたのである。
「してみると、割ってしまうには惜しかったか?」
問われても、乾にはなんとも答えようがない。目が利かぬのである。それは茶碗を惜しげもなく一刀両断して見せた横井とて同じこと。
それゆえ他の茶碗を用意しようにも難しい。第一、乾の父親が遺したもので価値のあるものはほぼ売りつくしてしまっている。
また、組頭の畠山玄蕃は骨董が趣味なだけあってそこそこに目も利く。しかも、畠山が近頃になって知己を得たという茶人も乗り気で目利きをするつもりらしく、誤魔化しようもない。
茶碗で詐欺を働いていた折りにも目利きは骨董狂いであった乾の父親の役目で、その父親が死んだ後のこの二人では何も出来ずにくすぶっていたくらいなのだ。
では、どうすればよいのか―――
それを相談するために乾は戻ってきたのだ。横井という男は悪知恵だけはとてつもなくよく回る。
乾とて御家人の端くれ。三十俵二人扶持(町方同心のもらう給料のこと、転じて町方同心そのものを指す)などは御免被るが、お役に就きたいというのが本音である。そこが同じワルでも生まれた時から浪人暮らしの横井とは違う。
まあともかく、乾たち御家人がお役に就くためには小普請組の組頭に媚を売っておかなくてはならないということだ。
今回のことでは適当な茶碗を用意するにしろ何にしろ、益になるのは御家人の乾のみで浪人の横井にはなんの利得もない。だが、乾はもしことが成った暁にはそれなりの金を工面して横井に差し出す心づもりである。
横井がまとまった金を欲していることを乾は知っていたし、江戸を離れるつもりであることも知っていた。乾の方とて横井のような男とツルむのはここらが潮時だとずっと考えていたのである。
少年の頃からの付き合い、世話にも(おもに悪事方面で)なっている―――それはつまり、ほぼすべての事柄に関して横井に弱みを握られているということに他ならない。
ことあるごとに上から目線で口を出してくる、当然のように金をせびる、一々が恩着せがましい横井に対して常に苦々しく思っていた乾である。
父親が手を染めていた茶碗詐欺を続けるにも、目利きの出来ぬ横井はもう必要ではない。茶碗に細工するだけならば自分でも事足りるし、金で雇うことも出きる。詐欺の筋立てを編み出した時点で横井はもう用なし、要らぬのである。
今回を最後に横井とは手を切るつもりの乾であったが、そんな内心をおくびにも出さずに、
「で、だ。どうしたらよいと思う?」
と問いかけた。
数日後。
信濃屋徳兵衛の家に乾勘十郎ご一行さまがやって来た。
そのご一行さまはまさにご一行さまと呼びたくなるような人数でやってきた。
信濃屋の客間には現在、五人の男たちがズラリと並んでいる。
まずは当事者の乾勘十郎、次に骨董に趣味があるという小普請組組頭の畠山玄蕃、そしてその連れである茶人・里村宗助、さらには乾の知り合いという横井正蔵という侍が立ち会いと称して同行してきている。
そして、彼らに対してこの家の主人である信濃屋徳兵衛がたった一人で相手取っているわけで……圧迫面接もかくやという現状であった。
「信濃屋、我が家の家宝の茶碗、しかと用意したであろうな」
口を開いたのは乾。
探るような、狡そうな、居丈高な、色々なものが綯い交ぜになった目つきで頭を垂れた信濃屋を見下ろす。
「はい。しかとお預かりしてございます。ただいまお持ち致しますのでしばしのお待ちを頂けましょうか」
信濃屋はまるで時間稼ぎでもするかのようにそう答えた。
「いやに勿体つけるな、信濃屋。それがしに茶碗を返すのが惜しゅうなったか。それとも見せられぬようなことでもあったのか?」
乾の言葉に信濃屋の色を失くしていた顔にわずかながらに血の気が浮いた。
茶碗の切り口から見て信濃屋の過失ではなくもとから細工が施されていたものと、雪之丞―――贋物屋から教えられた。そうであるというのならば、乾の言葉はこれ以上ないくらいに白々しい響きを伴う。さすがの信濃屋もあまりの傍若無人な振る舞いに怒りがわく。
「………」
だといって何をいえる筈もなく、小さな声で否定の言葉を返すことしか出来ない。
乾はそんな信濃屋の様子を平然と流し、当然というように頷いた。
と、そこへ軽やかな調子の声がかかる。
「それにしても、実に楽しみでございますね」
信濃屋と乾との言葉の応酬に気づきもせず、至極楽しげな声をあげたのは茶人の里村宗助。乾が連れてきた小普請組組頭、の連れてきた茶器などの目利きをするという男である。
その男の言葉を聞き、乾は横井と目線を合わせて軽く頷いた。実は小普請組組頭の畠山とその知り合いの茶人をこの場に立ち会わせたのは乾と横井の作戦であった。
彼らの計画はこうだ。
まず信濃屋に預けた茶碗は、乾の父親が生前に次の茶碗詐欺に使うつもりで用意したものであり、クズ茶碗であることに間違いはなかった。しかも、横井が真っ二つにした上でメシ粒で貼り合わせておいたものだ。そんなものを賄賂に差し出すわけにはいかない。
そこで別の茶碗を仕立てなければならないわけだが、それを信濃屋に用意させようというのが、横井と乾の計画だった。横井の話ではこれまでの茶碗詐欺の被害者たちの対応には二種類あるという。一つは金を渡してくるもの、例えば二十五両で預かったものであれば五十両は堅い。
もう一つは別の茶碗を用意するもの。もちろんクズ茶碗といえども現代のように機械化された大量生産品とは違い、一つとして同じものはないわけであるからして、どんなに目のない者でも見ればさすがに別物とわかる。詐欺師どもが騒ぎだしたらそこでしまいだ。だから、被害者側はそれを黙らせるだけの逸品を用意するのである。
こちらは五十両どころの騒ぎではない名品が手に入ることもあるという。もっともそうなれば詐欺グループの方にも乾の父親のような目利きの出来る者が必要となってくるのだが。
横井はその目利きを畠山玄蕃の連れてくる茶人にやらせようと目論んだのだ。古道具屋でもある信濃屋であれば代わりの茶碗を用意する方を選ぶ確率は高い。よしんば金を用意してきたとしても畠山をその場に立ち合わせれば“茶碗が確かにあった”ことを裏付けることになる。
「もちろん―――茶碗はございますとも。ただいま蔵より運ばせておりますゆえ」
苦々しげな声音で答えた信濃屋に、乾と横井は再び目線を会わせてニヤリと笑った。
程なくして軽い足音を響かせて茶を運んできたのとは別の女中が茶碗と共に現れた。
信濃屋が四人の男たちの前に桐箱を置く。
さて、とばかりに全員が居ずまいを正した。
「………」
誰もが無言のまま、信濃屋が桐箱に掛けられた紐を解き、
そして―――