贋茶碗11
再掲載です
――――― 11 ―――――
時は少々さかのぼる。
雪之丞のファンの集い(という名の女子会?)で雪之丞と茶人の里村が顔を合わせるより数日前のことである。
―――本日よりしばらくの間、立役者の助三は稽古中の怪我のため舞台を休ませていただきます。まことに申し訳ございません―――
芝居小屋の入り口の貼り紙を読み上げた娘は、
「そんなぁ~…」
この世の終わりとばかりのため息をついた。
娘二人とお着きの女中がさらに数人ずつの一団である。こんな百日芝居ではなく大芝居の桟敷を陣取り、日がな一日芝居もそっちのけで弁当(芝居の幕間に食べる。幕の内弁当の起源)の風呂敷を広げたり、何度も何度も着替えたり(大芝居の桟敷は一種の社交場で娘たちは何度もお色直しをしていた)していそうな娘たちである。
そんな彼女らが百日芝居の小屋に足を運んだ目当ては深山一座の二枚目役者・助三であった。ところが、その二枚目の看板に助三の名が入らず、入り口には降板の貼り紙。娘たちはがっくりと肩を落とした。
夏の間には芝居小屋はかからない。幾重にも着付ける重い衣装(早着替えのために何枚もの衣装を重ね着している)で汗はかくし、かいた汗で化粧は落ちるし、せっかくの美女も化け物に成り変わるからだ。(ただし雪之丞は除く)
客席の方とて暑さで半刻と座っていられるものではない状態となる。常設の大芝居の方でさえ若手の役者たちのみを使ったおざなりの芝居ばかりでなおさらに客足は遠のく。それ故、深山一座の芝居小屋も本格的な夏が来る前にもうすぐ取り壊されることになるだろう。その直前の助三の降板に彼女たちだけではなく贔屓の女性たちはがっくりと肩を落とすのも当然であった。
雪之丞はどちらかと言えば年上の女性に(男性にも)人気のあるタイプだが、助三のファンはなんといっても若い娘が多い。もちろんそのヤットウの腕前から一定数の男性ファンもいるにはいるが、なんといっても娘たちからの支持が圧倒的なのだ。
となればやはり女性関係の逸話も多く持っている。
ある大店の娘に水茶屋に連れ込まれそうになった話などその典型であろう(✥連れ込まれそうになったのは助三の方である)。
連れ込まれそうになった助三はその娘に『おまえさんの《初めて》は将来おまえさんを嫁にもらおうっていう幸せなヤローのためにとっておくがいいぜ』と言って据え膳を蹴とばしたという逸話である。話を聞いた男たちが据え膳食わぬ助三を腰抜けだと大いにせせら笑ったというこの話、若い娘たちは大いに感激し、その娘の親たちは涙を流さんばかりに喜んだという。
ただ―――
後日、娘の両親が持参金を持って助三に婿入りを迫ってきたというのは、まあ、また別の話である。
「なんだ、助三はまた降板かい」
不意にそんな声が娘たちの後ろから聞こえた。
娘たち同様、芝居を見に来た中年男の二人連れである。やはり貼り紙を目にしたようだ。
キッ、と涙目の娘たちに睨まれているが、それには一向に気づかず自分たちの話に夢中の様子である。
「助三はなぁ~、殺陣も見事で芝居も上手いし、なにより身長があっていい役者なんだが、如何せん怪我が多くてなぁ」
やれやれといった様子で肩をすくめる男の言葉。
身長が高いというのは当時の二枚目俳優の必須事項である。女形(性別:男)というのは腰を落として前屈みのまま芝居をするものだが、それにも限界はある。立役者の身長が低ければ普通の女形ならば女に見えなくなってしまうからだ。ましてや雪之丞は殺陣もするため、姿勢は良い。そうなると並んだ時の見映えは深山一座の中でも助三が一番なのである。
「まったくな、前の興業の時も三日ほど休んだのではなかったかい?」
「そうそう、千秋楽まで後三日というところで、急にさ。あれは―――駄目だろ」
そこまでの会話を聞いたところで、限界だった。何がといって娘たちの堪忍袋が限界だった。
「ちょっとッ!?」
突然割り込んだヒステリックな叫びに中年の男二人がぎょっとなる。
「ちょっと聞き捨てならないことをおっしゃるじゃないの! 助三さまの怪我は稽古中に負ったもの、日々研鑽を積んでらっしゃる助三さまだからこそなの! そんじょそこらで浮き名を流すばかりの二枚目役者と一緒にしないでちょうだい!!」
「そうよそうよ! あなた方だって助三さまの殺陣さばきには感心してらっしゃったじゃありませんの?! なんてことない顔をして陰でひたすら努力する助三さまの尊さ! おわかりになりませんの!?」
「お…おぅ…」
可愛い娘二人にワァワァとまくし立てられた中年男は、タジタジだ。というか、ドン引きだ。
娘たちの袖をお付きのばあやが引いているが彼女たちの勢いは止まらない。立て板に水とばかりの早口で《推し》の素晴らしさを語っている。…ノンブレスである。
「―――もういいわ」
唐突に娘の片方が言った。
「助三さまが出ないのなら今日はもういいわ。ねえ、おしずちゃん、今日はこのまま汁粉屋にでも寄っておしゃべりしていきましょうよ? 私もう喉が渇いて渇いて…」
さすがにあれだけ声を出して疲れたらしい。連れの娘も否やはないようで、快く同意をしている。
驚いたのはお付きのばあやで。
「ですが、お嬢さま、せっかくの桟敷でございますのに」
大芝居(常設)ではない小芝居(三ヶ月程度で撤去される)ではそもそも桟敷席など無いのが当たり前であるが、深山一座では贔屓筋の熱い要望に応えてほんの数席ほど用意している。その桟敷席を蹴るというのだから相当である。
娘たちは中年の二人組にちらりと目を向け、
「よろしかったらどうぞ?」
言いおいて、キャピキャピと去っていった。
「………」
残されたのは中年の二人組。
「………」
「………」
言葉もなく顔を見合わせるするばかりであったという。
―――後に、『助三の悪口一つで桟敷に座れる』という都市伝説が新たに付け加えられたとか、られなかったとか―――