贋茶碗10
再掲載です
――――― 10 ―――――
とある商家の離れの一室で(離れといっても迷子になりそうなほど広い離れだった)、
「おやまぁ。それはそれは…」
雪之丞は感に堪えたように言ってゆるりと頭を横に振った。その頭はきれいに女髷に結い上げたもので、いつも通りの女形姿(昼用お出かけver.)である。
本日は贔屓筋の商家の御内儀に呼ばれて茶話会のような場に来ている雪之丞だった。集まっているのはいずれも大店の内儀や娘たちばかり。その中に一人雪之丞が混じって―――いわゆるファンの集い的な―――そういう集まりである。
とはいえ、何度目かになるこの会合も何故か毎回、雪之丞が女性陣のおしゃべりに違和感なく参加してくるため、今ではほぼ女子会の様相を呈している。
女子会(?)の主目的はおしゃべりと甘味。それぞれの目の前に練り羊羹や饅頭・点心などの《京菓子》が所狭しと並べられている。そして、おしゃべりの方はと言えば―――まるで止まるところを知らぬ大波のようであった。
その大波に易々と乗ってさらには行き着く先を先導して見せている雪之丞。助三などには『違和感が仕事しねえ。マジ神業』などと揶揄されることもある。
ちなみに雪之丞、姉と妹に挟まれた四人兄弟の次男であった。
「ほんに近頃の江戸は物騒でござんすねえ。伊勢屋の御内儀もお気を付けになりませんと」
雪之丞が如才なくこの会(ファンの集い)を主催した廻船問屋伊勢屋の大おかみ(隠居した主人の配偶者のこと)に話を振れば、大おかみは孫もいる年だというのに頬を赤らめ嬉しそうに笑って見せた。
「ありがとうよ、雪之丞に心配してもらえるだけで元気が出るよ」
「大おかみ、そう言えば、江戸の町にもタチの悪い騙りが横行しているとか…大おかみもお気を付けくださいましな」
雪之丞の言葉に別の方向から複数の相槌があがった。
「おや、おまえさん方、耳が早いじゃないか?」
目敏く気づいた伊勢屋の大おかみが促せば、頷いていた二人の女たちが目配せをしあう。その内に片方の女が口を開いた。
「いえね、私の知り合いの話なんですけど…」
などと言いづらそうな口振りであったにもかかわらず、『知り合い』が金を騙し取られたという話をペラペラと火のついた油紙のようにしゃべり始めるのだった。
江戸でそれと名の知れたお店の内儀たちの噂話によると、質屋をターゲットにした騙りが横行しているとのことである。
質屋というのはその発生は鎌倉時代までさかのぼるが、三代将軍家光の時代に《戸倉》という名称から質屋に名を変えたあたりで徐々に数を増やし、元緑のバブル時代に入ると時を同じくして全盛期を迎えた。
今のこの場にも何人もの質屋の内儀や娘たちが来ている(つまりは、気に入りの役者に金を使えるほど懐に余裕があるということだ)。
質屋をターゲットとしている騙りは、通称“茶碗詐欺”と呼ばれるものらしい。
その手口はこうだ―――
手元不如意となった武士が質種として茶碗を預けにくるところから始まる。
ご大層なお題目を並べ立ててくるが結局のところ二束三文のクズ茶碗もいいところの品であるのだが、如何せん当時の質屋はあまり目利きが出来る者はいなかった。それもその筈で鎌倉時代から続く生業ではあるが、質屋というのはあくまでも庶民相手の商売がメインなのだ。預かる質種といえば鍬や鋤などの農耕具だったり、大工道具だったり、ひどい時には木椀や箸などの生活用品まである。それ故、陶磁器の目利きをするものなどめったにはいない。騙り連中はそこを狙ってくるらしい。
クズ茶碗を拝領品と称して幾許かの金を借りていく、数日して金を返しに来た相手に茶碗を返そうとすればその茶碗が何故か割れているという仕組みなのだ。
当然、相手は怒る。怒って騒ぎを起こすのだ。曰く『拝領の品が割れては申し訳が立たぬ故、腹を斬って詫びをせねば』と。
「おやまあ、そんなもの好き勝手に腹でもイモでも切らしとけばいいじゃないかえ」
話を聞き終えてそう感想を漏らしたのが伊勢屋の大おかみ。ターゲットは質屋ばかりということであくまでも他人事だ。
逆に青くなったのが質屋のお内儀たち。
「きょうとい(怖い)こと…」
そう呟いたのは昨年、上方(関西)から嫁に来たばかりという質屋の若おかみだ。まだ二十歳も超えぬという若さの新婚さんである。
「だって、大おかみ! 今ここで(店の中)腹を斬るって申されるんですのよ。御武家さんが、大声でがなり立ててっ、店の者たちなんかおっかなくって逃げていってしまって」
最初に話し始めた女がむすくれてボヤく。最初の設定はどこへやら…≪知り合い≫の話ではなく本人の話だったらしい。
「そりゃあそうですとも。でも、なんとしてもお帰りになっていただかないとねえ」
知合いの話から本人の話になっていることはわざとスルーして雪之丞は共感するようにゆっくりと頷く。ご婦人方の話に黙って聞く時は聞き、ここで相槌が欲しい時には相槌を打ち、先を促すべき時には先を促すことの出来る―――雪之丞はとてつもなく稀有な才能を持った男子であった!(←助三お墨付き)
「そう! そういうことなの! それでね、おあし(金銭のこと)をね、包んだのですけど…拝領の品でとなれば、そりゃ托鉢のアミダさんを追っ払うようなハシタ金で済むはずもありませんでしょ?」
アミダさんというのはいわゆる托鉢の僧侶のことであるが、僧でないものが僧侶を偽って物乞いをすることも大変多かった。商家の店先で大声で読経(ほとんど怒鳴り声といってよいほどの声)し営業妨害を行うのだ。姿だけでも僧侶であるだけに追い払うわけにも行かずとても迷惑なのである。しかし、そこは店の方も慣れたもので、小銭を握らして引き取っていただく。子供の小遣い程度の金で案外簡単に引き取っていくこともありあまり大きな問題として取り上げられないという側面もある。
茶碗詐欺の侍にしても腹を斬るだなんだと喚くあたりに共通項がないではないが、動く金の桁が違う。
質屋のお内儀が侍に渡したという金子の額に、その場にいた全員の湯飲みを持つ手がピタリと止まった。とはいえ、本当に拝領の品だとしたらとても足りる金額ではない上に、質屋が質種を破損したとあらば信用問題でもある。
おまけに、割れた茶碗の代わりに別の茶碗を用意した者もいたらしいが、それが二束三文の茶碗であれば贋物でたばかったなと倍の金額をふっかけられ、名のある茶碗を代わりに出した店では黙って懐に入れて帰ったという。どうやら茶碗詐欺の侍の方では相当に目が利くらしい。
「―――ですからね、皆さんも存分にお気を付けになってくださいと、申し上げたかっただけですのよ…」
今更ながらに友達の話をしていた筈が全部自分で暴露してしまったことに気づいた質屋の内儀は最後は消え入りそうな声でぽつりと締めくくった。
「でも、それって確か、二年くらい前のことではありませんでした?」
「そう言えばうち、イエその、お友達の家を最後に近頃はとんと聞きませんわね」
「おや、そうなんでござんすか?…本当に?」
雪之丞が揶揄うようなニュアンスながらも念を押したのは被害にあっても隠しているのではないかという意味であったが、その場にいる者たちは一斉にそれを否定した。
生き馬の目を抜くお江戸では同業同士の競争も激しく互いが互いを蹴落とそうと必死だ。そんな話(ライバル店が詐欺被害にあった話)があれば、どれほど隠し通そうとしたところでどこからか必ず漏れてしまう。そういうことのようだ。
雪之丞は納得して頷きながらも、
(それにしても―――)
と考えを巡らせる。
茶碗詐欺が横行しだしたのは五年ほど前からのことらしいが、五年前といえば乾勘十郎は元服して程ないころ。さすがに無理がある。その上、茶碗を持ってきた侍とは歳の頃も合わぬ。
そして、茶碗詐欺の被害報告が下火になった二年前といえば、乾家の先代が暴漢に襲われたことがあると、文治が聞きこんできていた。勘十郎の父親はその時の怪我がもとで膝を悪くしており、歩くにも杖が手放せなくなったと聞く。
(同時期に茶碗詐欺の被害がやんだ……と。辻褄は、合う? いや…?)
思考の海に沈む雪之丞の意識が不意に浮上した。
「まあ! 怖いわ! ねえ、雪さま」
と袖にしがみつかれたからである。
おなごの話は多岐多様縦横無尽にあちらこちらへ飛び回るのが常であるが、今は近頃流行りの辻斬りについての話題に移っていたらしい。
ちなみに袖にしがみついたのは伊勢屋の大おかみである。孫までいる年頃でも贔屓の役者の前ではやはりおなごなのである。辻斬りの被害者は吉原帰りの中年男や蕎麦の屋台を引く男などいずれも夜の夜中に出歩くものばかりであり、大店の大おかみにはまるで縁がないだろうにひしと雪之丞にしがみつく。
大おかみの行動で意識をこの場に戻した雪之丞は、
(おっと、いけない)
内心の焦りをおくびにも出さず、
「御案じめさるな。そなたさまのことは必ずやこの雪之丞が護ってみせましょうぞ」
そっとその手に自分の手を添えた。しかも、滅多には見せない漢気あふれる言葉にニッコリと満面の笑顔付き。女装姿とのギャップで女心を鷲掴みである。
大盤振る舞いのファンサに伊勢屋の大おかみだけではなくその場の全員がキュン死しそうな顔で悶えた。
「雪さま! 私も! 私も怖いです。護ってくださいまし!」
ハイハイとほぼ全員が手を挙げてくる。
「おや、おきぬちゃんは辻斬りなどには遭いそうにもないだろう」
おまえもな、というツッコミがその場の全員から入りそうな台詞ではあるが、大おかみにそう言える強者はいない。唯一、全否定された娘だけが小さく反論する。
「つ…辻斬りには遭わなくても…《贋物屋》には遭うかも知れませんわ。だって、私もおかよちゃんと一緒で一人娘だし、いずれ婿を迎えなければなりませんもの」
「贋物屋? ああ―――おかよというと確か…上総屋さんではなかったかい? 怪しげな男どもにいいように騙されたなすったとか、ねえ」
大おかみの言葉に、幾人かの者が同調する。いづれも江戸でそれと知られた大店のおかみである。多分に侮蔑のニュアンスが混じったのは上総屋が伊勢屋と同じ廻船問屋であり、商売を広げ始めたと評判だからであろう。
男に騙されたと言葉だけ聞けば(ましてや男どもと複数形となれば)被害者ながらに表を歩くのも憚られる―――そういう時代である。若い娘なら嫁のもらい手・婿のき手もなくなるだろう。もっとも上総屋のおかよにはきちんとした本物の許婚が現れたというからさして問題ではなかろうが。
「あら、大おかみ。そんな言い方なさらなくても。おかよちゃんは…」
そう声を上げたのは、上総屋のおかよや信濃屋のおいとと同じ年頃の娘だ。年若いだけあって怖いもの知らずと見える。
「……おや、わたしは何も知りませんよ。菱垣屋のお嬢さんはなんぞ知ってるのかい?」
「―――よくは知りませんけど―――でも、おかよちゃん、本当に困ってて…。上総屋の小父さまがお決めになった許婚って人が急に上方からいらしったもんだから…」
「ああ…アレね。上総屋さんもつまらない真似をしたもんだって評判だったよ。昔に命を助けられたか何か知らないが、その息子と自分の娘を娶せようだなんて。恩人だからといって商売の才があるとは限らないじゃないか。しかもそれがまがい物だっていうのだから…まったくねえ…」
「いいえ、大おかみ、それが…贋者だったのは後から現れた男の方だったのですって。後から我こそが本物だって人がいて、それがまあとんでもなくご立派な方だったのですって。最初に来た人なんておかよちゃんと早く一緒になりたい、仮祝言だけでもってそりゃあしつこく迫って、店の者たちにも大威張りでひどい態度だったそうですわ」
「まあ…」
周りの娘たちがあからさまに嫌悪感を浮かべる。
話をしていた事情通な娘はお茶で喉を湿らすと再び口を開いた。
「それに比べて二番目に来たお婿さんはとっても素敵な方で祝言の前に商売を勉強したいなんて言って―――」
「で? どっちが贋者だったんですの?!」
若い娘たちだけではなく若いお内儀たちまでが色めき立つ。
「それでまあ、色々あったらしいのですけど結局は先に来ていたお婿さんが自ら馬脚を顕して? 後から来たお婿さんがそいつを追い出してしまったんですって」
「なら、色男の方が本物だったのかい?」
つまらなそうな伊勢屋の大おかみの言葉に反して周囲はキャーと喜色をあげる。
「それが、それが―――今度は本物だと思われていた二番目のお婿さんも贋者だったって上方からの知らせが入って、二番目のお婿さんはいつの間にかいなくなってしまっていたんですって!!」
「「「まあぁぁ…」」」
ーーーー 女たちからため息とも何とも言えぬ声が漏れる。
「…フッ…」
うつむいた雪之丞の口角が微かに上がっている。雪之丞は話の間、一言も発さず、ただ黙って聞いているだけであった。そのポーカーフェイスからは何の感情も読みとれなかったものの、最後の最後にブフッと吹き出された息づかい。
それを誤魔化すように、
「結局、騙されずに済んだようで、上総屋さんにはようござんしたねえ」
雪之丞は柔らかな笑みを浮かべてみせる―――その柔らかな笑みの向こうで素の雪之丞が大爆笑していることには誰一人気づかなかった。
と、その時。
ホトホトと部屋の外に誰かの近づいてくる気配がした。
伊勢屋の本宅の方からやってきた女中のようだ。
「―――あの、大おかみ。お客さまでございます。里村さまとおしゃる方です」
「ああ、お待ちしていたんだ。お通ししておくれ」
「おや? 大おかみ。お客人でござんすか?」
と言ったのは雪之丞。ファンの集いでもあるこの会合だが、今日のようにゲストが来ることも間々ある。
珍しい品を扱う小間物屋だったり、江戸で流行りの著名人だったり、伊勢屋の大おかみの眼鏡にかなった者たちが出入りすることでも知られた会合なのである。
この会合へ招待されるということは、江戸で売り出したいと思う者には非常に早道で、とても名誉なことなのだ。
「里村宗介とおっしゃる方でね、千宗朱(現代にも続く茶の湯の名家の家元、とにかく超有名。*漢字が違うのは意図的です)の教えを受けた方なんだよ―――そうそう、目利きの方もなさるというから―――何たら言う悪者どもに騙されないよう色々聞いておきなね」
伊勢屋の大おかみがそこまで言ったところで、女中に案内された本人が登場した。
「お招きいただき光栄に存じます」
そう言って頭を下げた茶人・里村宗介はニコニコと人好きのする笑顔を浮かべた好人物であった。普段は身に着けることのない道服に見を包み、普段はないはずの髭を生やし『はじめまして』と宣う男に、雪之丞のファンの女たちは皆、彼を初めて会う茶人であると認識した。
雪之丞は本日急遽顔を合わせることになった見ず知らずの男にニッコリと微笑み、まるで初めて会った者同士のように、
「お初にお目もじいたします、雪之丞と申しまする」
「里村と申します。これより長くおつきあいいただけますよう…」
とすました顔で頭を下げたのだった。