自殺推進課相談室
「自殺することは悪いことですか?」
隣にいる女性、童顔でくりっとした瞳が印象的な、少し幼く見える僕の同僚である彼女は、僕にそう問いかけた。
僕はすぐにその答えを紡げないでいると、彼女の方が答えを口にする。
「私は自殺って悪く無いと思うんですよね。ほら、こんな世の中になったんだし、どうしても自殺したい人は自殺してもいいと思うんですよ」
大人しい顔をして中々厳しいことを言うなと僕は苦笑いを浮かべる。
自殺。
かつて年間に2万人近く、多い時分には3万人以上が亡くなっていたと言う死因。
日本人全体の死因としては数%程度だが、若い世代の死因としては最も多く、学生や働き盛りの人間で多く見られた。
また、過去に世界を未知の感染症が襲った際は、生活苦を理由にその数が増えたりもした。
近年は専ら高齢者の介護問題で、介護疲れから心中を図る例も多くなり、自殺者数が増加に転じてきたと言う。そのため自殺という死亡理由に対して政府にはますます力を入れた対策が求められた。
死因の数%と言っても年間に万を超える人間が亡くなるのだ。少子高齢化が加速した現代において、それが持つ意味は大きい。
以前から自治体に設置されていた相談室なども一定の効果を上げていたが、それでも根本的な数を減らすには至らず、依然自殺という手段を取る人間は多く見られた。
そんな中、2035年に、政府はそれまでの対策を一転させる法を打ち出した。
それは自殺の推奨。
国が自殺を止めるのではなく、自殺したい者を受け入れ自殺できる環境を整えると言う、それまで自殺を抑止するための体制づくりとは真逆の法案を可決したのだ。
何故政府がそんな法案を可決したのか。それには自殺の方法に関わってくる。
多くの人間が自殺を行う際に取る手段。それは縊首。つまり首吊りだ。
最も手軽でやろうと思えばどこでもできる。
ドアノブにロープを引っ掛けるだけでも可能な手軽さが選ばれる理由だろう。
昔は薬物での自殺が多かったそうだが、時代を経るごとにその割合は変容し、高所からの飛び降りや電車などへの飛び込みが増えていった。
しかしそれら自殺は須く、後の処理が必要になる。何も無いと言うケースは非常に稀だ。
自殺が増えた理由としてその際たるものはストレスだろう。社会に対する閉塞感や、格差による生活苦、生き辛さによる感情の吐け口の喪失。
突発的に行動に起こす者も多く、前兆はあっても止めることは難しい。
ストレス社会と呼ばれる時代において、それをなくすには社会の構造を変える必要があったのだろう。しかしどう変えれば良いのか、専門家にもお偉方にも判断できなかったらしい。
それにいくら政府と言えど、社会に強制させるような強権発動は流石に難しく、手をこまねいたのが実情だそうだ。
そんな中で自殺推奨論が出た契機になったのは、ある一つの列車事故。
男がただ列車に飛び込んだだけのあり触れた自殺だったが、話はそれだけで終わらなかった。
男が飛び込んだ列車はその日、ある重要なものを運んでいたのだ。
それは心臓病患者の移植用の心臓。
運悪くその電車に男性が飛び込んだことにより、電車は長時間の停車と遅れを余儀なくされ、結局心臓が時間内に患者へと届くことはなかった。
心臓移植は時間との勝負。摘出から4時間以内に移植が必要だとされている。
直ぐに何とか降車して目的地へ急いだが、到着した時には既に心臓を移植に使うことはできず、その後次のドナーが見つかる前に患者は命を落とした。
この事件で亡くなったのはまだ9歳の女の子だった。両親が訴えを起こしたわけでは無いが、自殺者の身勝手によって小さい子供の命が失われたと言う事件は、当時のマスコミの格好のネタになった。
勿論何故そんな重要なものを電車などで運んだのかと言うのは今でも批判の対象になっている事件だが、その時は都市を上げての万博開催によって、主要な交通機関はほとんど麻痺しており、風の強いこともあって車やヘリは使えなかった。
その少し前に起こったテロへの警戒もあって、より交通規制が厳しくなっていたそうだ。
比較的距離が近いこともあり、電車を乗り継いで間に合うと判断したらしいが、しかし予想外の人身事故によって鉄道も麻痺してしまった。
これがこの事件のあらましである。
当然電車で心臓を運ぶ判断を下した病院側は猛烈なバッシングを受けたが、それと共に飛び込みを行なった男性家族に対しても強い批判が集まった。
それは相当ひどいものだったようで、男性の奥さんと娘を苦しめた。鉄道会社からの賠償金支払いによる過労や、関係ない人間から浴びせかけられる心ない言葉に、奥さんは精神を病んで自ら命を断ち、娘も学校でのいじめを苦に自殺した。
この事件は自殺をした後の社会への影響について、深く考えさせられることになった一件である。
これが何故自殺推奨の契機になったのかと言うと、このように自殺によって広範な他者への影響を起こすのなら、逆に自殺を推奨し、その対象者をコントロールしてはどうかと言う意見が出たからだ。
勿論当時は倫理的に問題だとか、人権を無視した行いだと言う意見があったが、最終的にはそれが最も自殺したいと言う意思を尊重する、すなわち人権を尊重することになるとのことで意見がまとまったわけだ。
それにより安楽死という考え方も認められるようになり、殺人や自殺幇助になっていた法も見直されることになった。
こうして法律が変わり、自殺が推奨されるようになって作られたのが「自死による殺人幇助に関する法律」、通称自殺幇助法、または自殺推進法と呼ばれ交付された。
こうして自殺幇助が許されるようになったわけだが、勿論誰彼構わず自殺幇助を行うことはできない。この法が適用される範囲は非常に狭く、各自治体に設置された窓口にて自殺申請を行い正式に受理された場合に初めて、自殺を行うことができるのだ。
そして今僕がいるここは、自治体の役所であり自殺の受付を行う自殺推進課。その中にあって、人々の申請を請け負う相談室であった。
隣に座る童顔の同僚も、推進課相談室のメンバーである。
さて、何故このような相談課が必要になるかというと……。
「お電話ありがとうございます。こちら自殺推進課相談室です」
今日も今日とて、同僚は一日十数回かかってくる自殺の相談電話に対応した。
「はい。はい。自殺を行いたいということですね。どのような事情かお聞かせ願えますでしょうか?」
そうして同僚は、電話向こうの相手に丁寧な口調で自殺の理由を聞いていた。
漏れ聞こえてきた話によると、その女性らしき人物は、学校にも家にも居場所がない。自分の生きる場所がどこにもない。生きているのが辛い。
この仕事をしていると割とあり触れた自殺理由だったが、同僚は根気強くその相談を聞いていた。いつしか自分ごとのように、口調もフランクなものに変わっている。
「うん。うん。そうだよね。私も昔はそう思ってた。誰も私を見てくれないんだって。でもそんな風に思ってて、ある時ある人に気付かされたの。ほんとは誰かじゃなくて、自分が一番見ていなかったんだって。それから少しずつ自分から周りを見てみようと思って、頑張ってみたんだ。そしたら今までの世界とちょっと見え方が変わって、少しだけ気持ちが楽になったの」
いつの間にか自分語りに変わっており、しかしそれでも会話は途切れない。
そのまま暫く会話は続き、そして少女と何やら約束をして締め括られる。
「うん。うん。じゃあ今度の土曜日、駅前に集合ね。約束だよ?」
そう言ってガチャリと電話が落とされる。
「君はまた相談者と出かける約束をしたのかい?」
「だって、この女の子私に似てたんですもん」
「こら。相談者と会うなとは言われてないし、それもケアの一つの方法だけど、あまり根を詰めすぎると君の方が辛くなるぞ」
「もう。先輩のいけずぅ〜」
そうして同僚はぷくーと頬を膨らませて俺に文句を言ってくる。その姿が可愛らしく、つい怒る気が失せてしまう。
「仕方ないな。休日出勤はちゃんとつけるんだぞ。それと、僕も一緒について行くから。勿論遠くから見ているだけだけどね」
「やった〜。だから先輩のこと好きなんですよねー」
「何か言ったかい?」
「いいえ、何も〜」
僕が聞こえなかったふりをすると、同僚はすっとぼけた態度をとる。
それもいつものやり取りだ。
この自殺推進法の適用を受けるためには、まず自殺推進課に自殺を受理してもらう必要がある。その受理にはまず相談室に連絡をして、その悩みを吐き出すことが必要だ。
僕たちのような相談室の人間が、その悩みを聞いて自殺をすべきかどうかを判断する。
僕たちは心理カウンセラーの資格を有しており、それら人員がコールセンターに立って最初に自殺の相談を受けるという体制が形作られている。だからその場で自殺を思い止まらせる方向に持って行くわけだ。
電話で話をしたり、彼女のように話を聞いて実際に会ったりして、大抵はそれで自殺を思い止まる事が多い。
それでも自殺を望む人間は一定数いるので、そのような人には次のステップである心療科の受診が実施される。
その際家族などに情報を共有することもあるが、大抵は知らされずに自殺を望むものが多い。それが原因だというケースもあるからだ。
原因を聞き出して何とか改善できないか、もし環境的要因であれば国の支援を受ける事もできるため、ここで止まる者も一定数いるようだ。
それでも改善を望む事ができない場合は、晴れて自殺が叶うと言うわけだ。
最終的に医師立ちあいの元安楽死が実施されるため、苦しむことなく自殺ができる。その後の処理も国が実施してくれる。
彼らは皆安らかな表情を浮かべて死を受け入れるという。
こうする事で他者に迷惑をかけず、自死を選択する事ができるわけだ。
この法案が施行されて以降、自殺者は少なくなった。
それには自殺を望む人間を事前に把握できるようになった事が大きいだろう。
そもそもいつ誰がどこで自殺をしたいと思うか。それまでは突発的な行動によって自殺を選択する者が多かったが、この法が施行されてからは事前に自殺予備軍となる人間が相談室に連絡をしてくるようになった。
事前に自殺する可能性がある人物を把握できることで、自殺を思いとどまらせる機会を設ける事ができる。勿論プライバシーは護られた上で、だ。
この法に合わせてもう一つ、法が変更された。それは自殺後に掛かる責任が重くなったと言う事だ。残された者にかかる責任が重くなったことも、この行動を後押しした理由の一つだろう。
そもそもがどこにも相談できず自身の内に抱えるしかできなかった感情が原因で、自殺する人間が多かった。それが法として全国に発布されたことで、相談し易くなったわけだ。
勿論未だ相談室に相談せず自殺を行う人は少なくない。けれどそれまで誰にも相談できず、ケアを受ける事ができなかった人達が、少しでも自分の感情を話す事ができる場が提供されたのは事実だ。
だから一人で思い悩み、人生を終わらせると言う事が少なくなった。それだけでも一つの成果と言えるだろう。
「ねー。先輩、聞いてます?」
「ん? ああ、ごめん。何だい?」
「ほらー。やっぱり聞いてなかった。もう、しゃんとしてくださいよ!」
そう言ってプンスカと怒る同僚に、僕は小さく笑って誤魔化した。
「で、結局何だい?」
「もー。予鈴鳴ったんで、お昼いきましょーって言ったんですよ」
「お昼か。今日の昼番は……。大丈夫そうだね。お昼行こうか」
「はい、早く行きましょ。私お腹ぺこぺこです!」
言いつつ財布を取ってすでに準備万端な同僚は、席を立ってぴょんぴょん飛び跳ねていた。
いつも元気なこの同僚は、日々多くの相談を受けるこの職業にあって、非常に貴重な人材だ。
他人事とは言え、相談室にくる電話は明るいものが少ない。ほとんど暗い話を聞き続けると、僕たちの方が参ってしまう時がある。
けれど彼女の姿を見ているとそんな沈んだ気持ちさえ明るくさせられてしまう。
「先輩、早く早く」
こちらに呼びかける同僚の後ろ姿に元気付けられつつ、残って昼の電話番をする他の同僚に会釈をして彼女の背を追った。
「今日は何食べます?」
「そうだね。お蕎麦とかどうかな」
「お蕎麦! 良いですね。お蕎麦にしましょう」
彼女は何事にもウキウキとしていつも元気だ。
僕も薄く笑みを浮かべて隣に並ぶ彼女を眺める。
暫く歩いて行きつけの蕎麦屋を見つけると、人の波を抜けて店へと入った。
店内は多くの客で賑わっていたが、手近に空いてる席があったのでそこに腰掛ける。
程なくして店員がメニューとお水をテーブルの上に置いた。
「おっそばー。何にしようかな?」
「僕はざる蕎麦で」
「ちょっと先輩。それじゃあ私が具のあるおそば頼んだら大食いみたいじゃないですか。少しは気を遣ってくださいよー」
「そうかい? なら大盛りにしようかな」
「大盛りかぁ。仕方ないですね。それで許してあげます」
何故か仕方なく許されてしまった。少し理不尽な気がするが気のせいだろうか。
蕎麦を待っている間も嬉しそうな同僚を見ていると、いつの間にかそんな事がどうでも良くなってしまう。
暫くして運ばれてきたお蕎麦に目を輝かせながら、同僚はテキパキと食べる準備を整えた。お気楽に見えながらも、彼女は優秀なのだ。
この仕事をしていてここまで明るい人間は珍しいものだと時々呆れてしまうけれども。
「そう言えば先輩、私の質問に答えてくれてないですよね」
「質問?」
何のことかと問い返すと先程の会話を蒸し返された。
「自殺についてですよ。自殺をするのが悪いことなのかどうか」
「自殺が悪いことか、か」
正直その話は、この法が施行されてからも議論の尽きないネタだ。
未だに自殺の推進が間違っていると言う意見も多くある。それは実績が伴ったとしても覆らないだろう。
世論というものは論理だけでなく感情も併せ持っている。むしろ感情のほうが強いくらいだ。
だから僕たちのような立場の人間が、簡単に結論づけて良い話ではない。
「君は自殺が良いことだと思うのかい?」
「んー。私はこの法ができて、少なくとも救われた人がいると思います。一時の感情でしかないかもしれないけど、それでも誰かに打ち明けたいと思う心は分かりますから。それは近いほど難しいから、ずっと苦しいんです」
「そうだね。近いほど、側にいるほど内に抱えてしまう。だから僕たちのような人間が必要なんだ」
「ですよね! やっぱり先輩も」
「でもだからと言って、良い悪いは別の話だと思う。それは感情でも論理でも割り切れない答えだよ」
「そんな〜」
同僚は僕の曖昧な答えに落胆した声をあげる。
果たして彼女は自分の考えを肯定して欲しかったのか、否定して欲しかったのか。
「けれど考えることは重要だよ。良いか悪いかは、いつの時代も多数派が決める。けれど正しいか正しくないかは別の話だ。僕たちは考えることをやめてはいけないんだよ」
「それって、結局どっちなんです?」
少し言葉を濁しすぎただろうか。
僕はできるだけ自分の考えを持たないようにしている。こと仕事に対しては、そう言った感情が公平性の妨げになるからだ。
だから常にどちらの理由も考えなければならない。良い悪いではなく、正しいか正しくないかを。
けど少しだけ自分の想いを含めて、言葉にしてみる。
「正直僕は、自殺は反対だ。良い悪いじゃなく、感情論でね。自殺は劇薬だ。様々な辛い感情を持った人間が最終手段として手にする甘美な劇薬。それを服用すれば簡単に苦しみから解放される。けれど劇薬は周囲にも影響を及ぼすんだ。人は社会で生きている。自分一人が社会の全てではない。こういう言い方をすると、それが原因で悩んでる人に文句を言われるかも知れないけれど、その悩みを少しでも聞いて和らげてあげるのが僕らの仕事だと、僕は思っている。だからそれが良くても悪くてもどちらでも良い。僕は少しでも命を救えれば、それで構わないからね」
ふーん。と同僚は頬杖をついて、僕の言葉に軽い反応を返した。
果たして納得したのかしてくれていないのか。結局答えになっていないと言われれば、そうかもしれないが。一応僕の個人的な意見は言ったつもりだ。
すると同僚は元の明るい笑みを浮かべて言う。
「私も、一人じゃないんだよって、いつも言い聞かせながら相談してくる人に接してるつもりです。だから先輩の言うこと、少しわかる気がします」
「そうかい? だと良いんだけれど」
僕は困ったような笑みを浮かべて返した。
良い悪いは人の価値観、時代によって移り変わる。勝てば官軍、では無いけれど、その時々の環境的要因も相まって、人は判断を下すと思うから。
だからこそ自分の意見がどうなのか、その意見を飲み込んだ上で考え尽くさなければならない。
この法案ができて確かに少なからず悩み続ける人でも話ができる環境が整った。けれどそこから先、正しい方向に進めるかは僕たちの責任が強い。
どんな言葉を使うのか、どんな想いを受け止めるのか、それを吸収してどんな言葉にできるのか。
正しさは時に押しつけになる。それが痛みを伴うこともしばしばだ。だから常に考え続けて寄り添わなければならない。
勿論人によってその感情は様々で、それを嫌う人もいるだろう。人の心は難解だ。イエスかノーで割り切ることはできない。
それでも、僕たちは人を救えると言う立場に恵まれた。
自分が救われたから、なんて崇高な理念があるわけじゃ無いけれど、それでもやりがいは感じているつもりだ。
だから僕は自殺が良い悪いだけじゃ無いと思っているし、思っていたい。それを良いものにするかどうかは、関わる人次第で変わるだろうから。
悪感情が先立つのは人の性だ。答えを求めるのは性急だ。けれど、それだけで止まっては停滞するだけ。そこからどうできるかは、その人と周囲の関わり次第。
だから立ち止まら無い後押しができれば良い。ただそれだけ。
「あ、早く戻らないとお昼休み終わっちゃいます!」
愉快な同僚がバタバタと忙しなく動いて精算を済ませる。
その様子にくすりと思わず笑ってしまった。
そんな僕に、彼女の非難がましい視線が向けられる。
再び事務所の定位置に座ると、今まで受けた相談の内容を入力しながら次の電話を待つ。
そうして今日も僕らは、電話の向こうにいる誰かの救いになれるよう、次のコールを待ち構えるのだ。
そして、また誰かの救いを求める声が届けられる。
「はい。こちら自殺推進課、相談室です」
自殺は良いことか悪いことか。答えは人によって違うと思う。
それを愚かに思う人。それに縋るしかない人。
人によって、映る景色が違う。
だから答えも千差万別。
この物語のような未来があるかも知れないし、ないかも知れない。現実問題はもっと複雑だ。
だから他人の意見に踊らされず、自分がどう思うか。
そしてどうすればそれが叶うのか。共感してもらえるのか。
押しつけじゃなく、一緒にそう思えるにはどうすればいいのか。
そんな考えを持って生きていきたい。
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