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「ねえ、僕たちお出かけするの?」
恵美が着替えを用意している間に、勇斗が佐藤に尋ねた。
「うん、ママと勇斗君で今日はお泊りに行くんだ」
勇斗は、もうひとつ腑に落ちない表情をしていたので、佐藤が話を続ける。
「しばらくママとふたりでゆっくりしておいて。そうしたら後は神様がなんとかしてくれるから」
「またお家に帰ってこれる?」
「帰ってこれるよ」
「帰ったら、またあいつが居る?」
「もう居なくなってるよ。そしてもう二度と現れない。約束するから」
勇斗は心からうれしそうな笑顔を見せた。
佐藤は安請け合いをしたが、これは俺も神様として責任重大だ。
しばらくすると、恵美が小さなボストンバッグを持って来た。
「よし、じゃあ行きましょう」
俺たち(俺の姿は無いが)は団地の外周道路沿いにあるバス停に向かって歩き始めた。
このまま無事にバスに乗って、警察のある市駅前まで行けたらよいのだが・・・物事はやはりそう甘くはなかった。
歩き始めた3人の行く手を遮るように、型の古い国産サルーン車が派手な排気音とタイヤの音を響かせて停車した。
クルマのドアが開くと、安物のホスト崩れのような、中途半端な二枚目が眉間に皺を寄せながら降りてきた。
思っていたより体格がよく、強そうである。
こいつが木村らしい。
俺はさっき天に感謝したのを取り消したくなった。
「おい、コラ。恵美、てめえどこ行くんだよ。その男は誰だ。ああ?」
知性の欠片も感じられないセリフを吐く、わかりやすいチンピラだ。
佐藤は青い顔して突っ立てたし、恵美は絶望して震え上がっていたが、勇斗だけは敵意に満ちた目で木村を睨みつけていた。
佐藤が小さな声で俺に問いかけてきた。
「神様、あのう・・俺なんか神通力とか使えますか?」
申し訳ないが俺はこう答えた。
『すまん。特にそういうのは無い』
「ええっ、だって神様がついてるから怖いもの無しって言ってたじゃない」
木村がずかずかと佐藤の目の前まで近づいて来た。
「おら、何ぶつぶつ独り言言ってんだよ。お前、恵美の男か?人の女房に手ぇ出しやがったのかよ、クソが」
言うなりガツンと強烈なパンチを佐藤のアゴに叩き込んだ。
佐藤は大きく吹っ飛ばされ倒れた。
「やめて、その人は自治会の人よ。乱暴しないで」
恵美がそう言って木村の追い打ちを制止しようとした。
「自治会だあ?ざけんじゃねえ」
木村は恵美の顔を容赦なく張り倒した。
それを見た勇斗が、猛然と木村の脚に飛びつきしがみついた。
「ママをいじめるな!」
そう言って木村の太腿に噛り付く。
この子はその名にふさわしく、ママのために勇ましく闘ったのだ。
しかしその勇斗を木村は蹴り飛ばした。
「痛てえなクソガキ。ああもうお前ら全員コロス!覚悟しろよ」
俺は子供が勇ましく闘っているのに何も出来ない自分に腹を立てていた。
何が神様だ。俺がいちばんの役立たずじゃないか。
その時、突然佐藤が飛び起きると、なんと木村の股間に飛び込むような頭突きを食らわせたんだ。
女と子供が暴力を奮われているのを見て、敢然と立ちあがるとは、佐藤は意外に男気のある奴だった。
さすがに木村にもこの攻撃は効いたようで、唸り声を上げてその場にうずくまった。
とても騒がしいこの乱闘に、周辺の住民たちが窓から様子を窺っているのが見えた。
佐藤はその住民たちに大声で呼びかけた。
「すみませーん!警察を呼んでください!お願いします」
しかし、その声を聞いた住民たちは一斉に音を立てて窓を閉ざした。
なんということだ、誰もが見て見ぬふりするつもりか。
つまりは触らぬ神に祟りなし・・ってことなのか。
触らぬ神に・・・祟り?
ん?・・・待てよ・・そうか、その手があったか!
俺は佐藤に呼びかけた。
『佐藤、木村を挑発して走れ!俺の祠まで!』