第十九部 弐章 流浪の転生者
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オレがこっちの世界に来たときは、そんなことを考える暇もなかった。激しいような痛みと苦しみ、そして何よりも一生無縁だと思っていた衝撃と長く続く苦しみが待ち受けているとは、前世では思ったこともなかったのだから。
この世界で目が覚めると見覚えのない天井、部屋だってアパートの部屋ではなく、自然を多く使った自然物100%のハンモック、しかし、そんなことを考える暇もなく突然「奴」は襲ってきた。
強い倦怠感に頭痛、はらわたが煮えくり返る程のジンジンとした痛みが身体の中で暴れ回る。とにかくその時にはお手洗いに行く事で頭がいっぱいになって、初めて見る建物の中を駆け回り、人権を失う前に目的地を目指すことにした。
何とか後数秒というところでお手洗いを見つけたが、女子マークだった為少し躊躇ったが、流石にこれ以上の我慢は出来ないと思い意を決して全力疾走で個室に逃げ込む。
そして、お腹に力を入れたが、特に出すものがあるという感じでもないし身体の具合が良くなる感じもない。それなのに、何か水気を感じる。
とりあえず、トイレットペーパーで拭き取ろうとした時に鉄錆に似た臭いがした。驚いて足を見ようとしたが何かタオルか何かで詰め物がしているのか、よく見えない。とにかくこの水気を取って出血部分の止血も行おうとして、少し恥ずかしいがオムツのように巻いて履くようにした。
具合の悪さに顔をしかめながら、またうなだれるように便座に腰掛ける、すると、ジワリと水が滲むように感じて仕方ないから替えようと濡れた部分を取るとあの衝撃の出来事があった。
「いぎゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!!!!!!」
今まで出したことのない絶叫、声が裏返り、顔はこの世の終わりのように絶望で染まり、驚きの余り下丸出しでドアを開けて逃げようとするが腰が抜けてへたり込んで尻餅をつきながらズルズルと壁に背をつけてガクガクと震える。
オレの絶叫を聞きつけたのか多くの人の足音がトイレに向かって響く、他の埋まっていた個室からも水を流す音とドタバタとした音が聞こえる。
「どうしましたか!?何かすごい悲鳴が聞こえたんですが!?大丈夫ですか!?」
「仕方ない…あんた達男も入っていいから、用心して!」
「開けますよ…!」
トイレの個室とお手洗いの扉がほぼ同時に開いて、多くの人の視線がオレに集まる。その事に気付いて助けを求めるように視線を向けるが、まだ衝撃が抜けておらず、魂が抜けたように言葉が出てこずに「あっ…あっ…ひぅ…うぇ…」と呟くだけで言葉を出すことが出来なかった。
男の人たちはオロオロとして何が起きたのか分からず困惑していた。しかし、尋常じゃない量の血を見て顔を強張らせている。
女の人たちは驚いてはいたが、どうやら男性とは違うような驚きで、「大変だ!」というより「仕方ないな」という顔をしていた。
その後、女性の一人が男性たちを撤収させて、血などを拭き取ったりしていた。その時に魔法を使っていたけど、そんなことを考える暇もなく肩を貸されてトイレから出て近くの部屋に通される。
「姫様…今更あんなことで叫ばないでくださいよ……毎月一回はそうなるじゃないですか…キツいのは理解できますよ。大人の女性なら誰でもそうなります。初めてなら確かに驚きはしますけど」
その後に出てきた「生理」という言葉に小宇宙が見えたが、それの対処をテキパキとして一般的な対処はしてくれた。
しかし、それでも完全に全快とまではいかなくて異世界に転生した事に驚くのは痛みが収まった後だった。
正直言って前世より、この世界がとってもいいと思った。エルフ姫に転生した時は流石に戸惑ったけど、侍女は可愛いし仕事関係以外で女性と会話なんてしなかったのに今は他愛のない会話に話しを出来るようになった。
姫という立場だからか、みんな優しくて少し、不安な顔してお願いをしたら一緒に寝てくれたりもする、結婚はしたいけど流石にここでは男でないことに不満を持った。その時、密かに(あーあ、この子が女装男子だったらすぐに結婚を申し込むのにな)とややキチガイな事を思ったのは口に出していないとはいえ一生の不覚だ。
まぁ、そんな充実した生活を100年程過ごしていたある日、森が火に包まれた。エルフたちは蜘蛛の子を散らすように逃げて、消火活動など一切せずにただ火を恐れて一刻も早くその場を離れたいといったように逃げていく。
その時、オレは火の元に近づき一人消火活動をしていたが、一人ではどうすることも出来ずに、火が勢いをましてこれ以上は無駄だと察して、左手の火傷を服を破いて消火活動に使っていたバケツに残っていた少量の水を一瞬だけ漬けて腕に巻きその場を後にした。
逃げていくエルフたちの叫び声の中に「人間が」や「火矢で」などを聞いてこれは人間の仕業だという事が分かっていた。100年もエルフで過ごしていたオレはそれを聞いて人間に対して憎悪を抱いた。前世では同じ種族だったとしても、エルフで過ごした生活は争いもなく、みんな優しくて誰に対しても決して差別などもしない素晴らしい清らかな心の持ち主ばかりだった。
それを遊び感覚で奪い、自分達は知らぬ存ぜぬでしらを切る姿を想像して憎悪と怒りが沸々を沸き上がった。
逃げたエルフは見つからず、幸い何が食べられる草か、どの植物が水を多く含んでいるかの知識は100年の歴史で知っていたから食料に苦労はしなかった。
それでも、森の中の危険はいくつもある。野生動物に遭遇して怪我をする事もあるし、毒を持つ虫に毒蛇や長い蔦が肌を切ることだって珍しくない。
そんな危険な森を1人頼れる仲間も居らず、あてもなくただ歩いていた。
エルフは魚以外の肉は食べれない。全く食べれないというわけではないが、身体が多くの肉を拒絶しているのか、食べてもすぐに吐き出してしまう為、栄養にすらならない。
魚などの水棲の生き物の肉なら大丈夫らしいが、なぜそれが大丈夫で他の肉はダメなのか、それはエルフの生体に詳しい学者にしか分からないのかもしれない。
そんな生活における危険性におびえながら歩いていて、今思うとあの状況で無害な生物に合う可能性が極端に低かったのに里の火傷以外、何の怪我もしなかったのは奇跡と言っても過言じゃなかった。
それに、こんな出会いもするなんて、奇跡を通り越して天命って感じがしてならない……と言っても最初の頃は空気が凍り付いたし、俺の中では既に エルフ以外の人型=害悪 ってイメージが定着していたから仕方ないとは思うし、思ってもらいたい。
パチッと火が弾ける音がして不用心だと思うが、その時オレはその音を出しているのがエルフなのではないかと勝手に思い込み、その音がした方に裸足でペタペタと硬い地面に音を立てながら、近付く焚き火が見えた距離まで近付くとその近くにいる人影もこちらに気がついた。
それは、エルフではなかった。一瞬頭が凍り付いた、本当はあの時どういう行動をすれば良かったのか分からなかったのだと思う。エルフとしての行動と人間としての行動どれを取って、どの対応が正解か分からなかった。
考えるよりも先に安心感と緊張から視界がブラックアウトして次に気がついたら、知らない天井、どこかでデジャヴを感じながら今までの出来事は夢であってほしいと想いながら見渡すが、そこには初めて見る顔、あの時は夜中だと言うのもあり顔をしっかりと見ていなかった。
その顔に感情は無く中性的な顔立ちで厚い皮で統一された黒い服でエルフ達が身につける服とは全く違う様子に警戒してすぐに逃げようと自力で身体を起こそうとしたが、衰弱した身体の痛みで、小さく呻き声をあげて再び頭を地面につける。
「あまり動かない方がいい、いつ死んでもおかしくない程に衰弱してたんだぞ、そもそも、よくそれだけの弱さで歩き回れたのがおかしいくらいだ……エルフは人間と比べてそんなに差異はないと記憶していたはずだが……亜種か、あるいは上位種である変異体か……今は身体を休めろ」
声色で分かったがこいつは男だ。しかし、人間ではないと本能が理解していた。今までエルフと人間を見ていたからなのか、人間と同じなのに人間ではない事に自身の理解力に理解できなかった。
それだけではなく「それしか感じない」というのもおかしい、例えば子供を見てかわいいと思うのと同時に危なっかしいなどの2つ以上の年相応故の感情が湧くのに対して目の前のこいつには1つの感情しか湧かない、そう、まるでこいつは生物ではなくただの「物」みたいな…
100年を超えた時には既に人間の事なんか忘れていたのだろう。たった一つの出来事でエルフ以外の人型は悪というイメージがいつの間にか根付いていた。前世の時でも信じられる人はごく一部で味方といえるものはその更に一握りしかなかった。
こいつはどっちだ?善人の皮被った心が化け物か、余程のバカか、はたまたとんでもない大物なのか……後者であればいいのだが
いつの間にかそういう考えが口から漏れ出ていたのに気付かず、オレとこいつが互いに転生者だというのに気付いた。
最初は信じられないと思ったが、まさか日本人というのも同じだというのにも驚いた。オレ達の他にも転生者がいるというのにも驚いたし、こいつが遭遇した元日本人の転生者はオレが初めて見るとも言っていた、こいつが話す冒険譚にエルフの里から一歩も出たことが無いオレは全てが新鮮だったし、そもそも、オレが転生した事も分からなかった。
死んだ時のショックなのかオレの前世の記憶は明日の一番に彼女のショッピングに一日中付き合わされるのに耐えるため寝溜めしていたのが一番新しい記憶、それ以降を覚えていないのは死んだ事による防衛本能か障害かの記憶喪失だと言われた。
まるで医者の診断みたいな発言に苦笑いしながら、聞いているうちに、ふとあの出来事を思い出す、そして…
(オレに帰る場所なんて、あったっけ…?)
そう思った、今から里に戻っても誰もいない、ただの黒く燃え尽きた木が広がっているだけ、誰もいなくて孤独な何もない場所にオレが戻っても、何もする気力も湧かないだろうし、居てもつらいだけ…
(オレって何でこんなことになってるんだっけ?)
分かっているつもりでもいたけど、胸に抱える感情はさっきまでの怒りとは違う虚無感、胸がズシリと重くなって心臓が抉られそうなほどに痛む。
身体はもう痛くないのに心はもうどうしようもない程にボロボロで瞳からポロポロと涙が流れて口から震えた声が漏れ出る、それを隠すように手で口元を覆う。その姿を見ていられないのか、こいつ…ケルビムはオレの顔を胸元に当てて、何も言わない。
でも、それが一番だと今では思う。ここで何か言ってしまえば二度と立ち直れない事もあるし、優しく接してしまうとそれに甘えた結果、それが更に重い枷になることだってある。流れた涙の理由を自身で理解して、自身で心の整理をして乗り越える。
今のオレにはそれをする事が一番の解決法だ。怖くてどこかに逃げ出したくても、今は泣きながらも心を鎮めてキチンと自分の中で決断をする。
これが正しい事は自分でしか分からない。後から間違えたと思ったらそれを糧として二度と同じ間違えをしないようにする。そうするには一人でいるよりも、目の前にいるこいつと一緒に居る方がいいと思って多少強引に同行することにした。
「物」であるこいつも自立型として暴走するより、気付かせる為の人生を持った「者」が必要だ。
オレが必要とした時にお前が、お前が必要としたようにオレが支える。お前が壊れてもオレが老いても、今はただ近くで他愛のない事で関係を築いて、お互いに………
一緒に居よう。
今は、ただ、それでいい。
次回9月中旬予定




