第二部 ニ章 アイシャの訴え
今、俺はとても、戸惑っている。お茶会の衣装はあちらで見繕うというので、その衣装を着て参加することになったのだが、その衣装が戸惑っている理由だ。
「あら~、あらあら~」
ジェシカは衣装を着た俺、アイシャの戸惑いの顔を見てニコニコと笑っている。
「…」
「…」
衣装合わせという事で使用人やアイシャの父親も似合っているかという感想を聞くために、集まっているのだが、ジェシカ以外は無表情でジッと見ている。
「ねぇ、ママ」
「なあに?」
「これってあんまりじゃない!?なんで僕の衣装がタキシードなの!?」
そう、届いた衣装はタキシード、当たり前のように男物だ、タキシードドレス何ていうものもあるらしいが、タキシードは基本男性用だ。
「なんでって、あちらが見繕ったんだから、ママは分からないわ~」
正論だが、この衣装は落ち着かない。バリッとした衣装に硬い素材を使ったような重さ、新品独特の服がこすれ合う音、気孔を使える女性ってことは男の子っぽいんじゃないか?って勝手にイメージつけられてこんな衣装を届けたのか?もし、そうだったらただの悪ふざけじゃないか!
「ねぇ、どう~?みんなから見て、結構に合っていると思うんだけど~」
「奥様、今、私たちに話しかけないでください」
「え~?」
実際の所、アイシャの衣装はとても似合っている。その事は執事たちも同意だった。しかし、送られてきた服に執事たちや、父親はある一つの感情が増幅している。
(こんな格好しているお嬢様、似合い過ぎて笑ってしまう…っ!)
しかし、ジェシカは服装には結構こだわるタイプであり、服装などで笑う事ならゆるふわ系の笑顔で頬が腫れ上がるまで往復びんたをされ続ける。
だからこそ、心では何も思っていない無の心、恐怖による恐れで心を押しつぶし、正に空気と同化するような気持ちで、ただ呼吸をしている置物状態となっている。
「んむぅ~腕も上手く上がらないし、歩きづらいよ」
「似合っているからいいじゃない♪」
「…もしかしてだけどさ、お…僕の服のリクエストしたのってママじゃないの?」
「いや~ん♪もしかして、そうして欲しい~っておねだりしているの~?でも、こんなのは回りくどいわよ~私なら、アイシャちゃんがお眠りしている間にウサギさんパジャマや猫耳パーカーを着せ替えして~満足しているうちに~眠くなっちゃって~その時偶然、アイシャちゃんに着せていたのが~男装服だったって事しかしないわよ~」
発想力というか、そのような事を考える辺り、表情を変えることないジェシカはどこまでが本気か分からないから、そこはかとなく怖い。
「でも~お茶会までにはそのタキシードに慣れるために~パジャマ以外の時は~その姿で過ごしたら~?あっランク~エプロンを用意しておいてね~汚さないように~」
「ワカリマシタ、アトスコシダケハナシカケナイデクダサイ」
「?なんで~片言なの~?」
「ダイジョウブ、ダイジョーブ、アト、チョットー」
無の心を保つのもあと少しが限界という執事達の苦悩を察しながら、ジェシカと服に慣れさせる為に屋敷の中を一緒に散歩する。
「…ぷはぁ!あ、危なかった」
「お疲れ様です、旦那様」
「あぁ、あとアイシャが離れるのが20秒遅かったら、二時間往復びんたコースまっしぐらだった」
「私なら三時間コースでしたよ」
「頑丈な人ほど長く食らうのは精神と肉体的に答えますよね…」
しばらく、その場には愚痴とため息が少し続いたという。
その後、屋敷の中を散歩している時にジェシカの外出時間が近づいてきたので、自室に戻り、タキシードを着たままベッドに倒れ込んでしまった。
「つ、疲れた…まさか、こんなにも、体力がないなんて…」
ステータスを開いてみると、耐久力、走ると減るスタミナゲージが最大値の十分の一にまで減っていた。
「この姿になってから、感じてはいたけれど、年相応の体力と行動に制限が掛けられている感じなんだよな、だから疲れやすいし、熟睡もできるし、朝には弱いし…子供を見ると天真爛漫で元気だな、俺もあんな感じだったのかなって思うけど、実際は体力すり減らしてはしゃいでいるだよな」
年を取っていくにつれて、学力や、部活、進路に自由の大半を奪われて、久々に自由を手に入れたと思ったら次の学校とかに備えて英気を養うくらいの事しか出来なくて、連休でふと、昔は何をしていたっけ?とか、思ってネガティブになりやすいんだよな。
まぁ、そういうこと、しなければならないっていうのは、知っているよ。学校に行けないと人との関わりも持てないし苦楽を共にする仲間も、一緒に馬鹿やって楽しかったなぁって青春の一ページの思い出に浸ることも出来ないからな。
「っと、そうだ。あの違和感のこと忘れていた」
ベッドから降りて、まだ疲れが残っている状態でよろよろと、机に向かうと、引き出しからペンと手帳を取り出して、ペンを走らせる。
(…やっぱり、おかしい。上手く文字が書けない。普段なら、スラスラと書けるはずなんだが、子供が書くつたない文字以前に書いた自分ですら読めないレベルって…)
どうにかして、最低でも自分が読めるような文字を書こうとするが、どうしても、上手くいかない。元々、字は綺麗な方とは言えなかったが、誰にでも読める程度の字面だった。
ゆっくり書いても迷い線のような物が出来てしまう。逆に急いで書くと更に迷い線が増える。試行錯誤していると、うっかりペンを床に落としてしまう。
そのペンを拾うと、今まで感じていた違和感が無くなった。
「あっ、もしかして…」
思いついたように先ほどとはやっていた時とは別の方法でペンを走らせると今までの字とは別の人が書いたような字面になっていた。
「そうか…利き手だ。確かに体験版ではアイシャは左利きだった。元が右利きだから、上手く書けなかったのか…身体が変わると利き手も変わるという事だ。」
20年近く、ずっと利き手を右にしてきたから、左手を使うのはなんだか、奇妙な感じだな。それでうまく書けているというのが更に奇妙だと感じる。
(でも、利き手が変わったから、上手く書ける、というよりは、両利きの方が使い勝手がいいと思うけど…一応、右手で字を書く練習もしておくか)
その後、無理して右手を使った結果指吊った。
「あー、痛かった…」
指を吊るなんていつぶりだろう。忍者アニメを見て印を素早く結ぶゲームを友達とやっていたら、熱くなりすぎて吊った時以来だっけ…
でも、やっぱり今まで使っていた(体は違うけど)右手が使いづらいのは慣れないな。左手の人は本とか読むとき上手くページを開けないんじゃないか、とか思っていたけれど違うんだな。
PCとかタイピングを両手でやるようなイメージか。昔は人差し指でやっていたけれど全部の指でやった方が楽、みたいな。
「はぁ、それにしてもお茶会か…乙女の園みたいな感じがしてなんか場違いな感じがするんだよな、一番場違いなのはこの服を着ている自分自身だろうけど…」
お茶会までは後、一週間もない。それまでにはこの服を着こなしてスムーズに動けるようにしないと、この世界でしかも女としてこんなことをするなんて、難しいな、今までやってきたストアドでも、こんな体感型なんてやったことないのに現実でやることになるとは、誰でも思いはしなかっただろう。
そもそも、異世界転生なんて非現実な出来事なのになんで数日焦ることが無かったのか自分自身に問いただしたい!!
※ 楽しみにしていたゲームを出来なかった分体験できるという、ワクワクが焦りを押しつぶしたから
だけど、今そんなことを思っても決まったものを変えることなんて出来ない。こうなったら、何か淑女のたしなみとかそういうものを身につけた方がいいのかな?服とかは気にしていたらキリが無いし…
部屋を出て、この屋敷の中で一番本が多くある場所、アイシャの父であるガルド・ハーンの執務室に向かい、ノックをしようとする。
「…アイシャ、なぜ、ここにいる?」
ノックをしようとすると、背後から声がする。ビクリと身を震わせ振り返ると父の姿があった。
「お、お父様…いつの間に」
「質問を質問で返すとは、流石 我が娘、血は争えんとは、この事か」
ガルドは自分で納得したような顔で睨んでくる。
「ご、ごめんなさい、お父様、お…僕は本を読みたくて、お父様のお部屋には本が多くあるから、それで…」
ガルドは表情がいつも無に等しい、食事の時も睡眠時も、入浴時も表情が変わることもない、そこが苦手だ。
相手の表情が読めないから、話を合わせるのが難しいし、もし機嫌を損ねるような話題を振ってしまったら、たとえ娘だとしても、多少の仕打ちでもされるのではないか、と思ってしまう。
このような、本を借りる時もガルドの顔は直視できない。顔を見ると恐怖で言葉を詰まらせてしまいそうだからだ。
「そ、それで…本を、借り、おう…と…」
だ、ダメだ…やっぱり怖い…身長の問題もあるけれど、自分より大きい人に詰め寄られるって、こんなに怖い物だったのか、純粋で好奇心旺盛な子供だった時は感じなかった感情だ。
View Change ガルド
「とりあえず、私は執務に戻る、お前らも書類を届けたり整備作業に戻れ、ランクは現場監督として手持ち無沙汰になった奴らにこの紙に書かれた作業に人員を派遣しろ」
「はいっ」
ふむ、しかし…ククッ、似合いすぎだろう、あの、タキシードは…恐らく、ジェシー(ジェシカの愛称)が一枚無意識に噛んでしまったのだろうが、表情を見るに、後から気づいたのだろう。
天然系の短所とでも言うべきか、自覚がなくとも原因を作った人物になってしまったからな。まあ、そういうところに惹かれたんだけどな。
そう思いながら執務室に行く前に食堂で小型冷蔵庫の中にある紙パックの野菜ジュースを飲みほして、Uターンして、執務室に向かう。
「…ん?」
廊下を曲がったところで、先ほど見たタキシード姿のアイシャが目に入る。
(さっきまで、ジェシーと屋敷を回っていたはずだが…)
チラリと腕時計に目を通す。確か、ジェシーは他の中流階級の女達と街に出かけているはず、アイシャが行く場所は大体自室か、訓練場のはずだが…服に慣れるためか?
少し、気になるという気持ちもあるが、少し悪戯心があるガルドは気孔で、自身の気配を殺し、足音、呼吸音すら、無くし、アイシャの背後に立つ、歩幅を合わせ、たどり着いた場所は執務室だった。
(アイシャが執務室に?特に興味を引くような物はなかったはずだが)
とはいえ、ずっとこのままにしておくわけにはいかず、声をかける事にした。
「…アイシャ、なぜ、ここにいる?」
気孔で気配などを無くしていたので、驚いたのだろう、ビクリと肩を跳ねらせて振り返る。
「お、お父様…いつの間に」
記憶を無くしたというのもあるのだろうが、ジェシーのことはママと言ってくれるのに、俺の事はお父様か、前みたいにパパと呼んでくれる時はまた来るのだろうか。
「質問を質問で返すとは、流石 我が娘、血は争えんとは、この事か」
「ご、ごめんなさい、お父様、お…僕は本を読みたくて、お父様のお部屋には本が多くあるから、それで…」
なるほどな、確かに俺の部屋にある本は多い方だろう、だが、大半は礼儀作法や、専門学院の教授がまとめた、論文がある。アイシャはまだ、読み書きができないだろう。全てにフリガナが振ってあり、今の学力で読める本が、あったか?
「そ、それで…本を、借り、おう…と…」
考えている内にジロジロ見てしまったのだろう照れているのか顔を下に向ける。
※ガルドは自分の表情が怖がられている事を自覚していない。
View Change アイシャ
うぅ~怖くて顔が強張るばかりだ、どうしよう、さっき謝ったけどそれだけじゃ足りなかったかな?やっぱり、土下座とかもしたほうがいいんじゃ…
そう思っていると、寄り掛かっていた執務室の扉が開かれて、背中から倒れ込むようになる。ガルドは指でくるっと円を描く、すると風が浮き袋のように体を包み衝撃を無くした。
「…何を呆けている、本を見たいんだろう。右側の本棚から、好きな本を持っていくがいい、返す時は直接ではなくていい、使用人にでも渡せ」
「えっ?あっ…」
一瞬のことで思考が固まってしまった。睨まれていたから気に障ることでもしてしまったかと思ったが、実はそんなに怒ってはいないのだろうか、相変わらず目を合わせることはできないが、ガルドは何事もなかったように、執務机に座り、書類の山に体を隠してしまう。
「…どうした、何冊でもいい、時間は有限だ」
「は、はいーっ!」
ドスの効いた声に反応するように右の本棚から、礼儀作法の本を二冊取り出し、そそくさとお辞儀をする。
「し、失礼しました!お父様、お仕事頑張って下さい!」
そう言って逃げ出すように自室へと戻る。
自室へと戻ると鏡を見て涙を浮かべている自分を見て机の端に置いていたハンカチで涙を拭く。そしてそのハンカチをポケットの中に入れようとする。
「あっ、涙染みうつしちゃうかな…うーん、うん、適当にするよりは慎重に動いた方がいいよね」
涙を拭いたハンカチは元置いてあった机の端に置いて、借りた礼儀作法の本に目を通す。
「…へぇ、スカートの裾上げはロングの時だけなんだ、まあ、そうしないと下着も見えちゃうだろうからね、当たり前か、タキシードでやるような、ポーズは…うっ、どれもこれも男がやるようなカッコイイポーズばかり、かっこかわいいポーズとかないのかな…んん~、あっ、このページで終わりかぁ…なにか、どんな服でも出来るような、お辞儀とか…足音を立てないようにお淑やかな歩き方とかは…」
そのように、本を読んでいる内に結構な時間がたってしまったようだ。窓を開けると空が朱く染まっていた。遠くに見える住宅街にはポツポツと明かりがついている。
ずっと本を読んでいて腰が少し痛い事に身体が、遅く気づき、ベットに飛び込むと同時にランクが部屋に入ってくる。
「お嬢、失礼します」
「あ、ランク、どうしたの?」
「そろそろ、夕食にしようと思うのですが、奥様が帰って来てから召し上がりますか?それと…ブッフォッ!!クククッ、ふ、ハハハッ」
笑いを抑えられなくなったのか、話している時に吹き出した。
「ママに言いつけるよ」
「い、いや、だってこれはちょっと、流石に…」
その時にあることに気付いた。
「あっ、ママ」
ランクの背後にジェシカが立っていた。
「うふふ~」
「あっ…」
「アイシャちゃん?夕食は自分でエプロンかけられる~?私は少しだけ後でいただくから、パパと一緒に先に食べていてね?」
「あっうん、出来るだけはやくきてね」
耳を塞いで、食堂にパタパタと小走りで、食堂へ向かう。
食堂にはガルドが先に食事をしている。
「…ん?ジェシーが、君を会いに行ったはずだが、どうしたんだ」
「ランク、タキシード、背後、ママ、笑顔」
「…なるほど、お気の毒だな」
食事をしている間、廊下の方から何かを叩いている音がした。
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