第十二部 伍章 最後の一歩
空を見上げてその場にいた者は全員驚愕する。空には今もなお、魔界の紫炎雲が渦巻いているが、その中心にいる生き物が全員を釘付けにする程の恐怖を放っている。
「キマ…イラ…?」
誰かがそう呟いた後にその場は一斉にパニック状態に陥った。学生達は我先にと逃げ出して近くに控えていた教師はすぐに避難誘導を始める。
「…あれは…さすがに私でもキツイかなぁ、この子じゃ火力不足だし、真っ向勝負は私の十八番じゃないし…でも乗り掛かった舟を降りるなんて私には出来ないから手を貸しちゃおうかな」
女性はボウガンを優しくなでると新品のような黒光りする正に時が戻ったような状態になる。それだけじゃなく矢じりはさらに鋭くなっていた。
「おいおい、マジかよ…」
そう言ったニコルは空を見上げながら、驚愕の表情のままキマイラを見ている。同じくキマイラを見ていた弦が口を開く。
「ありえねえ…いや、こんな事あってはいけないんだよ…!なんで…何で魔素が侵食し合ってるんだよ」
弦の目にはキマイラが放つ魔素を魔界の紫炎雲が吸い取り増幅するが、キマイラは吸い取られるのを拒んで逆に魔界の紫炎雲を取り込んで自身が魔素を取り込み増幅し自分の魔素を限界以上の力とする光景だった。
今まで弦が見てきた魔素や環境への可視化ではそのような光景は初めて見る光景だった。
(だが、おかしい…なぜキマイラは雲の中から出てきた?今までの魔物は雷と共に地上に降りてきた。キマイラも普段は土中に巣を作り、縄張りに足を踏み入れさえしなければ何もしないはず、魔素を取り込むために雲の中に潜んでいるなんて話し聞いたことも見たこともない)
「…おい、みんな」
心を震わせながらゲンブが口を開く。その言葉は震えながらも力を感じさせて武者震いとも思える覚悟がした。
「全力で行くぞ。絶対にあいつを生かすな、わかったか」
ゲンブはそう言うとその身体からゴキゴキと音を響かせる。ゲンブの腕の付け根からずるりと何かが生える。ゲンブは「ぐっ」と小さな声を上げながらもその何かは形を変えながら、腕の形に変えゲンブの腕は6つになった。
異形化 自身の身体を変形させるスキル、変形させることによって魔物や他人の専用のスキルを扱う事も可能。
「さーて、あいつの時に使えなかったこの子もお披露目できるってわけね。出番だよあーしのかわいこちゃん」
アリアが取り出したのは、四角い手のひらサイズのキューブ、それの角を押し込むとキューブの中からミニチュアサイズの武器が多く出てくる。しかし、それはみるみるうちに大きくなっていき、アリアの体と一体化するようになっていき、武器との融合をした。
武器融合 武具と融合して耐久力、防御力、攻撃力を上乗せするスキル、しかしその上で武器を装備することは出来ない。つまり、今のアリアは多くの武器と融合したことでそれぞれの武器のステータスを持つ武器人間というわけだ。
ニコルは言葉は発しなかったものの負傷した動物に消毒液や冷水で応急手当をした後、自身の周りに比較的軽傷の動物を集めていつでも戦える準備は出来ているようだ。
精神統一 狙いを定めて相手の回避30%を下げ急所に攻撃が当たりやすくなる。その代わりに自身の回避も10%下がる。
ヨハネスはキマイラを睨みながら、叫びとも遠吠えとも思う声を上げると同時に手にした杖をキマイラに向ける。
鬨の声 自身の闘士を最大限まで高め、攻撃を主軸にした戦法を取る。物理・魔法の攻撃力を150%のダメージを上乗せさせる。自身の防御力が0になる。
弦はそれぞれの覚悟を決めた顔を見て、少し頬を緩める。「フッ」と軽く笑うような声の後彼も獲物を取り出す。彼が取り出したのは脇差のようなものだった。しかし、そのナイフは空気を震わせる音が微かに響く。
超振動ナイフ 自身の魔力を常に消費し続けて、斬撃系武器の攻撃に相手の防御力無視を付与する。魔力が0になると効果は失われる。
レイラは体を震わせながらも、動揺する身体に鞭打って腕を抑えながら、決意を固める。
覚悟完了 自身の防御力を仲間の数だけ倍にして攻撃を受けた際、一定の確率で反撃を行う。反撃が失敗した場合、防御力無視+ダメージ1.5倍のダメージを受ける。
それぞれが準備を終えると同時にキマイラは魔界の紫炎雲を全て体内に取り込む。取り込んだ後の空には蒼天が広がっていた。
そして、キマイラはゆっくりと地上に降り立つと耳を劈く咆哮を上げて敵意を一斉に向けて襲い掛かる。
グオオッという声を上げるキマイラにアリアと女性は目くばせをしてボウガンをキマイラに一斉に浴びせる。
鋭い矢は目算でも100以上放たれたが、そのほぼ全てが硬い皮膚に弾かれて、翼に刺さった一本も貫く子をは出来なかった。
かすり傷でもキマイラの標的となったらしく女性の方にキマイラが向くとアリアはその隙を見逃さず腹部下に潜り込み、身体中の武器を駆使して攻撃を畳み込む。
怒涛の連撃の最後に毒針を食らわせようとしたが、それは届かない。近距離で毒針を外すことはあり得ない。しかし、その瞬間アリアは何かに引っ張られるような感覚を感じてその方向に目を向ける。
そこにはキマイラの尾、毒蛇の牙がアリアの左脚の武具を挟み込んでいた。そのことにアリアが気づくよりも前に毒蛇はアリアの身体を軽々しく持ち上げて何回も地面に叩きつけると高原の先の森林に放り投げた。アリアは地面にバウンドしながら木を2~3本なぎ倒し4本目の木に叩きつけられ一時を置いて地面に倒れる。
「ぐっ…ゴホッゴホッ」
幸い毒は武具に守られて体内に入らなかったもののダメージは大きく、血の混じった咳で自分の服を汚しながらもポーションを飲みながら戦場に戻る。
アリアが吹き飛ばされた事で一瞬あっけにとられていたゲンブだったがすぐに我に帰ると一息でキマイラの顔真正面に移動するととてつもない速さで切り刻んでいく。
傍から見ればその斬撃はゲンブの上半身が360度右回転左回転しながら連撃を繰り返しているように見える。その斬撃はゲンブの異形化あってこその特殊な技と言えるだろう。
異形化したゲンブの剣は右の一番上の腕は攻撃役、左の一番上の腕は反撃、第二の右手は防御第二の左手は相殺そして、第三の両手は補助を担っている。
なぜ、第三の両方は補助をしているのかと言うとゲンブが異形化しているのは腕を増やしただけでなく体内にもある異形化を施している。
それは歯車状の機械構造、上半身が回転しているように見えるのは異形化で身体の構造を変えた「天然ギア」ゲンブはこの天然ギアの構造と戦闘における理解を深めて編み出した無双の連撃を超えた極連斬撃
その負荷は自身の肉を引き裂く程の痛みを伴うため、刀の柄や鍔で天然ギアに身体に負荷を伴わない補助輪の役目を第三の両腕を補助をして使っている、右回転の時は左腕の剣を補助輪として、左回転の時は右腕の剣を補助輪として使う事により、一息もつかせない連撃を繰り出すことが出来る。
連撃を受けながらキマイラは死角から尾を伸ばして反撃しようとする、がレイラの投げナイフとヨハネスの魔法で妨害する。
そこへ戻ってきたアリアが蛇の目にお返しと言わんばかりに食らわせられなかった毒針を突き刺す。
「悪いけれど、一発は何十倍にして返さないと気が済まないからね、あーしは」
キマイラはゲンブから受けた斬撃によって噴水のように噴き出す血液に悲鳴を上げながらも、眼は爛々と赤く殺気は今まで以上に膨れ上がる。
ゲンブは一時も休まずに、キマイラの顔から離れずに斬撃を加え続ける。今まで効かなかった攻撃が噓のように身体がよろめいていく。
ニコルが従える動物も爪や牙を駆使して、関節を狙い攻撃が通りやすい弱点を探してそこに攻撃をありったけ畳み込む。
しかし、キマイラもただやられるだけではなかった。ガパッと口を開くとその口内から魔法陣が浮かび上がった。
「っ!!火炎強化だとっ!?」
キマイラが放った火の息吹はレーザービームのように辺りの草を焼き切り、ヨハネスの腕を貫く。
「あっ…!ぎぃあぁぁ!!」
「ヨハネス、しっかりしろ!ポーションだ」
「すまねぇ、俺は無事だ、それよりも…っ!あぶない!」
ニコルとヨハネスにキマイラの重機のような足が迫っていた。
そのことにいち早く気付いたレイラが2人を突き飛ばす勢いで体当たりをして難を逃れる。
「大丈夫ですか?いや、話しをしている暇なんてないね。これは…」
ネメシスの猛攻は着実にキマイラを弱らせている。一進一退攻防、その場にいた誰もが永遠に続くかと思うほどの手強さ、しかしそれはある一撃で終わりが見えた。
それは奇跡的なものだった。ゲンブが顔から離れ、素早く腹部に潜り込み回転切りをすると、重心がずれた事に身体が対応できずにキマイラの後ろ脚が僅かに宙に浮く。
それと同時にアリアはフルバーストでアッパーを喰らわすことでさらに脚は地面から離れる。弦のナイフもヨハネスの魔法もニコルの兆槍もレイラのアックス、女性のボウガン全てが重なった時、にキマイラの尾が胴体から離れた。
その時、キマイラはゴボリと血を吐くと同時に身体がボコボコと膨れ上がると中から食い破られたように膨れ上がった部分が破裂する。パチン、パチンと、しかし、弦の発言を覚えていた全員はその現象が魔素の過剰摂取によって引き起こされる副作用のような物だと直感的に理解できた。
キマイラは最後に尾を引く叫びをあげると、全身の力を抜き地に沈んだ。
「…やっ…た…?」
「勝った…勝ったんだっ!!初めて、キマイラを倒したんだ!!」
「…魔素は殆ど無くなった。後は傷を早く治してギルドマスターに報告しよう。それと彼女にも同行を…って」
弦が彼女のいた方向に目を向けるとそこには既に彼女の姿もボウガンの影も形も残っていなかった。
「…はぁ、これは報告書が厚くなるな」
「ええ、全く」
全員が疲労困憊になって地面に座りこもうとしていた、その時
「………何の音?」
呟くレイラの耳にはシュルルと言う音、又は声のような物が聞こえた。その方向を見た時にはレイラは危険を感じ既にある人の近くに駆けていた。
「アリア!危ないっ!!」
刹那、切り落としたキマイラの尾である毒蛇が凝固した血液を15㎝程の針にしてアリアに放った。
「……あ」
その針は咄嗟に前に出たレイラの胸部分を貫いた。毒蛇はその後力尽き、どぅ、と倒れる。
「レイラっ!!」
致命傷だった。傷口からはどくどくと血が流れ、すぐにでも適切な処置をしないと死んでしまう事は確実だった、しかし…
「なっ…そん、これは何かの間違いだ、これはレイラ…そんな…」
「ア…リア…」
「レイラ!しっかり…しっかりして一体、ど、どうすれば…!」
アリアにはどうすれば助かるのか、分かってはいたすぐにでも病院で処置をしなければならない。だが、それには状況が悪すぎた。現在の場所は高原のほぼど真ん中、動かすと怪我の度合いが悪化して医療関係者に来てもらうにも、ここまで来るのに時間がかかる。
「レイラ…あ、あぁ…」
(応急手当…ポーション…回復魔法…病院…時間…死、死、死)
頭を必死に回転させても時間という概念が入り、どのような方法を取っても精々2~3分程度の命、どれだけ急いでもそのような短時間で病院へ連れて適切な処置を受けることなど出来ない。
「待っててレイラ…今救急車を…!」
携帯電話を取り出そうとするアリアを、震える手でレイラは止める。
「だめ…だよ、アリア、よ…うやく一歩踏み、出せたの…に、ゴホッゴホッ」
「レイラ!喋っちゃダメだよ!すぐに呼べばきっと…」
その時、アリアは周りの人たちが誰一人として動こうともしていない事に気が付いた。
「…何を…何をしているの!!今目の前で死にそうな仲間がいるのにっ!なにボーっとしているの!!あなたたちは仲間が大切じゃないの!?」
その言葉を返す者は誰もいなかった。しかし、アリアはその言葉を返さないのではなく、返せないというのを理解していた。
「…っ!」
「アリア…こ、の前言ったこ、と…覚えてる…?」
「…最後の…一歩?」
「うん…わ、たしは…自分のため、に…踏み出せなか…た、だけど…かはっ!」
最後の一歩、それはレイラにとって自分が死ぬことで他の人が生き残れる為の行動だった。誰でも死に対する恐怖はある、だがそれで自分が生き残っている事に後悔してしまう。
「わ…たし…一歩…踏み出せたよ…」
最後にレイラが手を空にかざして優しい笑みを浮かべた直後、その手は力が抜ける。アリアはすぐにその手を取ろうとして駆け寄ったが、その手を取ることは出来なかった。
その後、ギルドマスターに今回の事件の結果を話し、詳しい調査は冒険者ギルドの協会本部が受け継ぐことになった。
~現在~
「…って事があったの」
アリアは話し終えると氷が半分以上溶けたカクテルに口をつける。
「そんな事が…私は途中で民の避難誘導を行ったのでその場には居合わせることができませんでしたが…それにしても」
リヒト陛下が目を向けたのはアリアの隣の席にいつの間にか座っていたゲンブの姿。
「いつの間に話しに混ざっていたんですか…自然に語りに入っていたので逆に気づきませんでしたよ」
「いや、一足先にエンブレムを受け取ろうとしたらここに来るのが見えてな、せっかくだから話しに混ざろうとした。因みにいつからいたかというと船の話しからだ」
そう言うとグラスを磨いていたバーテンダーが重苦しい空気に耐えられなかったのか少々強引に話に入る。
「ほぼ最初じゃないですか、それでそれからはずっとこの街に?」
「いや、それからもゲンブと共にいろんなところに行ったかな、私が妊娠してどこかで家を持とうって話の時にこの子から連絡が入ってね……今でもこの国がこんなにガラリと変わるなんて思わなかったわ」
「まぁ、その前にも色々あったがな、冒険者協会総本部に行ってあんな事するようになった奴を告発したりとか…だけど、そん時驚いたことがあってな」
「そうそう、私達に人殺しをさせたりした奴らがギルド関係者に成りすましていたんだよ!だから本部の会長がそのことを全く知らなくてさ、おかげで冒険者全員巻き込んでギルド全体大パニック、一時期冒険者ギルドは解体するようになって、成りすましていた奴らは、死刑、そして、あらゆる面で万全のセキュリティーを使って冒険者ギルド復活…いやぁ、半年でよくやったよ」
このままではまた重苦しい話しになってバーテンダーの頭が心配になったリヒト陛下は咳ばらいをする。
「と、晩酌はこれくらいでいいだろう、うん、中々に興味深い事も聞けた。そろそろあなた達のエンブレムを用意しないとな」
「あぁ、そうだ。それを貰いに来たんだった。俺も行こう、ほら行くぞ」
「ん~?にゃぁに~?」
「さっきまで酔った様子じゃなかったのになぜ…」
ゲンブがカウンターに目を向けるとそこには6本の空き瓶が立っていた。
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